閑話3 彩乃と四葉


 私はどんな人間か。一言で表すならきっと、『脇役』だと思う。


 少女漫画なら主人公、少年漫画ならヒロイン。そんな中心人物に、きっと私はなることができない。


 ずっとそうだった。恋愛相談とか言って外から口を出すだけで、その中心人物にはならない。自分の恋愛だって、臆病だから前に進もうとしない、関わろうとしない。


 私の好きな人には、私じゃない好きな人がいるから。


 ずっと、そう言い訳をして。




「どうしたの彩乃ー。なんか元気ないねー」


 昼休み、突然そう声をかけてきたのは、私の友達の佐々木真希だった。もごもごと学食で買ったパンを頬張っていた私は、声も出せずに首を傾げる。

 元気ない? 私が?

 急いでパンを噛んで、無理やり飲み込んだ。


「そんなことないよ?」

「いやいやー、私にはわかるよ。彩乃、元気ない」


 真希はニヤリといつもみたいに笑って、お弁当箱に手をつける。その顔はすごく幸せそう。お兄ちゃんにつくってもらってるんだっけ。


「んー……そうかなあ」

「勉強したくない?」

「でもそれはいつもだし」

「あはは、だろうねー。なら――水流君かな?」


 そういって真希が視線を向ける先、夏樹の席は空席だった。お昼だからいつもみたいに屋上に行っているわけじゃない。朝からずーっと、空席。


 はぁぁ……と、大きく息を吐き出した。


「もう四日だっけ、来てないの」

「……五日」


 そう答えると真希は「細かいなー」とカラカラ笑った。でも心配だから、一日の差も気になってしまう。


 そう、突然夏樹が学校に来なくなって、もう五日だ。スマホにメッセージを送ったけど、反応はない。風邪とかかなとも思ったけど違うみたいだし。

 友達がずっと休んでるんだから、もちろん心配。その理由もわからないから、この五日間はもずっと胸がモヤモヤしていた。


「どうしたのかなぁ……」

「聞けばいいんじゃない? 本人に」

「来てないじゃん」

「なら直接聞きにいけばー?」

「なっ!?」


 ちょ、直接ってつまり、夏樹の家に行くってことだよね。そう考えるとなんでだろう、顔に熱が溜まってくる。


「幼なじみでしょー? 場所も知ってるし、今まで行ったことあるでしょ」

「さ、最後に行ったの何年も前だから!!」

「別に友達の家に行くことになんの問題もないでしょ?」

「そうだけど!」


 ついつい必死に答えてしまう私を見て、真希はニヤニヤ楽しそうに笑っていた。もう、本当に性格が悪い。私も人のことは言えないけど。


 ジト目で睨みつけると、「ごめんってー」とニヤニヤは崩さずに謝ってくる。絶対悪いと思ってない。


「でも、知ってそうな人に聞くのもありかもねー」


 真希は、そう言って含みのある笑みを浮かべていた。



「こんにちは、桜木さん」


 病室に行くと、まず四葉ちゃんは私にそう言った。

 いつも通りほぼ真顔。病院服を着ていて、見慣れた三つ編みはしていないし、眼鏡もかけてない。入院してるからだろうけど、なんだかちょっと弱々しい雰囲気もあって。なのに一瞬見惚れてしまうくらい綺麗なのはちょっとずるい。


 私も挨拶を返して、ベッドの横の椅子に腰掛ける。


「まだお昼だけれど、早いのね。学校は?」

「今日は早く終わったんだ! お昼だけ学校で食べて来たんだよ」

「勉強、頑張ってる?」

「あんまりやりたくないけどねー」


 他愛のない会話をしながら、四葉ちゃんを観察する。もしかして、何か変わった様子はないかと思ってだけど……わかんない。


 私がここに来たのは、夏樹のことを四葉ちゃんなら知ってると思ったからだった。


 流石に夏樹のところに直接は行けなかった。だってやっぱり、夏樹の家なんてずっと行ってないからなんか恥ずかしいし。でももしかしたら、四葉ちゃんなら。最近夏樹が様子がおかしい時、だいたい四葉ちゃんが絡んでる。


 なんでもない雑談を少しして、ちょうど話が途切れたところで切り出した。


「……夏樹がさ、学校に来てないんだ。四葉ちゃん、何か知ってる?」

「……知らないわね」


 一瞬。それはほんの一瞬だったけど、四葉ちゃんが顔をしかめた。

 ああ、絶対何か知ってる。

 なら、なんで隠すんだろう。それを聞こうと口を開けたけど……結局私は、何も言えなかった。


 ――またこれだ。私、いっつもそうだ。


 人の恋愛ごとが好きとか、覗き見が好きとか、そんなことを言っておいて実は、人の秘密に踏み込むのが怖い。知りたいのに、聞いたほうがいいのに、いつも一歩が踏み出せない。


 もしかしたら、ってのはあるんだ。前見た、四葉ちゃんが死ぬ光景。もしかしたら、それが関わってるのかもしれない。


 きゅっと、下唇を噛み締める。


 一週間前くらいにした、夏樹との会話を思い出す。もし人の秘密を知ってしまったらその人に言うって、夏樹は言ってたっけ。あの時は、前ならヘタレて言わなかったのにねー、なんて茶化したけど、本当にヘタレなのは私の方だ。



 でも言ったんだ。あの時、『私も頑張る』って。



「ねえ、四葉ちゃん。私、見たんだ。……その、四葉ちゃんが、死んじゃうところ」

「――――ッッッ!!!」


 ガバッ!と勢いよくこっちを向いた四葉ちゃんは、見たことのない顔をしていた。

 目をいっぱいに見開いて、口は何かを言おうとパクパクして。ああ、見間違いじゃなかったんだ……。心臓が一際大きく脈打つ。


「……そう、見てしまったのね」


 そう零す四葉ちゃんは、何かを諦めたような顔をしていた。


 それから四葉ちゃんは、何かを聞けば全部答えてくれた。

 なんで? って聞けば、呪いのことを。どうして? って聞けば、神隠し事件の真相を。どうすればいいの? と聞けば、呪いの解き方を。

 全部、包み隠さず、きっと正直に。


 信じられなかった。でも、信じるしかなかった。実際四葉ちゃんはあの時私の目の前で死んだのに今こうやって話してるし、夏樹の神隠し事件のこともある。


 受け入れられなかった。幸せになると死ぬなんて、そんなの辛すぎる。

 心臓が痛い。喉もカラカラ。


 でも、それ以上に。


「その、話……夏樹……には、したの…………?」


 きっとこれを聞いて一番辛いのは夏樹だ。私でもすぐには信じられないくらいの話だし、なら当事者で、四葉ちゃんの彼氏の夏樹だったら?


 一〇秒くらいの沈黙。そして四葉ちゃんは視線を少し下げて口にした。


「…………ええ、五日前に」

「――!!」


 五日前。ちょうど夏樹が学校に来なくなったのと、連絡が取れなくなったのと同じ日。

 つい、勢いよく立ち上がる。そのせいで椅子が倒れて、ガタンと音が鳴った。



「そんなの苦しいに決まってるじゃん!!!」



 耐えきれなくて、そう叫ぶ。四葉ちゃんは視線を下げるだけだった。


「自分が実は死んでるとか!! そのせいで四葉ちゃんが呪われてるとか!!」

「…………」

「しかも呪いを解くと死んじゃうかもしれないとか!!」


 四葉ちゃんが死ぬのを夏樹は普通に見ていたし、呪いのことはもともと知ってたかもしれない。でも、これは酷すぎる!

 自分は一度死んでいて、そのせいで四葉ちゃんは死に続けて。四葉ちゃんを助けるには、自分が死ぬしかなくて。

 ずっと、ずっと見てきたからわかる。夏樹にとって四葉ちゃんは、間違いなく大切な人だ。

 そんな人に、そんなことを言われたら!


「自分の命に価値はないのかなとか思っちゃうじゃん!!」

「…………」

「死んだほうがいいのかなとか、思っちゃうじゃん!!」


 そんなの絶対に苦しい。だからきっと、夏樹は学校にも来れてないんだ。きっと私でもそうなる。きっと、耐えられなくなる。


 四葉ちゃんは、まだ俯いたままだった。


「ねえ、四葉ちゃん……」


 いろんな感情が溢れてくる。ぐちゃぐちゃになって、訳わかんなくなる。目の奥が燃えてるみたいに熱い。鼻の奥もなんだか変な感じがする。


「なんで、話したの……?」

「…………」

「そんな辛いこと、なんで――」



「――話したくて話したわけないでしょう!!!!!」



 四葉ちゃんの叫び声は、病室の空気も、私の肌も、ビリビリ震わせた。


 その悲鳴に、頭を殴られたみたいな感じ。四葉ちゃんのこんな声、聞いたことなかった。こんなに強い感情を表に出したところを、私は見たことがなかった。


 圧倒されて何も言えなくて、四葉ちゃんも息を荒くして何も言わない。でもすぐに四葉ちゃんは息を整えて、大きなため息を吐いた。


「……私は、話さないといけなかったから」


 その声は、細かく震えていた。


「夏樹君が死んでしまったのは誰のせい? 私のせいよ。もちろん私だってこの話は墓まで持っていきたい。でも夏樹君が知りたいと言ったのなら……話すしか、ないでしょう……!」


 こんなに辛そうな四葉ちゃん、見たことない。


 私の中で四葉ちゃんは、常にかっこいい女の子だった。凛としていて、正しくて、なんでも卒なくこなして。ある意味、憧れの存在だった。夏樹と付き合ってるって点でも。


 そんな四葉ちゃんが顔をしかめて、苦しそうに吐き出している。見ているだけで、胸が苦しくなった。


「ごめんね……四葉ちゃん」

「……いいのよ、あなたの気持ちだって、正しいのだから」


 きっと、間違ってる人なんて誰もいない。四葉ちゃんはそう続けた。


 でも、こんなの辛すぎる。四葉ちゃんも夏樹も救われないなんて、悲しすぎるよ。

 椅子に座り直して、スカートの裾をギュッと握る。


「桜木さん、頼んでもいいかしら」


 え?

 突然のことで、つい顔を上げる。


「夏樹君を説得して欲しいの」

「説得……?」

「きっと夏樹君は、自分が死ぬことを選ぶから」

「どういう、こと……?」


 ううん、わかってる。夏樹はなんだかんだ優しいから、きっと自分が死ぬのを選ぶ。苦しくても、辛くても、自分は本来なら死んでるからなんて自分に言い聞かせて。

 だから、なんとなく四葉ちゃんが何を言いたいのかもわかってしまった。


「夏樹君には、生きて欲しいから。たとえ私が死に続けるとしても。たとえ――死んだとしても」

「……いや、だよ……」

「だから、夏樹君を説得して……? 私を殺すように」

「いや!!」


 私がそう言い切ると、四葉ちゃんは困ったような顔をした。でも、嫌なものは嫌なんだ。


「そんなのおかしいよ!」

「でも私が悪いのよ。私のせいで――」

「私はどっちにも死んでなんて言いたくない!」

「――!!」


 すると四葉ちゃんは、驚いたように目を見開いた。


「私は二人に死んで欲しくないもん! 二人に生きてて欲しいもん!」

「……それは無理なのよ」

「それでも!」


 たとえ無理もしれない。どちらかを選ばないといけないかもしれない。だとしても。


「私は、脇役だから」


 今までも、ずっとそうだった。


「私は二人の背中を押すことしかできないから。決めるのは、二人だから。私、恋愛相談もずっとこんな感じでやってきたんだよ?」

「……そう、だったわね」


 そこで初めて、四葉ちゃんは穏やかな顔を見せた。


 そう、私は脇役。できるのは背中を押すことだけ。どっちに肩入れもできない。どっちにも死んで欲しくない。それに死ぬのも生きるのも、二人の命の話。だから私は口が出せないんだ。


「もう、いくね。夏樹とも少し話してみるよ」

「……ええ。今日はありがとう、来てくれて」

「ううん、別にいいよ! また来るね!」


 そう言って私は鞄を持って立ち上がった。そのまま四葉ちゃんに背を向けて、扉を開けようとした時。


「桜木さん、最後にいいかしら」


 不意に後ろから声をかけられた。


「桜木さんは、私がいなくなったほうが都合がいいんじゃないかしら」

「……なんで?」

「だって桜木さん、夏樹君のこと好きでしょう?」

「……ううん、好きじゃないよ」


 私は頑張って声を上げないように、落ち着いた声を出した。きっとそれができたのは、なんとなくそう言われる気がしたからだと思う。

 それを受けた四葉ちゃんは、コテンと首を傾げていた。


「違うのね、そうだと思ってたけれど」

「うん、違う。夏樹はただの友達だよ」

「なら、なんで説得しないの?」

「なんでって……」


 むしろそんな不思議そうな顔をしていること自体が私からしたら不思議だ。


「だって、四葉ちゃん友達だからね」

「――!」


 友達に死んで欲しくないなんて当たり前。友達に苦しんで欲しくないなんて当たり前。

 でも四葉ちゃんは目を丸くしていた。


「ありがとう――彩乃さん」


 そう言って四葉ちゃんは笑った。今までで一番穏やかに。私の前で、初めて。

 突然感情が込み上がってくる。涙があふれそうになる。


「またね! 四葉ちゃん!」


 そう言って私は、逃げるように病室から飛び出した。




 四葉ちゃんの病室から出て、扉を閉めて、少し歩いた。少し歩いて、限界だった。


「…………っ」


 下唇を強く噛んで、壁に倒れ込む。そして耐えきれず、その場でしゃがんでしまった。


「……好き、だよ」


 耐えきれずこぼしてしまう。


 好きだよ、好きだったよ、夏樹のこと。ずっと一緒にいて、正直カッコ良くはないけど、それでも好きだった。


「でも、無理だよ……」


 夏樹は昔と比べてずっと変わった。


 神隠し事件直後の夏樹は、周りの人すべてを怖がってろくに話せる状態じゃなかった。中学に上がれば、多少は落ち着いたけど強い壁を作るようになった。

 真希は夏樹と二人で話しながらお昼ご飯を食べたなんて言ってたけど、そんなの前の夏樹だったら考えられないことだと思う。


 そんな夏樹が変わったのは、間違いなく四葉ちゃんのおかげだった。


 四葉ちゃんと関わって、ずっと明るくなった。四葉ちゃんと付き合って、人と関われるようになった。


 私じゃ、無理だった。私じゃ、変えれなかった。


「無理、なんだよ……」


 視界がぼやけ始める。ぱたっ、ぱたっ、とリノニウムの床に水滴が落ちる音がする。


 四葉ちゃんにとっても夏樹は特別なんだと思う。


 四葉ちゃんが死んだあの日、その死ぬ直後の四葉ちゃんは、笑っていた。

 楽しそうに、嫉妬も羨ましいとも思わないくらい、幸せそうに。

 私は四葉ちゃんのそんな顔、見たことなかった。きっと四葉ちゃんがあの顔を見せるのは夏樹にに対してだけなんだろうな。


 二人は、お互いが特別だった。呪いだとか、そんなものがなくても、二人はお互いを特別と思っていた。


 そこに入る隙間がないなんて、私でもよくわかった。


「……っ……無理、だもん……っ……」


 だめ。耐えれない。もう、抑えきれない。ボロボロと目からこぼれ落ちる涙を必死に抑えようとしても、次から次へと溢れ出てくる。


「あぁあぁああ………!! 夏樹……夏樹ぃ……!!」


 死んで欲しくない。自分を選んで欲しい。でも四葉ちゃんにも死んで欲しくない。でもやっぱり夏樹に生きていて欲しい。


 こんなのあんまりだ。四葉ちゃんもひどい。私はどちらかに『死ね』と言わないといけない。でもやっぱり私はどちらかに肩入れはできない。だってこれは、二人の話だから。


 薄暗い病院の廊下で、一人泣いた。幸い人は通らなかったけど、だから止まらなかった。


 泣いて、泣いて。


 二〇分たっぷりと涙を流して、私は立ち上がった。




 本当に夏樹の家に来るのは何年ぶりだろう。


 目の前に立つ夏樹の家を見上げて、ふとそう思う。


 小学生の時は結構遊びに来てたんだけどな。思春期になったり、夏樹が人を怖がるようになってから、一度も来ていない。そう思うとなんだか懐かしくもなってくる。


 スマホを見ると、もう一五時だった。


 私は病院を出てまっすぐここに来た。涙はもう止まったけど、鏡で見ると少し赤い。でも今しかなかった。今を逃すと、私は多分逃げ出しちゃうから。


 夏樹はここにいる。大きく深呼吸。玄関のドアに、手をかける。



 ねえ、夏樹。


 夏樹は優しいからさ、多分四葉ちゃんを選ぶんだろうね。


 ほんとは、選んで欲しくない。でも私にはどうしようもできないんだ。


 私は、脇役だから。


 だから私にできるのは、夏樹が公開しない選択をできるように、背中を押すことだけ。


 それで夏樹が死ぬのを選ぶとわかっていても。


 ……本当は嫌なんだ。今だって手が震えてる。帰りたい、やめたいって心が叫んでる。


 でも私も変わらなくちゃ。夏樹が変わったみたいに。何もできないままじゃ、だめなんだ。



 バタン! と勢いよく扉を開けて、そのまま夏樹の部屋まで一直線。何度も行ったから場所は覚えてる。階段をバタバタ駆け上がると、そこはもう夏樹の部屋だ。


 そのドアノブに手をかけて、一呼吸。


 ごめんね、夏樹。でも、後悔して欲しくないから。


 私は今から|好きな人《なつき」に――『死ね』と言うんだ。




「夏樹ーー!! なんで学校来ないの!!!」



 そう叫びながら、私は夏樹の部屋に飛び込んだ。


 

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