26話 写真
――完全なリセットはされなくなった。
そう告げた四葉は、着崩れたパジャマを正しながら、ベッドの隣に座るこちらをみていた。それこそ、俺の反応を観察しているかのように。
外はもう暗い。母さんにも何も言ってないし、そろそろ帰らないとうるさいかもしれない。
でもそれどころじゃなかった。
「なんで……!」
きっと四葉自身もわかっていない。そう理解しててもそう漏らさずにはいられなかった。
もちろんなんでそうなったのか、という意味もある。でもそれ以上に、なんで今なんだという気持ちの方が強かった。
なんで。なんで四葉の呪いを受け入れようとしている今、そんなことになるんだ。
「……夏樹君、最近変わったことあったかしら」
「変わったこと……?」
四葉は小さく頷いた。
どれくらい酷いかは知らないが、四葉は今熱だ。顔もほんのり赤ければ、息遣いも普段より荒い。
それでもこの話を止められそうにない。
「なんで俺の?」
「いいから、教えてちょうだい」
「えーと……、いや、特にないな、変わったことは」
正直最近は変わったことしかないけど。そう言いそうになったがきっとそう言うことを聞いているんじゃない。こっそり飲み込んだ。
しかし四葉は、鋭い視線を俺に向けた。
「夏樹君、私が言っているのは、おかしな出来事ではないわ。変わったこと、つまりあなたの中で何か変化したことがあったか聞いてるの」
「いや変化って、それこそ関係ないと思うけど」
「いいから」
彼女の言葉はやけに強かった。
なんで四葉はそんなことを聞くんだ? 俺の中で何かが変わったからって、呪いに影響なんてないだろうに。
でもそこまで言うならと、記憶を探ってみる。
「……いや、やっぱり特にないな。昨日四葉に謝ったときに言った考え方くらいか」
「……本当?」
「そう、だと思う……たぶん」
正直自信なんてあまりない。知らないうちに変わってる部分もあるだろうし。
俺の返答を聞いた四葉は「なるほど」と口に手をやって何かを考え始める。その表情は真剣そのもの。
なんだろう、もしかしたら本当に関係があるのだろうか。受け入れてもらえたのが初めてと言っていたし、もしかしたらその辺り? 周りの環境や考え方で変化するのか?
もしそうなら、助けになりたい。だから俺は四葉に尋ねた。
「なあ、今のが何か関係あるのか? あるならもうちょっと頑張って考えてみるけど」
「特にないわね」
「おい」
無関係と悪びれもなく言った彼女はあっけらかんとしていた。
じゃあ今のやりとりはなんだったんだ。今の真剣な視線はなんだったんだ。そう言いたくもあったけど、正直四葉の考えを読めたことなんてない。でも彼女のことだ、何か意味があるんだろう。
そう思うことにしても、脱力感でため息が漏れた。
「正直、よくわからないのが現状ね。私にとっても初めてのことだし」
「そうなのか?」
「ええ、いつでもリセット後の体は綺麗なものだったから。それに、もしかしたら今回だけかもしれないし」
「まあ、それは確かにそうだけど」
その呪いをかけてるのが誰で、誰がその仕組みを動かしてるのかは知らないけど。もし神様だとしても、神様だって手違いだってする。
そういうニュアンスだろうか。少し楽観的すぎる気もするが。
どうにも納得がいかない俺をみて、四葉は困ったように息を吐いた。そして、やはり唐突に、やはり読めないことを突然言いだすのだ。
「ねえ夏樹君。キスをしましょう」
「…………は!?」
なぜ今なぜこのタイミング。読めないことが多い四葉だけど今日は特段訳がわからなかった。
いや全く流れなかったよな? どちらかというとかなり真面目な話してたよな?
驚愕に口を大きく開ける俺を、四葉は真面目な顔をして見ていた。そしてコテンと首を傾げれば、結ばれていない黒髪がさらりと流れる。
「嫌、だったかしら」
「嫌ではないけど!」
「ならいいわね」
「ちょっ! 四葉待って!」
ベッドから体を乗り出し、こちらに顔を近づけてくる四葉の肩を掴む。
パジャマ越しにも感じる彼女の体温。冷え性なのにこんなに熱いのは熱のせいか。力もどことなく弱かった。
「四葉、熱だから多分思考がおかしくなってるんだ。寝たほうがいいって!」
「何言ってるのかしら、熱だからこそじゃない」
「四葉こそ何言ってるんだ!」
グググ……と。寄ってくる四葉、それを押しとどめる俺。
なんだこの状況。四葉とこんなやりとりしたの初めてだ。
しかも四葉がいつも通り真顔、そのくせ熱のせいか顔だけは赤いから余計におかしかった。
「呪いで死ねば熱も治る、雷紋も消える。しかも幸せと思える。一石二鳥でしょう? 死ぬけれど」
「代償がデカすぎだろ! いや、じゃなくて、リセットできないってわかったばかりじゃないか!」
「それを確かめるのも理由の一つじゃない。一石三鳥ね。死ぬけれど」
「いちいち強調しないでくれると助かるなあ!」
まだ四葉が死ぬのに慣れてないんだから、気にしてしまうじゃないか。
「夏樹君のくせに強情ね」
「ほら、心の準備とかいろいろあるんだって!」
「何言ってるのよ、初めてじゃあるまいし」
「初めてがあれなら似たようなものだろ!」
「はぁ……しょうがないわね……」
「うぉっ!?」
そのとき突然、四葉は押すのをやめた。
すると今の今まで四葉に対抗して押していた俺は、前に倒れかかる。そこに待ち構える、どこか呆れ顔をした四葉。
彼女も同じく後ろに倒れ込み、四葉に迫る俺の首に彼女は手を回した。
そして、抵抗する間も無く。
「ん……」
「っ……!」
二度目のキスは、燃えるように熱いものだった。
視界いっぱいに広がった彼女の白い肌は朱色に染まり。閉じられた瞳にそう長い黒まつ毛。熱のせいだろうか、触れ合う唇から伝わる体温はやはり高い。うっすらと汗も滲み、少し粗めの吐息が口の間から漏れ出した。
「ぷはっ……」
彼女が口を話したのは、二〇秒ほど経った頃だった。いや、もしかしたら実際はもっと短いかもしれない。
四葉は俺の首に回していた手をほどき、にこりと俺に笑いかける。
「――ッッ!!」
言葉が出ない。が、頭に一瞬で血が上ったのがわかった。
俺が四葉をベッドに押し倒しているような体勢。ベッドに彼女の長髪が扇型に広がり、乱れたパジャマもあって、どうにも言えない衝動が湧き上がってくる。
「ね? 悪いものじゃないでしょう?」
四葉は少し息を乱しながらそう言った。
「……別に最初から嫌とは言ってない」
「ふふふっ。素直じゃないわね、もう少し男らしくなってもいい気もするけれど」
「はぁ……努力はするけど期待はするなよ」
正直、そうなったとしても四葉に勝てる未来が見えないけど。
うるさいくらいに主張する鼓動を誤魔化すようにため息を吐いて、彼女から離れる。四葉も同じく体を起こした。
「ゲホッ! ゴホッ!」
彼女が咳き込み始めたのは突然のことだった。
さっきまでのものとは違う、痰が絡んだような咳。しかもなかなか止まらない。口に手をやって、苦しそうに咳をする四葉の背中を撫でてやった。
「大丈夫か……?」
「ええ……幸運ね、今回は」
「え?」
諦めの色が滲んだ笑みを浮かべながら口から話した手には、血がベットリと付いていた。手に収まらなかった分の吐血が掛け布団に飛び散る。
吐血。それが意味することがわからないほど馬鹿じゃない。もう呪いは始まっていた。
「ゴホッ! はぁ……この布団、ついこの間新しくしたばかりなんだけど……」
「この間?」
「ああ、夏樹君は気にしなくていいの。それより、横にしてもらってもいい?」
ああ、と口にして、彼女の背中に手を回す。そしてゆっくりと体を倒し、掛け布団をかけてやった。
その間も四葉は咳き込んでいた。白の布団に赤のシミが増えていく。
横になった四葉は、これから死ぬとわかっていながら、落ち着いた顔をしていた。
「ねえ、夏樹君。死ぬまで手を握ってくれないかしら」
「ああ……」
彼女のではやはりいつもより熱い。それに、俺の手を握る力も弱かった。だから俺は少し強めに握る。すると四葉はさらに頬を緩ませ、そっと目を閉じる。
「ありがとう……夏樹君」
そして彼女は――動かなくなった。
◆
「はぁ……なんか、あれだな……」
目を離して四葉の死体を消し、彼女の部屋から出て一つため息を漏らす。
なんだろうか、このやりきれない気持ちは。苦しいわけじゃない。前よりは楽になった。でもなんだか、ポッカリと胸に穴が空いたような感覚がする。
「付き合ってくしかないのかもなぁ……」
もしかしたらこの感覚こそ、俺がまともでいる証なのかもしれない。恋人が死んで何も感じなくなったら、それこそ終わりな気がする。
それを四葉がどう思うかは別として。彼女の死を、当たり前の日常にしてはいけないとどこかで感じていた。
「帰るか……」
もう用事は済んだ。プリントも渡して、四葉の様子も見れた。いつの間に打っていたのか、スマホには四葉から鍵の場所と、鍵をかけたら出たところの傘立ての中に入れておいて欲しいとメッセージも来ていた。
だからもう帰るべき、なんだろうけど。
「…………」
つい家の中を見回す。血痕がところどころにあって普通の家ではない……けれど、確かに四葉が住み、普段を過ごしている空間。
「……いやいや、だめだろ」
好奇心というかなんというか。胸の内からいけない衝動が湧き上がってくるのを感じた。
だめだ、だめ。流石にだめ。彼氏だとしても、それはプライバシーの侵害だ。
だがそこでガサリと音を立てる、手に持ったコンビニの袋。
「……冷蔵庫に入れとかないと、だめだよな、多分」
ヨーグルトとか冷えてこそ美味しいし。アイスとか溶けちゃうし。
自分にぶつぶつ言い訳をしながら階段を降りる。そして玄関からまっすぐ伸びる廊下の、玄関とは反対方向に進んだ。
突き当たりの扉。その先がリビングだ。
「……お邪魔します」
後ろ髪を惹かれながらもこっそり、なんとなく足音を殺しながら入った。
そのリビングは、一般的な家庭とそこまで変わらない、ごく普通のリビングだった。
テレビがあって、その正面に三人横に並んで座れるくらいのソファ。他にも少し大きめの机があって、それを囲むように椅子があって。
特に埃をかぶっている様子もない。普段から使ってるってことか。
やはり普通。血痕があることを除いたら、だけど。
「ここで四葉は……」
広かった。この部屋は一人で住むにしては、あまりにも。
このソファに一人だけで座ってテレビを見て。四人分の椅子がある食卓で一人ご飯を食べて。
そんな四葉を想像すると、なんだか苦しくなる。
キョロキョロとあたりを見回すが、流石にあちこち見て回る気にもならなかった。なんなら罪悪感がどんどん膨れ上がっていく。
さっさと用事を済ませよう。
キッチンにはシームレスにつながっていた。その隅にある大きい冷蔵庫は、やはりその大きさにしては中身はガラガラ。適当に買ってきたものを放り込む。
「よし、今度こそ――ん?」
ふと目に入ったのは、例の食卓の机、中央にある写真立てだった。
といっても倒されていて何が写っているのかそのままではわからない。でもなんとなくそれが気になってしまった。
先程とは比にならないほどの罪悪感と後ろめたさ。でもその写真立てに伸びる手を止めることはできない。
ひっくり返し、写真を見る。そこに写っていたのは。
「この子は……!!!」
夢で見た、あの少女。
黒髪ショートカットに、あの夢と同じTシャツショートパンツと女の子にしては活発的な服装で。カメラに向かってニカッと溢れ出るような笑みも、突き出したピースサイン も、やはり少女らしくない。
場所は……山、だろうか。どこかのキャンプ場に見える。見切れてはいるが、グリルが縁に見える。
だけどそこじゃない。一番大事なのはそこじゃない。
そこに写っているのは、その少女一人じゃなかった。もう一人いる。おそらくその少女と同じくらいの男の子。おそらくその少女と仲がいいであろう男の子。
それは。
「…………俺?」
楽しそうに笑いながらピースを突き出した昔の俺が、そこにいた。
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