35話 四葉か夏樹か
思わず息を吐き出した。
病室のカーテンの隙間から差し込む紅の光を受けながら、俺も、四葉も。
彼女はきっと、一頻り語った疲労感から。俺はそれを受けて心を落ち着けるために。
彼女の呪いは俺を生かす代償である。
四葉は、そう言った。呪いにかかった経緯とか色々あったけど、一言でまとめるとしたら、つまりそういうことだ。
正直、正直な話、今の四葉の話は予想外のことばかりだったなんてことはなかった。四葉が飛び込んだ理由も、呪いにかかった経緯も。なんとなく予想はできていたし、できていなくてもなるほどとなるだけで驚きはしなかった。
でも、呪いのことだけは違った。
「……大丈夫?」
「大丈夫だ」
「強がらなくても良いのに。動揺するな、なんて無理な話だとわかってるわ」
「…………」
「顔、真っ青よ?」
堪えていたものを吐き出すように、大きく嘆息した。
彼女の言った意味を考えようときても、なんだか無意識に考えないようにしているみたいに頭が動かなかった。
ただ俺にできたのは、情けなく俯いてハハと乾いた笑みを零すだけだ。
「……なんか、馬鹿みたいな話だな」
「そうね、本当に、バカげてる」
「今の話もそうだけどさ。俺最近も前も、四葉の呪い解きたいって言ってただろ? それで喧嘩もして、今も望んでないってわかってるのに無理やり聞いて」
でもその呪いがあるのは、俺のせいだった。
「……俺が、生きてるのがダメなのか?」
「夏樹君」
「俺が死ねば――」
「夏樹君!」
珍しく張られた四葉の声は、病室によく響いた。真っ直ぐ向けられた彼女の強い視線に、心臓を掴まれる。
「そうは、言ってない」
今の彼女の状態に似つかない力強い声で、四葉はそう言った。
言ってないけど、同じことじゃないか。俺は本来死んでいて、生きているからおかしなことが起こっている。
正直実感なんてひとつもない。俺にはその記憶がないし、結局は人から聞いたことだ。でも俺がこんなに動揺してるのはきっと、四葉の口から語られたから。
「これだけは、わかって欲しいのだけれど」
四葉はそんな俺の心中でも読んだのか、呆れたように小さなため息を零した。
「夏樹君は今生きてるわ。たとえ過去になにがあったとしても、事実として、生きている。私が望んでいるから。私が望み続ける限り、あなたは生き続けるわ。もちろん、寿命や怪我では死ぬけれど」
「でもそのせいで」
「そうね、それも事実よ。――夏樹君は、呪いを解く方法を知りたいんだったわね」
また彼女の視線が俺に向いて、ついピクリと肩を跳ねさせてしまう。
確かにそう言った。でも今は――知りたくない。でも何故かそう口にはできなかった。
「呪いを解くのは簡単よ。あなたが何かをする必要もない。ただ――私が夏樹君の死を認めれば良い」
「――ッッ!」
心臓を鷲掴みにされたみたいだ。俯いて、膝の上で強く拳を握って、歯を食いしばって。
彼女はそう言う。でも、俺は? もしそれをしたら、俺はどうなるんだ?
そんなの考えるまでもない。本来あるべき姿に、つまり、死ぬだけだ。
「ハッ……! ハッ……! ハッ……!」
胸が苦しい。肺が痛い。冷房が効いているはずなのに嫌な汗が止まらない。ガチガチと歯が鳴る。手足が震えて止まらない。
死ぬ。死ぬ。俺が、消える。俺が、消える? いやだ、そんなの嫌だ。そんなことならいっそ――
「ねえ、夏樹君」
「え……」
頬にひんやりとした感触。顔を上げれば、四葉の手が伸びて頬に触れていた。
冷えていると言っても所詮は体温。でもそれが俺の頭をだんだんと冷静にしていく。
「これはあくまで事実であって、私がそう望んでいるわけではないわ。本当は、口にだってしたくない」
彼女の言葉が、鼓動を落ち着かせていく。
「それでも伝えたのは――あなたがこれで諦めてくれると信じてたから」
呼吸が収まっていく。
「私は夏樹君の気持ち、すごくよくわかってるつもりよ。私は……もう慣れてしまったけれど。でも死ぬのが怖いのは、誰だって当たり前」
体の震えがなくなっていく。
「だから――あなたが死ぬ必要なんて、どこにもないのよ」
気がつけば、もう面会時間も終わりの時間だった。同じ入院してる人だろうか、病院服を見にまとった人や、白衣を着た医師、同じくお見舞であろう人たち。彼らとすれ違いながら、廊下を歩く。
頭は空っぽ。なにも考えられない。自分が今どこを見ているのかもわからない。世界の音が、どこか遠くでしているような気もしてくる。
ただ家まで帰るだけの人形になった俺の頭の中でこだましているのは、病室から出るときに四葉が言った言葉だ。
『しばらくは、また来なくても良いわ』
『決断した時に、また来てちょうだい。どうせ私はリセットできないから入院したままでしょうし』
『呪いを解くでも、今まで通りでもどちらでも良い。もちろん、私はこのままの方がいいけれど』
『とにかく、どちらでもいい。選んだら、また来てね』
『……ねえ、夏樹君』
『きっと私を、
初めて俺の前で死んだ時、四葉が口にしていた言葉。
それを口にする彼女は――あの時と同じような、綺麗な笑みを浮かべていた。
◆
気が付けば、知らない場所にいた。
場所というのも少し違うかもしれない。どこか特定の場所というよりは――水中。
一寸先も見えないくらいに濁っていて。浮遊感にも似た感覚と、容赦なく襲い掛かってくる推力。
くるしい。くるしい。
手足をばたつかせても何も変わらない。必死に手を伸ばしても指の隙間を水が通り抜けていく。辺りはわからないけど、自分が沈んでいることだけはわかった。
くるしい。息ができない。でもきっと息を吸えば水が肺に流れ込んでくる。
たすけて。たすけて。
薄くなっていく意識。耐えきれず口を開ければゴポォッと空気が口から一気に漏れ出した。
いやだ、しにたくない。いやだ、しにたくない。
どれくらい沈んだのだろう。濁りのせいか、辺りは薄暗かった。体の力が抜けて、意識も手放そうとして――
◆
「――うわぁぁあ!!」
俺は、そんな叫び声とともに飛び起きた。
いったい何が起こったんだ。肩で息をしながら辺りを見回して――ここが自分の部屋、自分のベッドであり、俺も寝間着姿であると気が付いた。
「……夢、か」
大きく、大きく嘆息。体から力が抜けて、そのままベッドに倒れこむ。
いったい何度目だ、あの夢。五日前に四葉の話を聞いてから毎晩だぞ。別に夢だから俺自体には何にもないんだろうけど、何度も死ぬ夢なんて見たら消耗する。
「……まあ、なんとなく原因はわかってるけど」
そしてそれは、誰が悪いというわけでもないのだろう。
四葉の家にあった写真だったり、彩乃や轟さんから聞いた話だったり、四葉が語った彼女の過去だったり。それらからなんとなく俺は一度死んでるんだなと感じていた。感じているだけだった。
それが変わったのは、呪いを解く方法を聞いたからだ。
『死』が身近になった。『死』がすぐ後ろまで迫ってきた。ナイフが常に首元に突き付けられているような、そんな感じ。
そのせいですべてが怖かった。外に出ることすらも。
その結果俺は、この五日間の間、家を一度も出ていない。
「……もうこんな時間か」
ベッドの横に置かれた時計は、一五時を指していた。我ながらよく寝たな、そんなに。苦笑を吐き捨てながら、再び布団をかぶる。
この五日間、なにをしていたかと聞かれれば、なにもしていない。やることがあったわけでも、四葉に迫られた選択について考えていたわけでもなく。
ただただ、横になって天井を見上げていた。
「だって、どうすればいいんだよ……」
俺が死ねば呪いは解ける。四葉が死に続ければ俺は生き続ける。
どちらも辛くて、どちらも選べない。選びたくない。この恐怖を知った今は、余計に。
「……四葉は、ずっとこれに耐えてきたんだよな」
慣れた、なんていっても過去そういう期間があったことは事実だ。それをこれからも味合わせるのか。
もちろん、そんなのは嫌だ。
じゃあ――俺が味わう?
「……っ」
無意識に布団の中で体を縮こめる。そしてそれを自覚して、なんて情けないとため息を吐き出した。布団から顔を出して、はぁと、何度目かもわからない嘆息をした、その時だった。
ドタドタドタと、やかましい階段を上る音。
おかしい、今は母さんも父さんも仕事で出かけているはずだ。
なんで考えている間に、それはどんどん大きくなっていく。階段を上る音にしてはやけに大きい。それに、力強い。
……なんだろう、なんか嫌な予感がするな。
なんとなく、また布団に顔を突っ込もうとしたちょうどその寸前で。
「夏樹ーー!! なんで学校来ないの!!!」
ドアを開け放って飛び込んできたのは、そんな怒り心頭の彩乃だった。
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