36話 夏樹と四葉
そこにいたのは、鼻息を荒くしてむくれた彩乃だった。
「あ、彩乃……?」
彼女がそこにいるのが信じられず。つい零したバカみたいなつぶやきに、彼女は俺との距離を詰めることで答えた。
「な、つ、き! なんで学校来ないの!」
「いや学校ってお前こそ――」
「今日は終わるの早いの! ほら、そんなバカみたいな顔しないで答えて!」
「バカみたいってそれたぶん今寝起きだからで――」
そこで、ふと気づく。
そうだ、寝起きだ。俺は今起きたばかりなんだ。なら今の俺の格好は? 少し視線を下げてみれば身にまとっていたのはジャージにTシャツ、つまり寝間着だった。
「……彩乃、一回出てってくれないか」
「は? なんで?」
「着替えたいんだよ」
「そんなこと言って、その隙にわたしを締め出す気でしょ!」
「できねえよ俺の部屋鍵ないんだから……!」
「私は気にしない!」
「俺が気にするんだよ!」
寝間着の、もっというならだらしない恰好を同級生の女子に見られるのは、なかなか恥ずかしいものがある。彩乃はほかのやつらと比べれれば親しいほうだけど、それでも恥ずかしいことに変わりはない。なんなら後頭部辺りに寝癖が立ってる感覚があるし。
しかし彩乃は言うことを聞きそうにもなかった。
「別にいいじゃんそのままで!」
「別にいいだろ着替えるくらい!」
「夏樹が話すまで私ここから動かないからね!」
「わかった! 話す! 話すから、一瞬だけ出てってくれ!」
「いいじゃん別に着替えるなら私の前でも!」
「彩乃なんかキャラおかしくなってないか!?」
お前ちょっとした下ネタで顔真っ赤にするようなやつだっただろ!?
ギャーギャーいつも以上に騒ぐ彩乃を無理やり追い出すように部屋から出して思いっきりため息をつけば、どっと体から力が抜けた。
「はぁぁ…………なんだあいつ」
でもなんとなく、さっきより気持ちは楽になった気がした。
◆
「あはは……ごめんね、さっきは」
再び自室に彩乃を招き入れると、彼女は苦笑いとともにそう言った。
俺が着替えていた間――といっても五分もなかったけど――に頭でも冷えたのだろうか。さっきの騒がしさは何だったんだと思うくらいにしおらしくなっていた。俺はベッドに腰かけ、彼女はその正面、床に直接腰を下ろしていた。クッションか何か持ってこようかと聞いたけど断られ、しかも似合わない正座までしている。
「お前いつも以上におかしかったぞ」
「う、うるさいなー。……ちょっと、その、無駄に張り切っちゃってただけだって!」
なにをだよ。心の中でそう唱える。べつになんだっていいから聞きはしないけど。
彼女は両膝をすり合わせるように動かすと、コホンとわざとらしく咳ばらいをした。
「……で、何で来なかったの?」
「…………」
なんで、と聞かれてもうまく答えることができない。呪いについて話すわけにもいかないし、まして自分のことなんて。
彩乃が口を閉ざす俺に顔をムッとしたのをみて、小さく嘆息した。
「……体調が悪くて」
「熱計った?」
「熱とかそういうのじゃないんだよ」
「さっき超元気だったけど」
「いやあれはその場の勢いでさ」
ほんとにー? と彩乃は不服そうな声を漏らすけど、体調が悪いのは事実だった。
熱はない。でも、なんとなく気持ち悪い。吐きそうまではいかないが、気になる程度の気持ち悪さ。それになんとなく体が重かった。
きっと、精神的のものなんだろうけど。
俺が何も言わずにいると、彩乃もあきらめたらしい。呆れたようにため息をつく。
「まあ、それが理由ならそれでいいけどさー。連絡くらいは、返してほしかった、かな」
「…………」
「心配する、から……」
「それはその、ごめん」
頭を下げれば、頭上から「ん」と小さくうなずく声がした。
正直返すのすら気が乗らなかったし、それにいろんなことを考えてしまってそれどころではなかった。でもそれで心配させたのなら、それは素直に申し訳ない。四葉のことで悩んでるとはいえ、結局それは俺と四葉の問題なのだ。
だからといって、どうすることもできないけど。
「でも、元気そうだからよかったよ! 四葉ちゃんに続いて夏樹までなんかなったらいやだしね!」
「まあな……ってか彩乃、どうやって家に入ってきた? 鍵かかってるはずだけど」
「そういえば私、今新しい恋愛相談受けててねー」
「話題の逸らし方」
ジト目を向けるが彩乃は「あははー」と誤魔化すように笑うばかりだった。
まあ、母さんに鍵の隠し場所教えてもらったとかだろうけど。幼馴染なだけあって、彩乃は母さんに気に入られてるし。
逃げるように彩乃は話をつづけた。
「それでね、夏樹にお願いがあって」
「お願い?」
「うん。四葉ちゃんとの馴れ初めみたいの聞きたいなーって」
「……っ」
突然出てきた四葉の名前に、息が詰まった。
「……なんでだ?」
「その子が好きになったのが――あ、その子男子なんだけど、その子が好きになったのが四葉ちゃんみたいな子なんだよね」
「高校に四葉に似たやつがいるなんて聞いたことないぞ」
「うちの高校じゃないもん。その子も中学の時の同級生だし」
「ならお前にできることないだろ」
「アドバイスくらいならできるじゃん!」
何を言っても引きそうになかった。要するに、その好きになった子が四葉に似ているから、俺の場合からヒントを得たいみたいな感じなんだろうけど。
正直、気が進まなかった。
今は四葉のことを考えるだけで憂鬱なのだ。四葉が嫌いとかじゃなくて、余計なことまで考えてしまって。またなんだか、いろいろ考えてしまいそうで。
だから湿った息を漏らして、口にした。
「ごめん、そういう気分じゃない」
「すこしでいいんだよ」
「いや、本当に――」
「――ねえ、夏樹」
彼女は、笑っていた。
「――聞かせてよ。
その瞳があまりにもまっすぐで。その笑みがあまりにも優し気で。
つい息を吐き出した。それは俺が折れた証明だ。それを見て彩乃は満足げに笑って見せた。
「……大した話じゃない。本当に、ちょっとした話だ」
正直四葉みたいに上手く話せる自信はない。でもその一言を口にしてしまえば、続きは思った以上にすんなりと出てきた。
「……俺、高一の時図書委員だったんだ」
「へー、意外だねー。夏樹から立候補したの?」
「そんなわけないだろ。寝てたら、勝手にそうなってた。で、四葉も図書委員だったんだ」
「そっちはイメージ通りかも」
各クラスそれぞれの委員会に男女一名ずつ出さないといけなかったが、そんなものに自分からなりに行くやつはそうそういない。でもきっと、四葉はその少数だったんだろうけど。
「それぞれに曜日が決められてて、その日は放課とか放課後図書館で店番みたいなことをやるんだよ。貸出とか。で、俺と四葉は同じ曜日だった。初日は遅刻したけど」
「ダメじゃん」
「いろいろあったんだよ」
別にどうでもいい話だから話さないけど。
俺は、視線を少し下げて、床を見つめた。
「それが、四葉と初めて……高校であったときだった」
口にすれば、その時のことが頭に浮かぶ。
四葉は入学して少し有名になっていた。もともと容姿は整っていたし、だからこそ他人をすべて突き放すような空気感が、好きなやつは好きだったのだ。
そういう噂に興味はなかったけど、当時緊張はしていた。実際に会ってみれば、容姿が整っているという話にも納得した。
「初日だったから急いで走って。図書館に息切れしながら入って、そこで四葉は俺を見て――」
黒真珠のような瞳。日の光を反射する白い肌。長いまつ毛。三つ編みでまとめられたきれいな黒髪。つい見とれていた俺に対して、彼女は――
「――泣いたんだよ」
「夏樹が泣かせたの?」
「いや、本当に何もしてない。俺の顔を見て、急に泣いたんだ」
泣いた、といっても涙を一滴くらいなものだけど。それでも俺を見て泣いた四葉を、俺はかなり不気味がってたのを覚えてる。今思えば、あの事件から会っていない俺に突然遭遇したからだったんだろう。
「だからか、始めの印象はかなり強かった」
そのせいか、四葉とは結構話した気がする。他の人に感じていた気持ち悪さがなかったのもあるけど。
「いろんな話をした。普通に雑談もしたし、勉強の話とか、昨日見たテレビの話とか。四葉はほとんど見てなかったけど」
「それ夏樹から聞いたことあったけど、すごいびっくりしたなあ」
「そんなことも言ってたな。……ああ、四葉の本のことを話すときの癖もこのあたりで知ったんだっけ」
変な癖だなとは思ったけど、だからといって気持ち悪くは思わなかった。四葉の話す内容はわかりやすくて面白かったし、なにより。
「本のことを楽しそうに話す四葉を見てるのが好きだった」
「うん」
「いつもは見れない四葉を見れるのが、楽しかった」
ちょっとずつその委員会以外でも話すようになって。彩乃に相談して一緒に出掛けたりもして。
「しばらくして、聞いたんだよ。『何でそんなに本ばっか読むんだ?』って」
そう聞いた時の顔を、今でも覚えてる。微笑んではいたけど、どこか悲し気で。遠くを見つめるような瞳には、しかし何も映っていなくて。
そのとき読んでいた本を閉じて胸に抱きしめながら、言ったんだ。
「『私にはもう、これしかないから』。四葉はそう言ってた」
その時感じた感情を、俺は今もうまく言葉にできない。
悲しいような、苦しいような。でもなんだか悔しくて、どうにかしてあげたくて。
無意識に膝の上で拳を握った。
「その時思ったんだ。ああ、俺四葉のこと好きなんだなって。女々しいかもしれないけど、本当に思ったんだ。幸せにしたいって」
口にすれば当時の気持ちが蘇ってくるようだった。
ああ、そうだ。俺はあの時、こんな気持ちだったんだ。
四葉に笑ってほしくて。本だけしかないなんて言わせたくなくて。――幸せにしたくて。
自分が死ぬからなんだ。元々これは四葉にもらった仮の命みたいなものだろう。ただ俺は、四葉を助けたかった、四葉に笑ってほしかっただけだった。
「だから俺は確かその時、勢いのままに告白した。四葉は間違いなく、俺にとって特別だった」
「……うん」
「でもさ、たまに思うんだ。俺はそうだけど、四葉はどう思ってるんだろうって」
「……四葉ちゃんも、同じだと思うな」
「え?」
久しぶりに顔を上げると、彩乃も柔らかい笑みを浮かべていた。
「夏樹ってさ、四葉ちゃんが笑ったの見たことある?」
「そりゃある。あたりまえだろ」
四葉は表情の変化が乏しい。でもだからといって、笑わないわけじゃない。楽しいときやおかしいときはちゃんと笑う。
でも彩乃は、「ううん」と首を横に振った。
「私は見たことないよ。四葉ちゃんが笑うのなんて、一回も」
「は?」
つい間抜けな声を漏らした。
いや、そんなわけないだろ。最近なんて特によく笑ってる。前だって、頻度こそ少ないけど確かに笑っていた。彩乃がいたときだって――と思い出そうとして、気が付く。
たしかに、笑っていない気がするのだ。
彩乃はそれを察したかのように、小さくうなずく。
「ないの、一回も。本当に、一回も。四葉ちゃんが笑うのは、夏樹の前だけなんだよ」
「俺の前、だけ……」
なぜだろう。笑わない理由ならすぐに思いつく。呪いだ。笑って幸せと思ってしまったら、そこで死んでしまうから。
でもなぜ俺の前だけ? 呪いを知っているから、というわけじゃない。呪いを知る前でも四葉は俺の前では笑っていた。
その答えは、彩乃の口から告げられた。
「『特別』なんだよ、夏樹も、四葉ちゃんにとって」
『特別』
その一単語に、胸が熱くなるのを感じた。
「彩乃、俺は――」
俺の言葉を遮るようにスマホが鳴ったのは、その時だった。
画面に表示された電話主は、四葉が入院している病院だった。
「……もしもし」
その向こうの人は、震えた声で口にした
――立川四葉さんが、病室から消えました。
気が付けば俺は電話を切って、部屋から飛び出そうとしていた。
向こうの人はかなり焦っていた。でも俺は、消えた原因も、消えた先も予想が付く。きっと呪いだ。呪いのせいで死んで、死体が消えた。ということは、四葉の家に現れるはずだ。
「夏樹」
扉を開けようとした時、背後から声がかかる。呼び止めたのは彩乃だ。振り向けば、彼女はまっすぐ俺を見つめていた。
そして力強い瞳とともに、笑って見せる。
「後悔、しないようにね」
なにがだろう。何に対してだろう。
色々分からないことはあった。でもその表情から、彩乃が真剣だということは伝わって。
「わかってる」
そう言って俺は、部屋を飛び出した。
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