24話 受け入れるということ

「四葉待てって!」

「……」


 ホームルームも近づき、人影が減り始めた廊下で四葉の後を追った。

 彼女は教室を出て行ったが、走っているわけじゃない。歩くにしては少し速いが、せいぜい早歩き程度。追いつくのは簡単だった。でも声をかけても止まらない。かと言って、彼女の腕を掴んで止める勇気はなかった。


「話を聞いてくれ!」

「……話?」


 ようやく足を止めたのは一階の渡り廊下だった。この学校はカタカナのコの字になっていて、つながっていない部分が渡り廊下で渡れるようになっている。特に一階は外ともつながっていて、そこから出れるようになっていた。


 別段どこかに行こうとしていたわけではないのだろう。激しい雨。滑りやすくなった渡廊下。雨粒が直接当たるわけじゃないが、霧のような小さな雨粒が風に飛ばされ、頬を湿らせていく。


 振り向いた彼女は、いつもと同じ無表情に見えた。レンズの奥から視線が真っ直ぐ俺を捉える。渡り廊下を吹き抜ける風が冷たい。


「どうしたの?」

「ど、どうしたのって……」


 首を傾げる彼女に、つい言葉が詰まった。


 怒っている……様には見えなかった。別に四葉は怒ると激昂するタイプではないが、それなりの圧というか、雰囲気がある。でも今はそれがない。

 かといってなにも感じていないわけもないだろう。


 四葉の感情が見えないのはいつものことだ。とにかく、と俺は口を開くことにした。


「さっきの、教室の話だ」

「……それが、どうかしたのかしら」

「だからあれは誤解で!」

「……そう」


 淡々とした返しに、俺は違和感しか感じなかった。

 あまりにも静かだった。それこそ雨粒がアスファルトを打つ音が響くくらいに。


「怒ってないのか?」

「怒る? 何にかしら」

「いやだからさっきの彩乃のことだ」

「怒る……怒る……。怒るとは、またちがうのかもしれないわね」


 すると彼女は、自嘲気味に小さく笑みを溢した。ようやく変わった彼女の表情に吸い込まれそうになる。


「私はね、水流くん。別に、束縛するつもりもないのよ」


 外を眺めながら、彼女は続けた。


「私だけを見てなんていうつもりも、私以外の子と関わらないでなんていうつもりもない。桜木さんと幼馴染みと知っているし、二人で遊んでいても別にとやかくいうつもりはないわ。ただ――」


 彼女の胸がわずかに膨らんで、しかしそれは湿った息とともに吐き出されていく。


「ごめんなさい、よくわからないわ」


 そういう彼女は、困ったように笑っていた。

 そんな彼女を見て胸に浮かんだのは、激しい自責の念だ。


 なぜ俺はいつもこうなんだ。なんで俺はいつもうまくやれないんだ。彼女のためにとしたことが、いつも裏目に出る。


 拳に自然と力が入った。


 でももう過ぎたことはどうしようもない。ならせめて、誠実に。


「俺は、彩乃と……その、これを買いに行ってたんだ」


 俺は教室を飛び出る時一緒に持ち出したプレゼントを取り出した。そしてそれを四葉に渡せば、彼女は首を傾げる。ちょっと振ってみたり、ジロジロと観察したり。勝手に開けないあたり、四葉らしい。

 しかしわからなかったらしい、結局四葉はまた首を傾げた。


「なにかしら、これは」

「プレゼントだよ」

「プレゼント?」

「ああ。ほら、四葉、もうすぐ誕生日だろ?」

「――!」


 そういうと、四葉は目を丸くした。どうやら予想外だったらしい。


「俺こういうの選ぶの自信ないからさ。だから、彩乃に手伝ってもらったんだ」

「……開けても、いいかしら」

「ああ」


 四葉は丁寧に包装を解き、買った栞を手に取る。

 短冊状、金属製のものだ。銀の塗装がされ、模様の中心にあるのは四葉のクローバー。


 四葉だから、四葉のクローバー。安直だな、とは正直自分でも思う。でもこれ以上にしっくりくるものがなかったのだ。


 彼女は何かを言うわけでもなく、それをジロジロと観察していた。


「あー……その、ごめん、大したものじゃなくて」

「……いいえ、そんなことないわ」


 すると四葉は、愛おしそうに微笑みながら、その栞をツツと撫でた。


「こういうのって、相手が選んでくれたものならなんでも嬉しいものでしょう? ちがう?」

「……そう、なのかもな」

「随分と曖昧ね」

「いや、俺だってそうだったら嬉しいけど」

「ふふっ、安心して、ちゃんと……」


 そこで四葉は不意に言葉を止めた。出そうとしたものを飲み込むように口を噤んだかと思えば、また呟く。


「……ああ、私は不幸ね」


 不幸。

 彼女が口にする不幸には、二種類ある。

 つまり言葉の通りに不幸か、それとも自分に言い聞かせるための不幸か。

 でもそれを直接問うことはできなかった。


 何かを言おうとしてはやめる。そんなことを繰り返す俺をみて、四葉は苦笑を浮かべる。


「ねえ、水流くん。覚えてるかしら、去年と一昨年、何をくれたか」

「ああ。去年がメガネケース、一昨年がブックカバー……だったはずだ。……ごめん、たいしたものあげれなくて」

「いいのよ、それは。あなたがくれただけで私は嬉しかったわ。それより、なぜ水流くんがそれを選んだか、覚えてる?」

「なんで選んだか……?」


 言われて思い出そうとしても、なかなか出てこなかった。まあどちらも四葉が使ってるものに関するものだろうし、だからだろう。


「私は覚えてるわ。一昨年はブックカバーが欲しいって話をして、去年はちょうどそのあたりでメガネケースが壊れたのよ」


 そうだ、思い出した。

 だから俺はそれを選んだんだ。それなら、間違いはないだろうって。少なくともいらないなんて思われることはないだろうって。


「でも、それがどうかしたのか?」


 話が見えてこなかった。まだ何を選んだのかも伝えていない。だからいらないと言われることもないとは思うけど……。

 もしかして、去年一昨年は一人で選んだのに、みたいな話だろうか。


 しかし、彼女が言ったのは、それとは少しちがうことだった。


「どちらも、私があれが欲しいって言ってたから選ぶことができた。水流くん、確証がないと悩んでしまって行動できないところあるでしょう? だから、今年はくれるか少し心配してたの」


 すると四葉はまた目を逸らす。三つ編みの先端をクリクリと指先で弄りながら。


「だから、その……二人で、一緒に、買いに行きたいなと、思って……」


 四葉にしては珍しくおぼつかない口調。

 彼女が言っているのはおそらく、俺が断ってしまった日のこと。それを思うとまず出てきたのは、「ごめん」という謝罪の言葉だった。


「別にいいのよ、謝らなくて。買ってきてくれたんでしょう?」

「でもその、さ。やっぱり悪いし、また今度出かけよう」

「……なら、お言葉に甘えようかしら」


 そう言って笑う彼女の空気は、いくらか穏やかになった気がした。


 誤解は解けた……ってことで、いいのだろうか。不安だけど、とりあえず一息。肩から力が抜ける。

 クラスのやつらが誤解したままなのかは正直どうでもいい。彩乃には少し迷惑をかけるかもしれないけど、彩乃に頼まれれば俺も誤解を解く協力をするつもりだ。


 とりあえず、これでなんとかなった。一つは。


 まだ残ってる。四葉に言わないといけないことが。

 しかし彼女はどこか満足そうな顔をして歩きだした。


「ごめんなさい、急に飛び出してしまって。戻りましょう?」

「あ……」


 小さく喉が震えた。


 ちがう。まだ、まだなんだ。


 俺の横を通り過ぎていく彼女の、小さな背中に訴えかけた。


 まだ、言いたいことがあるんだ。まだ、言わないといけないことがあるんだ。


「四葉」

「水流君……?」


 彼女の手をつかんだ俺を、四葉はキョトンとした顔をして見ていた。

 手を強く引き、こちらをむかせる。


「ごめん」


 そして俺は深々と頭を下げ、そう言った。


「今日の水流君は謝ってばかりね。桜木さんのことはもういいと言ったでしょう?」

「ちがう、そうじゃない。そんなんじゃない。俺が謝りたいのは、それじゃない。俺が謝りたいのは、呪いについてだ」

「――っ!」


 四葉が息を飲むのがわかった。


 確かに、今も、そして教室にいた時の四葉は、予想以上にいつも通りだった。でもそれは何も気にしていないと同じじゃない。

 俺も気にしなくていいというわけじゃない。


「まず、ひどいこといってごめん。四葉の気持ちも考えずに押し付けてごめん。――聞こうとすらしなくて、ごめん」

「…………」


 頭を下げているから表情は当然見えない。見えるのは足元の小さな水たまりに浮かぶ小さな波紋と、四葉の足元。

 パラパラとした雨音。遠くで響く雷鳴。ここにあるのはそれだけだった。


 謝らなくていい、とは言わない。つまりまだ気にしているということ。彼女の両足がもぞもぞ動く。


「俺は、四葉に聞きもせず、絶対こう思ってるって勝手に決めつけてそれを押し付けてた」


 死ぬのは嫌に決まってる。呪いを解きたいに決まってる。

 きっとそれは普通なら正しい思考だ。でも四葉は、こういうのもなんだが普通ではない。いやちがう。普通がそうだからって、四葉がそうとは限らない。


「だから、教えて欲しい。四葉は、どう思ってるのか。呪いをどうしたいのか。呪いは四葉の問題だから、俺はそれに従うつもりだ。解きたいなら協力するし、解きたくないなら……時間はかかるだろうけど、受け入れるように努力する」

「……私は」


 頭の上から降りかかる声は、四葉にしては少し弱々しかった。反して、雨の勢いと音は強くなる。


「呪いを、解きたいとは思ってない」

「…………」


 俺は何も言わない。

 なんでとか、聞きたいことはたくさんある。でも今は、喉から出る前にそれを飲み込んだ。


「呪いを解くのは、もう随分前に諦めたわ。子供ながらにだけれど、死に物狂いで調べたから。それに、私はきっとこの呪いを、自分では解くことができない・・・・・・・・・・・・・


 人の協力が必要、ということだろうか。もしかしたら人に移すとかなのかもしれない。


「もちろん、水流君がやろうとしてくれてるのは嬉しかった。私のためを思ってってわかってたから」


 ちがう、ただの自分勝手だった。四葉のことを思ってるなら、四葉と相談するべきだった。


「無理を承知で、無茶を言っていることを承知で私の願いを言うなら――受け入れて、欲しかった」


 呪われた自分自身を。幸せな時に死んでしまう自分自身を。

 そういう人だと、受け入れて欲しかった。


 彼女はそう言った。


 結果だけ言えば、彩乃が言っていたことが当たっていた。さすが彩乃、そう思う一方で、自分の不甲斐なさが嫌になる。


 なぜ思いつかなかった。なぜ思い当たらなかった。


 でもそれはきっとあたりまえのことだ。人の気持ちは全てわかるわけじゃない。

 でも四葉はたびたび「受け入れて欲しい」と口にしていたのだ。俺はそれを曲解して、受け入れてなんとかしようとしていた。

 ちがう、四葉が望んでいたのは、本当に受け入れることだった。


「ごめん」


 最後に一言、そう口にした上で、俺は頭を上げる。

 すると四葉と目があった。まっすぐ、俺を見据えていた。


「俺は、四葉に死なせたくない」

「そう、ね……」


 そんな彼女に、はっきりと言い切る。


 当たり前じゃないか。彼女に死んで欲しいなんて思うやつ、どこにいるんだ。俺のこの気持ちだけは、変わらない。


 でも。


「四葉がそう思うなら、俺は強制はしない。もう、しない」

「――!」


 死んで欲しいわけじゃない。断じてない。でも、四葉が望んでいるなら、俺は止められないと思う。

 個人についてそこまで強制できる人なんて存在しないと思うし。何より俺がしたくなかった。


 彼女の瞳が、少し潤んだ気がした。


「ね、え……今私がかなり我慢してるって言ったら、驚くかしら……」

「そんなことない」

「こんな呪いになって、ある程度がわかって、諦めて。それからも何人かにバレることがあったのよ。こんな呪い、完全に隠すなんて難しいし」


 死因によってはかなり派手だ。だからそれも不思議じゃない。


「大抵が逃げるけど、たまにいた。夏樹君みたいに解こうとする人が。でもちがうの、ダメなの、解いたら。でもありのままの私を受け入れてくれる人は、だれも、いなかった」


 すると四葉は、思いっきり息を吸った。胸が大きく膨らむ。そして、大きく吐き出す。


 四葉は憑物が落ちたような表情をしていた。


「水流君、これ持っててくれるかしら」

「よ、四葉!?」


 彼女は俺に栞を押し付けると、一歩二歩と後退り、そのまま外に出てしまう。

 外は相変わらずの雨だ。もちろん四葉の全身に降り注ぎ、制服はその体に張り付き、濡れた髪は、笑みを浮かべた顔に張り付く。


 だが彼女は、両手を後ろで組んで、踊るように歩く。くるりと回れば長い三つ編みが揺れた。


 俺は後を追えなかった。なんとなく、既視感があったから。


 笑顔の四葉。幸せだという四葉。彼女が楽しそうに、俺から距離を取る。

 それはまさに、俺が呪いのことを知ったあの日と同じだ。


「ねえ、水流君」


 彼女は激しい雨も気にしない様子で、雨の中を踊りながら俺に呼びかける。


「私は、あなたが私が死ぬのをよく思わないのは知ってるわ」


 邪魔臭くなったらしい、四葉は眼鏡を外した。


「死んで欲しくないのもわかってる」


 三つ編みを解き、彼女の長い黒髪が広がった。


「でも、今は、今だけは、今この時だけは――」


 ピタリと動きを止め、俺を見つめ。



「――素直に幸せと思ってもいいかしら」



 いつもの何倍も美しい、見惚れてしまうような笑みを浮かべ、そう言った。


 ああ、彼女は今、死のうとしている。


 手に力がこもった。


 嫌に決まってる。止めたいに決まってる。でもそれはあくまで四葉の自由だ。俺は止められないし、幸せになりたいという彼女を、止めたくない。

 それに、彼女に死んで欲しくないと思うのが当たり前であると同じように。


 きっと、彼女に幸せになって欲しいと思うのも、同じくらいに当たり前なのだ。


「ああ、俺はもう、気にしない」


 だから俺は。


「受け入れるから。四葉を、呪いを、受け入れてみせるから。俺は四葉を――」


 そう、四葉に向かって言い切った。



「――幸せにしてみせるから」



 すると四葉はキョトンとした顔をした。目を丸くして、一瞬動きを止める。かと思えば、噴き出すように笑い始める。


「……水流君、それじゃまるでプロポーズよ?」

「ち、ちがっ……いや違わないけど!」

「あら、本気なのかしら? 困ったわね……まだ学生の身だし、簡単に答えられないから、とりあえずは水流君のご両親のところにご挨拶に行かないと……」

「いやそうじゃなくて!」

「幸せにしてくれないの?」

「いやするけど! ……ってわかってるじゃないか!」

「アハハ」


 四葉にしてはかなり明るく、そして楽しそうに笑うから何も言えなくなってしまう。

 四葉って、こんな風にも笑うんだな。なんだか得をした気分だ。


 ひとしきり笑うと、彼女はまた俺に視線を向け。


「ねえ、私今、幸せよ――夏樹君」


 そう、美しい笑顔と共に口にした、その瞬間――


 ――バンッ!!!!


 目も眩むような閃光。耳をつんざく、銃声のような爆音。


「ぐっ……! なにが……!」


 視界が白で埋め尽くされた。キーンという耳鳴りもひどい。


 それが次第に収まり、まず目に入ったのは――倒れ伏せた四葉だった。


 四葉!!!!


 そう叫びたいのをグッと堪える。

 すぐにわかってしまったから。彼女はもう死んでいると。呪いによって殺されてしまったと。多分、落雷によって。


 目立った外傷はない。出血もない。でも倒れたまま動く気配もない。だからと言って、雷が落ちたということは、近づいたらもしかしたら感電するかもそれない。そう思うと近づけもしなかった。


「ッッ!」


 グッと奥歯を噛み締める。


 四葉が死んだ。この感覚を受け入れないといけないのだから。


 だから俺は、目を閉じた。一〇秒、二〇秒と経ってから、目を開ける。そこにはもう四葉の死体はない。


 大きく、大きく息を吐く。自分の中の何かを吐き出すかのように。


 そして教室に向かって歩き出した。


 今日はゆっくり話せなかったから、明日改めて四葉と話そう。死んだら体はリセット、あれだけ雨を浴びれば普通なら風邪でも引きそうだけど、四葉ならその心配はない。


 そんなことを考える――が。



 ――次の日、四葉は体調不良・・・・で欠席した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る