夏休みと花火③
そんな俺には会社が唯一、あいつの揶揄いから解放される空間で、でもその会社にはもちろん
偶にはパーっとどこか行きたいと考えるが、家で一人でゆっくりするのが一番癒しの時間になる。
なのに七葉が、森下が、ああもう、どうしたらいいんだよ。
「せんぱ~い、今日は何月何日でしょ〜か!」
昼休憩、デスクで弁当を食べていると森下が後ろから声をかけてくる。
森下のデスクは俺の後ろじゃなかったはずだ。どうしてそこにいるのか、そんなこと聞かずともわかる。俺を
「今日は八月一日だ」
こういう時は相手にしないのが一番だが、無視すると体を押し付けてきて、反応するまでベタベタくっついてくる。
暑苦しいし、社内の男たちに嫉妬の目で睨まれる。それは困る。
「じゃ~あ、八月六日はなんの日でしょ~か!」
八月六日。なにかあったか、確認のためスマホのスケジュール帳を開くが、特に何もない。
さては森下の誕生日か。だったらいまこいつは、揶揄いに来ているのではなく、誕生日プレゼントをよこせと、そう言いに来たというわけだな。
まあそれくらいなら、別にあげてもいいか。多分あげないとまたベタベタくっついてくるし。
「誕生日か、なにが欲しいんだ?」
「ちーがーいーまーすー! 先々週に既に歳はとりましたよ! 先輩てきとーに言わないでください!」
違った。だったらなんだと言うのか。
他に全く思い当たる節がないし、世間的になにか特別な日であるのかと、調べてみたが特に目立つものはない。
「なに調べてるんですか! 花火大会ですよ! 花火大会!」
「声がでかい……ここオフィスだぞ」
「先輩がバカだから声だってでかくなりますよ」
「バカってお前……」
花火大会か。最後に行ったのはいつだっただろうか。花火自体はたしか純や葵とコンビニで売ってる花火をしたのが最後。
花火大会となるとかなり前に行ったっきりのような気がする。
「で、花火大会がなんだよ」
「先輩行かないんですか?」
花火大会といえば人がゴミのように集まる密集イベント。真夏のクソ暑いこの時期に、更に人口密度でムシムシになったそんな場所に、どうして行かなければいけないのか。
「行かねぇよ。めんどくさい」
「ちぇっ、誘おうと思ったのに」
森下が口をとんがらしてそんなことを言うと、オフィスにちらほら残っていた男性社員たちが俺を睨みつけた。
その視線からは「
たしかに可愛いけど、中身は悪魔みたいなやつだとみんな知らないんだろうな。
「あっ、もしかして先輩、七葉ちゃんと行く気ですか? ねえそうなんでしょ? ねえねえ!」
七葉も花火大会に行きたいと思うのだろうか。あいつも一応女子高生なわけだし、そういうイベントは好きなんじゃないだろうか。
あいつでも、水族館に行きたいと思うんだし。それに子供には優しかった。きっと、本性はそこまで悪いやつではないんだろう。そう、思いたいんだけどな。いややっぱ悪魔だよあいつ。今日だって朝からフライパン叩いて起こしてきやがったし。まだ起きなきゃいけない時間まで余裕があったのに。「朝ご飯作ったから食べて! 毒味!」とか言ってたな。ほんと悪魔。あれ、これ悪魔なのか?
「そろそろ昼休憩終わるからデスク戻れよ、うるせぇから」
「ちぇ~、先輩つまんな~い」
その後デスクに戻った森下から、「花火好きですか?」とか、「花火みたいな〜」とか、なんか色々LINEが送られてきたが、全部既読付けて無視してやった。
仕事を終えて家に帰ると、今日はなにも悲惨な状態にならずに七葉が待っていた。
この前は床が水浸しだし洗濯機は泡だらけだしで大変だったが、今日は洗濯物も綺麗に畳まれているし、お風呂も既に沸いていた。
「おかえりお兄さん! お風呂にする? ご飯にする? それとも……」
「飯にするか」
「ちょっと聞けぇい!」
七葉が居る生活が当たり前になってきている。
夏休みが終われば、七葉もここまでしてくれることもない。そもそも隣人がここまで色々してくれることに、慣れてしまうのはどうなんだろうか。
別に頼んでいるわけではないし、一人でも全然できるけれど、やっぱり助かっているのは事実だ。
偶にはなにか、恩返しというか、なにかしても良いのかもな。
ネクタイを緩めながら、冷蔵庫から水を出そうとした。
「なんだよこれ」
冷蔵庫の中はコーラのペットボトルが大量に入っていて、俺の水はこのクソ暑い季節に常温で保存されていた。
「あっ、ごっめーん☆」
やっぱ恩返しとかいらねぇな、これ。
仕方なく常温の水を、七葉はご飯中だというのにキンキンに冷えたコーラをコップに入れて、食卓を囲む。
隣に当たり前のように七葉がいて、一緒にご飯を食べる。
テレビのチャンネルはいつも俺が観たい番組ではない。リモコンの所有権は俺には与えられなくて、いつも七葉が握って離さない。これもおかしいだろ。
「は、ほうはほひいはん」
「口の食べ物飲み込んでから話せ」
「ふぁ~い」
「だから飲み込めって……」
七葉はコーラで口の中に入っている米を流し込む。その組み合わせ絶対まずいだろ。
「っぷはーっ! お兄さんさ~、日曜日予定開けといてね~」
日曜日はそもそもなにも予定がなかった。でも、こいつに予定を開けておいてくれと言われて良い予感はしない。
普段お世話になっているお兄さんに恩返しデー、とかでは間違いなくないだろうし、なにを企んでいるのか。
「日曜、なんかあんのか?」
「んー、内緒っ! にっしし~」
まただ。またこの笑い方。つまりは、なにか企んでいるのであろう。
俺がそんな見え見えの罠にかかるとでも思っているのか、そんなはずはない。俺は罠だとわかっていて引っかかるようなマヌケじゃないんだ。
「日曜、予定あるんだ。すまん」
どうだ。本当は予定なんてなにもない。
でもこう言っておけば、七葉の企みは阻止できる。
「ちぇっ、じゃあ仕方ないか~」
七葉は諦めて箸を進め始める。
こんなに簡単に諦めると思わなかったけど、諦めてくれるならそれでいい。俺も食事を再開しようとした。その時、俺のスマホが鳴る。
「ん、なんだあいつ」
LINEの通知が一件。送信主は森下菜摘と表示されていて。
『せんぱ~い、花火行きましょうよ~』
しつこいなこいつ!
「花火なんかなにがいいんだよ……」
七葉に聞こえないくらい小声で、そう呟く。
聞こえないくらいの本当に小さな声だった。なのに、七葉はその「花火」という単語に強く反応して。
「菜摘さんと花火行くのっ!?」
「いかねぇよ。それと口の中なくしてから喋れって言ってんだろ、めっちゃ飛んできたぞ」
何をそんなに焦ることがあるんだか、俺が誰と花火に行こうが七葉には関係ないだろうに。
七葉は多分友達と行くんだろうな、女子高生だし。よく友達からのLINEでスマホが鳴ってるみたいだし、きっと人気者なんだろう。そりゃ、七葉は可愛いし。ってなに言ってんだ俺。これじゃまるで、俺が七葉と花火大会行きたいけど誘えずにいるみたいじゃねぇか!
「断じて違うからな!」
「……? なに、急に」
「いや、なんもねぇよ」
翌日も会社に出勤すると、森下からの「花火大会行きましょうよ~」という誘いを何度も受け、それと同時に男性社員たちからの痛い視線を受ける。
その翌日も、その翌日も。
気付けばもう日付は五日になっていて、土曜日ということもあり、森下の誘いもLINEでのみになっていた。
ウザいからLINEは全部既読無視だが、偶に電話してくるのはどうにもならなくてウザい。
「お兄さん、飲み物持ってくるの忘れちゃった。持ってきてよ」
そんな森下からの攻撃を受け続けた数日間も、七葉は毎日俺の身の回りの世話をしてくれていた。
今日は土曜日だから俺が家にいたし、自分でやろうと思っていたのに、俺が動き出す頃には既に七葉が動いてくれていた。
いつもなら冷蔵庫へのパシリなんて絶対に聞いてやらんが、ここ数日の七葉の働きからしたらこれくらいはしてやってもいいか、そう思って立ち上がった。
冷蔵庫を開けようとして気付いた。
「花火大会……」
ポスターが貼ってある。赤く光るタワーと海、色とりどりの花火を背景に、「みなとこうべ海上花火大会」という文字がプリントされている。
もちろん俺にこのポスターを貼った覚えなどない。つまりは、七葉が貼ったということになる。
きっと友達と行くのを楽しみして貼ったんだろう。でもなんで俺の家の冷蔵庫なんだよ。自分の家にしろよ。
冷蔵庫の中は冷えたコーラしか飲み物がなかったから、仕方なく常温で置いてある天然水をコップに入れて七葉に持っていく。氷も入れているから文句はないだろう。
「ん、ありがと」
「おう」
そのまま無言で食べ続けて、テレビを見て時々七葉が笑う。
明日は花火大会だから、七葉は友達と行くだろう。だとしたら、明日こそは自分で全部やらないといけないな。
そもそも別に家事をするのが嫌なわけではないけど、七葉がしてくれることで随分と楽になっていたのは事実だ。
「そういや七葉、明日夕食いるのか? 夜遅いだろうし、食って帰ってくるのか?」
まるで同棲してるみたいな言い方だな、なんて思う。
「えっ? 明日も私が作るよ? お兄さん用事なんでしょ? 夕食はお家で食べるの?」
「あれ、お前花火大会いかねぇのか?」
「行かないよ? お兄さんが暇なら一緒に行きたかったけど、用事あるんでしょ? だから行かない」
つまり、七葉は花火大会に俺と行きたかった。でも俺は用事があると嘘をついてそれを断った。それって、この数日間色んな世話をしてくれた七葉に、凄く失礼なことをしているんじゃないだろうか。
俺は別に行きたいわけじゃないけど、七葉が行きたいと言うんだし、恩返し的なアレで行ってやってもいいんじゃないだろうか。
そうだ、これは恩返しだ。
俺は恩知らずではない。だから、しっかりと貰ったものは返さないといけない。それが当たり前だろう。
「その、行きたいなら、行くか?」
「えっ!? いいのっ!?」
「いや、その、なんか用事なくなったから」
「やったぁ! うんっ! 行く! 行こっ! 言質とったからね!?」
わかったよ、わかったから、そんなにはしゃぐなよ。
俺までなんだか、楽しくなっちまうだろうが。
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