22話 過去への手がかり
「お前はあの時、キャンプ場で溺れ死んだはずだろ!」
俺とそう叫んだ男以外に誰もいないトイレで、その叫びが虚しくこだました。外のショッピングモール、その喧騒を耳の奥で感じながら、俺はただ立ち竦む。
その言葉を受け入れるのに時間がかかった。認識するのにも、理解するのにも時間がかかった。その結果、俺は思う。
この人はなにを言ってるんだ。
「いや、生きて……ますよ。だってここにいるじゃないですか」
「いや! 確かにあれはお前だった! お前は死んだはずだ!」
錯乱と言ってもいいくらいの勢いと圧力だった。自分が正しいと分かっているはずなのに、圧倒され、思わず一歩後ずさる。
彼の瞳は、まっすぐだった。まっすぐ、俺を睨みつけていた。
まるで親の仇でも見ているかのように。だからだろう、この人をただの頭のおかしい人として無視できなかったのは。最初は普通だった。おかしくなったのは俺の顔を見てからだ。
それに俺が特に気になったのは、『キャンプ場』という単語だった。
「お前のせいで色々言われたんだ! 俺は死んでるのを見たからそれを伝えただけなのに! お前が家で見つかったら嘘つきだの捜査を撹乱させただの!」
「俺に言われたってなにもわからないですよ! おぼえてないんだから!」
少し苛立って、強めに突き放した。
「とりあえず一回落ち着いてくださいよ! そんな捲し立てられたら訳がわからなくなる!」
「なんっ――チッ! わかったよ……!」
彼は大きく舌打ちをすると、乱雑に頭を掻き毟った。元々乱雑な性格なのかもしれない。
とりあえず一息。なんとなく隣を向けば、そこにある鏡につかれた自分の顔が映っていた。
なんでフードコートのトイレでこんな騒いでるんだ俺は。大きくため息。それくらいにはバカらしく思えてくる。
でも実際この場所は都合が良かった。人が来ない限りは、だけど。外で大きな声で話す内容でもないし。それに彩乃に見られれば色々めんどくさそうだ。
「俺は、死んでませんよ。だってこうやって話してるじゃないですか」
「だから――!」
彼はまた顔を険しくさせながら口を大きく開いたが、すぐにハッとさせてまた頭を掻き毟る。
そしてさっきよりも少し落ち着いた、でも力はこもった声色で語り始める。
「俺は、確かに、確かに確認したんだよ。お前が死んでるのを」
「……でも、生きてます」
「ハッ! 知らねえよ、俺は確かに見たんだ。お前、生き返りでもしたか?」
「それはありえない! だって――」
――普通は生き返らない!
遊園地、観覧車の中で四葉に向かって口にした言葉が頭を過ぎる。
そう、普通は生き返らない。でも俺は、生き返る人を知っている。だからこそそれが口から出ることはなかった。
何も言わない俺を確認して、彼は「それに」と続けた。
「確認したのは俺だけじゃない。その場にもう一人、ガキがいたはずなんだ」
「ガキ?」
「ああ。あのガキ、俺があいつは死んだだろって聞いても知らん顔しやがって……!」
だから死んでないって、とはこの際突っ込まないことにした。いちいち口を出していたらきりがない。
にしても、子供か。俺の知らない話だ。といってもそもそもあまりこの話や神隠し事件について知ってることなんてほとんどないが。
もしその死んだのが俺だとして、その場にいた子供となると俺の知り合いということだろうか。まず思い浮かぶのは彩乃だが、そんなことを経験しておいて普通に接することなんてできない気がする。
「……ちなみにどんな子供だったんです?」
「小学生の女の子だ。たしか髪が短くて、どちらかといえば男子っぽい服。あとそうだな、そうだ、その時ずぶぬれだった。まあお前と一緒に川遊びでもしてたんだろ」
「ーー!」
頭の中で火花がはじけたような気がした。
ショートカット、男子っぽくてずぶ濡れの少女。
俺はそいつを知っている。見たこともある。声も聴いたこともある。それこそ、何度も何度もーーあのよく見る夢の中で。
助けて! と。何度も聞いたあの血のにじむような叫びが頭の中によみがえる。
確信した。この人は何か知ってる。
気がついたときには、俺は彼に頭を下げていた。
「……なんだ」
「お願いします。当時のこと、詳しく教えてください」
「…………」
彼の顔は見えない。ただ、すぐに返答は返ってこなかった。
その事件のことを覚えていなかった。覚えてないから、何かを聞かれても、何かを言われても、実感なんてほとんどない。それどころか、なんだか当時はその話をされると頭がぼーっとしたのだ。だから今まで考えないようにしてきた。
でもそれは、『知りたくない』とイコールではない。
「そんな気味の悪いことが起きてて自分はなにも覚えてないのは気持ち悪いし、怖い。だから、何か知りたいんです」
「……俺は、あまり関わりたくないんだけどな」
「でもあなただってわけが分からないって言ってたじゃないですか」
だから、あなたにも利はある。
言外にそう伝えると、彼は「んー……!」と唸る。
幸運にもまだ人が来ないトイレの中。遠くから響く喧騒の中、彼の言葉を待つ。彼が次に口を開くまで、たいした時間はかからなかった。
「
「……は?」
意味がわからず、つい顔を上げて聞き直した。
彼は苦虫を噛み潰したような顔。さらに、察しが悪いと呆れんばかりに大きくため息を漏らした。
「俺の名前だよ。轟 大吾だ」
「え、っと……ということは」
「ああもう、ホント察しが悪いな……! わかったってことだよ!」
「は、はあ……ありがとうございます」
なにもそんな怒らなくても……。
釣り上がり気味の目や、大きな体だけでも威圧感があるのに。ついたじろいでしまう。
でも嬉しいことは嬉しかった。ずっと知らない、覚えてないことだったことの詳細を知れるかもしれないから。
それに、これはつまり死んだ人間が死んでない、と言う話だ。もしかしたら、四葉の呪いについての取っ掛かりになるかもしれない。
確かに無理に解こうとしないと決めたけど、知るのに越したことはない。
「よし、ならここでずっと話してるのもなんだしな。出るぞ。どっか席とって話すか」
「あ、人待たせてるんで今無理です。連絡先交換しましょう」
「なんなんだよ!」
今このまま話す流れだっただろ……! とブツブツ言いながらもスマホを操作する彼は、思ったよりもいい人なのかもしれない。
そんなことを考えながら、下腹あたりがワクワクするのを感じていた。
◆
出るところだった俺と違いこれからする轟さんとは、そこで別れた。
トイレから出れば、少し長く入っていたのもあって、人が溢れかえっていた。フードコートも満席。
トイレにしては長い時間掛かったから、彩乃になにを言われるかわからない。またなんか奢らされても不思議じゃないな……。
少し早足に彩乃のもとに行くと。
「ん? ……誰かいる?」
彩乃がテーブルにいるのはまあいいとして、もう一人、別の人間がいた。
金に染めた髪をポニーテールにして後頭部でまとめている。かなり服は派手目のおそらく同年代くらい。
と言っても座るわけじゃなく、彩乃の隣に立って会話をしている。
ここからだと彼女らの背中しか見えないから表情は見えないが、普通に話しているように見えた。
彩乃の知り合いか? いやでもあいつ知らない人とも普通に話せるしな……。
まあどちらにせよ、戻らないわけにはいかない。
「悪い彩乃、遅くなった」
「げっ……! 夏樹……!」
席に着くとなぜか彩乃はひどく顔を歪ませた。不味いところを見られたような、そんな焦った顔。
「げってなんだげって。確かに遅れたのは悪かったけどさ」
「い、いやあまあ確かに遅いのはホントだけど、そうじゃなくて、そのぉ……」
彩乃が浮かべた歪んだ、下手くそな笑み。ソロソロと視線が動き、その先にいたのはさっきまで彩乃と話していた少女だ。
後ろから見た通り金髪ポニーテール。少し濃い目の化粧。そしておそらく同年代。クラスの中心になるような、派手な少女なのだろう。
しかしなんだか見覚えがある。記憶を探るがどうにもでてこなかった。
そんな彼女はキョトンとした顔をして俺を眺める。
「あー……えっと、彩乃、この人は……」
「え。夏樹、同じクラスだよ?」
「……いや、知ってる知ってる。さすがに同じクラスの人間くらい覚えてるから」
「絶対嘘じゃん!」
しょうがないだろ、クラスのやつと関わる機会なんてないんだから。
むしろ向こうだって俺のこと知らないに違いない。俺の名前を知る機会もないだろうし。
そんな同じクラスらしい少女は、今度は目を輝かせながら俺と彩乃の間を、あっちこっちと視線を巡らせていた。
「へー、彩乃ちゃんなるほどねー」
「ちょ、
「いやー、怪しいと思ってたんだよーわたしも」
どうやらこの子は真希と言うらしい。うん、聞いたことないな。
真希とやらは、ニヤニヤと楽しそうに笑っていた。主になぜか俺を見て。それを必死に何かを弁明する彩乃。
正直蚊帳の外だ。
「だって彩乃ちゃん、わたしたちが今日誘ったのに断ったじゃーん。なるほどーならしょうがないよねー」
「ち、ちが――くはないけどそこは! てかそれ言うなら真希ちゃんもじゃん!」
「いやわたしはお兄ちゃんと用があったからさー」
なんだ、彩乃今日用事あったのか。それは少し申し訳ないことをしたかもしれない。俺が頼んだのはつい昨日だし、たぶんもともと予定が入っていたのだろう。
それにしてもなんだこの子は、さっきから俺見てニヤニヤと。なんだかだんだん腹が立ってきた。
一言言ってやろうと口を開いたちょうどそのとき、遠くから彼女の名前を呼ぶ声がした。声の元にいたのは一人の男だ。彼が兄か。
「じゃあわたしはもう行くねー。彩乃ちゃん、楽しんでー!」
「だ、だから違うってー!」
けらけら笑い手を大きく振りながら去っていく真希とやら。顔を赤くしながら叫ぶ彩乃。よくわからないままさっていって、本当に台風みたいなやつだった。
「たまたまあったのか、あの――あー……」
「
「そう、佐々木さんに」
「やっぱ覚えてないじゃん」
「うるさい。で、どうなんだ?」
「うん、夏樹待ってたら声かけられたんだ。……っていうか」
綾乃は急に声のトーンを落とし、テーブルに突っ伏した。しかしなにも続かない。少し待つと、突っ伏したまま彩乃にしては沈んだ声で問いかけてきた。
「……ねえ、夏樹ってさ、四葉ちゃんと付き合ってることクラスのみんなに言った?」
「いや、言ってないな」
「だよね……言う相手も友達もいないもんね……」
「お前今それ言う必要あった?」
まあ事実だけど。クラスで話すのなんて彩乃が四葉くらいだ。
「ならさ、二人が付き合ってるの、クラスのみんな知ってると思う……?」
「どうだろうな、たぶん知らないと思うぞ」
四葉と付き合っていることを開けっぴろげにはしてないが、秘密にしてるわけでもない。
四葉も俺と同じく話すのなんて俺と彩乃くらいだ。彩乃と俺は幼なじみと彩乃自身が言っているから疑われないとして。でも俺と四葉はもしや、なんて思ってるやつがいても不思議じゃない。
でもきっとそれ止まりだろう。
「て言うか、さっきからどうしたんだ? 質問の意図がわからないぞ」
「うー……うー……もう! なんでもない!」
「なんなんだ……」
流石に情緒不安定すぎる。その佐々木さんと何かがあるのだろうか。
何か言おうにも、彩乃がなにに対してそんな凹んでいるのかわからない。だから俺はただ、フードコートにひしめく人の群れをただ眺めることしかできなかった。
「はぁ……これたぶんやっちゃったなぁ……」
沈みに沈んだ、彼女のぼやきは昼時の騒がしさにかき消されていった。
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