後輩とライバル②

 お兄さんが会社帰りに後輩の女性を連れて帰ってきた。


 名前は森下菜摘もりしたなつみさんというらしい。おっぱいが大きくて顔も可愛い。アイドルみたいな人だ。エッチな方のアイドル。


 菜摘さんの言動から、お兄さんに好意を抱いているのではということがわかる。

 最初は彼女かと思って慌てたけれど、お兄さんがウザいウザいと言っていたので安心した。


 好きな人にウザいと言われるなんて、この人もまだまだだ。私なんてお兄さんに毎日「可愛い」だとか「癒される」だとか、もうそれはそれは褒められる、予定だ。いつかきっと。


 お兄さんとどの程度まで進展しているのか、いつから好きなのか、それを知りたくて探りを入れることにする。


「森下さんは、お兄さんとどういう関係なんですか?」


 探る。なんて言ったから、遠回しに聞くようにイメージしたのではないだろうか。私もそのつもりだった。でも気付けばストレートに聞いてしまっていた。


 早く知りたいという願望が前のめりになりすぎたのかもしれない。


「菜摘でいいよ、七葉ちゃん♡」


 森下さんは、椅子に座っている私を見下ろしながら、私にあごクイをした。顎クイは顎を手でクイッとするやつ。そのまんま。


「……」


 いくら同性でも、森下さんくらい可愛い人に顎クイなんてされたから、少し顔が熱くなる。この人をお兄さんの側に置いておくのは危険だ。うっかり惚れてしまうかもしれない。


「菜摘……さん」


「そうそう、それでいいよ。それで、先輩とどういう関係って? 知りたい?」


 決してすぐに答えない。焦らして、主導権を握っている。その間のほんの一瞬だけ、目が合う。どうして私が照れることがあるのか、どうしてもこのまま目を合わせていてはいけないと思ってしまう。このまま合わせていれば、きっと抜け出せなくなる。そう錯覚してしまうほどに、妖艶ようえんな瞳で。


「べ、別に。知りたいとかではなくて、少し気になっただけです」


「ふーん、じゃあ教えなくていいんだ? 私と先輩の関係……♡」


 お兄さんがキッチンで三人前の夕食を作る間、私はこの人と二人きりだ。もしかすれば、これからもこうしてお兄さんの家に来るかもしれない。


 そうなれば、このままいいように扱われていたままでは、私はきっと菜摘さんに負けてしまう。


 今のうちに対等な関係にならなければならない。どうせお兄さんとはただの先輩後輩の関係だとわかっているのに、菜摘さんの持つエッチな雰囲気が、どうしても体の関係をイメージさせてくる。でも落ち着け私、お兄さんは絶対童貞だ。


 私も経験はないけれど、お兄さんほど異性への耐性がない人はそういない。


 最近は私が毎日一緒だから、少しだけマシになってきたようにも思うけれど、元々はもっと揶揄からかいやすくて、反応も可愛かった。今も可愛いけど。


「別に、教えてくれなくてもいいですよ」


 強がってそんなことを言う。本当は知りたいけど、私から聞くのは負けたような気になってしまう。私は揶揄うのは得意でも、揶揄われるのは得意ではない。


「ふーん、そっかぁ。七葉ちゃんは大好きなお兄さんを私に奪われるのが怖くないんだ?」


 だめだ、挑発だ。気にしていない素振りをするんだ。動じるな私。


「私たちはただの隣人なので」


 そんなギリギリの私をニヤついた表情で見てくる菜摘さんは、私の正面に座る。


 お兄さんの家の食卓は、二対二の対面になるようにローテーブルを挟んで座椅子が二つと座布団が二枚ある。


 私が今座っているのはいつもお兄さんと横並びになっている座椅子で、菜摘さんは正面の座布団に座っている。


 お兄さんは私か菜摘さん、どちらの隣に座るだろう。


 いつも通り座椅子に座るとは思うけど、もしもここで菜摘さんの隣、座布団に座られると、私のメンタルが崩壊する。


 菜摘さんは多分、お兄さんが普段どこに座っているのかなんて知らないだろう。


 だったら、お兄さんがいつも通り私の隣に座ることで、菜摘さんにお兄さんを諦めさせるくらいの絶望感を与えることができるかもしれない。


 このまま何も言わずに、お兄さんが来るのを待って、どちらに座るかの賭けに出るか。


「先輩、どっちに座るんだろうね? 私の隣かな、七葉ちゃんの隣かな?」


 同じことを考えていたみたいだ。でも、どうしてそんなに余裕なんだろう。明らかに空いている座椅子に座るだろうとは考えないのだろうか。


 そうなればお兄さんは菜摘さんじゃなくて私を選んだという事実が菜摘さんを襲うはずなのに。まあ座る場所を選んだだけだろうけど。


 そんな余裕な菜摘さんを見ていると、私の余裕がなくなってくる。そもそも余裕なんてない。こんな可愛い人が、お兄さんの会社にいたなんて知らなかった。


 服越しにわかる大きなおっぱい。それが毎日お兄さんと一緒に仕事をしているなんて、考えるだけで恐ろしい。


 お兄さんは毎日、このおっぱいと挨拶を交わしているんだ。恐ろしい。


 お兄さんは多分、私の隣に座るだろうとわかっている。でも、どうしても不安になってしまうのは、菜摘さんの魅惑的なオーラがそうさせているんだろう。


「お兄さんはいつも私の隣に座ってるから、今日も多分そうですよ」


 どうだ! 遠回しに毎日一緒にご飯を食べていると自慢してやった!


 でも菜摘さんはまだ余裕の笑みを浮かべたままで、私から決して目を背けない。


 その自信に溢れた目が、どうしても私をこれでいいのかと自問自答させる。


 このままじゃ、お兄さんがきてしまう。どうすればいい。どうするのが正解か、そんなことわからないけれど、負けない方法ならある。


「あれ、私の隣に座るの? 先輩と並ばなくていいんだ?」


「平等でありたいので」


 私は菜摘さんの隣、座布団に座った。


 こうすることで、私の隣にお兄さんが来ることはなくなってしまったけれど、同時に菜摘さんの横にお兄さんが来ることもなくなった。


 じゃんけんで例えるならあいこ。お互いが勝つことも負けることのない、平穏。


 どうせ私は菜摘さんがいない日は隣で食べられるし、今日菜摘さんからお兄さんの隣を死守するだけで、実質私の勝ちみたいなものだ。


 勝つことはあっても負けることはない、賢い選択をした。


 いや待てよ? そもそも座椅子で待ってたらお兄さんはきっと私の隣に来ただろうに、どうしてこんな守りに入ってしまったのか。


 隣の菜摘さんを見ると、ニヤリと笑っていた。


 やられた。私は菜摘さんの掌で転がされていたんだ。


 すぐになにか言い訳をつけて、もう一度座椅子に戻ることを考えたけど、それは夕食を作り終えたお兄さんが味噌汁を私と菜摘さんの目の前に置いたことにより、妨害される。


 目の前に置かれたんだから、もうこの席からは動けない。


「なにがあった?」


「なにも」


 私たちの心理戦から生まれる微妙な緊張感を感じとったであろうお兄さんがおどおどしている。


「これが妥協点です」


 鈍感どんかんなお兄さんで勘付くくらいの空気なのに、菜摘さんがなにかあったことを匂わせるような発言をする。その余裕そうな表情も可愛い。悔しいけど。


 お兄さんが飲み物を忘れていることに気付き、私は冷蔵庫へと立ち上がる。


「菜摘さん何飲みますか? 水と緑茶がありますけど」


 本当は私が買ってきたコーラもあるけど、いじわるして教えてあげない。


 それにご飯中はコーラを飲むとお兄さんに叱られる。


「緑茶にしようかな、ありがとう」


「……」


 そんな私たちのやりとりを見て、なにかあったのかと気にしているお兄さんは不思議そうな表情になっていた。


「なにへんな顔してるんですか? 先輩、一緒の食卓に私がいるからコーフンしちゃいました?」


「してねぇよ!」


 私がいつもしているような揶揄いでお兄さんを惑わす悪女、菜摘さん。


 私が冷蔵庫に向かっていった隙にお兄さんと仲良くしようとしているのを見て、私はすこし苛立ってしまい、急いでコップに入った水をお兄さんに渡すためにキッチンから戻ってくる。


「お兄さんは水だよね」


 いつもお兄さんは水だから、私は毎日お兄さんと食事していて知ってるんですよと菜摘さんにわからせるように言ってやった。


 そうすると初めて菜摘さんが頬をふくらましてる。その仕草も絶対にわざとやっていて、自分の可愛さを理解しているが故にできる膨れっ面だと感じた。


 そんな私たちの声に出さない攻防を見ていたお兄さんが。


「お前ら、本当はなにかあったんだろ?」


「「なにも」」


 今日だけは鈍感じゃないお兄さん。


 普段はどれだけアピールしても私の気持ちに気付かないくせに、バカ。


「お兄さん、早くご飯食べようよ」


「そうですよ先輩。せっかくの料理が冷めちゃいますよ」


「だな、さっさと食べちまおう」


 当たり前のように菜摘さんも食卓を囲む。

 どうして会社の後輩が当たり前のように一緒にいるんだろう。お兄さんはおかしいとは思わないのかな。でもよく考えたら私も当たり前のように居る状況がおかしいから、言わないことにした。


 これからこの菜摘さんを警戒していかないといけない。


 会社にいる間は菜摘さんにお兄さんをゆずるけど、家にいる時は絶対に渡さない。そして、お兄さんの気持ちだって、私が絶対に手に入れてやるんだ。

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