30話 佐々木

 昼時の屋上は相も変わらず肌が焼けるような暑さだった。


 もちろん八月という真夏も真夏の時期なんだからそれも当たり前。屋上なのだから影なんてほとんどない。真昼だから影も短いし。タオルで汗を拭いながら、屋上出入口なけなしの影の中でパンをかじる。


 その時、唐突に隣の扉が開いた。


 ここに誰かが来るなんて珍しい。そもそも今が夏休みというのもあるけど、一学期中も俺と四葉がここで昼飯を食べていても誰かが来たことなんてなかったから。


 しかしそう思いはすれど、特に視線を向けることはなかった。興味もなかったし、そういう気分じゃない。

 だから、俺は屋上に入ってきたそいつ・・・から、逃げるための一歩を踏み出せなかった。


「こんなところで一人でお昼なのー?」


 聞き覚えのある声が耳に入り、やってしまったとため息を漏らした。

 佐々木 真希。彩乃の友人で、いつかに俺と彩乃が付き合っていると勘違いし噂を流した張本人である。

 別にそれ自体は本人から謝られているから気にしてはいないが、なんとなく俺は彼女が苦手だった。他人な気持ち悪いなんて、いわゆる厨二病的な感覚も相まって。


「隣座るねー」


 佐々木さんはそう言って、返事を待たずに俺の隣に腰を下ろした。フワリと鼻腔をくすぐる香水の香り。手には可愛らしい弁当箱と小さな水筒。まさかここで、しかも隣で昼飯を食べるつもりなのか。


 どういうつもりなのかわからない。佐々木さんに隠そうともせず大きく舌打ちをする。彼女はそれに怒った様子もなく、それどころが嬉しそうに垂れ目気味の瞳を細めた。


「イライラしてる?」

「俺と佐々木さん、一緒に飯食べるほど仲良くないと思うけど」

「それ言っちゃうんだ。友達いないでしょ」

「うるさい」

「でも正直なのはいいことなんじゃないかなー。イライラしてるっていうのも否定しなかったし」


 何かを返すこともなく、つい押し黙ったまま惣菜パンをかじった。そんな俺を見てなにが楽しいのか、佐々木さんはクスクス笑みを溢す。


「ま、しょうがないかもね」


 弁当箱を包む風呂敷をどこか上機嫌にほどきながら、彼女は口にした。


「なんか大変なことになったみたいだし――立川さん」


 噂好きな佐々木さんどころか、クラス、そして学年全体へと四葉の話は一気に広まった。


 つまり――四葉が重体で入院していると。


 四葉の家に飛び込んで、そこにいたのは下半身がぐちゃぐちゃになった四葉で。だから俺はリセットという手段を捨てて救急車を呼んで。

 そんなことがあったのは、つい一昨日のことだ。


 下半身がつぶれたような重体だから当然緊急手術。症状は予想通り下半身全体の複雑骨折。なぜこうなったのか、病院の人に追及されたが、彼女の家に言ったらこうなっていたとしか言わなかった。呪いについて話すわけにもいかないし、あながちそれも嘘じゃない。

 今は手術の時の麻酔もあって寝ている状態……らしい。俺もあの時から四葉に会っていないから、詳しいことはわからない。


 それ自体も落ち着かないが、一番いやだったのは、学校のやつらがまるでゴシップ記事について話すかのようにそのことを口にしていることだった。


 面白おかしく。『立川さん入院したらしいよ』『えー? なんでー?』なんて、全く心配なんてしていないくせに。挙句の果てにみんなして俺を見てくる。俺が四葉と付き合っていることは周知の事実だから、あたりまえなんだろうが。


 また一口パンをかじった。最後の一口をペットボトルの水とともに流し込む。


「心配しなくてもこの噂はすぐにおさまるんじゃないかなー」


 ごみを乱暴に袋に突っ込む俺に、佐々木さんはご飯を口にしながらそうこぼした。


「別にこの噂に進展があるわけじゃないし。変化がない、しかもそのうわさの中心人物がいない噂なんてつまらないでしょー?」

「……そういう問題じゃないだろ」


 また大きくため息。もちろん、噂が終息するのはいいことだけ。


 でもなんというか、それもそれで四葉のことがどうでもいいと想われているようで面白くはない。かといってみんなが面白がって話しているのも嫌だ。我ながら面倒くさいと思うけど。


 というか。


「佐々木さん、何しに来たんだよ」

「……ふぇ? ふぁになに?」


 ちょうど唐揚げをほおばって頬を緩ませていた彼女は、キョトンと目を丸くした。いやなにじゃないよそれは俺のセリフだ。

 ゴクンと大きく喉を動かし、また怪し気にニヤリと笑って見せた。


「君とご飯を食べたくてさー」

「…………」

「無視ー?」


 いや、無視というか、なんと反応すればいいかわからなくて。口に出さなくてもなんとなくわかっているのだろうか、とくに気にした様子もなかった。


 別に嫌いなわけじゃない。単に苦手なだけだ。なんとなく胡散臭いのだ。波長が合わないというか、きっとこれは相性の問題なのだろう。


「いやさ、ほんとは、ちょっとミズル君に言いたいことがあって」

「言いたいこと?」

「彩乃も、立川さんのこと心配してたよ」

「…………」


 箸をいったん弁当箱の上に置いて、やけにかしこまった言い方をするものだから俺もつい聞き入ってしまう。それがどんな意味を孕んでいるかじっくりと思考し――そして、ああと納得した。


「ほら、最近彩乃って水流君と立川さんに遠慮してるでしょー。喧嘩でもしてるの?」

「いや、別に喧嘩とかはしてないはずだ」

「ほんとにー? 知らないうちに、とか。なんか心当たりとかないのー?」

「……ないな」

「本当に?」

「しつこいぞ、佐々木さん」


 少し語気を強めてそう言えば、「ごめんごめん」と彼女はおどけた。全く反省した様子もない。むしろこりゃダメだとばかりに肩をすくめた。いやだからそれは俺のセリフだって。


 正直それどころじゃないけど、最近四葉の話をしたがらない彩乃のこともよくわからなくなっていた。それは今回も同じだ。俺から四葉のことを話す気にもなれないし、彩乃も触れてこない。いつもなら恐る恐る、遠慮に心配がわずかに勝って声をかけてくるのに。


 でもわからないのは、それを佐々木さんが伝えてきたことだった。


 ちらと彼女を盗み見る。佐々木さんは相も変わらず弁当箱を箸でつついていた。女子の弁当にしては唐揚げとかコロッケとか茶色が多い。


「……何が目的なんだ」


 つい口にすると、佐々木さんは目を丸くした。


「目的って、そんな悪の組織みたいなものはないよー。……いやさ、ほら、わたし勘違いで、変な噂流しちゃったでしょ? だから、さ」


 彼女は遠くを見た。雲一つもない快晴は、夏の日差しを直接届け、彼女の金髪のポニーテールがキラキラ光る。


「ちょっと思うところがあっただけだよ、君たち三人に対してさ」


 そう言って、佐々木さんはどこか照れ臭そうに笑みをこぼした。そんな彼女に、俺はついきょとんとしてしまう。すると不服そうな視線が突き刺さる。


「なにー? その顔ー」

「いや、少し意外で」

「失礼だなー、わたしだって気にするよ? 善良で柔順な一般市民だよ? 願いが全人類の幸福ってくらいに心優しい女の子なんだから」

「それがもう胡散臭いから」


 並べるフワフワとした言葉も、浮かべたにやけ面すらも。もうわざとなんじゃないだろうか、どことなくそう思われるのを楽しんでいるようにも見える。

 ただ、今の胡散臭い単語の羅列にも一つ、引っかかるものがあって。


「幸福、幸福なー」


 あーと口を間抜けに開けて、俺は体を大きく逸らした。グーっと伸びる感覚が心地いい。


 幸福、つまり幸せ。つい先日俺が四葉に与えると改めて決心したものである。

 簡単に心に決めたが、いざ考えてみてもよくわからなかった。自分が何を幸せと思うかもはっきりしていない上に、四葉にとっての幸せは俺のそれよりも複雑だ。


 つまり四葉にとって、幸福は不幸であり、不幸は幸福であるから。


「幸せって、なんなんだろうなー」


 大きく空を仰ぐ。雲一つない晴天が恨めしい。

 独り言というか、つい零れてしまったその一言に、律義に反応したのは佐々木さんだった。


「哲学だねー。厨二病かな?」

「幸せについて考える機会があって」

「へー、なるほどなるほど。いやーお熱いねー。聞いてるだけで汗かきそうだよ」

「いや熱いってなんだよ。じゃあ、幸せってなんだろうって思って。全く期待してないけど佐々木さんはどういうとき幸せ?」

「それは、君の思考に必要なのかなー?」

「いや、ただの興味本位」

「君、急に遠慮なくなったね」

「なんかどうでもよくなってきたんだよ」


 別に佐々木さんもなにかを企んでるようでもなさそうだし、むしろ好意的だ。なら別にいちいちこの胡散臭い感じに反応する必要もないだろう。


 彼女は一口ご飯を口にして飲み込み、そうだなーと唸る。


「そっか、興味本位か。なら応えてあげようかな」


 すると彼女は、自身の弁当箱を俺に突き出してきた。顔にはこれでもかというくらいのどや顔を浮かべて。


「……あー、なに、どういうことだ?」

「えー? わかるでしょー?」

「これを食べてみろってことか?」

「は? 殺すよ?」

「怖えよ」


 瞳のハイライトが消えて、なんだか佐々木さんの背後に修羅が見えた気がした。真夏だというのに寒気がしてブルリと体を震わせる。


「これさ、お兄ちゃんが作ってくれてるんだ、毎朝毎朝。わたしがねだったからなんだけど」


 佐々木さんは恐怖も感じそうな表情から一転、愛おしそうにその弁当箱を見つめていた。


「だからわたしの幸せは、お兄ちゃん!」


 そう、彼女ははっきりと言い切った。


「…………」

「…………」

「……あー、それって……」

「あ、今ブラコンって思ったでしょー」

「いや、そんなことは」

「まー別にいいけどねー。仲悪いよりはいいでしょ?」


 そりゃそうだ。一人っ子の俺にその感覚はよくわからないけど。


 それに、と佐々木さんは続けた。


「こんなふうにさ、幸せなんて人それぞれでしょ。わたしの幸せを理解できないように、わたしは水流君の幸せをきっと理解できないし、水流君もその人の幸せを理解できないよ。ならさ、考えてみるといいよ。水流君は今――幸せ?」


 いつかに四葉から投げかけられた問いと同じだった。あの時はたしか、いろいろ考えてしまって答えを出す前に四葉が話を進めた。


 なら、今は。


 俺の思考を遮ったのは、昼休みの終了を告げるチャイムだった。


「もどらないとねー」


 気が付けば片付けまで終わらせていた佐々木さんはそう言うと同時に立ち上がった。

 ふわりと揺れる金色のポニーテール。香水がまた香る。


「水流君の考える幸せがその人の考える幸せと同じとは限らないけどさ。少なくとも、そこまで想ってもらえる立川さんは幸せなんじゃないかなー」

「そういうものか……?」

「そーそー。だから水流君は、存分に立川さんを想って悩めばいいと思うよー」


 そう言って、彼女はまたいつものにやけ面を浮かべた。

 根本的な解決には全くなっていないし、求めていた答えじゃない。でも、なんだか少し楽になった気がした。


「……っていうか、俺別に四葉なんて一言も言ってないんだけど」

「あははー、水流君、わかりやすいってよく言われない? たいして仲もよくないわたしに見破られるくらいだしさ」


 帰り際、振り返って浮かべたその笑みは、やはりいつも通りに胡散臭かった。




 四葉が目を覚ました。そんな知らせが飛び込んできたのはそれから三日後のことだった。

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