閑話2 彩乃の言葉

 全く惹かれていないといえば嘘になる。


 だってずっと一緒にいるんだもん。みんなが知らない、それこそ四葉ちゃんも知らない思い出も、いいことも知ってる。その代わり悪いところも知ってるけど、それだって夏樹の一部だ。


 夏樹から四葉ちゃんを好きだと言われてからも、付き合い始めてからもそれは変わらない。

私は、夏樹を応援してる。


 だから少しだけ、そう言う気持ちがあったっていいよね?


 ……なんて、思ってたけど。


「彩乃が水流君と付き合ってるってほんと!?」


 こんな形にはなって欲しくなかった。



 みんなが私を見ていた。目をキラキラさせて、興味津々って感じ。朝教室に来たばかりの私を取り囲む。


 でもまだ朝だからかな、頭がうまく動いてなかった。


 付き合ってるってことは、恋愛の話だよね。私もだけど、みんな好きだよねー。まあ女子高生なんてそんなもんなのかな。

 で、誰と誰が付き合ってるって? んー、彩乃と水流くん? 水流君って、夏樹のことだよね。夏樹なら四葉ちゃんと付き合ってるけど……彩乃? 彩乃って……私?



「ぇえ!?!?」「はぁ!?!?」



 びっくりして声をあげたのは夏樹も同じだった。夏樹はガタン! と音を立てて立ち上がるけど、視線はほとんどこっちに向いている。

 結局興味あるのは私ってことなのかな。まあ夏樹友達いないしね。なんて言ったら怒られそうだけど。


 じゃなくて! え、なんで!? 私と夏樹が!?


「怪しいとは思ってたんだよねー。彩乃、水流君とよく話すし」

「それになんかむっちゃ楽しそうじゃない? その時の彩乃」

「そうそう! 目がキラキラしてるっていうか!」

「水流君の話よくするしねー」

「え、えっと……! その、ちがくて……!」


 なんでそんなことになったのか思い出そうとするけど、それを阻止するみたいにみんなが語りかけてくる。

 ていうか夏樹とよく話すのは幼馴染みだからだし! キラキラなんて、してないはず。多分。

 でも否定しても、みんなはそれすら面白がるだけだった。


 その時、人混みの向こうの夏樹とパチリと目があった。


 夏樹も目を丸くして、何がなんだかわからないって感じ。説明が欲しいって顔に書いてある。そんなこと言われたって私だってわかんない。

 っていうか今の話聞かれてた!? この子たち声大きいから聞こえてたよね!? まずい。何がまずいって、今の言い方だとまるで――


「ち、ちがうから!!」


 とっさに口から飛び出したのは否定の言葉だった。何がちがうのか、言った私でもわからない。当然夏樹も眉をしかめて首を傾げる。


 すると夏樹は、何か思い出したみたいに真希の方に視線を向けた。

 そうだ、真希だ。思い出した。ショッピングモールであってからこうなるかもって反省してたのに、眠くて忘れてた……!


 真希と夏樹は二人で話し始めたみたいだった。多分あそこに私が入っても余計ややこしいことになる。

 だからとりあえず、私の周りに集まってる子の誤解を解こう。


「あ、あのね? 夏樹とは付き合ってなくて……」

「でも彩乃、他の男子にはガード硬いけど水流君には距離近いじゃん」

「や、だからそれは幼馴染みだからで……」

「幼馴染みだからってみんなそうじゃないよ! 水流君と一番仲良かった女子は彩乃だし、彩乃と一番仲良かった男子は水流君だったしね。お似合いだと思うけどなー二人」

「お、お似合い……? えへへ……ハッ!」


 ちがうちがう。喜んじゃダメ、ちょっと嬉しくなっちゃダメ。ぶんぶんと頭を振る。


 とにかく、みんな話を聞いてくれそうになかった。興奮しちゃって、もうそう思い込んでるのかもしれない。もしかしたら私もこんな感じなのかな、少し反省だ。


 でもこれなら、一回ほっといて、落ち着いてから誤解を解いたほうがいいかもしれない。少しの間誤解はされたままだろうけど、それはそれで……。


 そんなことを考えていると友達の一人が、グイッと急に距離を縮めてきた。


「ねえねえ! キスはもうしたの!?」


 口にしたのは、こういう話にはもはや定番の質問だった。


 キス……キス……。夏樹と、キス……。想像すると、どんどん頭が熱くなっていくのがわかった。


 デートして、その別れ際に二人きりになって。で、夕日の中で見つめ合っちゃって。で、で、だんだん顔が近づいてきて――



 ――――パァン!!!!!



 私を現実に引き戻したのは、そんな、思いっきりビンタしたみたいな乾いた音だった。


 もちろんビンタじゃない。それは本を思い切り閉じた音。でも衝撃は同じくらいあった。だってその音を出したのが、他ならない四葉ちゃんだったから。


 シンと静まり返る教室。だからかな、急に頭が冷静になってくる。いっそのこと、何も考えられないくらいに質問攻めにしてくれれば良かったのに。


 四葉ちゃん。


 変なところもあるけど可愛い四葉ちゃん。友達の四葉ちゃん。正真正銘――夏樹の彼女の四葉ちゃん。


 私、最低だな。


 今の今まで、四葉ちゃんのことが頭になかった。一番最初に考えるべきだったのに。なのに私は自分のことだけしか考えないで、しかも変なことまで考えて。


 すると四葉ちゃんは静かに立ち上がった。誰も、何も言えない。私も、夏樹も。触れたらいけない、みたいな空気があった。

 四葉ちゃんは教室の外に向かって歩き出す。私はその入り口にいるから、当然私の前に四葉ちゃんはきた。


「どいて、くれるかしら」


 たった一言、四葉ちゃんはそう言った。

 みんな女王様に道を譲るみたいに道を開ける。


「よ、四葉ちゃん……」


 私が言葉にできたのは、それだけ。謝ることも、説明することもできなかった。

 四葉ちゃんは、私を見てもいなかった。


 怒っている感じじゃない。顔だけ見れば、いつも通りの無表情。怒ってる時みたいな、圧というか、そんな空気もなかった。でもだからかな、なんだか、悲しかった。


「四葉!」


 四葉ちゃんが出ていくと今度は夏樹がそう叫んだ。そして、追うようにして飛び出していく。


 教室に残ったのは、変なざわつきだけだった。


「え、なに……?」

「立川さんなんであんな怒ってたの……?

「四葉って呼んでたけど……立川さんの下の名前だよね?」


 ああ、いやだな。いやだな、この空気。

 私は一人俯いて、キュッとスカートを握りしめた。


 すると、みんなの視線が私に集まるのを感じた。それは困惑だったり、興味だったり――同情だったり。


 小さく息を吸って、吐く。笑顔を浮かべようとしながら、ようやく口にした。



「夏樹と付き合ってるのは、四葉ちゃんだよ。私じゃない」



 ちゃんといつも通り笑えてるかな。わからないけど、なんだか胸から込み上がってきて、もっと強くスカートを握りしめた。


 なんだろうなあ、この感じ。つらい……つらいのかなあ。なんでだろう。


 そうだ、きっと、こういう形で夏樹と四葉ちゃんが付き合ってるのを知られるからだ。

 いいことなんだし、もっと、こう、いい感じにみんなに知って欲しかった。


 みんなの反応は、大体予想通りだった。


 私と夏樹が付き合ってると思っていた時よりも大きなざわつき。

 でもそれもそっか。四葉ちゃん、有名だから。かわいいし、何より孤高の存在? みたいな感じで。


 みんなそれぞれで話始める。私から興味が外れてしまった感じ。だから私は、私の周りに集まってた友達の間を通って自分の席についた。

 鞄を置いて、腰を下ろす。なんだか不思議な感覚。フワフワして、でもなんだか好きじゃない。


「そうだったのー?」


 声をかけてきたのは真希だった。

 そうだ、一番最初に勘違いしたのは真希なんだ。


「うん、そうだよ。夏樹と付き合ってるのは四葉ちゃん。ショッピングモールに二人で行ってたのも、四葉ちゃんの誕生日プレゼント選んでたからだしねー」

「その、えっと、ごめんねー……」


 いつもニコニコしてる真希は、珍しくシュンとした顔をした。からかったりするけど、根はいい子なんだ。


「ううん、いいよ、別に。私だってそう思うだろうし」

「でも彩乃、いいのー?」

「だからいいって。それにあれだねー。私結構そういう風に思われてたんだねー。四葉ちゃんに悪いし、夏樹とも距離とったほうがいいのかなー、少しだけ」

「彩乃ちゃん、そうじゃなくてねー」


 すると真希は、急に真面目な顔をして、じっと私を見つめてくる。


「いいの? 本当に」


 私は何も返せなかった。


 いいのって、何が? 本当にって、何が? なんでそういうこと言うの? 何に対してそういうこと言うの?


 ううん、多分自分でもわかってる。でもそのことを考えたくないんだ、今は。

 だから私は、いつもの笑みを浮かべていった。


「うん、いいよ。二人、色々あるけどなんだかんだお似合いだもん」


 じっと私を見ていた真希も、私の本音を探るように少し見つめていた。なんだかそれが、私が嘘を言っていると言われてるみたいで。

 ゾワゾワと嫌な感じが足元から這い上がってくる。


「……心配だから二人の様子見てくるね! 面白そうなことになってそうだし!」


 だから私は耐えきれず、そう言って教室から出ていった。



 

 廊下はいつもより薄暗かった。


 廊下に出れば雨は私が来た時より強くなっている。遠くの方で雷も聞こえた。雷は好きじゃない。それが朝から聞こえるなんて、今日はとことん嫌な日だ。


「はぁ……」


 ため息を連れてあてもなくふらふら歩く。チャイムがもう直ぐなるからか、廊下で騒いでいる人はほとんどいない。でも窓から教室を除けば、静かな廊下とは別世界みたいに騒がしい空間がそこにある。


 別に夏樹達を探しに出たわけじゃないし。でも教室に直ぐ戻るのも変だから時間潰すだけ。


 なんだろう。うれしかったはずなのに、四葉ちゃんと夏樹が付き合うの。

 何人も恋愛相談に乗った。何人もくっつけた。それを見るたびにうれしくなった。夏樹と四葉ちゃんも、それと同じだったはずなのに。


 なんで、みんなにバレるのがイヤだったんだろう。


 窓の外を見る。雨粒のせいで、そこから見える世界は歪んで見えた。


「……ああ、そっか」


 なんとなく、わかった気がした。


 ずっと夏樹の隣には、私だけがいた。私は友達がたくさんいたけど、それでも一番近くにいたのは夏樹だった。

 でも最近、夏樹がわからない。夏樹は今、四葉ちゃんの世界にいる。


 結局、それが嫌なだけ。


「子供だなあ……」


 つい笑みが溢れる。

 ほんと、子供みたい。おもちゃ取られた子供。結構独占欲強かったんだな、私って。


 自己嫌悪というか、呆れるというか。なんだか体から力が抜けるみたいな感じ。


「なんか、歩くのも疲れちゃったな……」


 もうそろそろ戻ろう。気がついたら一階まで来てたみたいだし。


 そう思い、振り返ろうとした、その時。


「――ごめん!」


 離れたところから、そんな言葉が聞こえた。


「夏樹……?」


 今のは間違いなく夏樹の声だった。気がつけば私の足は声のする方へと向かっていた。

 つい今まで考えていたことも忘れていた。もしかしたら野次馬ばっかりしてるから、染みついちゃったのかもしれない。


 夏樹がいたのは渡り廊下だった。四葉ちゃんもいる。私は影からそれを見ていた。


 夏樹は四葉ちゃんに対して謝っていた。それも聞く限りは誠実に。この前相談に乗ったのもあって、結構嬉しい。


 でも、気になることがあった。


「呪い……?」


 夏樹が何度か謝りながらそう口にしていた。呪いなんて普通に生活してれば使わないと思うけど……。そう首を傾げた時思い出したのは、ショッピングモールで夏樹に聞いた話だった。


 確か、その男の子の彼女は、幸せになると死ぬ呪いをかけられている。


「でもあれは本の話って……」


 正直最初は、そんなこと言いながら自分のことなんでしょ? って思ってたけど。でもどう考えても死ぬとか生き返るとか、現実の話じゃなかったのを覚えている。


 でも今夏樹と四葉ちゃんが話しているのは、あの時聞いた呪いの話だ。


「なに……? なんの話してるの……?」


 ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。逃げ出したいという気持ちが強くなってくる。

 なんだか、この先は見ちゃダメと、本能が言ってるみたいで。


 どうやら夏樹の謝罪はうまくいったらしい。四葉ちゃんは渡り廊下から外へと飛び出すと、くるくると踊るように笑う。


「四葉ちゃん……あんな風に笑うんだ……」


 見たこともない四葉ちゃんの姿。きっと夏生にしか見せない、四葉ちゃんの姿。ギュッと胸が苦しくなる。


 雨に濡れながらでも幸せそうな四葉ちゃんも。からかう四葉ちゃんも。顔を赤くしながら、でも楽しそうな夏樹も。

 見てると苦しくなる。


「もう……だめ……」


 もう、耐えれない。


 そう悟り、帰ろうと歩き出した、その時だった。


 ――バンッ!!!!


「――ッッッ!?!?」


 鉄砲を打ったみたいな爆音。背中を向けていても感じる強い光。直ぐにそれが雷が落ちた時のものだとわかった。しかも、かなり近い。ってことは。


 ――四葉ちゃん!!


 声には出さず、でも急いで振り返ると。


 そこには、雨の中で倒れた四葉ちゃんがいた。


「し、ししし、死んじゃった……? よ、四葉ちゃん、四葉ちゃんが……?」


 自分でも声が震えているのがわかった。目の奥が燃えるように熱い。足がプルプル震える。でも臆病だからか、飛び出すこともできなかった


 そうだ、もう一人いたんだ、夏樹が。


 夏生に視線を向けると、彼は無事だった。ホッと息を吐き出す。そして、違和感。


 なんでそんな冷静なの?


 夏樹はまっすぐ四葉ちゃんを見ていた。叫びも、泣きも、動揺もしてない。まるで四葉ちゃんが死ぬことをわかってたみたいに。


 なんで? なんで? なんで?


 足の震えが強くなる。いや、死んじゃったはず。四葉ちゃんは雷に打たれたんだ。


 確かめるためにと四葉ちゃんに視線を戻し――――



 私は、全力でそこから逃げ出した。



「ハッ……! ハッ……! ハッ……! ハッ……!」


 あの渡り廊下から自分の教室までそんなに距離はない。でも教室前まで来たときには、体力測定の長距離を走った後みたいに疲れてしまっていた。


 でもそんな疲労なんて気にならない。そんなこと、気にならない。それよりも。



 ――消えた……! 四葉ちゃんが、消えた……!!



 夏樹から視線を戻すとそこにはもう四葉ちゃんはいなかった。そこには、何もなかった。


 思い出す。『死んで、視線を外せば死体が消える』。それは夏樹から聞いてた話のままだ。


「わかんない……わかんないよ……夏樹ぃ……」


 訳がわからなくて、目から何かが溢れそうになる。でももう教室だ。泣いたら絶対いろいろ言われる。そのときに、今起きたことを言うわけにもいかない。


 でも。

 ああ、でも、ダメ。泣いちゃう。



「……彩乃?」

「ッ!!」


 背後から声をかけてきたのは、夏樹だった。


 驚いて、あと怖くて。ヒュッと涙が引っ込んだ。少し目元を乱暴に擦って、振り向く。


「な、なに? 夏樹」

「ああいや……教室の前でうずくまってたから」

「さっき足ぶつけちゃってさ、痛かったから!」


 その場で考えた下手な理由に、夏樹は少し訝しみながらと「そうか」と納得してくれた。

 夏樹は、パッと見いつもと変わらない。少し落ち込んでるようにも見えるけど、四葉ちゃんが雷に打たれたのを見たあとだとは全く思えなかった。


「あー……その、どうなった?」

「どうって?」

「ほら、教室の……俺とお前がって、やつ」

「あ、ああ、あれ! ちゃんと誤解は解いといたよ! その代わり、四葉ちゃんと付き合ってるって言っちゃったけど」

「……まあ、別に隠してるわけじゃないし、いいだろ」


 四葉ちゃんの名前を出しても、夏樹は少し黙るだけだった。


「とりあえず、入るか。もう直ぐチャイムも鳴るし」

「う、うん……」


 夏樹はあくまでいつも通り。


 気がつけば、またスカートをシワになるくらい強く握りしめていた。

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