32話 約束
「――どういう、ことかしら」
その声には限りなく弱々しいものだ。手術後だしきっと熱もあるからだろう。なのに俺は、背筋に張り付くような寒気を感じていた。
理由は単純。その声にはち切れるような怒りが満ちていたからだ。
「聞き間違いなら、そのほうがいいのだけれど」
「……いや、聞き間違いじゃない。呪いを解こうって、俺は確かに言った」
「そう」
さらに怒りの色が強くなった気がした。
もともと四葉は呪いを解くのに反対だったから不思議じゃない。でも同時に、少し違和感があった。
前はこんなに怒っていただろうか。
記憶違いかもしれないと、以前を思い出そうとする。しかしそこで、四葉は「前も言ったと思うけど」と口を開いた。
「私だってなにもしなかったわけじゃないのよ。小さかったなりに、死に物狂いで調べたわ。中学になってからも調べなかったわけじゃない。でもなにも出てこなかった、全く手がかりすらなかったのよ」
「…………」
「そもそもかなり非科学的な現象でしょう? 解けるものなのかも分からない。いいえ、きっと解けるものではないのよ。私は、呪われた原因すら知らないのだから」
彼女はそこまで捲し立てるように口にした。そして息継ぎをするように大きく息を吸って、吐く。息遣いがわずかに早くなった。
「だからお願い――夏樹くん」
「……っ」
そう俺に語りかける彼女の声は先ほどまでの声と一転、弱々しい、すがるような声だった。
「リセットさせて。キスをして。私を……幸せにして……?」
涙で潤む彼女の瞳。常に凛としていた彼女が見せた、突けば折れるような弱々しい姿。
普段と全く違う。違うから、それだけ四葉が必死だとわかるし、本気だと感じるし、つい折れてしまいそうになる。
だけど俺はその視線から逃げるように俯いた。彼女が嘘をついていると気がついてしまったから。
呪われる原因を知らない? 違うだろ、四葉。俺が一度死んだときのことを知っているはずだ。
一つ嘘があると他も怪しくなる。そうだ、きっと四葉は呪いを解く方法に気がついている。なのになんとかしてそれから逃げようとしている。
だってそうだろ。もう入院してるんだ。今呪いでリセットしても、大怪我をした患者がいきなり消えた上、その怪我が跡形もなく消えてるんだ。そんなの違和感しかない。怪我をして弱ってるとはいえ、四葉がそれに気が付かないわけがない。
「……なあ、四葉」
「なに? 夏樹くん」
「きっと、この四葉には四葉の考えがあると思うんだ」
今までもそうだった。四葉はあまり自分の考えを話さないけど、全部考えがあってのことだった、
「しかもだいたいそれが正しかったし。だから俺は今まで、四葉に従うことが多かったかもしれない。でもさ、今回だけは俺、自分が正しいと思ったことをするって決めたんだよ」
「夏樹くん、なにを……」
俺ははスマホを取り出し、四葉に例の写真を見せる。
「もうさ、知ってるんだ」
「…………そう」
四葉は驚きも激昂もせず。ただただ納得したように、小さく息を吐き出した。
「ちなみに、どこまでかしら」
「俺と四葉が昔一緒にキャンプに行って、そこで一度死んでるってとこまで」
「どこで知ったの?」
「ちょうどこの写真を見たときに、たまたま俺が死んだ場所にいた男の人に会ったんだ」
「轟さん……彼が……」
あの人のこと、覚えてるのか。まあ四葉だし、それは別におかしい話じゃない。
四葉は顔を天井に向けると、ふぅと嘆息する。それこそ気が抜けてしまったみたいに。それがなんだか意外だった。
「驚かないんだな」
「ええ」
「気付いてたのか?」
正直もっとごまかされるとか、慌てるとか、そんな感じになると思ってたのに。なにもないから逆に不安になってくる。
「写真を夏樹君が見たのは知ってたわ。写真立て、私いつも倒してるのに夏樹君が帰ったあとは立ったままだったもの。家主が寝てる間に家を物色するのは褒められたことじゃないわね」
「それは、その……そうだな、ごめん。でもなにも盗ってないから」
「下着とか漁ったりしてない?」
「し、してないって!」
「おかしいわね、タンスがぐちゃぐちゃだったし、数枚なくなってたのだけれど」
「は!?」
そんなバカな。してないよな、してないはずだよな。
必死にそのときのことを思い出すが、うん、してないはず。でも四葉はこう言ってるし、もしかして俺の欲求が溢れて無意識に……?
1人眉をしかめる俺に、四葉はクスクスと笑みをこぼす。
「ふふっ、冗談よ、別になくなってないわ」
「…………趣味悪いぞ」
「嘘だと分かっているのに口に出さず、私がごまかそうとするのを見ていたあなたに言われたくはないわね」
四葉は、まさにいつも通りの笑みを浮かべた。
それを見て、ほっと胸を撫で下ろす。ようやく俺の知ってる四葉を見ることができた気がしたんだ。最近は変な四葉ばっかだったから、余計に。
「そう……知ってしまったのね……」
四葉は天井を見たまま、改めて小さく呟いた。
「さっきのが嘘ってことは、呪いを解く方法を四葉は知ってるのか?」
「…………」
「本当は、呪いを解く方法に見当がついてるんじゃないのか?」
「…………自分のことは聞かないのね」
「俺のことは正直どうだっていいんだよ。今生きてるんだから」
嘘だ。本当は気になってしょうがない。でもそんなの四葉が生きていればいつでも聞けることだ。四葉はそんな俺の内心を探るような視線を向けたかと思えば――
「ならもし、呪いを解く方法にあなたが、夏樹君が関わってくるとしたら――どうかしら?」
そう告げる彼女の声は、すこしこわばっているように感じた。
正直、予想もしなかった言葉だった。四葉の呪いを解く方法に、俺が? じゃあ、例えばどんな。一瞬頭を巡らせても思い当たらない。結局俺はただ眼を見開くことしかできなかった。
そんな俺を見かねてか、四葉は言葉を続ける。
「正直もう、夏樹君に全てを話すのにためらいはないのよね」
「……それは、話してもいいことだからか?」
「話したくはない。あれは私にとって――そうね、黒歴史とでも言おうかしら。でもばれているのをわかってるのに誤魔化すほど見苦しいわけじゃないわ」
その割きりの良さもまた四葉という少女だった。そして俺は知っている。こういうとき四葉は嘘を言わない。
「な、ら――」
口が渇く。うまく言葉が出なかった。頭が熱を持って、視界がぼやけ始める。苦しいくらいに加速する鼓動。なんだ、これ。もしかして怖いのか。
今まであった好奇心や正義感を恐怖が上書きして。でもそれを超える義務感が俺の口を無理やり動かす。
「教えて、くれ。その、方法を」
知らないといけない。それに俺が関わっていたとしても、関わっていなかったとしても。
じっと四葉の返答を待つ。さすがにここで断られるなんてことはないだろう。つい今話すのにためらいはないなんて言ったばかりだし。
俺を捉えていた四葉の視線が天井を向いて、一呼吸。
「いいわよ、今度ね」
「……へ?」
つい、素っ頓狂な声を漏らした。
「こ、今度?」
「そう、今度」
「なんで……?」
いや、今完全に話す流れだったじゃないか。だから俺結構勇気振り絞って、怖いのと戦って頼んだのに……
まさかこのままうやむやになって離さないなんてことないよな?
「そんな顔しなくてもちゃんと話すわ」
彼女は子供あやすような声、表情でそう語りかけてくる。
「……別に今でもいいじゃないか」
「私も……そうね、心の準備をしたいのよ」
「四葉! 頼むから……!」
わかってる。四葉の言うことも正しいって。四葉が心の準備をしたいというならさせてあげるのが最善だ。それに四葉は目覚めたばかりだし、あまり無理させるのもよくない。
でも、それ以上に、それらが頭から抜けてしまうくらいに、すぐにでも聞きたかった。
ずっと知りたかったことだ。それにさっき四葉が口にしたこともこの気持ちに拍車をかけていた。
俺は立ち上がり、彼女のベッドに手をかけ子供のように懇願する。
「お願いだ……!」
しかし四葉は小さくため息を漏らすだけだった。
「それは私のセリフよ。お願い、今度にしてちょうだい。心の準備だけじゃない。私も、整理したいのよ」
「よつ――」
「――四葉ちゃん!!」
突然病室に飛び込んできた叫び声。入り口に視線を向けると、そこにいたのは息を荒くした彩乃だった。
「彩乃!?」
「桜木、さん……?」
俺も四葉も驚愕の声を漏らす。
正直かなり驚いた。まさか来るなんて。最近彩乃は四葉の話題すら口にしなかったからもしかしたら、と思っていたのだ。
学校からここまで走ってきたのだろう、全身汗だく、髪は大きく乱れている。彼女は四葉の姿を見るなり、その大きな瞳に精一杯の涙をためた。そして飛びつくように四葉の元へ。
さすがに病人に飛びつくなんてことはしなかったけど。
「よかったよお!! 四葉ちゃんが入院したって聞いた時私、私……!」
「さ、桜木さん落ち着いてちょうだい。私は大丈夫……ではないわね、入院してるのだから」
「大丈夫じゃないの!? ど、どこ!? どこが悪いの!?」
いやどう見ても足だろ。あと四葉も今くらいは大丈夫って言ってやれよ、彩乃はそのまま受け取っちゃうから。
わちゃわちゃと二人で騒いでいる――実際騒いでいるのは彩乃一人だけだけど――野を見ながら、俺は呑気にそんなことを考えていた。
なんとなく、冷水を頭からぶっかけられたみたいな気分だ。拍子抜けというかなんというか。
つい大きくため息を漏らし、彩乃が明けたままにしていた扉を閉めた。
また二人に視線を戻した時には、彩乃は泣き崩れていた。相当心配していたのだろう――話題には出さなくても。
……いや、佐々木さんも言ってたか、彩乃が四葉の心配してるって。ならひどいのは俺だ。
二人から離れて一人自己嫌悪。そこでふと、四葉と目が合う。
「ね?」
ベッドにすがって泣いている彩乃の頭を優しくなでながら、俺に笑いかけて小首をかしげる。
つまり、彩乃がいるから話せないでしょう? といいたいのだろう。
たしかに彩乃に呪いのことを知られるわけにはいかない。わかってる、わかってるけどどうにか彩乃を出て行かせるなりして話を聞きたい。どうすればと考えた時、安心した子供のように泣く彩乃を見て――再びため息を吐き出した。
さすがに今の彩乃をここから連れ出すなんて、俺にはできなかった。
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