雨と幼馴染①
「また雨か……」
梅雨だから、当然天気は雨一色。
こんな日には出来るだけ外出は控えたいところだが、どうしようにも食材が無さすぎた。
仕方なくスーパーに出向く事になり、少し前にアメゾンで買った値の張る傘をさしてアパートを出た。
今日は日曜日で、
俺は今なんであいつの部屋を見たんだろう。なんて考えながら、スーパーへと向かった。
七葉は休みの日ですら俺の部屋に忍び込んでくる。
友達と遊びに行けばいいのに、そこまでして俺を
数分歩くと、いつものスーパーが見えた。
中に入ると、外のジメジメした空気を忘れさせてくれるエアコンの心地良い風が当たる。
このスーパーは俺と七葉が住むアパートから一番近くて、地域でも一番賑わっているスーパーだ。
勿論安くて品揃えも豊富。だから、いつもここを利用しているわけだが、今度からは少し離れた場所にするのもいいかもしれない。
だって、このスーパーでいつものアイツが俺を見てニマニマしていたから。
「あっれぇ~? お兄さんじゃん。何、買い物?」
「帰る」
「ちょちょちょちょっ! 何言ってんの、別に何もしないからっ!」
俺が帰ろうと
こいつの何もしないはつまり、そういうことだ。なによりこの表情が全てを物語っている。
「……はぁ。分かったよ、じゃあ邪魔すんなよ」
「あったりまえじゃーん。お兄さんは私をなんだと思ってんの?」
「悪魔」
「さいってー!」
そんないつも通りの会話を交わしながら、俺たちは数多くの野菜が
そこはスーパーの中で最も家庭的な人間が訪れる場所であり、そこに七葉が居ることが不思議で仕方なかった。
「七葉、お前料理すんのか?」
「んー、偶にね! だってほとんどお兄さんが作ってくれるじゃん?」
作ってくれる? ちげぇよ、作らされてんだよ。
そんなに可愛くこっち見てもダメだからな。
「お前が勝手に来るんだろーが」
「あはっ、そうだっけ?」
だから可愛く言ってもダメだっての。
なんやかんやでスーパーをぶらついていると、七葉にとっては
「げっ、キャロットさんじゃん。いらんいらん、あっちいけ」
「人参買っとくか」
俺が人参をカゴに入れると、普通なら関係ないはずの隣人である七葉が
どうして隣人であるこいつが食べるの前提なんだろうか。
「人参嫌なら自分で作って食えばいいだろ。俺んちで食うなら人参入れるからな」
これで人参が食べられない七葉は俺の部屋に来ない。そして七葉は人参を食べずに済むんだから、ウィンウィンというやつだ。
「だったら今日は私が作ってあげるよ。お兄さんの胃袋掴んで離さないからね~」
作ってくれると言うのなら、楽だし甘えさせてもらうことにするか。
いつもご馳走してる分、どんな料理でもてなしてくれるのか楽しみだ。
「何作ってくれるんだ?」
「んーとね、ハンバーグとか?」
「作れんのか?」
お世辞にも七葉からは料理できそうなイメージは湧かない。
オムライスすら出来なそうな勢いのズボラオーラを放っている。
「なめんじゃないよぉ! あたしゃー家庭科の成績毎年三だよ!?」
「三かよ。並じゃねぇか」
そんな会話をしていると、近くにいた主婦の会話が聞こえてきた。
「
「ほんとだ。若いっていいわねぇ」
その会話が聞こえてきて、俺の少し前を歩く七葉が少し
そりゃそうだろう。毎日嫌がらせをしているくらい大嫌いな奴と夫婦だと思われたんだ。そりゃあ落ち込むさ。
「おい、七葉。もうお前離れて歩け」
言うと、七葉は振り向かずに首を振った。表情が見えないが、耳が少し赤いのは見えて、きっとそれは主婦達の会話に怒っているからだろう。
嫌いな奴と夫婦だなんて、御免だ、と。
「いいよ別に。どうせ他人でしょ? 私はもう会うかも分からない他人より、今から、これから関わっていくお兄さんを選ぶよ」
そこまでして変わらない信念のもと、俺に嫌がらせをしていたのか……。なら尚更ムカつくな、こいつ。
「……はぁ。まぁあれだ、ちょっと場所変えるか。調味料とか見ときたいんだが」
「うん。いこっ」
最後まで表情を見せてくれないまま、七葉は調味料コーナーへと駆けていった。
買うものも全て集め終わり、俺たちは二人並んでレジに並ぶ。
持ってきたカゴは、一つだ。
「私出すよ」
「いいよ、俺のも入ってるし。それに今一万円札しかねぇんだ」
本当は小銭も千円札もしっかりあった。
でも七葉は高校生だ。どういう訳か知らんが高校生が一人暮らしをしている。
俺が高校生だった頃の事を思い出すと、スーパーでの会計なんて大金だった。
だから出させるわけにはいかないと思った。
「そっか、ありがとう。じゃあ料理は私が作るから」
「おう、頼んだぞ」
何故だかさっきから妙に素直なのが怖い。後でどんな嫌がらせをされるのか考えるだけでハンバーグどころではなかった。
「仲の良いご夫婦さんですね?」
突然、レジのおばさんが話しかけてきた。どうやらまた俺たちは夫婦だと思われたらしい。
「ありがとうございます~。先月入籍致しまして~」
「あらそうなんですね! お幸せで何よりです」
なんでこいつ息するように嘘つくんだろうか。
その設定のおかげでこのスーパー使えなくなっちゃったらどうしてくれんだよ。
これから来るたびに今日は奥さんご一緒じゃないんですね、とか言われちゃうだろうが。
俺が商品を袋に詰めていると、ニマニマしながら七葉が寄ってきた。
「ねぇねぇお兄さん。私達夫婦だって」
「アホか。ただの隣人だろ」
「またまた~、照れちゃって~。何? 結婚する?」
あぁ、またうざくなってきた。
さっきまで元気なさそうにしてたのはなんだったんだよ。
耳真っ赤にするくらい怒ってたんじゃねぇのかよ。
「しねぇよ」
「にっしし~。帰ってハンバーグ作ろっか」
「だな」
二人で荷物を半分ずつ持ち、出口に向かう。
半分とは言っても八割くらい俺が持っている。まぁ別に軽いからいいんだが。
「降ってるね。傘あるの?」
「ああ。さして来たからな。……ってあれ?」
無い。出口の傘立てに入れてあった俺の傘が無い。
「どうしたの?」
「俺の傘がない。こりゃ盗まれたな……」
ここらじゃよくある話だ。
というか、ここらじゃなくてもあるんじゃないだろうか。
ちょっとコンビニに入って戻ると傘が無いなんて、都心でも田舎でもよくある話だと思う。コンビニじゃなくてスーパーだけど。
せっかくアメゾンでちょっと高いやつを買ったのに、残念だ。
「じゃあ相合傘して帰ろっか?」
まただ。これで俺がそうしようと言えば揶揄ってくるに違いない。
俺はそんな見え見えの誘いには乗らないぞ。
「いいよ、そんなに遠くねぇし走る」
「ダメ。風邪ひくよ? もしそれでも走って帰るなら、私の傘使って。私は濡れて帰るから」
そうやって優しいふりをしようとしてもダメだ。俺は
過去にこうやって何度騙されたことか。
だから俺は、家までの距離を走り抜ける為に足首のストレッチを始めた。
「ねぇ聞いてる!? 本当にダメだからね!? 明日も仕事でしょ? 風邪ひいちゃうから!」
「大丈夫だよ。お前だって明日学校だろ。傘さして
ストレッチも終えて、さぁ走ろうかと思った時だった。俺の横をすり抜けて、七葉が雨の中を駆け出した。
「おい七葉!」
「お兄さんが走るなら私も走るっ! ダメだって言うなら相合傘しなさいっ!」
どうやらこれは揶揄いでも何でもないらしい。
俺は七葉のことを少し誤解していたのかもしれない。だから、素直に七葉に従う事にした。
「ほら、濡れるぞ。入れよ」
七葉が俺の足元に放っていた傘を拾い、さして七葉と並ぶ。肩が当たる距離で、小さな七葉の傘に二人で収まる姿は、周りからみれば仲の良いカップルに見えるのだろうか。
「最初からそうしなよ。仕方ないから今日は揶揄わないであげる。だから一緒に帰ろ?」
こうして偶に懐いてくる七葉は凄く可愛く見える。いつもの悪魔的な態度が無ければもっと可愛く映るんだろうが、それは仕方ない。それが彼女の在り方であり、俺と七葉を繋いできた一種の絆でもある。
「ああ。できればこれからも揶揄うのはやめろよ」
「それは無理だよ〜、にっしし~」
少し頬が赤い七葉を見て、以前幼馴染が言っていた事を思い出した。
相合傘で二人とも濡れないってのはほぼ不可能らしく、一人が肩を外に出せば、もう一人が濡れなくて済むみたいだ。
そして、相合傘をしている男女を見てあいつはこう言った。
『相合傘って、濡れてる方が惚れてるらしいな』
そんな事を思い出しながら帰る道は、梅雨らしくジメジメしていて――。
「お兄さん、肩濡れてるよ? もっとくっついて」
「あ、お、おう」
俺は別に、七葉に惚れてなんて……いない。
*
右肩がびしょ濡れの状態で帰宅した俺は、冷蔵庫にスーパーで買ってきた食材を入れる。七葉は宣言通りハンバーグを作るつもりらしく、作り方をスマホで調べている。自信満々にできると言っていたわりにすっごい画面凝視してる。なんかぶつぶつ言ってるし。
「ほんとにできんのか?」
「大丈夫だって〜、お兄さんはテレビでも見て待っててくれていいよ! 私が世界一のハンバーグでお兄さんの胃袋を掴んじゃうかんねっ!」
そもそも作り方を理解していなかったから、材料も買えていないんじゃないだろうか、そう思って七葉が選んだ食材を見てみる。
「挽き肉、玉ねぎ、ナツメグ、へぇ、ちゃんとしてんじゃねぇか」
そういえばスーパーで何度かスマホと睨めっこしていたな。卵とパン粉が俺の家にあることを七葉は知っていたから、買わなかったんだろう。
なんで隣人に家にあるもの把握されてるんだろう。この状況にもう少し疑問を持った方がいいな。
七葉は気合いを入れて、髪をヘアゴムでまとめる。その際、腕を後頭部に回したことで、細い体のラインが強調された。決して本人には言わないが、スタイルが良い。こんなこと言ったらきっと揶揄われるだろうな。え~お兄さん私でコーフンしちゃった~? みたいな感じで。考えただけでうぜぇ。
七葉はまだスマホでレシピを見ているようなので、今のうちに米を炊いておこう。どうせ七葉のことだし、ハンバーグのことしか頭になくて副菜なんて作らないだろう。よし、副菜も作っておこう。
「あれ、お兄さん何やってんの?」
「米炊くんだよ」
「今日は私がするって言ったじゃん お兄さんは休んでて ほら、こっちこっち!」
七葉は俺の腕を引いてテレビの前に無理矢理座らせる。
「ほらほら、ご老体なんだからさっ」
「俺はまだ若い!」
まあでも作ってくれると言うんだから、甘えてみよう。でもやっぱり不安だ。
結局キッチンに助けに行っても追い返されるだけだったから、仕方なく待つことにした。途中何度かキッチンから「やばっ!」とか「あっ……」とか聞こえてきたけど、大丈夫なんだろうか。
「お待たせしました、こちらシェフの得意料理、ブラックハンバーグです」
声を低くして丁寧な所作で、まるで洒落たレストランのホールスタッフのように。でも、その手に持った皿には、明らかに洒落たレストランでは提供されることのない真っ黒なハンバーグ。これは、焦げてる。
「おい、真っ黒じゃねぇか」
「だから言ったでしょ、ブラックハンバーグだって。食べてみてよ、見た目はアレだけど、味は保証するよ。愛が最高の調味料なんだよ!」
そこまで言うなら一口いただくことにしよう。
俺は冷蔵庫から玉ねぎの和風ソースを取り出して、ハンバーグにかける。これめっちゃ美味いんだよな。
「じゃあ、食べるぞ」
「召し上がれ!」
ハンバーグを箸の先で一口サイズに切り、口に運ぶ。まず舌の上に乗った瞬間、ソースの味がして美味い、となる。そしてその次に、やはりお焦げの苦味があって、どうしても顔が歪んでしまう。不味い、とまでは言わないが少し焦げすぎている。
なのに、次も、その次も、どんどん口に運んでしまう。お米が欲しくなる。
「七葉、これ美味いよ。正直料理なんてできないと思ってたけど、思ったよりやるんだな」
その言葉を聞いて嬉しそうになったかと思えば、すぐに自慢げな表情になる。俺から顔を背けるようにキッチンに向かいながら、七葉は言った。
「だから言ったでしょ、私に任せておけってさ!」
本当に七葉がここまでクセのある美味しい料理を作れると思っていなかった。調理中に言っていた「やばっ!」とか「あっ……」からしてもう一度作ればまた違った料理になるかもしれない。そもそも料理と呼べるかわからないほどに失敗する可能性すらある。でもせっかく作ってくれたんだし、普段ならこんなに素直な七葉も珍しいから、俺も素直に褒めてやらなきゃな。
「これすっげぇ米が欲しくなるし、おかずとして最高だな。副菜と相性が良ければ尚良し、って感じだけど」
そこまで言って七葉が固まる。なんで固まったのかはわからないけど、冷や汗がすごい。
もしかして、そう思って聞いてみることにした。もしも俺の予想が合ってたのなら、今日の晩ご飯はこのハンバーグのみということになるが……。
「七葉、米炊いたか?」
首を振る。横に。
「七葉、ハンバーグの他に何か作ったか?」
首を振る。横に。
「なにやってんだよ……だから俺がやるって言ったのに……」
「ま、まあまあ気にしない気にしない! 偶にはそういうこともあるって~!」
「それは俺が言うセリフなんだよ」
「あはは~」
でもまあ、七葉はよくやってくれたし、今日のところはなんだか素直だしうるさく言うのはやめてやろう。
「米はインスタントのやつがあるから、それで凌ごう。副菜は、すぐに作れるやつあるか冷蔵庫見てみるか」
「さっすがお兄さ〜ん! 頼りになるね~!」
こいつ腹立つな。でも、感謝はしといてやるか。
「今日は作ってくれてサンキューな。次は失敗しないように一緒に作るぞ」
冷蔵庫の中を何か作れるものはないかと確認しながら言う。七葉からの返事はない。あれ、無視か? そう思い振り向き七葉の表情を伺った。
「なんだ、なに笑ってんだ」
この笑い方、揶揄ってくる時のそれとは違う。俺を揶揄う時の笑い方は「ニマニマ」で、今のこの笑い方は「ホワホワ」。自分で言っててなにが違うのかわからないけど、なぜかこの笑い方なら揶揄われることはないんじゃないかと思う。
「んーん、べっつに~。そうだね、次からは一緒にね」
そう言った七葉の「ホワホワ」の正体は結局わからなかった。
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