25話 呪いの変化
「この辺りか?」
片手にメモ、片手にスマホの地図アプリを開きながら、一人呟いた。押している自転車のカゴには、スポーツドリンクとかプリンとか。住宅街を見回すが、見えるのは代わり映えしない家々だけ。その問いに明確な答えは返してくれなかった。
元々地図を見るのは、機会が少ないのもあって得意じゃない。
もうすぐ日も暮れそうだ。帰宅時間というのもあって、俺と同じく制服に身を包む人たちもちらほらと見える。彼らは挙動不審にキョロキョロしている俺に、決まって一瞬視線を向けて通り過ぎて行った。
慣れない場所というだけでもいい気分じゃないのに、それに加え鼓動も早ければ足の動きも早い。なんとなくため息を吐いた。
俺が探しているのは、四葉の家だ。
元々住所は知っていたが、四葉の要望もあって訪れたことはなかった。だからだろうか、無駄に胸がうるさい。
「付き合って数年の彼氏の心情じゃないだろ……」
思わず口にすればちょうどすれ違うところだった女子の怪訝な視線がこちらに向いた。誤魔化すように小さく咳払い。
四葉にいろいろ宣言した昨日の今日で、なんでこうなったんだっけな。自重気味に記憶を辿れば、それはほんの数十分前という、意外と近いところで見つかった。
『立川に渡さないといけないプリントがあるんだが、家近いやついるか?』
担任の先生が唐突にそう言ったのは、帰りのホームルームのことだった。誰かが休んだ時にはよく聞くフレーズ。そして今日休んだのは立川四葉一人だけだった。そして理由は体調不良。
だがその対象が四葉ということもあって、誰も手をあげることはなかった。
そのかわり、クラス中の視線が俺に向く。
それ自体は不思議じゃなかった。彩乃と俺が付き合ってるという誤解が解けてから、つまり俺と四葉が付き合っていると知られてからまだ1日しか経っていない。
でも四葉が休んでいたのに少しショックを受けていたのもあって、ついため息を漏らしつつ頷いてしまった。
「にしても、意外と家近かったんだな」
俺が今いるのは、自分の家から自転車に乗ってせいぜい一〇数分しかかからない場所だった。こっち方面はほとんど用がないから来たことはないが、中学の通学区域、下手したら小学校の通学区域に入るかもしれない。
確か高校になって一人暮らしする時に引っ越してきたんだっけ。でもこの辺りにマンションとかアパートあったかな。
そんなことを考えつつ、夕暮れの住宅街を練り歩く。
「……ここか」
それほど時間もかからず、おそらくと言った建物にたどり着くことができた。正面に立ち、表札を確認。……うん、『立川』とある。
でも少し信じられなくてもう一度確認。……うん、確かに『立川』だ。
「普通の一軒家……!?」
その建物は、マンションでもアパートでもない、一般的な家庭の一軒家だった。
どう考えても一人暮らしには大きすぎる。ていうか一人暮らしに一軒家って、四葉の家はそんなに金持ちだったのか?
いまいち信じられず車庫のような場所を見るが、そこに車はなくあるのは四葉のものであろう黒の自転車一つだけ。
ゴクリと、つい生唾を飲み込んだ。
なんだか、四葉の凄いところを見てしまった気がする。
とにかく、俺の目的はプリントを渡すこととお見舞いだ。一度深呼吸。心臓を落ち着かせてから、インターホンを押した。
ピンポーン。静かな住宅街にどこか間の抜けた電子音が響く。
一秒、二秒、三秒、四秒。応答なし。首をひねりつつもう一度押してみるも、やはり反応はなかった。
寝てるのだろうか。もし本当に熱が出てるなら不思議じゃない。
「帰るか……」
そもそも四葉が体調不良というのが信じられなくて確かめに来たというのもある。
昨日、四葉は死んだ。そして呪いで生き返ったはずだ。ということは四葉の体の状態はリセットされているはずなのだ。
でももし、もしほんとうに体調が悪かったとしたら起こすのも悪い。寝てるならゆっくりさせた方がいいだろうし。
ピコンと通知音がしたのは、踵を返して歩き出そうとしたところだった。四葉からのメッセージだ。
『鍵は開いてるから勝手に入って頂戴』
いやなんで俺が来たってわかるんだ……。っていうか本当にここ四葉の家なんだな。
そのメッセージには、今自分の部屋にいること、そしてその部屋への行き方が続いていた。
「……よし、行くか」
初めて入る彼女の家。来たのはばれてるし、入ってと言われたのだから帰るわけにもいかない。
緊張で体が硬くなるようなこの感覚。初めての彼女の家に入るときの気持ちは、お化け屋敷に入る前のそれによく似ていた。
◆
「ごめんなさい……散らかってて」
四葉のメッセージ通りに進み、彼女の部屋に入ると四葉まずそう言った。
四葉の部屋は、彼女らしくかなりシンプルなものだった。余計な小物もなく、ベッドや机など必要なものだけ。意外だったのは本がないことだろうか。他の部屋にあるのかもしれない。
その中で、彼女はピンク色のパジャマを着てベッドで上半身を起こしていた。枕元には一冊の本。読書中だったのか。
「あー、その、大丈夫か? 体調は」
「夏樹君?」
ついしどろもどろになる俺に、四葉は首を傾げた。
いや、しょうがないだろ。
初めて訪れた彼女の部屋。初めて見るパジャマ姿に、三つ編みもほどいていて眼鏡もしていない、見慣れない格好。しかも昨日から急に始めた『夏樹君』という呼び方。
しかも、四葉は本当に熱を出しているらしく、顔をほのかに赤くして、目元もトロンと垂れていた。不謹慎かもしれないけど、普段はきりっとしている分、かなりこう、グッとくる。
無理だ、いつも通りなんて。無理。絶対無理。
「どうしたの?」
「あ、いや、ほら、これ! 先生から預かってるプリントと、あとちょっとしたものだけど、いろいろ買ってきたから」
「あ……ありがとう、夏樹君」
「――!!」
バッ! と勢いよく顔を逸らす。
ずるい、その溶けるような笑みは。なんなんだもう、今日の四葉。いつもと全然違う。
四葉も体調不良で元気があるわけではないらしい。自分から話を振ってくることはなかった。だから気まずい空気になってしまう。
それはそれで落ち着かない。だから何とか話題を探す。
「そ、そういえば、両親は今日いないのか?」
「? 私一人暮らしっていったでしょう?」
「……そうだったな。いや、一軒家だったからほんとに一人暮らしか気になって」
「確かにそうかもしれないわね。でも……普通の人はこんなところ住めないでしょう?」
「まあ、な……」
否定もできず、つい肯定してしまった。
今まで四葉は住所を教えても、実際には来ないでほしいと俺に言っていた。今まではそれが疑問だった。一人暮らしなら両親に気を使う必要もないし、四葉が散らかす性格にも思えない。
でも、今日訪れて納得してしまった。
玄関から入って、この部屋に来るまで。床壁の所々に、大きな血痕が残っていたのだ。それも一つ二つじゃない。お化け屋敷のような気持ちだったが、見ようによってはこの血痕だけならお化け屋敷にも劣らない。
きっとこれは、四葉が死んできた証なのだ。四葉はこの家で、何度も死んできた。きっと掃除して消せたものもあるだろうから、血痕の数よりも多く。
「今までだったら、多分居留守をしていたと思う。でも今日入れたのは、昨日受け入れてくれたからなのよ?」
「ああ、わかってる。でもその、寂しくないのか?」
この家をすべて回ったわけじゃないが、この家は広い部類だと思う。父母子供一人でも広いくらいだ。そこに四葉一人。寂しくないわけがない。
四葉は一瞬意表を突かれたような顔をすると、「そうね」と窓から遠くを見て口にする。カーテンは閉められている。向こう側でカラスが鳴いていた。
「すこし、寂しいかしら。私一人には広すぎるから。こういう、熱が出た時なんて特に」
「四葉……」
「でも、今日は夏樹君が来てくれたから。どうかしら、一緒に住んでみない?」
「な!?」
突然の、そして予想もしなかった提案に一瞬頭が真っ白になる。そして堰き止めていたものが溢れ出すように思考が流れ出してくる。
一緒に住むって、それつまり同棲ってことだよな。同棲……四葉と……。い、いいのか……? いやいいんだよな……!? 他ならない四葉がそう言ってるんだから。あ、でも食費とかいろいろどうするんだ? 全部四葉? 父さんとか母さんに言えば少しくれるかもしれないけど……っていうか許してくれるか?
ああじゃないこうじゃない、いやでもこうか、みたいにいろいろ考えて狼狽る。そんな俺をみて、四葉はクスクス笑みをこぼした。
「ふふっ。冗談よ、夏樹君」
「…………性格悪いぞ」
「さすがに無理でしょう? 今はまだ」
最後の一言を付け加えるあたり本当に性格が悪い。それで俺が動揺すると知っているから。ウグッと詰まらせる俺をみて、やはり四葉は笑みを浮かべていた。
「いろいろ整理する必要あるでしょう? 受け入れるのにも時間だって――ゴホッ! ゴホッ!」
「四葉!」
突然咳をし始めた四葉の背中を摩った。パジャマ越しにも感じる明らかに高い体温。もともと四葉は体温が低い。普通に話していたけど、実際は結構ひどい熱だったのか。
「大丈夫か?」
「……ええ、少し話しすぎたのかもしれないわ。夏樹君が来たせいね」
「はいはい、俺のせいでいいから、横になってくれ」
彼女の体を支えながら、横にさせ、掛け布団をかぶせる。
――長袖長ズボン?
さっきまでは掛け布団で気がつかなかったが、ふとそれが気になった。夏なのに、変じゃないだろうか。いや、熱が出てるから普通なのか?
とにかく彼女を寝かせると、四葉はほっと体の力を抜くように熱い息を漏らす。
「ごめんなさい」
「いいって。あー……冷えピタとか買ってくればよかったな……」
「そう、ね……私も今切らしてて。……熱を出すなんて思ってもみなかったから」
四葉の潤んだ瞳は天井を眺めていた。
楽観的な性格ではない彼女のその言い方に、ふと違和感を感じる。それはきっと、俺が四葉の体調不良に感じているものと同じだ。だからつい、口にしてしまった。
「それは……呪いの話か?」
「…………ええ、そうね」
やっぱり。
それを確信した途端、グッと身が引き締まる。
「死んだら体はリセットなんだから、昨日の雨とかで熱になるはずがない。そうだろ?」
「ええ。それに――」
そこで四葉はふと言葉を切った。かと思えば、何かに迷うように口を開けたり閉じたり。四葉らしくもないのはきっと熱のせいだ。だから俺もじっと待つ。
もう夕日もほぼ沈んでしまっている。電気もつけていないこの部屋は、時間が経つにつれ、どんどん暗くなっていく。
彼女が言葉を口にしたのは、五分も経ってのことだった。
「ねえ、夏樹君。見て欲しいものが……あるの」
もう薄暗いこともあって、そう口にした四葉の表情をはっきりと見ることはできない。
ただ、四葉が体を起こしたのだけはわかった。
「四葉、寝てたほうが……」
「いいの、すぐ終わるから」
四葉が何かを言おうとしている。それだけで俺は彼女を止めることができなかった。きっと、無理やり止めるべきなんだろうけど。
何を言い出すのか。次の言葉を待っていると、四葉はフゥと小さく息を吐きこちらに背を向けて。
――そして、突然パジャマを脱ぎだした。
「四葉!?」
流石に止めに入ろうとするも、どうすればいいのかわからない。彼女の体に触れるにも勇気がなかった。
スルリと肌を滑り落ちていく上着。下着はつけていないらしい。そしてその下には、薄暗くてよく見えないがきめ細かい肌が――
「なんだ……それ……」
まるで息の根が止まるようだった。目が離せなかった。あまりにそれに意識を取られて口が開いたままになってしまった。
白い肌なんてものはない。そこにあったのは痛々しく肌に浮かんだ――雷のような模様だった。
「
驚愕する俺に、四葉は肩越しに語りかけてくる。こちらは向かない。背を向けたまま語っていた。
「らい……もん……?」
「ええ、雷に打たれた人の肌に浮かぶ痕みたいなものよ」
なんでもないようにそう説明しながら、彼女はパジャマを着直した。そしてゆっくりと振り返り、俺と向き合う。
「雷に打たれた痕……それが四葉にってことは、昨日の……」
「ええ、おそらくそうね」
「でも、四葉は昨日、呪いで死んだじゃないか。それで、生き返ったじゃないか……!」
四葉の体調不良に関する違和感。なんとなくそれがどういう意味か、どこかではわかっていたのかもしれない。でもそれはないだろうと鷹を括っていた。それを今、四葉に突きつけられているような、そんな感覚。
「ええ、そう、そうなの。今までは、どんな死に方をしようが、どんな病気になろうが、呪いで死ねば体はリセットされた。どんなひどい傷も治って、どんなひどい病気も消えた」
口の中が異様に乾いた。頭がズキズキと痛む。
「だから今回もそうだろうと、思ってた。でも実際は熱を出して、雷紋が浮かんでいる」
なんで。なんで。
受け入れようと思えたのは、リセットされるからというのが大きかった。たとえ死んでも、リセットされるから四葉に苦しみはないと。
でも。
「どうやら完全なリセットは、されなくなったみたいね」
彼女はどこか悲しそうに、そして淡々と、そう告げた。
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