退学と月①

 明日になれば、今寝て明日起きたら、もう夏休みが終わっている。


 そんな現実を受け止めたくなくて、私はもうかれこれ三時間は羊を数えている。


 八月三十一日、夏休み最終日の夜。時刻は三時。あと二時間もすれば、朝日が見えているだろう。


 今年の夏休みは本当に楽しかった。


 朝はお兄さんと一緒にご飯を食べて、会社に行っちゃうお兄さんを見送ったら、お兄さんのお家の掃除なんかをして過ごす。


 時にはあおいさんが遊びに来てくれたりして、お兄さんのいないお兄さんのお家で、二人で恋バナなんかをしながら過ごしたりもした。話題は全部私の恋だけど。


 きっとお兄さんが知ったら、なんで俺の家なんだよ。とか言うんだろうな。


お兄さんが帰って来る頃にはお風呂とご飯の準備ができていて、いつもお兄さんが言ってくれる「ありがとう」が楽しみで、私は毎日頑張れた。


 思えば専業主婦みたいな生活だったと思う。


 友達とも遊びに行ったりした。


 とは言っても土日は絶対に行かない。なぜならお兄さんのお仕事が休みだから。


 せっかく二人とも休みなんだから、一緒にいたい。


 お兄さんは私がいると休めないと文句を言うけど、本当は嬉しいんだ。きっとそうだ。だって私といると幸せそうだもん。主に私が。


 IKEYA、水族館、花火大会、いろんなところに行った。


 どれも、良い思い出だ。


 夏休みは終わってしまうけれど、学校が始まったって毎日家に行って、一緒にご飯を食べよう。お兄さんは嫌がるかもしれないけれど、きっと照れ隠しだ。


 さて、そろそろ眠らないと明日は学校だ。 


 久しぶりの学校は面倒だけど、頑張ろう。また明日も、お兄さんに会えるんだから。


 九月一日。夏休みが終わって登校初日。


「七葉おはよ~」


「おはよ~!」


「七葉おは~」


「おは~!」


 クラスメイトと挨拶を交わして、席についた。

 今日からまた始まる学校生活に、心が躍る。


七葉なのはちゃん、おはよう」


「おはよう、堀川ほりかわくん」


 クラスの男の子、堀川くん。


 夏休み前に遊びに誘われたけど、断ってしまったから少し気まずい。


 別に嫌いなわけではない。優しいし、話の好みも合うから、休み時間に話すことも少なくはない。


 遊ぶのを断ってしまったのは、ただお兄さんといる時間を増やしたかったからであって、堀川くんに原因はない。だからこそ、罪悪感のようなものがある。


「夏休みはどこか行ったの?」


「ん~と、水族館と花火大会? 他にもいろいろ行ったよ」


 お兄さんとの思い出でいっぱいの夏休みだ。


 そうやって堀川くんに話しながら、少し頬が緩む。


「そ、そうなんだ。花火大会は誰といったの?」


 お兄さんと、それは言えない。


 きっとお兄さんが嫌がる。


 未成年の私と出かけたことを、お兄さんは隠したがる。


 私の了承を得てるんだし、私はいいと思うんだけどな。


 でもどうしよう。堀川くんのこの質問に、どう答えるのが正解なんだろう。


 下手に友達の名前を借りて、後でバレたら大変だし……。


「お……」


「……お?」


「お兄ちゃん!」


 嘘はついてない。いつも私はお兄さんと呼んでいるから、呼び方を少し変えただけ。


 実の兄なんて一言も言ってないし、私は嘘つきではない。しらんけど。


「そ、そうなんだ」


「堀川くんはどこか行った?」


「い、いや僕は、どこも……」


「そっか……」


 なんだか、話が上手く続かない。


 堀川くんは良い人なんだけどな……。


 その気不味い雰囲気を救うように、タイミングよくチャイムが鳴って、先生が入ってくる。


「お前ら席につけ~」


 先生の号令と共に全員が自分の席に着くために移動し始める。


 堀川くんにも、一言「じゃあね」と告げて、私もそそくさと席に向かった。


 離れ際、堀川くんの顔が少し怖く見えたのはなんでだろう。


 先生の話も終わり、始業式となった今日はお昼には帰ることになる。


 帰ったらなにをしよう。お兄さんはまだ帰ってないだろうから、またお洗濯をしたりしていようか。


 友達と遊びに行くのもいいけれど、やっぱりお兄さんに早く会いたいし。


 でも、そんな私の予定は思い通りにいくことなどなく。


花咲はなさき、ちょっとこい」


「え……は、はい」


 突然、生徒指導の先生に呼ばれる。


 鬼山おにやま先生、通称鬼セン。怒るとものすごく怖い、というかいつもちょっと怖い。


 そんな鬼センに呼び出されるというのは、つまりよくないことで、クラスの空気が変わる。


 みんな私に注目していて、友達からは「なんかあった?」とすれ違いざまに聞かれる。


 もちろん私にそんな心当たりはない。私生活でも真面目だし、学校生活だって凄く真面目にしている。


 授業中に寝ることもないし、警察のお世話になることなんてもってのほか。


 だったら、呼ばれる理由がますますわからない。


 廊下で鬼センの後ろを歩く。向かう先がどこなのかわからなくて、それが更に不安を募っていく。


「あの、どこにいくんですか?」


「校長室だ」


 校長室。もしかして私、なにか表彰でもされるのかな。そんなわけないか。


「何しにいくんですか?」


「……」


 なんで黙るの。余計に怖くなる。


 そんな重い空気のまま、廊下を歩き、階段を下り、また廊下を歩き。


「入れ」


「はい……」


 到着した校長室の扉がやけに大きく見えて、まるで大きな生き物のような不気味なオーラを感じて、ドアを引く手が震える。


 落ち着け私。何も悪いことはしてないし、してたとしても、私自身が間違っていると思ってることなんてない。


 私は正しく生きていたはずだ。なにも、怒られることなんて。


 校長室の入ってすぐ、目の前にある応接用のソファ二つに挟まれた机の上。その上に置かれた複数の写真。それを見た瞬間、私が呼ばれた理由がわかる。


「その写真、間違いなく君ですね?」


 ソファに腰掛けて待っていた校長先生が、写真に目をやりながら尋ねてくる。


 複数の写真には、どれも同じ人が写っている。私と、――お兄さん。


「私で間違い無いですけど、これは」


 その一枚は水族館での私たち。そのまた一枚はIKEYAに居る私たち。花火大会、スーパー、ホームセンター、ゲームセンター。


 お兄さんと一緒にいるところを、それも、私がお兄さんにスキンシップをとっている時を狙って撮られている。


「その写真と一緒に、怪文書が送られてきました。内容は……」


 校長先生が写真の上に、その怪文書を乗せる。私にも読みやすいように、こちらに向けて。


『花咲七葉は援助交際をしている』


 筆跡がバレないようになのか、新聞の文字を切り抜いて貼り付けてある怪文書。


 白、黒、灰、三色だけで構成されたその怪文書からは、独特の不気味な雰囲気があって、見ているだけで恐くなってくる。


「私そんなことしてません!」


「じゃあ、これはなんですか?」


「それは……」


 言い訳のしようがないほどに、写真に映る私とお兄さんは密着してしまっている。


 これを見て、ただデートをしているだけだと言う方が無理がある。


 私が勝手にお兄さんにくっついたばっかりに、お兄さんにまで迷惑をかけてしまうかもしれない。


 この件がこれ以上大きくなってしまったら、きっとお兄さんもただでは済まなくなる。そうなったら、私たちは一緒にいることはできなくなってしまうのではないか。


「なにか、言い分はありますか?」


「……」


 なにも、言えなかった。


 全部私のせいだ。私が、もっとちゃんとしておくべきだった。


「この人はアパートのお隣さんで仲が良いだけなんです。信じてください!」


「口で言うことは誰にでもできます。君とこの男性の関係が潔白であるという証明はできますか? 今、この写真を見る限りはこの怪文書の通りだとしか思えません」


 信じてもらえるわけがない。私がしてきたことは、それほど大きなことだったんだ。


 お兄さんが頑なに私と出かけだからなかったのに、いつも私は私たちが一緒にいること自体を軽視して、スキンシップまでとってしまった。


 自分の愚かな行動を、思い出すと嫌になる。


 お兄さん、ごめんなさい。私のせいで……。


「処分は親御さんと共に決めます。退学もありえるということを忘れないでください。後日親御さんにご連絡しますので、お待ち頂くように伝えておいて下さい。それと、もうこの男性とは会わないように」


 そこで話は終わり、私は一人、校長室をあとにする。


 どうしよう。ごめんね、お兄さん。


 もう、会えないや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る