29話 救急

「四葉!!」


 俺はインターホンも鳴らさずに四葉の家に飛び入った。

 部活か補習か、数人の学生とすれ違いながら全力で自転車を漕いできただけあって、全身は汗だくだ。


 それも気にせず廊下を進めば、俺を出迎えたのは静寂といくつかの血痕だけ。


 俺は真っ直ぐ階段を駆け上がり、以前訪れた四葉の部屋に飛び込んだ。


「四葉! 大丈夫か!」


 返事はなし。彼女の姿を探して見渡すと――いた。ベッドの上だ。

 腰あたりまで布団をかけて、うつ伏せでベッドの上で寝転んでいる。学校はパジャマのままだ。彼女の視線が俺を捉えると、呆れたような笑みを浮かべた。


「ほんと、うに、来たのね……夏樹、君……」

「様子がおかしすぎるんだよ。どうしたんだ、四葉」

「別に、なんでもないわ……」


 そう言って四葉は、枕に顔を押し付けるようにして汗を拭った。でもすぐにまた滲み出てくる。それと同時に、耐えるような歪な吐息を漏らした。


 四葉の話し方は電話で聞いた通りにつっかえつっかえ。そして異常な量の汗。さらに顔色も悪い。


「なんでもないわけないだろ……!」


 グッと拳を強く握る。


 俺だって馬鹿じゃない。そして四葉も俺がそれで納得するほど馬鹿じゃないと分かっている。それでも意地を通し続けるのは、やはりそれをどうしても隠したいからだ。


 一歩彼女に近づけば、四葉は怯えるようにピクリと肩を震わせる。それが余計にどうにかしたいという気持ちを強くした。


「夏樹、くん……やめ、て。本当に、なんでもない、の」

「四葉を助けたいんだ」

「ほんとう、に……?」

「っ!」


 途端に弱々しくなる四葉の表情。つい俺は喉を鳴らしてしまった。


 なんだ、この感じ。このすがるような視線。

 似合わない。四葉にはあまりにも似合わない。

 だからこそ、嫌な予感がする。


 すると四葉は自分の下半身に視線を向けた。その布団をめくれ、ということだろうか。

 そっと四葉に近づいて、その布団に手をかける。夏用だからかかなり薄い。その軽さが余計に嫌な予感に追い風を立ててくる。


「ゆっ、くり、ね……?」

「あ、ああ……」


 少しずつそれをめくりながら、ふと頭に浮かんだ。


 なんで四葉の様子はおかしいんだ?

 いや、それくらいわかってる。呪いのせいだ。それしか考えられない。

 なら、四葉は昨日どうやって死んだ?

 覚えてる。場所は公園で――


 ――倒れてきた木に押しつぶされて死んだんだ。


「なんだ、これ……!!!」


 そこにあったのは、ぐちゃぐちゃに変形した両足だった。


 四葉が自分でどうなっているか確認しようとしたのだろう、下のパジャマは脱がされ下着姿。

 そこにあるはずの白い肌は真っ青に変色し、パンパンに腫れ上がっている。ズレた関節、所々あるはずのない場所で隆起していた。


「これ、骨折してるのか……!?」


 正直俺が知ってるものと規模が違いすぎてしっくりこない。普段の四葉と違いすぎて、別物のように感じてしまう。


 だからつい、手を伸ばし、そこに触れてしまった。


「ぅ……ぁあっ!!」

「……っ!!」


 瞬間四葉の口から苦悶の声が漏れる。跳ねるように俺は勢いよく手を引いた。四葉は引きちぎれそうなくらいにシーツをぎゅっと握りしめ、整った顔は大きく歪む。


 やっぱりそうだ、四葉のリセットがうまくいってなかった。


 きっと何もしないでいてもかなりの激痛に違いない。ならあんなに辛そうにしていたのにも納得する。

 リセットされるのは朝だから数時間前か数十分前か。そこから今までこれを耐えていたなんて――と、四葉に顔を向けるが、彼女の黒真珠のような瞳には期待の色が映っていた。


 何を、求めているのだろうか、彼女は。

 俺は、どうするべきだろうか。


 正直こんなレベルの骨折は見たこともなければ聞いたこともない。骨折の応急処置といえば固定するのが思い浮かぶけど、さっきの反応を見る限りそれすら憚れる。


 なら救急車?


 いやそれしかない。素人の俺にできることは何もない。


 ポケットに入れたスマホに手を伸ばそうとした、その時。


「ねえ夏樹君」


 彼女は額に脂汗を滲ませながら、微かな笑みとともに吐き出した。


「――キス、しましょう?」

「なに、いってるんだ……?」


 訳がわからなかった。なぜ今この状況で。なぜそんな状況なのに。

 いや、本当はわかってる。俺だってキスそれが頭に浮かばなかったわけじゃない。


 漏れ出したその声は酷くかすれていた。喉の奥が張り付くような感覚。無意識に声が震える。


「できるわけ、ないだろ……!!」

「どう、し、て……?」


 同じく掠れる四葉の声と、それに続くベッドのきしむ音。彼女が体を動かしたのだ、ベッドから下半身を引きずるようにして。

 さっきは触れただけで苦悶の声を漏らしていたんだ、それがどれだけの苦痛を伴っているか想像もできない。なのにただ真顔で首をかしげるだけの四葉は、異様な雰囲気をかもしだしていた。


「どう、して……?」


 繰り返しながら動く彼女に、俺はつい後ずさる。それを追うように、彼女は両手をベッドから外へ、床へと届かせた。


「夏、樹君……どう、し、て……?」

「四葉……!」


 一歩後ろへ。四葉もそれを追い、ずるずると。体が乗り出して、下半身がベッドからばたんと落ちた。一瞬歪む彼女の表情にかすかな安心感を覚えたことを自覚して、ギリと奥歯を鳴らす。


 きっと今の四葉は普通じゃない。それが骨折のせいかどうかはわからないけど、とにかくこんなの異常だ。


「キス、して……? そう、すれ、ば……リセット、されるから……」

「どう見てもされてないだろ……!」

「き、ッと……ウッ……たまたま、よ……」


 辛そうに言葉を発する彼女を見てられなかった。かといってできることもない。彼女の言う通りキスを使用とも思えなかった。

 だった、呪いによって死んで、こうなってるんだ。四葉の言う通りたまたまだったとしても、もしまたこんな風になったら――そう思うと俺は身動きも取れなかった。


 ズルズルと体を引きずるようにして俺に近づく四葉。後ずさり背中に壁の感触がしたところで、俺は崩れ落ちるように尻もちをついた。


「ね、え、夏樹、くん……」

「ッ……!」


 なんだ、これ。なんだ、この感じ。いつかと似た気持ち悪い感覚が背筋を走っていく。


 遂に四葉が俺のもとにたどり着いた。近づく彼女の汗のにじんだ顔。相変わらず冷たい四葉の手が俺の頬をなでた。すると体が鉄のように固まるのを感じる。


 ああ、思い出した。これはあの時と同じだ、俺が四葉の呪いを初めて見た時と。


 怖いんだ、四葉が。


 無意識に呼吸を止める。荒い四葉の吐息。窓越しに遠くから響く車の音。閉められたカーテンの隙間から差し込む光を俺の視界から遮ったのは、俺の体に倒れ掛かってきた四葉だった。

 俺の体にかかる、人一人にしては軽い彼女の体重。ビクンと跳ねるたびに、俺の鼓動はうるさくなっていく。


 俺が間違ってるのか? 四葉はこんなにつらそうなのに、それをどうにかできる方法を知っていて仕様としない俺が間違ってるのか?


 こんなこと思っちゃダメなのに。まるでこれが人ではない何かのような気がして。俺は一ミリも体を動かせずに、ただただ耳元で漏れる四葉の熱く荒い吐息を受け止めていた。



 どれくらい、たっただろう。


 一〇秒のような気もするし、一〇分経っている気もする。俺の体にもたれかかったままだった四葉が、その時ようやく声を出した。


 何かをかみしめるように。その痛みに耐えるような、掠れた、細かく震えた声で。しかし力強く、声を出した。



「幸せに、してくれる、って……言ったで、しょう……?」

「…………」


 確かに、言った。


 そうだ、俺はそう約束したんだ。あの雨の降った、遠くで雷の鳴るあの日に。びしょ濡れになりながら、それでも構わず幸せそうな顔をして舞う、少女に。


 幸せにするって、そう誓ったんだ。


 その約束した相手が、こんなにもつらそうにしている。なら俺は、その約束に従うとしたら、キスをしてあげるべきなのかもしれない。

 でも――幸せになった結果がこれじゃないか。彼女の言う通り、彼女が言う幸せに従った結果がこれじゃないか。

 ずっとこんなことを続けていくつもりか? リセット不完全で大けがをして、それをまたリセットして、また不完全でケガをして。ずっと――こんなつらそうな四葉を見続けるつもりか?


 何度も何度も。何度も何度も何度も何度も――四葉を幸せにするころしていくつもりか?


 彼女は相変わらず荒く、乱れた吐息を漏らしていた。いや、むしろさっきよりもつらそうになった気がする。

 でも、さっき感じていた恐怖はなくなっていた。彼女と接した部分が熱を持つ。グッと拳を強く握る。


 違う。きっと違う、そうじゃないんだ、俺がするべきことは。


 俺はそっと彼女の背中に手をまわした。体に負担を与えないよう、触れるか触れないかといったくらいにそっと抱きしめる。しかし四葉はわかったらしい、少し大きく体が震えた。


「夏、樹……君……」


 絞り出された声は期待に満ち溢れていた。俺がキスをしてくれると、幸せにしてくれると思ったのだろう。


「……ごめん」


 しかし俺はキスをせず、スマホをポケットから取り出した。


「な、ん……で……」


 それだけで俺が何をしようとしていたのかわかったのだろう。先ほどとは一変、絶望を孕んだ声が俺の鼓膜を揺らす。そして体にかかる体重が、突然重くなった。


「四葉……」

「…………」


 彼女からの返答はなし。きっととっくに限界だったのだろう。痛みも相当だっただろうし、その状態でさっきみたいに体を引きずったのだから痛みで気絶してもおかしくない。


「はぁぁ……」


 大きく、大きくため息を漏らす。一気に体から力が抜けるのを感じた。


「よかったのかな、これで……」


 もしかしたら四葉に嫌われたかもしれない。もしかしたら四葉の方が正しかったかもしれない。少なくとも、今までは俺と四葉で意見が分かれているときはだいたい四葉の方が正しかった。

 最後の四葉の言葉を思い出すだけで憂鬱になる。あんなに絶望や失望を孕んだ声を四葉の声で聴いたことがない。


「……まあ、もうやるしかないか」


 俺が決めたんだ。俺が自分で決めたんだ。


 そうだ。正しいかどうかなんてわからない。でも俺は決めたじゃないか。


 きっと、四葉を幸せにするって。


 どうなるかなんてわからない。でも確かに俺がこれが正しいと思って選択したんだ。俺が四葉を幸せにするために選んだんだ。


 俺に倒れ掛かった彼女の体は熱い。四葉の存在を確かに感じながら、俺は救急番号にダイヤルした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る