雨と幼馴染②

 昨日、女子高生と相合傘をするという大事件が起きた。


 俺は二十四歳だから、勿論未成年の七葉とそういう関係になるわけにはいかない。そんな状況下で女子高生との相合傘ってのは心臓に悪く、周りの人間に通報されないだろうかと、ドキドキが止まらなかった。


 傘に入れてもらっている立場なので、小さな傘からはみ出るという役目は俺が引き受けたからだろうか、今日は物凄く熱っぽい。


 仕事中に倒れて、上司に帰れと言われてしまった。


 俺はまだ全然働けたと言うのに……。


 そうして、不本意ながら家でゆっくり寝ていたわけだが。


「なんで居るんだ」


 いつのまにか俺の寝室にまで侵入してきた七葉に言う。


 学校はどうした、って意味で言ったんだが。時計を見ると十六時を回っていたから、もう居てもおかしくはないのか。いや普通に侵入していることに疑問を持てよ俺。


「んー、そんなのいっつもじゃーん」


「今日は熱あるんだ、移るから帰れ」


 もし七葉なのはに移ったら、こいつは高校生の一人暮らしだから、誰も見てくれる人間がいなくなってしまう。


 俺は仕事だし、親御さんも来ているところを見たことがない。七葉曰く偶に来ているらしいけど。


 だから、こいつに熱を移すわけにはいかない。


「やーだよーん。ねぇねぇご飯作ってもいいー? 買い物行くの面倒で食材ないんだよね~」


 ここは実家か。


「作っていいから、食べたら帰れよ。本当に移っちまうだろ」


「はーいはい」


 台所から声がする。頭が揺れて、自分が今どこに寝ているのかも分からない程に視界がグラつく。


 これは……やばい。


 水道の流れる音、換気扇の音、まな板に包丁が当たる音、七葉が出す音が全て揺れる。


 上下左右の感覚がごっちゃになって、目を開けると酔ってしまう。


 そんな状態と数分闘っていると、ドタドタと足音が聞こえて。


「ちょっとお兄さん大丈夫? 凄い赤いし熱いよ。体温計どこにあるの?」


「ない」


 昔から体調崩すことが少なかったから、体温計はほとんど使ったことがなかった。


 馬鹿は風邪をひかないというが、馬鹿は風邪をひいたことに気がつかないらしい。つまり今俺は、自分が風邪だと認識できているから馬鹿ではない。俺は馬鹿ではなく、単純に身体が強いだけだ。


「ないってどういうこと? なんでないの? 体温計だよ?」


「ない」


「もういい、じゃあおでこで測るね」


 言って、七葉の顔が近づく。


 揺れる視界でもわかる。これは……。


「ちょ、何やってんだ。おでこで測るってそういうことかよ。やめろやめろ」


 体温が上がる。だって俺たちの距離は凄く近くて、今にも唇が当たってしまいそうだったから。


 七葉は俺のおでこと、自分のおでこをくっつけようとしていた。


 この行動がただの天然なのか、俺を揶揄おうとしたのか、多分後者だろう。


 この状況でも揶揄うなんて鬼かよこいつ。


「え、なんで。普通じゃんこれくらい。もしかしてお兄さん、童貞?」


「はっ!? ち、ちげーよ!! やりまくりだこの野郎!!」


 我輩は蓮太郎である。童貞である。


「……やりまくりなんだ」


「ひくな! やめろ! 冗談だ!」


 本当に七葉といるとペースが狂う。


 熱だってのに、心が落ち着かない。落ち着かせなきゃいけないのに、こいつの行動の全てが、それを許してくれない。


「とりあえずこれ、お粥さん作ったから食べなよ」


「ありがとう。でももう本当に帰れ。明日も学校だろ、熱出たら大変だ」


「お兄さんが食べ終わったら帰るよ。一人で食べれないでしょ?」


「アホか、俺を何歳だと思ってる。これくらい一人で……」


 揺らぐのは視界だけではなくて、レンゲは俺の震える手から落ち、まともに握れない。


 そのレンゲを拾い上げて、小さく溜息をついた七葉が、新しいレンゲを持ってくる。


 レンゲですくい上げたお粥に息を吹きかけて、舌先で温度を確認した。


「おい」


「ほら口開けて」


「まて、それは流石に、おい。あっ……む」


 間接キスじゃないか。まただ。


 こいつは無意識にしているのだろうが、俺が気にしないわけがないだろうが。


 余計に心拍数があがり、まともに七葉を見れない。


 でも七葉は……。


 確認するために、七葉に視線を向ける。


「ど、どうしたの? ほら、まだあるよ」


 赤い。下手をしたら俺より赤い。


 もしかして……七葉は……。


「お前、大丈夫か? 移ったんじゃねぇか? 顔赤いぞ」


「別に移ってないから! なんでそうなるの!? ほんっとお兄さんって馬鹿!」


「馬鹿…………?」


 そしてまた、舌先で温度を確かめてから、お粥を俺の口に運んだ。


 それを何度も何度も、繰り返して。


「ご馳走さま。美味かった、ありがとう」


「素直でよろしい。じゃあ寝てなよ、私はこれ洗ってから帰るから」


「すまんな、ありがとう」


 七葉に甘えて、俺は布団に潜り込んだ。


 布団の中で、お袋に看病してもらってたことを思い出していた。


 そいうえば、お袋も熱を測るときは体温計は使わず、おでこに手を当ててきたな。


 自分のと照らし合わせるように、お互いのおでこに手を当てていた。


 お粥もいつも食べさせてくれた。


 俺はいいって言ってるのに、病人は黙ってろって言って、無理矢理口に放り込んできていたな。


 そんなことを考えて、気付けば俺は、浅い眠りの中にいて。


「いいじゃん、計らせてくれてもさっ……けち」


 誰の声だろうか、これは夢の中なのだろうか、揺らぐ視界の中に、誰かの気配を感じて、俺は動けずに。


 おでこに何かが当たるような感触があったことは分かる。でもそれが何で、誰であったのかなんてこと、誰も見ていないから、分からない。

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