27話 変化

 四葉のお見舞いから、気がつけば一ヶ月が経過していた。


 もうとっくに夏休み。しかし俺たちは高校三年生、つまり受験生だ。学校で補習が組まれ、なんだかんだほぼ毎日学校に顔を出している。『任意』という名の『強制』だっだ。

 そしてそれは今日も同じ。暑い中学校まで来て、今日の準備を机で進める。


「おはよぉ……」


 地面に引きずるような気の抜けた声で挨拶をしてきたのは彩乃だった。なんというか、顔に気力がない。


「おはよう。すごい顔してるぞ」

「そりゃするよ!! 夏休みだよ!? 高校生のパラダイスだよ!? なんで勉強ばっかなの!!」

「お前も進学するんだろ? なら頑張らないと」


 そう返すと彩乃は「そうだけどさー……」と唇を尖らせた。


「まあほら、夏休みが鬼門みたいなことよくいうだろ」

「夏樹って結構真面目だよね……。でもいいよねー、夏樹は」

「は?」


 責めるようなジト目を向けられ、ついプリントを出す手が止まる。


「最近、なんか楽しそうじゃん」

「そうか?」

「すっとぼけちゃってさー! 昨日だって四葉ちゃんとデートだったんでしょ?」

「まあ、な……」


 受け入れると決め、四葉の体に異変が起きたあの日から一ヶ月。それまでにいろいろなことが変わった。


 まず、四葉が前以上にくっついてくるようになった。といっても人前では流石にしないが。それでも二人になると、遊園地後以上に接触が増えた。まるで懐いたネコみたいだ。


 それに似ているが、二人で出かけ――デートの頻度も格段に増えた。まあ以前がしてなさすぎただけかもしれないけれど。


 いや嬉しい。嬉しいんだ、確かに。好きな人と一緒にいられるのは。ただ俺の場合それに浸れる訳でもなかった。

 それは、三つ目の変わったことのせいだ。



 四葉は、デートの最後に必ず死ぬようになった。



「…………」

「んー? なんかうかないねー、顔が」

「そうか? そんなことないと思うけど」

「びみょーにね。どしたの? 楽しくなかったの?」

「いや、そんなことは――」

「あら、楽しくなかったのかしら」

「っ!」


 突然背後からかけられた言葉にビクンと肩を跳ねさせる。そこにいたのは珍しく遅めに登校したらしい四葉だった。


「ああ、おはよう、四葉」

「おはよう、夏樹君。で、つまらなかったのかしら。悲しいわね」

「いや四葉わかっていってるだろ……」


 すると四葉は「そうね、ごめんなさい」と呆気なく口にした。そして俺の隣の席に腰を下ろすと、体を震わせたのは彩乃だ。


「わ、私もういくね……! いや、その、課題やってないから」

「課題はやれよ……」

「う、うるさいなあ! じゃあね!」


 自分の席へ、逃げるように去っていく彩乃の背中に向かって、俺はついため息をついた。彩乃のポンコツ具合じゃない。それは前からだし。彩乃のよそよそしさのことだ。


 これもまたあの日から変わったこと。彩乃が四葉を避け始めた。


 彩乃の性格のせいだろう、別に露骨な避け方ではなかった。で四葉がくると、何かしら理由をつけてどこかへいこうとするのだ。いかんせん嘘が下手だから露骨に見えてしまうけど。


「なあ四葉……」

「何かしら?」

「……いや、なんでもない」

「そう。夏樹君は桜木さんがいってた課題はやったの? 結構難しかったけど」

「いややってない」

「あなた人のこと言えないじゃない……」

「普通にわからなかったんだよ」


 意外だったのは、そのことを四葉が全く気にした様子ではなかったことだ。


 四葉にとって彩乃は、おそらく数少ない友人の一人だ。俺と同じく世話にもなっている。でも四葉は、彩乃が避け始めてもどうにかしようともしなければ、悲しそうな顔もしない。


 でもなんとなくわかる。おそらく四葉にとってそれは、無関心ではなく諦めだ。


 いつの間にか準備が終わっていた四葉を見てそう思う。

 一限目のプリントや教科書、筆箱が机の上にきれいに並べられている。彼女は何をする訳でもなく、こちらを見ていた。


「今日は本、持ってきてないんだな」

「え?」

「いや、前だったらこういう時本読んでただろ?」

「なるほど。そうね、今日は何も持ってきてないわ」


 これも変化の一つ。四葉が本を読まなくなった。


 前までなら少しの時間があれば本を読んでいたのに。それこそ俺と話してる間でさえ。

 態度という面では確かによくなったのだろう。でもなんというか……寂しかった。彼女の本の話を聞くのが好きだったから。


「今は夏樹君と話していたいのよ。それに……本を読む意味もあまり無くなったし」

「読む意味?」

「なんでもないわ。気にしないで」

「まあ四葉がいうなら……ん?」


 そこでふと気がついた。


「四葉がそれつけてるの初めて見たな」

「それ?」

「腕の、その黒いのなんて言うんだ? 日焼け止めのやつだよ」

「ああ……アームカバーのことね」


 それそう言う名前なのか、初めて知った。


 もう真夏だから制服はもちろん夏服。私服も半袖に近い。でも四葉がそれをつけているのを俺は見たことがなかった。


「これは、隠したくて」

「隠す? 何をだ?」

「……これよ」

「ッッ!?」


 彼女は隠すように机の下に腕を持って行ってから、アームカバーをまくった。

 そこにあったのは、痛々しいあざだ。


 あざと言っていいのだろうか。腕の大部分を覆うような青あざを、少なくとも俺は見たことがなかった。


 これが最も大きな変化。



 完全なリセットがされないようになった。



 常に、ではない。頻度的には大体三回に一回くらいだ。救いなのは残るのが『怪我』ではなく『跡』であることか。


 


 四葉はやはりそこまで気にした様子もなく、アームカバーを元に戻す。


「四葉、やっぱりさ、そんな何度も……」


 死ぬのはやめよう。

 ここは朝のざわつきがあるとしても教室だ。そこは口に出さなかったが、四葉にはしっかり伝わったらしい。彼女は呆れたように息を吐き出した。


「何度も言ったでしょう? 私は気にしてないって」

「俺が気にするんだよ。跡が残るんだぞ?」

「別に消えるからいいでしょう? それに、痛みもないし」

「でも――」

「夏樹君」


 彼女の視線はまっすぐ俺を捉えていた。教室のざわつきが遠くに聞こえる。


「幸せに、してくれるんでしょう?」


 グッと胸を掴まれたような感覚だった。それを言われると、俺は何も言えなくなってしまう。


 確かに、幸せと感じた結果がそれだ。そしてそうならないと幸せとは感じられない。四葉もその傷痕を何とも思っていないし。


 なら、やっぱり放っておくべきなのだろうか。でもそれだとなんだか……。



 キーンコーンカーンコーン。



 その時乾いたチャイムが鳴った。ほぼ同時に教室に入ってくる先生。教室のざわめきが数秒で消えていく。


「チャイム、なったわね」

「……ああ」

「今日は確か午前で終わりだったわね。お昼、一緒にどこかに食べにいかない?」

「……ん、わかった。ああでも、今日は午後から用事があるからそれまでな」


 その先で四葉がどうなるかわかっていながら、俺はやはり頷いた。




 と、いうのが表の話。


 俺は嘘はよくないが、隠し事は別に悪くないと思っている。四葉の呪いだってそうだ。それを知ることで、相手が混乱したり困ったりすることがあるから。


 だから俺は、四葉に隠し事をしていた。


 これは、三日前。

 俺はこっそり彩乃を呼び出していた。というより、俺が待っていた、という方が正しいか。その日は特に成績の悪いやつが追加で補習のある日で、彩乃はそれに参加していた。


 もう外は暗い。教室にいたやつらも皆帰宅した。

 ヘトヘトになりながら帰ろうとしている彩乃を、俺は引き止めたのだ。


「なにさ……もう疲れたんだから帰らせてよー」

「いやすぐ終わるから、頼む」


 彩乃の表情は一日中歩き回ったあとみたいな疲れ様だった。しかしブーブー唇を尖らせながらも、彩乃は足を止めてくれた。


「ほんとに早く終わるの?」

「ああ、ほんとだ。これ、誰かわかるか?」


 そう言ってスマホと画面を彩乃に見せる。そこに写っているのは、先日四葉の家で見た写真だ。

 幼い俺と、夢で見た少女のツーショット。流石に待って帰るわけにもいかず、四葉の家に訪れたあの日、写真だけ撮って俺は帰った。

 その写真を見た彩乃は、先ほどまでの疲れを吹き飛ばしたかのように瞳を輝かせた。


「懐かしー!! これどこにあったの!?」


 ビンゴ。

 もしかしてという仮説がどんどん確信を帯びていく。

 彩乃は俺からスマホを奪い取ると、「へー! へー!」と楽しそうにそれを眺める。


「久しぶりにアルバム見てたら見つけたんだよ。で、どうなんだ? 誰かわかるか?」

「ほら、あの子だよ! 前話した子!」

「前話した子?」


 興奮しきった彩乃は「もー!」と煩わしそうに口にする。いやしょうがないだろ、わからないものはわからないし、だから彩乃に聞いたんだ。


「だから、右幸うさち 四葉ちゃん!」

「右幸……四葉……」


 小さく口に呟きながら記憶を探る。

 そして思い出した、前遊園地に三人で行った時、行きの電車で彩乃が口にしていた名前だ。


「小学生の時俺がよく一緒に遊んでた子だったか」

「うん、その子。かわいいなー、そうそう、こんな感じの子だった! まだ思い出せないの?」

「ああ……」


 改めて言われても、そうであるという写真を見ても、まだ思い出せなかった。

 正直こんなところに行った記憶も写真を撮った記憶もないのだ。


 俺はこの写真を母さんにも見せた。帰ってきたのは今彩乃が言ったのと同じような内容、そして右幸四葉という名前だった。だが渋い顔をしてそれ以上を話そうとはしなかったけど。


「でもアルバム見たんでしょ? いっぱいなかった? 四葉ちゃん……ややこしいね、右幸ちゃんの写真」

「……あった」


 そう、母さんに聞いて気になり、俺は実際にアルバムを引っ張り出した。アルバムを見たのなんて何年ぶりだろうか。


 そして実際にあったのだ。この子の写真が、何枚も。


 でも覚えていない、思い出せない、この子のことが。これは明らかに異常だ。この子が今どうしているか、母さんも知らなかった。

 だから俺は、その仮説を確かにするために、彩乃にもう一つ聞きたかったことを尋ねる。


「これ、どこかわかるか?」

「あー……うん。まあ、ね……」


 頷きはしたが、彩乃は困った顔をしていた。

 正直、彩乃がなぜそんな顔をするのか俺もわかっていた。

 山と川、そしてキャンプ用品。俺の容姿から察する大体の年月。たとえ記憶がなくても・・・・・・・何となく察することはできる。


「――これ、たぶん夏樹が『神隠し事件」似合ったキャンプ場だよ」


 予想が当たって欲しかったのか欲しくなかったのか。俺の口からこぼれたのは歓喜の言葉ではなく、ただの湿った溜息だった。



 そして、今。


 俺はとある喫茶店の前に来ていた。時刻は午後五時より少しすぎたあたり。四葉に話していた午後の用事はまさにこのことだった。

 ここで待ち合わせをしているのだ。


「ふぅ……よし」


 喫茶店にほとんど行かないのもだし、待ち合わせ相手のこともあってわりと緊張していた。

 少し重く感じる扉を開ければチリンと鈴の音。声をかけようと来てきた店員さんに「待ち合わせです」と伝え、辺りを見回した。


 若い人がたくさんくるようなおしゃれな喫茶店、というよりは、古風な喫茶店だった。おじいさんがマスターをやってそうな感じ。

 人入りは多くはない。が、ガラガラでもない。店の奥に待ち合わせ相手を見つけ、そちらに行く。


「よう、遅かったじゃねえか」


 相変わらず苛立ちを隠そうともせず、彼はそう言った。ワックスで固めた短い黒髪。ガタイのいい体で腕組みをしてふんぞり帰っている。

 だが悪いのは遅れた俺だ。素直に頭を下げる。


「すみません――轟さん」


 すると神隠し事件の目撃者であろう、轟 大吾さんは、フンと鼻を鳴らした。

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