風鈴とゲームセンター①

 ジメジメとした梅雨らしい湿気に満ちた空気から一変して、「し暑い」を通り越した「クソ暑い」時期になった。


 梅雨から夏になるタイミングは曖昧で、いつからエアコンを使おうかも曖昧あいまいになってしまう。


 エアコンは電気代が高いし、できるなら他の物を頼りたいところだ。


 選択肢としては、扇風機が最有力候補だと思う。


 扇風機は安定して涼しくしてくれる。あいつの前で座っているだけで暑いという感情はなくなる。でも、扇風機から離れるとまた暑くなる。それが欠点だ。


 家にいる間ずっと扇風機の前で構えているわけにもいかないし、移動するたびに扇風機を持ち運ぶのも一苦労だ。


 扇風機も買うには買うが、やはり何か他にも夏を乗り越える手段がほしい。


「お兄さーん、暑い~、エアコンつけようよ~」


 今日も当たり前に俺の家に来ている七葉なのはが、ひんやりとした床に大の字で体を当てながら言う。丈の短いルームウェアから白くて細い太腿ふとももが伸びていて、無意識に視線が引き寄せられる。もうちょっと恥じらいを持てよこいつ。


「エアコンは高いから、我慢しろ」


「ちぇ、じゃあ扇風機くらい買おうよ~」


「そんなに暑いなら自分の家でエアコンつけろよ」


「やだよ、高いじゃん」


 くっそ腹立つなこいつ。


「でも、扇風機は買いに行くつもりだったし、いくか」


「やった! 私も行く! 帰りにアイス買おうね!」


 床から飛び上がり、一緒に行くなんて言ってないのに「着替えてくるね!」と飛び出して行った。もちろんこのまま置いていくこともできるが、そんなことをしたらどんな嫌がらせをされるかわからない。まあ、ただ扇風機を買いに行くだけだし、いいか。


 そうやって自然と七葉に主導権しゅどうけんにぎられて、扇風機を買いに行くことになった俺は、ベランダに出る窓をカラカラと閉めて、窓越しにんだ綺麗な青色の空を見上げた。




「さあはやく行くよ!」


「お前を待ってたんだよ」


 財布、スマホ、鍵、必要なものだけを手に家を出る。


 車は持っていないから、近所のホームセンターで扇風機を買い、歩いて持ってこなければいけない。


 扇風機くらいの重量なら大したことはないが、問題はこの気温の中、扇風機を抱えて歩かなければいけないということ。


 ホームセンターまでは歩いて十五分くらいだが、その間耐えられるだろうか。七葉はきっと持つことを協力してくれないし、そもそも七葉には重いかもしれない。


 元はと言えば七葉が横着してコンセントを無理矢理引き抜いたのがいけないんだ。そのせいで今ある扇風機はコンセント部分が曲がってしまって、刺さらなくなった。


「お兄さん準備できたよ! 早くいこっ!」


 でもそんなこと反省してる色もなく、七葉は楽しそうに玄関から声を上げていて。


「わかったから、ちょっと待ってろ」


 そんな楽しそうな七葉を見て、何故か俺まで頬が緩んでしまう。でも扇風機壊したことは許さないからな。


 ドアを開け外の空気に触れて、改めて夏の恐ろしさを痛感する。


 遠目に見たコンクリートの道路がゆがんで見える。たしかこの現象を陽炎かげろうと言うんだったか、ちょっとかっこいいな。


 部屋の中も充分に暑かったが、外に出ると更にも増して暑くなる。


 鍵を閉めて振り向いた先にはもう既に暑さでぐったりとした七葉が待っていて、溶けそうになりながら太陽をにらみつけて文句を言う。


「暑い~死ぬ~」


「やめろよ、余計に暑くなるだろ。こういうのは暑いと思うから暑いんだよ」

「部屋出てきた時点で汗だくなのに何言ってんの」


「うっ……」


 自分のひたいからにじむ汗を拭い、アパートの階段に向かう。その後ろを七葉のペタペタという足音が追いかけてくる。その足音がなんだか凄く七葉らしく思えておかしく感じた。


「おりゃっ!」


「うわっ!」


 突然背後から腕を掴まれる。ただ掴まれただけならそれほど驚かないが、腕に白い液体が付いていることで驚いてしまった。


「なんだよこれ」


「日焼け止めだよ、お兄さんどうせ塗ってないでしょ? 私が紫外線からお兄さんを守ってあげるよ!」


 別に肌が焼けて黒くなることに抵抗はないが、紫外線が肌に毒だということは知っている。わざわざ日焼け止めを買って塗るのが面倒だから、今までしてこなかった。でもこの日差しの中扇風機抱えて帰ってくるんだし、塗ってもいいかもしれない。ただ、問題があるとすれば。


「お前が塗るのか?」


「なに、私に塗られると緊張しちゃう?」


「ち、ちげぇよ。ほら、やってみろよ」


 にやけ顔で挑発的ちょうはつてきな発言をしてくる。ここで拒否すれば、まるで俺が七葉に日焼け止めを塗られるのを恥ずかしがっていると思われるかもしれない。そんなこと思われたら、きっとこいつは揶揄からかってくる。


 だから、ここは強気に出るべきだ。


「お兄さんったらしょうがないな〜。いいよ、塗ったげるね?」


 アパートの階段の前で、小ぶりなショルダーバッグから日焼け止めを出して、俺の腕に塗るために手に白い液体を広げる七葉。


 もしかしてこの状況、他の住人に見られるとわりとまずいんじゃないのか?


「七葉、なるはやで頼む」


「了解しました大佐!」


 細くて小さい七葉の手に広げられた白い液体が、腕に、首に、顔に。伸ばして、広げて、くすぐったいけどどこか心地良いような感覚がした。


 それは日焼け止めについてる爽やかな香りのせい、きっとそうだ。


「よっし、おっけーだよ!」


「さんきゅー。これで紫外線は怖くねぇな」


「だね! じゃあ行こっか、お買い物!」


 階段をタンタンと軽快に降りる七葉から、俺の身体に染み付いた爽やかな香りと同じ香りがして、少し心がくすぐったく感じた。


 アパートを出て、大通りに出て道沿いに歩いていく。十五分ほど先にあるホームセンターに着くまで、この日差しと戦っていかなければいけない。七葉は大丈夫だろうかと、視線を送ってみる。


「ふひ~、あちぃあちぃ」


 バスっ、と音をだして日傘を展開させている。一人だけちょっと涼しい顔してるのが腹立つな。


「お兄さん、着くまでただ歩いてるのも退屈だし、何か面白い話してよ」


「無茶言うな、そんな簡単に面白い話ができるかよ」


「つまんないな~、じゃあしりとりね。しりとりの『り』から、りんご!」


 突然七葉のきまぐれで始まったしりとり。どうせすぐ飽きてやめるんだろうけど、俺もただ歩くだけでは退屈だし、暇つぶしに付き合うことにした。


「ゴリラ」


「ライオン!」


「いや弱すぎだろ!」


 なんで一瞬で『ん』がついちゃうんだよ、流石のアホさだ。


「しりとりはつまんないよ~」


「お前がやろうって言ったんじゃねぇか……」


 じりじりと皮膚ひふを焦がすように照りつける太陽。そんな暑さに憂鬱ゆううつになりながら、七葉とつまらない時間を潰すためにつまらない会話をする。


 いつも家にいる時と大して変わらないけど、場所が違うだけでなんだか新鮮だった。


 道路を跨いで向こう側にホームセンターがある場所まで歩いた時、押しボタン式の信号機の前で信号が青になるのを二人で並んで待つ。


 信号機が青く光り、七葉が駆け出す。


「さあ目的地は目の前ですよ大佐! ホームセンターで冷房が私を待っている!」


 横断歩道の白線の上をぴょんびょん跳ねて渡る七葉を少し後ろから歩いて追いかける。


 ようやく着いたホームセンターに入るとまるで砂漠さばくの中にあるオアシスのように感じられるほど心地良い冷たい風が俺たちを歓迎した。


「ふぁぁぁ、生き返るぅぅぅ」


「ふぅ……」


 持ってきたハンカチで汗を拭った。七葉もショルダーバッグから取り出したハンカチで汗を拭い、少しだけ乱れた前髪をスマホの内カメラを見ながら直し、「よしっ」と小さく言うと、俺の方を見て。


「お兄さんいこっ! ホームセンターデートだよ!」


「なんだよホームセンターデートって、聞いたことないぞ」


「いいのっ、ほら行くよ! 私たちの扇風機探しに!」


 どうして私『たち』なんだ、そうツッコミを入れようと思ったが、確かに俺『たち』の扇風機だし、なにも言わないことにした。


 入り口目の前にあるレジカウンターを横切り、少し進むと扇風機だけが何台も置かれた特設ステージがあった。


 これから夏本番ということもあって、目玉商品として売り出されている扇風機たち。


「どれがいいかな」


「お兄さん、これにしようよ!」


 そう言って七葉が指さした先には羽のない扇風機があって。


「馬鹿か、めっちゃたけぇじゃねぇか」


「えー! かっこいいしこれでいいじゃん!」


「馬鹿値段見てから言え!」


 こいつ自分が払わないからって適当なこと言いやがって。


「お兄さんのけちぃ! じゃあどれにするのさ~」


 いくつも並ぶ扇風機に目を通してみる。

 

 はっきり言ってしまえばどれも同じに見えるが、きっと風の質のようなものが違うのだろう。一度試しにつけてみて、風を受けてみる。


「そんなことして違いがわかるの? やっぱり見た目で選ぶべきだよ!」


「まあ、わかんねぇよな……」


「だからこのかっこいいやつにしようよ!」


「馬鹿、値札見ろって! けたが違うだろうが!」


 結局どれも違いなんてわからないし、一番安い三千円の扇風機をもってレジに向かう。


「お兄さん待って! 見てよこの風鈴ふうりん! 可愛いしほしい!」


 向日葵ひまわりの模様で彩られた心地いい音色を奏でる風鈴を持ち、七葉が俺を呼び止めた。


 そういえば扇風機以外にもなにか涼しくなれるようなものを買おうと思っていたけど、風鈴では暑さは変わらない。音色を聞いているだけで涼しくなったような錯覚をすると聞いたこともあるが、音色だけで涼しくなったらどこの家庭でも風鈴がぶら下げられているだろう。


「風鈴じゃ涼しくなんねぇだろ」


「ロマンないなぁ! いいじゃん買おうよ~」



 まるで親におもちゃを強請ねだる子供だ。そんな七葉を置き去りにして、俺は一人、レジに向かった。


 扇風機の会計を済ませている間も七葉は戻ってこなくて、俺は買い物を終えてもだらだらと店内に残ることは申し訳ないから、外で待つことにした。


「それにしても暑いな……」


 ホームセンターを出るとまた真夏の日差しが俺を向かい入れる。


「あいついつまで中にいるんだよ」


「お兄さんおまたせ~!」


 七葉が小さな紙袋をもって駆け寄ってくる。


「なんか買ったのか?」


 大きさからして七葉も扇風機を買ったというわけではなさそうだ。


「まあまあ、これはいいからソフトクリーム買おうよ!」


 どうしてはぐらかすのか、七葉はホームセンター前にある屋台に走っていく。もしかして、風鈴か? 欲しがっていたけど、わざわざ自分で買うほど欲しかったのか。


「七葉、風鈴買ったのか」


「へっ!? 買ってないよ!? まあ欲しかったけどさっ」


 やっぱり欲しかったみたいだ。でも、そうじゃないなら一体何なのだろうか。

 気になったが七葉にだって言いたくないことの一つや二つあるだろうと、聞かないことにした。


「七葉、俺の分も買っといてくれ。ちょっと買い忘れた物がある」


 七葉に二人分のソフトクリーム代を渡して、俺は一人店内に戻った。


「ん~美味し~!」


 七葉がソフトクリームを食べながらほほおさえる。


 ホームセンターの前、車を屋台に改造して駐車場の一角でソフトクリーム屋が開いてある。その前に並べられた椅子に座り、ソフトクリームを食べていた。


 これから俺には扇風機を抱えて帰るという試練が待ち受けている。だから少しでもここで休んでおかないといけないわけだが。


「お兄さん、チョコも食べたいから一口分けてよ」


「え……」


 当たり前のように食べかけのソフトクリームにかぶりつく。


「おい、お前な……」


「お兄さんもはい、あーん」


「おいっ……んっ」


 これじゃあまるでカップルじゃないか。


 肉体的にはしっかり休めているんだろうけど、精神的には全然休まらない。周りをちらちら気にしていると、七葉がニヤニヤし始める。


「お兄さん、あーんされたことないから恥ずかしいの?」


「うるせぇ、それぐらい大したことねぇよ」


 本当は動揺して手汗がすごいことになっていることなど、七葉は知らない。


「さあ、食べ終わったし帰るか」


 扇風機の入ったダンボールを抱えて立ち上がる。持ち上げた時点で大した重さではないし、これなら問題なく持ち帰れるだろう。ただ問題があるとすれば。


「お兄さん、紙袋忘れてるよ」


 扇風機のおかげで両手が塞がっていて、さっき一度店内に戻って買ったものを持てないということだ。


「それ、お前にやる。だから持って帰ってくれ。俺は扇風機で精一杯だ」


「え? でもこれなに……?」


「開けて確認したらいいだろ」


 七葉は首をかしげながら紙袋の中を確認する。


「これって……」


「お前、欲しがってただろ。風鈴」


 それはホームセンターで七葉が欲しがっていた向日葵の模様が描かれた風鈴。


 最初は冗談で欲しがっていたと思っていたが、本当に欲しかったみたいだったから買ってみた。


 その風鈴を見て唇をきゅっと結んだ七葉の表情は、いつものニヤニヤとは少し違う、ふわふわというかなんというべきなのか。


「お兄さん」


 ひとまず、この笑みからは俺を揶揄からかうような悪意は感じられなくて。


「ありがとう」


「……おう」


 風鈴を揺らし、ちりんちりんと音を奏でた七葉は、自分の買った紙袋からなにかをとりだして……。


「……ってお前も買ってたのか」


 七葉の紙袋から出てきたのは、俺が七葉に渡した風鈴と全く同じものだった。向日葵が描かれた夏らしい風鈴。ちりんちりんと音を立てて、俺の顔の前でそれを鳴らし。


「これは私からのプレゼント。お兄さんの部屋に飾ってね」


「だったら俺が買ったやつを飾るよ」


 どうせ同じものだし、どっちが買ったものを飾ろうが変わりない。でも、七葉は俺の考えに不満があるみたいで、頬がふくらんでいく。


「ダメっ! 交換するの! じゃないと、……意味ないじゃん」


「なにが意味ないんだよ」


「いいのっ! お兄さんは大人しくこれ飾りなさい!」


「わかったよ。ほんとよくわかんねぇな、お前ってやつは」


「お兄さんのバカ……」


 俺を置いて先に帰っていく七葉が俺を罵倒ばとうしていく。


 俺が一体何したっていうんだよ、バカってなんだよ。ほんと、イマドキの女子高生はよくわかんねぇな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る