パパと空き巣②


 七葉なのはの夏休みも終盤に差し掛かり、最後の日曜日。


 日曜日だから仕事は休みで、もちろん七葉は朝から俺の家に居座っている。


 いつもと違う点をあげるとしたら、今日はあおいもいるということだ。


「お兄さ~ん、暑いぃ~、エアコンつけようよ~」


 扇風機と風鈴のコンボでは抑えきれないくらいの暑さだった。


「わかったから、つけたらちゃんと勉強しろよ。せっかく葵が教えてくれてんだからな」


「わーいやったー!」


 葵は学生時代のテストではいつも好成績を残す努力家だった。


 それに比べてじゅんがいつも赤点ギリギリだったから、葵が教えることが多くて、教えるのが随分と上手くなった。


 俺もよく教わったもんだ。


「七葉ちゃん、あとちょっとだし頑張ろっか」


「はーい!」


 ほんとこの二人は姉妹みたいだな。


 エアコンをつけてから数十分、部屋が完全にエアコンの涼しい風に冷やされた頃、ボーッと勉強する七葉を眺めていると、段々と意識が薄れていった。


 視界がぼやけて、頬杖から頭がカクッと落ちたりして。


「こら、二人とも起きて」


「「はっ……! いつのまに……!」」


 ただ眺めているだけで退屈してた俺ならまだしも、なんで葵と勉強してたのに七葉もうたた寝してんだよ。


 ここは寝かさないためにも、俺自身が寝ないためにも、立ち上がり動くことにした。


 七葉にはコーラを、葵にはお茶を入れる。


 それほど溜まっていなかったが洗い物を片し、朝に干した洗濯物を取り込み。


 とにかく体を動かして眠気を飛ばした。


 七葉が頑張って勉強しているのに、俺がすぐ横で眠るわけにはいかないからな。


「よし、そろそろ休憩にしよっか」


 葵の一言で解き放たれたように背中の方に倒れていく七葉。その先には俺が座っているということに気付いていなかったようで、そのままの勢いで俺の膝を枕にする形で倒れてくる。


「おい、なにやってんだ」


「いい枕だね。このままでいようかな」


 本来ならこのまま立ち上がって振り落とすところだが、勉強で疲れてるだろうし、今回だけは大目に見てやることにした。


「休憩中だけだぞ」


 そう言うと意外そうな顔で七葉と葵が俺を見る。


「なんだよ……」


蓮太郎れんたろうのことだから、照れてふっ飛んでいくと思ってた」


「お兄さんだから照れて顔真っ赤にすると思ってた」


「お前らなあ……」


 七葉に膝枕をしながら休憩を過ごし、そろそろ勉強を再開する雰囲気になってきた時だった。


 ガタン、ドン、ゴトン。


 隣の部屋から物音が何度か響く。


 俺の部屋の隣に住んでいるのは七葉だけだ。もう一つの隣室は空き家になっている。


 そして今の音は明らかに人の出した音で、でも住人の七葉は今ここにいる。つまり。


「空き巣……」


「ちょっとやめてよお兄さん!!」


「七葉、お前ベランダから来てたよな?」


「うん……」


「ベランダの鍵は外からかけられねぇよな?」


「……うん」


「ここ、二階だけど頑張りゃのぼれるよな?」


「……。もぉ! 怖いよぉ!」


 ベランダは歩道に面していて、洗濯物を干していると案外簡単に見えたりする。


 だとしたら七葉の下着を狙ったやつがのぼってきたのかもしれない。


「下着泥棒かな?」


 さらっと怖いことを言う葵。でもわざわざ下着のために盗みを働くのか?


「下着は部屋に干してますよ。恥ずかしいし……」


「じゃあ下着泥棒じゃないね……」


 下着泥棒でないのなら、単純に空き巣の可能性がある。


 でも、だとしたら狙いやすい一階を狙うもんじゃねぇのか。


 わざわざ二階まで登ってきたのはなんでだ。ああ、そうか、鍵がかかってなかったから。でもそれを外から確認するには、のぼってからじゃないとわからないだろう。


 だとすれば普通に玄関の鍵がかけられていなかった可能性がある。七葉だし。


「お前、玄関の鍵しめてんのか?」


「しめてるよぉ、女の子の一人暮らしだよ? 当たり前じゃん……」


「じゃあ玄関から入ったわけじゃねぇか……」


 なにこの会話、ミルクボーイ?


 だとしたら、わざわざ二階までよじのぼってきた空き巣と考えるのが妥当だ。


「七葉、家の鍵持ってるよな? ちょっと渡せ。俺が見てくる」


 俺は布団叩きを武器として持ち、もしもの時に備える。


 相手は空き巣だ。目が合った時はもう襲いかかってくる可能性だってある。でも七葉に行かせるわけにもいかないし、仕方なく、本当に嫌だけど。


「お兄さんやめようよ~、怖いよ~」


「じゃあお前はずっとここに居る気か? いつかは見に行かなきゃだろうが」


「ずっと居てもいいからっ!」


「俺が困るんだよ!」


「蓮太郎、気をつけてね」


 渋々家の鍵を出した七葉。それを受け取り、俺も渋々だが見に行く。


 気配を消して、音を立てないように自分の部屋から出る。


 アパートの二階、隣の部屋。いつも七葉が生活している部屋。そのドアノブに手をかけた。あける。あければ、物音の正体がわかる。


 どうしよう、怖くなってきた。


「お兄さん、ほんとに開けるの? どうしよ、玄関汚いかも。恥ずかしいんだけどな……」


 危ないし来るなと言ったはずなのに、七葉が背後から声をかけてきた。その後ろには葵もいた。


「なんでお前らいるんだよ、俺の部屋で待ってろよ」


「だって心配なんだもん……」


「そうだよ蓮太郎、危ないよ」


 まさか七葉に心配される日がくるとは。


 まあいい、とりあえず、さっさと開けてしまおう。


 どうせ気のせいだったとか、そんなことだろう。そうであってくれ。


「じゃあ、開けるぞ」


「……う、うん」


 ドアノブに力を込めて、ひねった。その瞬間、ドアはまだ引いてもいないのに俺に迫ってきて。


「ふごっ!」


「お兄さんっ!」


 突然開いた扉で鼻を打ち、そのまま後ろに飛ばされた。


 なんで開いたのか、それは七葉の部屋から出てきた男が原因だと、すぐにわかる。


「二人とも! 逃げろ!」


 泥棒だ。顔もバッチリ見てしまった。


 泥棒なんてやるような顔じゃない。優しそうな男。でも、一人暮らしの七葉の家から、出てきた。それは紛れもなく怪しい証拠で。


「パパ?」


「七葉!」


「は?」


 男は七葉に気付き、光の速さで七葉に抱きついた。


 頭は混乱しまくりだ。泥棒だと思ったこの男は、七葉のお父さん。


 抱きつかれたあともなにも抵抗していない七葉を見るに、おそらく間違いない。


「七葉、この人たちは誰なんだい? まさか……彼氏!?」


「断じて違います!」


 妙な展開になってきた。


 俺が七葉の彼氏なわけ、ないだろう。


「えっと、いつも話してるでしょ、お隣さん」


 そこで紹介にあずかった俺が挨拶をしようとして気付く。


 七葉がお隣さんと言い手で示しているのは俺ではなくて。


「え、こ、こんにちは……?」


 七葉の家は「片付いてないから恥ずかしい!」と、今更なにを恥ずかしがることがあるのかわからんが、入れてもらえず。仕方なく俺の部屋で事情を聞くことになった。


 七葉が親父さんになにやら説明しているのを聞いていたら、どうやら俺のことを親父さんにはよく話していたみたいで、毎日のように一緒にご飯を食べていることも、よく一緒に出かけていることも、親父さんはなんでも知っていた。ただ、事実とひとつだけ違う点があるとすれば。


「じゃあこの方がいつもお世話になっている苺谷さんなんだね。これはこれは、いつも娘がお世話になっております」


 そう言って親父さんは、葵に頭を下げる。


「すみません、お手洗いを借りてもよろしかったでしょうか」


 親父さんにそう尋ねられた葵は、どういうことなのかあまり理解できていないままにトイレのある方を指差して。


「ど、どうぞ」


 親父さんが席を外して、七葉と葵と俺の三人になったところで、七葉が頭を下げた。


「ごめんなさい。パパ凄い過保護で、仲良くしてる隣人さんが男の人って言ったらきっと怒っちゃうだろうから、女の人って嘘ついてて……」


「じゃあ親父さんは葵を俺だと思ってるってことか?」


「苺谷蓮子さんだと思ってる……」


「蓮子……ぷっ」


「葵、なに笑ってんだよ」


「なんでもないです、ふふっ」


 葵を苺谷蓮子だと思っているなら、俺は一体誰ということになっているのだろうか。


 まだ自己紹介をしていないから、そもそもなにも知られていない可能性が高い。


「なあ俺は……」


「いや~、助かりました。この歳になって漏らすところでしたよ!」


 自分は一体何者を名乗ればいいのか聞こうとしたとき、タイミング悪く親父さんが戻ってきた。


「そういえば、そちらの男性は?」


 やはり、その質問はくる。


 七葉も、葵も、俺も、何も知らない親父さん以外はピリついた空気を感じる。


 機転を聞かせた葵が口を開く。


「私の弟です。ほら、挨拶して蓮太郎」


 なるほど、その手があったか。


 それなら葵の部屋に来ていることも納得だし、蓮子の弟が蓮太郎というのにも「それっぽさ」が出る。


 ただ、七葉の親父さんを騙しているような気分になるのが申し訳なく思う。


「どうも、苺谷蓮太郎です」


 でもここで俺が本当の隣人だと言えば七葉困ってしまうんだろう。少し心は痛むが、今は蓮子(葵)の弟設定で話すしかないか。


「七葉の父です。いつも娘がお世話になっております」


 いやほんと。お世話というか、なんというか、ほんとに。


「パパ、今日来るって言ってなかったよね? なにかあったの?」 


「仕事の合間に暇を見つけたから、いつもお世話になっているお隣さんに挨拶をと思ってね」


 親父さんが持ってきていた紙袋からどこかのお土産が出てくる。


 本来俺に渡す予定だったそれは、葵の前に置かれて。


「これからも七葉がお世話になります」


「いえいえ、とんでもないです。こちらこそいつも七葉ちゃんとは仲良くさせてもらってて……」


 別にいいんだけど、なんか納得いかないな。


「もしお隣さんが男性だったらすぐに引っ越しさせてるところでしたよ、はっはっはっ」


 俺がバカ正直にお隣さんだと言っていれば七葉は引っ越してたのか、ちっ、惜しいことをした。


「だから言ったでしょ、綺麗なお姉さんだって」


 どうやら俺は綺麗なお姉さん設定だったらしい。言われて葵も満更ではなさそうなのも腹立つな。


 そのあともなんとか誤魔化しながら会話をして、親父さんは葵がお隣さんであると勘違いしたまま帰っていった。


「正直に言ってもよかったんじゃないか?」


 親父さんを見送った玄関で七葉に言う。


「昔男の子と遊んで帰ってきたら、その次の日からその男の子がそっけなくなってね。どうしてって聞いたらカタコトで『オトウサン、コワイ』って」


「……そりゃ、嘘ついてくれてありがとう」

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