夏休みと花火①

「では、みなさんくれぐれも休みの間、救急車やパトカーにお世話になることなく……」


 七月二十四日、今日から私の学校では夏休みが始まる。


 担任の先生の長い話をちゃんと聞いてるのはほんの一部で、みんなこれからの休日をどう過ごすのかで持ちきりだ。


 勿論私は平日は宿題とお兄さんの家の掃除など、やることが沢山ある。


 土日はお兄さんも休みだし、色んなところに行きたいと考えている。でもお兄さんが果たして一緒に出かけてくれるかという問題もある。


 お兄さんはスーパーですら一緒に行きたがらない。「女子高生を誘拐してるなんて思われたらどうするんだ」と言って、いつも私とは行かない。


 そんなお兄さんでも、夏休みには私とデートする。そのための作戦がある。


七葉なのは~、夏休み遊ぼうね~」


「うん! LINEするね~」


 数人の友達としばしの別れを告げて、私は帰路に着こうと通学鞄を持った。


「はっ、花咲さん」


「……どうしたの? 堀川くん」


 クラスメイトの堀川くんだ。堀川くんは一年生の頃も同じクラスで、今年で二年目の友達。園芸部で、花が好きな男の子という印象が強い、優しい男の子。


「その……えっと……」


「……?」


 なにか言葉に詰まったように、目をキョロキョロしている。


 私はそんなに急いでいないし、「座ろうか?」と聞いた。


「いや、その、夏休み……! 僕と一緒に花を見に行きませんか? 電車で少し移動した先に大きな花博公園があるんだ! どうかな……?」


 花は私も好きだ。苗字が花咲だし、なんだか身近に感じる部分がある。


 でも……、


「ごめんね、夏休みは予定が詰まっちゃってて」


「そ、そっかぁ……。残念だけど、じゃあまた夏休み明けだね……」


「そうだね、またねっ」


 少し申し訳なかったけど、私は夏休みをお兄さんと過ごすと決めてしまった。お兄さんの帰りが遅くなっちゃう日も、他の友達との予定で埋まってしまっている。


 私はこの夏休みで、お兄さんと少しでも距離を縮めて、好きになってもらうんだ。


 菜摘さんという強力なライバルが現れてしまった以上、遊んでなんていられない。頑張ってお兄さんを惚れさせてやる。


 堀川くんに手を振り、下校道を走った。早く帰ってお兄さんのためにやらなくちゃいけないことが沢山あるから。


 終業式はお昼には終わって、私はお昼ご飯を食べるため、荷物を置いたらすぐにお兄さんの家に侵入した。


 ベランダから柵を越え、少し飛び出た足場を使ってカニ歩き。そうしたらまた柵を越えて、お兄さんの部屋のベランダに到着だ。


「よっ、しょと」


 少し前に落ちるかもしれないからやめろとお兄さんに叱られたから、最近は命綱を体に巻きつけて侵入している。ベランダの下は普通に人も通る道に面しているから、誰もいないのを確認してからでないと決行できない。もしも見られたら泥棒と間違えられてしまう。


 私は泥棒じゃない。ただ侵入しているだけだ。


 お兄さん宅のベランダに侵入したら、次は窓を突破しないといけない。


 実はお兄さんは気付いてないけど、お兄さんの家の窓は、上下に揺らすと鍵が簡単に開く。私だけの秘密。


 今日この昼間から侵入したのは、お昼ご飯を食べるためだけじゃない。お兄さんと夏休みに沢山デートするためだ。


 誘拐と勘違いされるという理由で私と出掛けたがらないお兄さんとデートする作戦。それは、お仕事で疲れて帰ってきたお兄さんを労り、ご機嫌をとって、ノリで行けんじゃね作戦。


 というわけで私はこれから、お昼ご飯を食べ終わったら次にお洗濯をする。もう既にお兄さんの「七葉は最高の嫁になるぜ」という声が聞こえてくる。


 お洗濯を終えたらお風呂掃除をして、お兄さんが帰ってくる頃にお風呂が沸くようにしよう。また、お兄さんの「七葉は俺の嫁になるぜ」という声が聞こえてきた。


 そしてそして、それが終わったら夕食の準備だ。前のように焦がしたりはしない。既に献立はできているし、買い出しも済んでいる。


「さあ! 始めよっと!」


 まずは私のお昼ご飯から取り掛かるのだった。


「で、この有様か」


「ごめんなさい」


 お兄さんが腕を組んで不機嫌に言う。


 全てが狂い始めたのは、私のお昼ご飯を作り始めた時からだ。最初からじゃん。


 オムライスを作ろうとして、まずはケチャップライスを作り、冷蔵庫から卵を取り出そうとしたところで気付く。卵が、ない。


 お兄さんの家だし、卵くらいあるだろうと思って買っていなかった。


 私としたことが失敗だったと、諦めてケチャップライス単体で食べ、次にお洗濯に取り掛かる。


 お兄さんはマメな性格だから、洗濯物も昨日の分しか無くて、少し量に寂しさを感じたけどそのまま洗濯機を回したら、洗濯物の量と洗濯用洗剤の量が合わなくて、泡だらけに。私がいつも使う量を入れたんだけど、そういえば私洗濯物いつも溜めてた……。そりゃ泡だらけになるよね。


 現時点で「七葉は最高の嫁になるぜ」とは全く言われる功績を残せていないけれど、続ける。


 お風呂掃除をしていた私は、洗濯機からブクブクと変な音がすることに気付き、すぐに行かなきゃと持っていたシャワーを放り投げて走った。


 なんとか洗濯機の中から洗濯物を救い出してから、床が濡れていることに気付いて、お風呂場のシャワーが外に向かって噴射しているのを確認した。


 その辺りからどうにでもなれ、とヤケになった。そして……、


「なるほどな。はぁ……」


「ごめんなさい」


 お兄さんが帰ってきてからごめんなさいしか言っていない。


 怒ることもなく片付けを手伝ってくれて、それどころか泡だらけになった私にシャワーを貸してくれたり、お風呂から出てきたら温かいご飯ができていたり、お兄さんはきっと最高の旦那さんになるね。あれ? こうなる予定じゃなかったのに。


 私の良いお嫁さん計画が台無しに終わった翌日、土曜日。


 今日はお兄さんが休みだから、朝からお兄さんの家に来ている。許可は得てないけど。


 そして私は、昨日の失敗なんてなかったことにして、さっそくお兄さんにデートの約束を取り付けるため交渉を始める。でも、そんなに堂々とデートに誘えていたら今もこうしてズルズル関係を進展させずにいるわけもなく。


「せっかくの夏休みだから、色んなところに行きたいよね」


 そうやって、遠回しに誘うことしかできない。でもきっと鈍感なお兄さんのことだから、これがデートのお誘いなんて絶対にわかっていない。


 勇気を出して、もう少し攻めてみる。


「水族館とか行きたいな~」


「じゃあ俺にちょっかいかけに来てないで、友達と行ってきたらどうだ? せっかくの夏休みなんだし」


 お兄さんのバカ、鈍感、分からずや。


 お兄さんの方を向いて、文句の一つでも言ってやろうとした。


「あれ、お兄さん出掛けるの?」


 外出する装いに財布に鍵。ポケットにはスマホの形もある。


「ああ、ちょっとな」


「どこ行くの?」


「家具買いに」


 家具店。それはカップルで訪れれば同棲したときの妄想が膨らむ最高のデートスポット。そんなもの、私が見逃すわけがない。


「私も行く!!」


「はあ? 待ってろよ、邪魔だし」


「嫌! 行く!」


「子供かよ……」


「子供だよ! 悪い!?」


「はあ……わかったよ」


 神様、どうやら私の作戦は成功したようです。


 昨日の作戦は一見失敗したように見えた。でも、あの時私が色んな家具をダメにしてしまったから、お兄さんが買いに行く羽目になったのです。


 フライパンとかベコベコにしちゃったもん。ごめんなさいお兄さん。


 家具屋には、電車とバスに乗って行くことになった。


 途中海が見えて、お兄さんに言ったのに、すっごい塩対応で「そうだな」としか言われなかった。ムカつくからこれでフライパンの件はチャラにしよう。嘘ですごめんなさい反省してます。


 何度か電車を乗り換えてようやく到着する海に近い大きな家具店。


 建物は青く、シンプルな店名のロゴだけが施されたお洒落な外装になっている。店名はIKEYA。スウェーデン発祥の、超有名家具量販店。


 家具は全てシンプルでお洒落なものばかりで、どの年代からも人気がある。お兄さんのくせに、良いセンスだなあ。


 店内にはスウェーデン料理が多く並ぶレストランもあって、今日のお昼ご飯はそこで食べることになっている。もう今から楽しみだ。


 入り口の自動ドアから入り、まず目の前に見えるのが二階に続く大きな階段。その階段を上がった先には。


「お洒落だな」


「こんなの憧れるね~!」


 店側がモデルとしてコーディネートした、IKEYAの家具を使って創られたインテリアのショールームがいくつも並ぶ。


 足下を見れば色んな動物の足跡が描かれていて、こんなにお洒落な空間なのに遊び心も忘れていない。ここは最高のデートスポットだ。


 ソファがいくつも展示されている場所で、私がソファに座って休憩していると、お兄さんも隣に座ってきて。


「これいいな」


「それは、私が隣にいるからかな?」


「さ、次行くぞ」


「了解しました大佐!」


 そんな感じでいくつもの家具を見ては、私が何かを言ってお兄さんが軽く流すという繰り返し。二階に来てからもう数分経ったけど、流石はIKEYA。まだ全く終わりが見えていない。


「ふ~、結構色々あるんだね」


「だな。ここまで広いと思わなかった」


 自動販売機でお兄さんは缶コーヒーを、私はコーラを買って飲む。お兄さんの奢りだけど。


 コーラを飲みながら、辺りを見回してみる。


 すると、すぐそばに大きなカゴに沢山盛り盛りに入れられたぬいぐるみを見つけた。


 そういえばIKEYAでは、色んな動物のぬいぐるみがあることで知られている。中でも人気なのがサメのぬいぐるみ。


 実際は人を食べてしまう怖い生き物も、ぬいぐるみにしてしまえば可愛く見える。


 クラスメイトの女の子がSNSで彼氏に買ってもらった~なんて言いながら載せているのを何度か見たことがある。


 あれはなんだか、彼氏とIKEYAに行って買ってもらうのが流行になっている気がする。みんな多分、そこまであのぬいぐるみに魅力は感じていないのではないか、と。そう感じるのは、私自身がそこまであのぬいぐるみに魅力を感じていないからであって。


「どうした? あれ、欲しいのか?」


 別にいらない。部屋にぬいぐるみなんて一つも置いていないし、置きたいとも思わない。別に子供っぽいからとか、そういう理由じゃなくて、ただ私はそういうのに魅力を感じないんだと思う。


 でも、もしもここで欲しいと答えたら、お兄さんは買ってくれるのだろうか。


 買ってくれるなら、それはカップルならみんなが通るような定番イベントなわけで、そのチャンスを自ら潰すような真似はしたくない。


 でもでも、お兄さんに子供っぽいとか思われないだろうか。ただでさえ恋愛対象として見られていないのに、これ以上子供に見られては困る。


 どうする、私。


「ん~、私はいいかな。もう子供じゃないし」


 さっきは自分を子供だと言ったくせに、こういうときは子供としてではなく、大人だと言い張る。


 都合の良いときだけ子供の特権を使える女子高生ブランド、最高。


 これでお兄さんに、少しは恋愛対象として見られるようになっただろうか。


 でもこんなことでなれば苦労しない。道はまだまだ険しそうだ。


「そうか。そういや腹減ったな、レストラン行くか」


「だねっ!」


 私たちは二階の探索を途中で諦めて、来た道を引き返して階段を降りる。


 レストランはお昼時ということもあり、それなりに人が集まっていた。


 バイキング形式で沢山の料理が並ぶレストランを歩く。私たちはまず、名物のミートボールを取る。そして私はケーキを二つ。


「お前、そんなに食えんのか?」


「余裕だよ~、ケーキは無限に食べれるもんっ!」


「あらそうかい」


 お兄さんはミートボールにプラスしてハンバーグ。取りながら「これは焦げてないな」と、遠回しに私を馬鹿にしてきた。ブラックハンバーグでごめんなさいね、ほんと。


 少ない空席の中から良い感じに海が見える窓際の席を見つけて、私たちはそこに座ることにした。


 席に座ると、お兄さんは何故か落ち着かない様子になって、私を見たり、机の下を見たり。


「お兄さんなにモジモジしてるの? トイレ?」


「いや、その、これ……」


 そう言って机の下からお兄さんが出したのは、さっきお兄さんがレジで買い物してきたフライパンなどが入った黄色の袋。そしてその中から、明らかにお兄さんの物ではない、可愛らしいサメのぬいぐるみが出てきて。


「え、お兄さんそれ買ったんだ?」


「いや、俺のじゃなくてだな……」


 そこまで聞いて、ようやく理解する。


 鈍感なくせに、無駄なところで察しがいい。私がお兄さんからなら貰いたいと思ったサメのぬいぐるみ。あの時は子供っぽいと思われないように、いらないと言った。でもお兄さんは、それを嘘だと察して、こうして買ってきてくれたんだ。


「くれるの?」


「ああ、お前ほんとは欲しかったんだろ。葵が言ってたんだ、女はいつまでも可愛い物が好きだって」


 嬉しくてつい頬が緩んでしまう。口がふにゃふにゃになってしまっているのが、見なくてもわかる。


 サメのぬいぐるみという物自体は別にいらない。でも、お兄さんが私にくれたプレゼント。初めてのちゃんとこうして一緒に出掛けて、そこで買ってくれた、プレゼント。


 比べるのはダメだけど、今まで貰ったどんなものよりも価値を感じて、嬉しくて、つい。


「お兄さんありがとっ!」


 ぬいぐるみごとお兄さんを抱きしめてしまう。


 無意識にやってしまったとはいえ、お兄さんは未成年の私と出掛けることも怖がっていたのに、悪いことをしてしまったと思い、すぐに離れた。


 そしてお兄さんの顔を見ると、私と同じくらい、顔が真っ赤になっていた。


「ご、ごめん……」


「い、いや、別に……」


 なんだこの感じ。凄い、幸せだなぁ。


「ほらみろ、残してるじゃねぇか」


 ミートボールが思った以上にお腹にきて、一つ目のケーキを食べた時点でお腹がいっぱいになってしまった。


 二つ目のケーキには手が伸びない。


「ぐるじ~」


「仕方ねーな、残しちゃ作ってくれた人に悪いし、俺が食うよ」


「いいだろう、許可する」


「おいてめぇ」


「ごめんなさい」


 私が残したケーキをお兄さんが美味しそうに頬張って、私は家具店デートの終わりを予感する。


 このままでは、デートが終わってしまう。まだ時間はある。まだお昼だから、帰ってもまたいつも通りお兄さんの家で過ごすことになるだろう。


 それも素晴らしいけれど、せっかくだから、もっと外でデートしたい。


 どうにか、どうにか。


「七葉」


「……?」


 お兄さんはケーキをしっかり食べ終えてから、時計を確認して。


「まだ時間あるし、水族館、行くか?」


「――へっ?」


「お前行きたがってたろ。それにこの近くに、でっけぇジンベエザメがいる水族館があるんだってよ。俺も気になってるから、どうだ」


 行きたがってたことを覚えていてくれた。そして、私のためにネットで調べてくれた。


 お兄さんがジンベエザメに興味持つなんて、なんか意外だ。


「いいの?」


「行かねーのか? 夕食までまだ時間あるしさ……、まあお前がいいならいいけど……」


「行くっ! 行こう! 連れてって!」


 やった。これは正真正銘、デートだ。


 見ましたか菜摘なつみさん。私はお兄さんとデートすることに成功しましたよ!

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