33話 秘密

 病院の外に出るころにはもう、日が沈みかけていた。


 結局俺は面会時間ギリギリまで四葉の病室にいた。と言ってもあれからは彩乃が四葉と話すだけで、俺はそれを後ろから見ていただけだったけど。

 一歩外に出れば、なんだかドッと疲労感が押し寄せてくる。お見舞いなんて初めてだったし、そのせいかもしれない。


「なんか、今日はごめんね」


 ため息一つついて歩き出そうとしたその時、彩乃がそう口にした。


「ごめんねって、なにがだよ」

「いやほら、二人が話してるところに飛び込んじゃったからさー」

「……? それのなにがダメなんだ?」

「あーもう夏樹鈍すぎ! 二人の時間邪魔しちゃったでしょ!」


 ああなるほど。納得する俺に、彩乃は呆れたように肩を竦めた。


「別に彩乃が来ても良かったと思うけどな。四葉、彩乃のこと好きだし」

「それは嬉しいけど! なんていうのかな、やっぱりこういう時目が覚めたら好きな人の顔見たいじゃん」

「お前入院したことあったっけ」

「一回もないけど」


 ならわからないじゃないか。

 ジト目で彩乃を見るも、彼女はなぜかドヤ顔を浮かべていた。彩乃が熱を出しているとこすら見たことがないから本当なんだろうけど。


「とにかくさ、二人で話してたみたいだし、なんか邪魔したなーって」

「……いや、正直助かったよ」

「……?」


 彩乃はコテンと首を傾げるが、正直それが俺の本心だった。


 後ろから二人を眺めている間に頭が覚めたんだ。今からわかる、あの時の俺はかなり熱くなっていた。

 やっと知ることができるとか、呪いを解くと決意したばかりだったとか。あとは直前に俺が関わってるかも、なんて言われたからだとか。

 とにかく俺は、なにが何でもすぐにでも知りたかった。


 それこそ、四葉の体調や気持ちなんて度外視して。


「俺もちょっとおかしかった」

「……? まあ確かに動揺してもおかしくないけどね。なんか叫んでなかった?」

「お前そこまで聞こえててよく入ってこれたな」

「私だって動揺してたからねー」


 アハハと軽く笑って見せるが、まだその目元は赤い。それにさっきから度々鼻をすすっていた。

 パチリと彩乃と視線があって、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らす。そして「まあとにかく」と、わざとらしく口にした。


「何とかなりそうで、良かった」

「……本当にな」


 そこでふと、会話が途切れた。


 もちろん、気になることはいろいろあった。最近四葉のことを話題に出そうとしなかったのもそうだし、それなのに今日会いに来たこともだ。でもきっと、触れない方がいいのだろう。


 なんとなく隣を歩く彼女の横顔を観察していると、また彼女と視線が交差した。そしてやはりまたどこか気まずそうにあっちこっちへと目線をさまよわせ、


「あの、さ……夏樹」


 ――かと思ったら、意を決したような顔つきで恐る恐る訪ねてくる。


「もしさ、もし……人の秘密をたまたま知っちゃったら、言う……?」


 彼女のその質問は、あまりにも脈絡がなかった。だからつい、眉をしかめて、首を傾けてしまう。


「秘密?」

「うんそう。自分の大切な人の、きっと知られたくないと思ってるような秘密」

「また恋愛相談絡みか?」

「まあそんなとこ、かな……」

「高三の受験期によくもまあ……」

「高校生はいつだって青春真っ最中なんだよ! とにかく、どうなの?」

「秘密ねえ……」


 やけに具体的な話だな。日常に溢れているような状況とはいえ、少し気になった。でも何となく真面目な雰囲気を感じるし、彩乃にとっては真剣なんだろう。


 ふむと考えて、まず頭に浮かんだのは四葉の呪いのことだった。

 あれこそ四葉にとって人に知られたくない秘密なんだろう。もし、もし俺がそれを知ってしまったら。今回のように四葉から告げられるんじゃなくて、たまたま偶然知ってしまったとしたら……きっと言わない――なんて、前なら答えていたんだろう。


「たぶん、言う」


 もしかしたら言わないのが正解なのかもしれない。きっとその大切な人は、その秘密に触れて欲しくないだろうから。

 正直今でも同じ考えだけど、俺は四葉の過去に触れてしまった。


「それが俺にとってどんな秘密だったとしても。知ってるのを隠し続けるのって、嘘をついてるのと同じだろ、その大切な人に」

「それで、その人に嫌われるとしても?」


 すると彩乃はじっと俺を見つめてそう尋ねてくる。彼女にしては珍しいその視線に、俺はつい言葉を詰まらせた。


「ああ……た、多分」

「あはは。多分って、なにそれ」


 うって変わって噴き出すように笑う彩乃。


 いやしょうがないだろ、そんなの状況に夜だろうし。今回はたまたま俺が関わってるかもしれないのもあってそうなったけど、別のことだとどうなるかわからない。


 なんて、一人口には出さずに言い訳していると、彩乃の視線が生暖かいものに変わった。


「……なんだよ、その顔は」

「いや? 変わったなって。前だったら絶対言わないって言ってたでしょ。もし嫌われたらー、とかヘタレてさ」


 否定できないのがつらすぎる。まあ考え過ぎとは前から言われてきたことだけど。無視するように視線を前に逸らした俺を見て、また彩乃はクスクス笑みをこぼした。


「そっか……」


 かと思えば、三度彼女はその表情を湿ったものに変えた。どうしたのか。桜木彩乃という名前通りに明るい彼女には不似合いな空気感だった。


「強いね、夏樹は」


 そう言って、彩乃は笑った。でもあまりに悲しそうに笑うものだから。


「で、でもさ、お前そんなのしょっちゅうだろ」

「へ?」


 つい誤魔化すように、軽口をたたいてしまう。


 彩乃は一瞬ぽかんとした顔を浮かべる。かと思えば、ぷぅと頬を膨らませた。


「なにそれー。どういう意味ー?」

「いやほら、よく恋愛相談乗ってるだろ?」

「それが?」

「だから、恋愛事なんて人に知られたくない秘密の代表格じゃないか」

「私に話した時点でそれはもう秘密じゃないもん」


 少なくとも、私に対してはね。


 そう彼女は付け加えた。


「身もふたもないというか……都合がいいな」

「都合よくないとやってけないよー。固いのもいいけど、それにこだわって動けなくなってもあれだし。さっきの夏樹みたいに」

「流れるようにディスるな」


 結構いいこと言ったと思ったんだけどな……。一人静かに、すこしだけ落ち込むのも気にせず、隣を歩く彼女は歩く速度を早くした。


「まあどっちにしろ人の秘密を聞くときはさ、まっすぐちゃんと、受け止めなきゃとは思ってるけどね」


 彩乃が人から恋愛相談をよく持ちかけられるのは、もちろん結果があるからだ。でもそれ以上にこのまっすぐさが大きいのだろう。


 人の秘密を聞くのなら、ちゃんと受け止める。それが何であったとしても。


 そんなことはないと思うが、なんだか俺に対していっているようで。


「ああ、もちろんだ」

「なにが? ……でも、そっか……うん、そうだよね。よし!」


 彩乃は胸の前で握りこぶしを作ると、


「私も、頑張って言ってみるね」


 そう、強い瞳で俺を見つめていた。


「いや、俺が言うってだけでそれが正しいとかはわからないからな?」

「わかってるよ。私が決めたんだからいーの」

「ならいいけど……っていうかだれに、何をだよ」

「夏樹だけには内緒―!」


 俺だけにはってなんだよ……。


 そう呆れる俺に、彼女はムフフーと楽しそうな笑みを浮かべていた。




 結局四葉に呼ばれたのは、それから五日後のことだった。


「ごめんなさい、遅くなって」


 初めて入院している四葉を見た時と同じように、彼女はベッドで横になっていた。あの時と比べて顔色はよくなった気がする。あくまで気がするだけだけど。


「いや、それはいいけど……もう、大丈夫なのか?」

「ええ、幸い時間だけなら膨大にあったから」


 そりゃ移動もできないのだからやることもないだろう。意外なことに、病室には本が見当たらなかった。四葉のことだから、山のように本を持ち込んで読書にふけるものかと思っていたけど。


 いや、それはともかく。


「話して、くれるんだよな?」

「…………ええ」


 たっぷり沈黙を挟んで、彼女はしっかりと頷いた。


 そこから、沈黙が始まった。


 四葉が話す内容を頭でまとめているのか、それともまだ準備ができていなくてためらっているのか。どちらかはわからないけど、俺はその間、ジッと彼女が話し出すのを待っていた。


 五分か十分か、それくらい時間が経ったあたりで、小さく息を吐き出した。


 始まる。


 顔を少し上げて遠くを見る彼女を見ながら、俺は生唾を飲み込む。


 呪われた経緯、俺の死んだときの詳しい状況、そして呪いを解く方法。四葉がずっと隠し続けて、意識的に話題に出そうとしなかったことを聞くことができる。そう考えると、自然と拳に力がこもった。


 呪いのことを初めて聞いた時は嘘だと、物語の話だと決めつけてしまった。でも今回は、最初から信じるつもりだ。それこそ、まっすぐ、ちゃんと受け止める。



「――ちょっとした話を、しましょうか」



 それは、もう何度も耳にしたフレーズであり、彼女が読んだ本の話を始めるときの決まり文句であり、そして――彼女が俺に初めて呪いのことを話すときに使った言葉。


 それを皮切りに、彼女は語り始めた。

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