23話 勘違い
土日を超えて月曜日。いざ四葉に買ったプレゼントを渡すつもりの日だというのに、あいにくの雨だった。
雨だというのに扉越しに聞こえる教室の騒がしさは変わらない。
もう四葉は来てるはず。彼女はいつもくるのが早い。いよいよだと、扉の前で大きく深呼吸した。プレゼントが入ったバッグがやけに重く感じる。
「……よし」
一人意気込んで、扉を開ける。
その瞬間、クラス中の視線が突き刺さった。
「なんだ……?」
つい小さくこぼした。
誰かが入ってきたのだから視線が一瞬集まるのは普通のことだ。でも彼らは、まるで観察するように俺をじろじろ眺めていた。あれだけ騒がしかった声も無くなってしまった。
見てくるだけでなにもしてこない。だからとりあえず無視して自分の席へ向かう。
俺を追うたくさんの視線。ヒソヒソとそこらから聞こえる内緒話。
……なんだこれ、気持ち悪い。
だがそれも、俺の席の隣にいる四葉を見て、気にならなくなった。
彼女は、いつものように読書をしていた。ピンと伸びた背筋。そのページを眼鏡のレンズ越しに一心に見つめる黒い瞳。
さらにズシリと体が重くなる。
また一度深呼吸。恐る恐る、話しかけた。
「よ、四葉おはよう……」
「…………」
「四葉……?」
「…………」
あれ、なんかこれ前もあったな。
彼女はまっすぐ本を見つめたままだ。どうやら本の世界に入り込んでいるらしい。
どっと体から力が抜け、大きなため息を漏らした。そのまま崩れ落ちるように自分の席に腰を下ろす。
まあしょうがないか。諦めて鞄を開いた、そのとき。
「……おはよう、水流君」
「――ッ!?!? き、聞こえてたのか……」
バクバクと苦しい心臓。胸に手を当て、何度目かわからない深呼吸をする。
しかし四葉は相変わらず視線を本から逸らさない。俺はこんなに緊張しているが、四葉はどうなのか、全く読み取れなかった。
「ええ……まあ、聞こえてはいたわね。それにしてもどうしたの、水流くん。そんなに注目されて」
「いや俺もなんでかわからないけど」
相変わらずクラスのやつらからの視線は俺に向いたままだった。本当になんなんだ。
そう、と気にした様子もない四葉。そうだ、俺はそんなこと気にしてる場合じゃないんだ。
バッグを開き手を突っ込む。カザリと紙袋の触感。
「あの、さ、四葉。俺――」
「おはよー! いやー、すごい雨だねー」
俺の言葉を遮るようにして教室に入ってきたのは、髪を少し濡らした彩乃だった。俺に向いていた視線が一瞬そちらに向く。
そしてなぜか、クラスのうちの何人かが彩乃に詰め寄った。
「え、ちょ、どしたのみんな」
クラスのやつらおよそ五、六人に囲まれ彩乃は少し戸惑った様子だった。彩乃自身にも心当たりはないらしい。
だがそのうちの一人、彩乃の友達であろう女子が、興味津々といった調子で口にする。
「彩乃が水流君と付き合ってるって、ほんと!?」
一瞬、空気が固まったように錯覚した。その言葉が理解できなかった。
付き合ってる? 誰が?
ああ、彩乃か。まあ彩乃なら納得だな。別に今まで彼氏がいたわけでもないし。なんなら彼氏がいないことが不思議だったくらいだ。
じゃあ、誰と?
四葉という彼女がいる身でいうのもなんだけど、そいつは羨ましいやつだな。彩乃は顔もいいし、気配りもきく。明るく元気で、一緒にいて飽きない。告られた回数だって多いみたいだし、付き合いたいと思ってるやつも少なくないだろう。
さっきの発言からすると……なるほど、俺か。
そうかそうか、彩乃と付き合ってるやつは俺なのか。
…………。
「はぁ!?!?」「ぇえ!?!?」
俺と彩乃が驚愕の声を出したのは、ほぼ同時だった。あまりの衝撃に、つい勢いよく立ち上がる。
これか! 今日やけに視線を感じると思ったらこのことか!
彩乃がきたからだろうか。さっきまで遠目に俺を眺めることしかしていなかったやつらが、急に堰を切ったように話し始める。
「怪しいとは思ってたんだよねー。彩乃、水流君とよく話すし」
「それになんかむっちゃ楽しそうじゃない? その時の彩乃」
「そうそう! 目がキラキラしてるっていうか!」
「水流君の話よくするしねー」
「え、えっと……! その、ちがくて……!」
顔を真っ赤にしながら、彩乃はブンブンと否定する様に手を振る。
話している女子たちもこちらをチラチラみてくるが、俺は話に入っていない。遠巻きに見ているしかないのだが、その人混みの向こうの彩乃とパチリと目があった。
「ち、ちがうから!!」
さらに顔を赤くして、俺に向かってそう叫ぶ。
いや違うじゃなくて。違うのはそうなんだけど、俺にいうな。騒いでるやつらに言ってくれ。
だが見てる限り、彩乃から言ったわけじゃないらしい。そうだったらかなり問題だけど。
なら、誰が言い出した?
そこで一人思いつく。
「佐々木さんか……!」
彼女は俺と同じ列の前の方に席がある。バッ! とそちらを向けば、彼女は彩乃の方を見てニヤニヤ笑っていた。ショッピングモールで会った時に浮かべていた、尺に触るような笑み。
となると、あの時彩乃の様子がやけにおかしかったのも説明がついた。あいつは勘違いされたかもと危惧していたのか。
すると今度は佐々木さんの視線がこちらに向く。笑みをさらに深め、問いかけてくる。
「ふふふ、いつからなのー?」
「いや、いつからとかじゃなくて俺と彩乃は別に――」
「またまたー」
こいつ聞く気ないだろ。どうやら佐々木さんの中では俺と彩乃が付き合っている、というのは決定事項らしい。
あたりを見回す。
恋愛話が好きな女子は皆興味深そうに眺め。数人の男子は面白くなさそうな顔。やはり彩乃は人気があるらしい。
まずい。かなりまずい。
なにがまずいって、俺は彩乃と付き合っていないのもそうだが、俺には四葉という彼女がいる。
四葉は一言も発していなかった。相変わらず黙々と読書に勤しんでいる。俺は立っているから四葉の表情はよく見えない。
でももし、もし聞こえているとしたら。
それを考えると背中に嫌な汗が止まらない。
強くなる雨。激しく近くの窓に叩きつけられる滴。遠くの方では地鳴りのような雷の音までし始めた。それらが俺の焦りを増幅していく。
「だから、俺と彩乃は付き合ってないって。佐々木さんの誤解だから」
「もういいんじゃないかなー隠さなくても。そりゃわかるよ? 彩乃ちゃん、人気だもんねー。変な言いがかりとかつけられても大変だもんねー」
「だから……!」
ていうかそう思うなら何で言った!
間延びした、のんびりとした話し方だろうか、次第に苛立ちが生まれ始める。
不意に佐々木さんは立ち上がった。そして俺の席まで来ると、顔を近づけてくる。口の横に、しかも四葉側に手を持ってきて、内緒話のポーズ。少し引き気味になるが、佐々木さんは逃がさない。
そして、俺にしか、でも四葉にもギリギリ聞こえるくらいの声量で、口にする。
「ここだけの話、どこまでしたのー? ――キス、とか?」
――――パァン!!!!!
その瞬間、乾いた破裂音のようなものが教室に響き渡った。
浮き足立ったクラスメイト全員の肩がビクンとはね、あれだけ騒がしかった会話が一気に止まる。
残ったのは静寂のみ。
俺も、佐々木さんも、クラスのやつらも。音源の方へと視線を移せば、そこにいたのは――
「 ――よつ、は……?」
顔を俯かせたまま、本を閉じた姿勢の四葉だった。
誰も、なにも言わない。もともと四葉は孤高の一匹狼のような扱いを受けている。勉強はかなりできるし、運動もできる。だけど人とは群れない、そんなイメージ。
だからこそ、彼女の放つ冷たい突き刺すような空気に、なにも言えなくなっていた。
クラスメイトも、佐々木さんも、彩乃も。そして、俺も。
四葉は本を静かに机に置くと、立ち上がった。顔は見えない。そして教室後ろの出口に向かって歩き出す。
そこにいるのは、さっきまで騒いでいた彩乃やその友達たちだ。
「どいて、くれるかしら」
「「は、はい!」」
「よ、四葉ちゃん……」
軍隊のような動きで道を開ける女子たち。オロオロと四葉を見つめる、彩乃。
四葉はその一切を無視して、教室から出る。
そして姿が消える――その瞬間。
我に、返った。
ああ、だめだ。
離れる。
四葉が、離れる。
離れていく。
それは、だめだ。
それは――いやだ!
途端に浮き上がった、心の中を掻きむしるような激しい焦燥感。
「四葉!!」
気がつけば俺は、四葉を追って駆け出していた。
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