37話 最後
四葉の家は、相変わらずの惨状だった。
至る所に飛び散った血痕、一人暮らしには広すぎる一軒家。鍵は以前四葉に教えてもらった隠し場所にあったから、特に苦労することなく中に入ることができた。
「そう言えばいつリセットされるのか知らないな……」
カーテンが締め切られた薄暗闇の中、俺は一人嘆息した。
時間はまだ一六時程度。カーテンの隙間からは白の光が差し込んでいる。
勢いよく飛び出したは良いけど、後先考えなさすぎたな……。四葉がいたら呆れた顔をするに違いない。
「……まあ、待ってれば良いか」
何時間になるかはわからないけど。明日の夜まで待つなんてことにはならないだろうし、待っても一四時間くらいだろうか。
具体的に数字を考えて、また体が重くなる。
「……別に良いか」
のんびり待つことにしよう。いろいろ考えて、想いに耽って。考えたいことは山ほどある。
母さんに今日は帰らないとメッセージを送り、四葉の部屋へ。ふわりと包み込んだ彼女の香りにどこか懐かしさを感じつつ、部屋の隅に腰掛けた。
彼女とあったら何を言おうか。
そう思慮に浸りながら、また息を吐き出した。
◆
「…………ん」
目を覚ましてまず感じたのは夜の澄んだ空気だった。
「寝てた、のか……」
いつから寝ていたのかはよく覚えていない。でも朝まで寝ていたとかじゃなくてよかった……なんて安堵した時、ふとお腹がぐぅと鳴った。
今は何時だろう。もうカーテンの隙間から差し込む光は無くなっていた。スマホをつけて時刻を見れば、夜の一二時を回っている。
俺六時間近く寝てたのか……。そんなに寝ればお腹も空く。なんで考えたその時だった。
「すぅ……すぅ……」
寝る前まではなかった、落ち着いた吐息。
ベッドの上で、四葉が眠っていた。
「よかった……」
病院服、髪も結んでいないと、入院していた時の姿のままだ。ぱっと見怪我もない。今回はうまくリセットできたらしい。ほっと胸を撫で下ろす。
彼女の隣に立って、顔にかかった髪を優しく払ってやる。指先に触れた彼女の肌は、相変わらず冷たい。
「幸せって、思ったんだよな」
ここに四葉がいるということは、そういうことだ。四葉に何かがあって、幸せだと感じて、呪いが発動した。
それが何かはわからない。でも四葉は、今呪いのリセットが不完全であると知りながらも、幸せを受け入れた。
「そんなに四葉は幸せになりたいのか」
それは当たり前の欲求だ。俺もそうだし、四葉を幸せにしたい。でもそれは普通の人だったらの話だ。
しかし四葉は、普通ではない。
そして普通ではない原因は、俺が生きているから。
「だから俺は――」
「……夏樹、くん?」
パチッと彼女が目を開く。寝起きだからかどこかとろんとした瞳には、確かに俺が映っていた。
「ああ、俺だ」
「……そう、きたのね」
ふぅと小さく息を吐きながら、彼女は体を起こした。特に俺を見て驚いた様子もない。かと思えば、小さく笑みをこぼした。
「目を覚ましてすぐ夏樹くんがいるって、なんだか新鮮ね」
「いやだったか?」
「いいえ、悪くないわ」
四葉はんー、と上に伸びをすると、ゴソゴソと足を動かすような仕草。そして安堵の表情。やっぱり四葉も心配はしているらしかった。
そして自身の無事を確認すると、こちらに視線を向け、問いかけてくる。
「それで? だから俺は――なにかしら」
「聞いてたのか」
「最後だけよ。ということは、決めたの?」
「ああ」
四葉は「そう」と零す。そしてそこから口を閉ざした。俺の決断を聞くということだろう。
大きく深呼吸。もちろん緊張はする。今から四葉の思いを否定しようとしてるんだから。体の中でいろんな感情が暴れ回っていた。でもそれ以上に、四葉を助けたかったから。
また、深呼吸。大きく、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出し。
そして彼女に――四葉に、向き直る。
「俺の死を、認めてくれ」
返事はすぐには返ってこなかった。俺の言葉を聞いてすぐ、彼女は俯いてしまったから。
わかったとも認めないとも言わない。ただただ黙って俯くだけ。でもよく見れば、その小さな体が細かく震えていた。それが孕む感情を俺は理解しながら、無視をする。
「……以前、言ってくれたわよね……幸せにする、って……」
少し経って、ようやく発せられた声は、ひどく震えていた。
「あれは、嘘……?」
「嘘じゃない」
「なら、なんで……」
「前も言っただろ、四葉。幸せにするって言ったからだ」
「私は!!!」
突然上がる大きな声。ビリビリと空気を揺らし、俺はそれを正面から受け止める。
「あなたと、いる時が……一番……幸せ、なのに……」
そう口にして彼女は、笑っていた。その瞳からボロボロと大粒の涙を流して。
泣いていた。あの四葉が、泣いていた。
拳をきつく握る。泣かしたのは、間違いなく俺だ。その事実から逃げないよう、受け止めるよう、ぐっと握る。
「……ひどい人ね、夏樹君は」
「ああ。俺はそう決めたんだ」
「それで不幸になると言っても?」
「そうじゃない。元に戻るんだ」
四葉は小さく首を傾げる。そんな彼女に俺は、「なあ、四葉」と。
「俺はもう、死んでるんだよ」
一度改めて口に出してしまうと、不思議な感覚だった。足元がなくなって、ふわふわと浮いているような、そんな感じ。
わかってるはずなのに、ああそうかと再び納得する。
そんな俺に、四葉は首を横に振った。
「いいえ、あなたは死んでいない」
「四葉」
「だってこうして私と話しているでしょう?」
「死んでるんだ」
「っ……でも、あなたは、あの時生き返って――」
「普通の人は、生き返らない」
「……っ」
それは呪いを知ってすぐの頃、恐怖の対象だった四葉に向かっていった言葉だった。それはお前は死んだはずだと言われた時、轟さんに吐き捨てた言葉だった。
そう、人は生き返らない。人が死んだ時、その人は死ぬんだ。
俺は四葉のベッドに登った。人一人の体重が増え、ベットがわずかに軋む。泣いて笑う彼女の顔に、微かな怯えの色が浮かんだ。
「今、四葉は夢を見ているようなものなんだ」
近づけば、四葉は俺から逃げるように距離を取った。
「ならもう、目を覚ますべきだ」
また近く。また、距離を取る。
あの時と立場が逆だ。この部屋で、四葉に幸せをねだられたときと。
つらい。苦しい。
ごめん、ごめんと胸の中で呟いて手を伸ばし、彼女の頬を伝う涙を拭って。
「俺は――もっと四葉に自由に笑ってほしかったんだ」
指先に触れた彼女の肌は、いつも通り冷たい。
呪いについて知らなくても、なんとなく感じていたのかもしれない。笑っていても、なんとなくブレーキを踏んでいるというか、なにかに囚われているようだった。
本を抱きしめながら『私にはもうこれしかない』という四葉を、解放してあげたかったんだ。
四葉の視線が彼女の頬に触れた俺の手に向いた。
「震え……てる……」
「……っ」
「怖い、の……?」
――あたりまえだろ。
そう口にしそうになるのを、寸前で飲み込んだ。
死ぬのが怖い。今すぐ撤回したい。逃げ出したい。
さっきからそんな感情が俺の体の中で暴れまわってるんだ。確かに四葉を助けると決めた。でも覚悟を決めて、簡単に大切な人に自分の命を差し出せるほど強くもかっこよくもない。
でも今は、それ以上に四葉を助けたかった。
黙りこくった俺を見て、四葉は何を思ったのだろう。彼女は俺の方に倒れこんでくる。
「ごめんなさい……ごめ、なさい……!」
そしてそう何度も繰り返した。何度も、何度も。ボロボロと涙をこぼしながら、俺の胸に額を押し付けるようにして。
なぜだろう、何に対してだろう。
死なせてしまうから? それとも、怖いのにそんな決断をさせてしまうから? 違うんだ四葉。俺はしたいからそうするんだ。
彼女の後頭部をポンポン叩くと、その嗚咽がさらに強くなった。
こんなに弱さを表に出す四葉を見たのは初めてだった。でも謝りたいのは俺の方だ。
四葉は、本当に強い。結局これは四葉がどう思うかで全てが決まる。言ってしまえば、俺のいうことを無視してずっと認めないままでいることもできるのだ。
でも、四葉はそれをしない。今もいろいろ言っているが、一度として俺を否定することも、考え直すように催促することもなかった。
ただまっすぐ受け止めて、自分もつらいのにこうやって人を想って涙を流している。
「……本当に……ッ……四葉は強い……!」
四葉に聞こえないような小さな声でこぼす。
こんなに強いから、俺は憧れて、好きになって。だから助けたいと思った。
目の奥が熱くなって、泣きそうになるのを耐えるのに全力を注いだ。ここで俺まで涙を流したら、きっと四葉もつらくなってしまう。一度鼻をすすった。
「……ねえ、夏樹君。最後に、聞かせて……?」
少しして四葉は顔を上げた。涙でぐちゃぐちゃでせっかくの整った顔が台無しだ。しかも無理やり笑おうとしているせいか、今まで見た中で一番下手くそな笑顔だった。
そんな彼女に、俺は小さくうなずく。すると四葉は下手くそな笑みを一層深め、大粒の涙を一滴流した。
「――夏樹君は、幸せだった?」
――私は、不幸だったけど、不幸でいないといけなかったけれど。
――あなたがいたから私は、幸せでいられた。
――なら、あなたは?
――あなたは、幸せだった?
「――幸せで、いられた?」
四葉は、そう問いかけてきた。
それは、何度かされた問いかけ。でも俺は一度も応えることがでいなかった。幸せが何かわからなくて。自分が幸せと思っているかどうかわからなくて。ただ黙っただけだったり、流したりして逃げていた。
でも――今なら言える。
「ああ――幸せだったよ」
今までいろいろあった。それこそうれしいこともつらいことも。四葉と過ごした時間はもちろん、それ以外だって。でも俺は、断言できる。
四葉がくれたこの八年間は、間違いなく幸せだった。
「だから四葉――ありがとう」
「――ッッ!!」
そう言った瞬間、四葉の顔が大きく歪み、より大きな涙が彼女の瞳から零れ落ちた。
それと同時に思考も視界も、きりが借り始める。
その中で四葉は――笑っていた。
涙を流しながら、でも今までで一番美しくそして――自由に。
ああ、消えるのか、俺。死ぬのか、俺。
でも不思議と怖くはなかった。むしろ穏やかな気持ちだった。
ぼやける意識。世界が見えなくなって、遠くの方で音だけが聞こえる中。
――夏樹君、私今、とても
それが聞こえた瞬間、俺は意識を失った。
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