オネエと少年と冷えたピザ2

 エルフリードの部屋がぴかぴかになった頃、窓から差し込む日差しは茜色を帯びていた。

 疲れたようにノイがソファに座る。起床してから3時間ほどしか経っていないにも関わらず、彼は疲労困ぱいしていた。


「……エル、これからはもうちょっと、部屋にも美を配ろうね?」

「悪かったって、いってるじゃない……」


 剥れた顔の青年が、少年へ水のボトルを差し出す。受け取った彼が、不思議そうにラベルを眺めた。くるくる、ボトルが回される。


「なにやってんのよ。飲まないの?」

「これ、なんて書いてるの?」

「あんた、さっきからそればっかね。『水』って書いてるじゃない」

「……へえ」


 神妙そうなノイに、今度はエルフリードが怪訝な顔をする。

 少年はエルフリードの部屋を掃除する最中も、「これはなに?」「なんて書いてるの?」「ねえ、これは?」何度も青年に確認を取っていた。

 戦場という名の片付けの最中は適当にあしらっていたが、よくよく考えるとおかしい。怪訝な顔のまま、青年が少年の旋毛を見下ろした。


「ねえ、ノイ。あんた文字が読めないの?」

「……異国の文字みたいに見える。言語は認知出来るのに、不思議だね」

「んん?」


 不可解な言葉が飛び出し、エルフリードが困惑する。顔を上げたノイは、更に頼りなさそうな顔をしていた。


「昨日の夜道も、全然見慣れなかったんだ。見たことのないお店とか、看板とか全然読めなくって、……どうしよう。ここ、どこなんだろう……?」

「ちょっと待って? 迷子ってあんた、そんな壮大な迷子してんの?」


 青褪めるエルフリードから視線をさ迷わせ、こくり、力なく少年が首肯する。

 ぴたりと止まった空気を、ぎこちない動きで青年が再開させた。


「……とりあえず、お風呂、入ってきなさい。一回さっぱりしましょう」

「……うん」


 こくり、頷いた少年とともに、青年が浴室の扉を開ける。使い方について一通り説明を受けたノイが、はたと青年を見上げた。


「エル、着替えがない」

「あああああッ、今日だけあたしの着て!!」


 頭を抱えたエルフリードが、突然の出費の予定に頭を抱えた。




 少女と見紛う美貌と華奢さを併せ持ったノイに、エルフリードのTシャツは大きかった。最早膝丈のワンピースだ。

 別段エルフリードが大柄なわけではない。背が高いだけだ。

 一般的な成人男性よりも、ちょっと飛び出た身長が、彼の中でコンプレックスだった。


「だからってあんた! これじゃあたしが犯罪者みたいじゃない!!」

「客観視すると、相当危険な趣味してるみたいだよね」

「やめて! あたしにロリとショタの趣味はないわ!!」


 清浄になった床に手をついたエルフリードが、悲痛な声で叫ぶ。

 ノイの生白い肩が、襟ぐりから見えそうになる。落ちそうになるそれを何度も正す姿は、誘拐されたか弱い少女のように見せた。

 ここで誰か知り合いが玄関を開けようものならば、彼は社会的に死んでしまうだろう。

 ――丁度いい服を買い与える!!

 エルフリードは固く心に決意した。


「……それで、なんだったかしら。ああ、……迷子ね」

「うん。迷子」


 ひとっ風呂浴びたためか、潔いまでにさっぱりと頷いたノイに、益々青年が肩を落とす。

 少年が小首を傾げた。湿った毛先が揺れる。


「多分ぼく、違う世界に迷い込んだんだと思うんだ」

「メルヘンなら、絵本の中だけにしてくれないかしら」

「じゃあ、エルはこの文字読める?」


 大量に捨てられたレシートの裏側を用い、ペン先が黒いインクを走らせる。

 ノイが綴った文字は滑らかで形の良いものであったが、エルフリードの目には文字として映ることはなかった。首を傾げる青年に、少年がため息をつく。


「『水』って書いたんだ」

「ちょっと待って。あたしの中の眠れる考古学者の血を目覚めさせるから!」

「……そんな血、あるの?」

「あるわけないでしょ」


 テーブルに置かれた『水』のボトルと、並べて置かれた『水』の文字。類似点の見つからないそれに、エルフリードはお手上げだった。


「……わかったわ。じゃあ、あんたは異世界から来た。おーけー?」

「うん」

「なんで?」

「それがわかれば、苦労しないよ……」


 竦めた肩に合わせて、襟ぐりが落ちそうになる。ノイが顔を上げた。


「ぼく、向こうでは吸血鬼って種族なんだ」

「は!? なによ、それ! あたしの血飲む気!?」

「は? いらないんだけど? なんでみんな吸血鬼っていった瞬間、自分の血が狙われてるって思うわけ? こっちにも選ぶ権利があるんだけど?」

「あんたのその煽りスキル、なんなの?」


 これまで平坦だったノイの声音が、明らかに苛立ったものへと変わる。ひくりと身体を跳ねさせたエルフリードが、そっと少年から距離を取った。

 ……理由は決して血液絡みではない。


「大体ぼく、血なんて飲めないし。あんな不味いの飲む気にもならないし。そもそも最近の主流は血液パックだし。なんでわざわざ生き血啜らなきゃならないの? 消毒とか承諾とかめんどうなんだよ。わかる?」

「あんたにとっての地雷だってことはわかったわ」


 ぷんぷん怒るノイが腕を組む。ついに襟ぐりが落ちたが、少年は頓着しない。

 ため息をついたエルフリードが、少年の頭を撫でた。むすり、彼が青年を見上げる。


「……小さい頃に、姉さまがイチゴオレだって、血液を牛乳で割ったものをぼくに飲ませたんだ」

「先にグロ注意っていってくれない? びっくりよ」

「ぼくだってびっくりしたよ。最高に不味かった。子どもの発想力って、時に残酷だよね」

「今世ではもっとおいしいもの口にしなさい。あたしが買ってあげるわ」

「ぼくまだ死んでない……」


 怒りの波動は落ち着いたらしい。へたりと腕組みを解いたノイが、ぺたんと背凭れに身を預ける。

 はたと瞬いたエルフリードが、眼下の旋毛を見下ろした。


「吸血鬼って、あの吸血鬼よね? 朝日浴びると灰になるとかの」

「どの吸血鬼がしらないけど、別に灰にならないよ? 朝ってしんどくない? 血圧上がんなくて、昼まで寝たい」

「それ、あんただけでしょ? え、まさか一族通してそんななの!?」

「だって、外部からわざわざ血液摂取してるんだよ? 足りてたらそんなことしないよ」

「へー!?」


 エルフリードは愕然とした。幼い頃に読み聞かされた吸血鬼の話は、まさかの低血圧が原因だったとは!


「……じゃあ、ニンニクは?」

「吸った血がニンニクくさかったら、なんかやだっていう、吸血鬼ジョーク」

「あんたの界隈、そんなジョークがあるの!? じゃあ十字架!」

「全く平気だし、なんだったらぼく、毎週教会に顔出してるよ。この前クッキーもらった」

「平和ね!? それじゃあ、杭は!?」

「普通に考えて? 心臓に杭を打つとかさ、サイコパスの発想でしょう? 銀製のなんとかーとかもさ、銀投擲してくるんだよ? いたいよね?」

「あ、はい。ごめんなさい。……じゃあ、美女」

「むさくるしいおじさんと、可愛くてきれいな女の子、どっちがいい?」

「はい」


 エルフリードは膝から崩れ落ちた。少なからず抱いていた不思議への憧れが、まさかこのような形で崩れ去るとは思いもしなかった。

 ため息をついたノイがボトルをあけ、こくこくと喉を鳴らす。

 問題なく水を飲み、少し遡ればピザも食べていた。そして少年はしれっとしている。


「あんたのどこに、吸血鬼成分があるってのよ!?」

「さあ? 牙も退化して、ほとんど八重歯にしか見えないしね」

「空は!? 空は飛べないの!? コウモリは!?」

「ええっ、しんどい……」

「怠惰!!」


 床を叩いて抗議するエルフリードを見下ろし、脚を組んだノイが半眼を作った。


「きみ、率先して走りたいタイプ?」

「いいえ、全く」

「ぼくもそう。わざわざしんどいことしたくない」


 しれっとした声に、青年が少年時代に見た夢は崩された。

 悲しみにくれる彼を置いて、くるくると指先を回したノイが、小さく息をつく。ちらりとエルフリードを一瞥し、少年が小声で呟いた。


「コウモリも呼べないみたい。次元が違うからかな?」

「そんなのっ、あんた、ただの顔のいい血圧低いだけ少年じゃない……!!」

「あはは、そうだね」


 愉快気に笑ったノイが、安堵に肩を落とす。心の乙女と少年を泣かせるエルフリードはそれに気付かず、彼の夢をぶち壊した張本人から、頭を撫でられ慰められた。

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