21話 狂い始める
――その少女は、つまり四葉は、呪いを解いて欲しいなんて少しも思っていない。
「いや、いや、なんでだよ、なんでそうなるんだよ」
彩乃の言っていることが全く理解できなかった。
「だって、そうだろ。解かなかったら死んでしまうじゃないか。好き好んで死にたいやつなんていないだろ」
少し語調が強くなる。
ああ、これはあれだ。あの時と同じだ。四葉に『残酷』と言われたあの時と。
俺の常識が、行動が否定されたように感じで、つい頭が熱くなる。
しかし彩乃は動じない。頬杖をついて、コーンだけになったアイスにかじりつく。
「死にたくないなら今まで通りでいいじゃん? 今まで死なずにそれでやってきたんでしょ?」
「いや、何度か死んでたはずだ」
「あれ、そうだっけ。でもどっちにしてもさ、今までのままでなにも困ったことはなかったわけじゃん。それに聞いてる感じ死んじゃう原因ほとんどその彼氏なんだし、死にたくないなら別れればいいんだよ」
「いやそれは……!」
大きな音を立て勢いよく立ち上がった。
それはだめだ。ちがう、だめじゃない、嫌だ。俺は、四葉と別れたくない。
だけど変わらず動じない彩乃の視線で、俺はすぐ冷静さを取り戻した。
「……その彼女が、別れたくないのかもしれないだろ」
「まあそうかもだけどさー。でもそれなら、伝えないほうがいいじゃん? どっちにしろさ、教える必要なんてもともとなかったんじゃないかなー」
「……確かに、そうかもな」
ストンと、俺は力なく椅子に腰を下ろす。
そうか、確かに言われてみればそうかもしれない。
四葉は呪いのことを知った人は皆離れていったと言っていた。呪いについて話すことに少なからずトラウマのようなものもあったみたいだし。
少なくとも、人に言いたいことではなかったのは間違いない。
それなら。
「じゃあなんで教えたんだ? それこそ、解いて欲しいからじゃないのか?」
「でもその男の子は残酷とか言われたんでしょ? その女の子は幸せになろうとしてるんでしょ?」
「ならどうして……」
「私は単純だと思うけどなー」
彩乃は最後の一口になったコーンを口の中に放り込んだ。バリボリといつものように。俺と彩乃の温度差に、ついソワソワとした感覚が湧き上がってくる。
言いたくないような呪い。だけど四葉は俺に教えた。
簡単に死んでしまうような呪い。だけど四葉は解きたくないという。
その矛盾を解消するのは、なんなのか。彼女の答えを、気がつけば気持ち前のめりになって待ち構える。
「きっとその子は受け入れて欲しかったんじゃないかな」
彼女が口にしたのは、そんな、いってしまえば単純なことだった。
言っていることは理解できる。
でも、納得はできない。
「そいつは、受け入れたつもりだぞ」
「あれ? そう?」
「ああ、その呪いを怖がらず、受け止めて。だからこそ向き合って解こうとしてるんだろ」
「ああ、ちがうちがう、そうじゃなくて」
彩乃はひらひらと手を振りながら、バカにしたように笑った。
「そのままだよ、受け入れるの。受け入れる
「――!」
鳩尾を打たれたみたいに、声すら出なかった。
確かに、確かにそれだと辻褄はあう。
彼女がして欲しかったのは呪いを解くことじゃなくて、受け入れること。だから俺が調べ物をするのにいい顔はしなかったし、俺の前で幸せになりたいというようなことを口にした。
でもなぜか納得できない。
だってそれじゃあ、何も変わらないじゃないか。四葉はつらいままじゃないか。
四葉がその呪いで今まで苦しんできたのは確かなんだ。
死んでもいい。解かなくてもいい。今までのままでいい。それはつまり、死ぬことを受け入れていることになる。
そんなの、生物的におかしい。本当に彼女がそんなことを思っているのだろうか。
「はぁ……納得、できない?」
彼女は手のかかる子供を見るような顔をしていた。
「まあ、な……」
「うーん、何が納得できないの? まあ別にわからないならわからないでいいんだけどさー。でも夏樹、結構理由言えば納得すること多かったじゃん」
「……だって今彩乃が言ったのは、結局推測だろ」
「うん、推測だよ。でも推測しかできないんだよ。人の気持ちはわからないーとかは抜きにしてもね」
「どういうことだよ」
「だってさ、今の話――」
――男の子、自分のことしか考えてないじゃん。
一瞬、彩乃が何を言っているのかわからなかった。
そして数秒かけてじっくりとその言葉の意味を理解していく。だからこそ、耳の奥で残響のように響いていた。
「……そんなことは、ないだろ」
無意識のうちに口から飛び出していたのはそんな、何とも情けない否定の言葉だった。
「まあちょっと言い方違ったかもねー。なんていうのかなあ」
彩乃は少し大げさに悩む仕草を見せると、すぐにポンと手をたたいた。
「今の話からは、男の子の気持ちと考えしかわからないんだ!」
それの何が悪いのかわからなくて、俺は眉をしかめる。
「そりゃそうだ、だってその主人公の視点での話なんだぞ。彼女の思考を読めるわけでもないし、彼女の気持ちなんてわかるわけないだろ」
「ちがうよ、そうじゃないんだよ」
「じゃあなんなんだよ」
また強くなる語調。彩乃の話は否定否定でなかなか核心には触れず、かなりもどかしかった。
しかし彩乃はあくまでマイペースを貫く。
「いい? 今の話だと男の子は女の子のためにやってるんだよね?」
「そうだな。死ぬのは苦しいから、呪いを解こうとしてるんだ」
「でもさ、それって結局は男の子の決めつけじゃん?」
「は?」
いや、決めつけじゃないだろ。いや、決めつけなのか?
頭がどんどん熱くなる。なんだ、俺は今何を言われてる。
「死にたくないに決まってる。苦しいに決まってる。みたいにさ、決めつけでその男の子は行動してるんだよ」
「……それだって決めつけだろ」
「そうかもねー。でもさ、しょうがないじゃん、今の話からはわかんないんだもん」
「ならその男だって――」
「でもね、夏樹。その子なら、わかったはずなんだよ」
彩乃は、まっすぐ俺を見つめていた。見たことないような真剣な表情。それはまるで俺に何かを訴えかけているようで。
「その子が女の子に、聞けばわかったはずなんだよ」
彼女の言葉はいつもまっすぐだ。
「『俺にできることはないか』『何をしてほしいのか』『これは余計なお世話じゃないのか』って。でも聞こうとしてなかったでしょ。それじゃ独りよがりだよ」
彼女の気持ちはいつもまっすぐだ。
「この前学校で行ったことにも似てるけどさ、気持ちは言葉にしないと伝わらないよ?」
だから痛いくらいによく刺さる。
「夏樹、今四葉ちゃんと喧嘩してるんでしょ? 決めつけだけでなんかしてない? 四葉ちゃんなんて特に自分のことは話さない性格なんだからさ」
それに、目を逸らすことを許してくれない。
「――四葉ちゃんの気持ち、ちゃんと聞いた?」
それきり彩乃は何も言わなかった。遠くの方でがやがやと家族ずれやカップルが騒いでいる。だけど俺たちの間の会話は途切れてしまった。
彩乃はじっと待っていた。俺の反応を。
俺はただ、じっと机の上を見つめていた。じっと、彼女の言葉を体に染みわたらせていた。
そして大きく、大きく息を吐き出して。
「……ちょっとトイレ行ってくる」
立ち上がり、彩乃に背を向けて歩き出した。
「ん、ゆっくりでいいからね」
背中から雑踏交じりにかかる彩乃の声は、ひどく優しかった。
◆
幸いというべきか、フードコートから一番近いトイレには、昼時だというのに誰もいなかった。
唐突に催したわけじゃない。ただ、頭の中を整理したかっただけ。それにはその問題を突きつけてきた張本人の前という状況はあまりよくなかった。
ひどい言い草。だけど彩乃もわかって俺を送ったんだろう。
ショッピングモールのトイレは結構きれいだった。入って、俺が足を止めたのは、手を洗う場所の大きな鏡の前。
「……ひどい顔してるな」
といっても、別に落ち込んだ顔や傷ついたような顔ではない。眉間にしわを寄せ、思い悩む顔。しかしなんだか俺はそれが嫌いじゃなかった。
台に両手を置いてもたれかかるように。そして大きく息を吐く。
「まさにそのとおりだな……」
彩乃に言われたこと。はっきり言って、何一つとして否定できなかった。
四葉に何も聞いていない。決めつけで行動している。
まったくもってその通りだ。
考えてみれば、呪いのことで四葉を怖がっていたときだって、原因の一つは四葉が何を考えているのかよくわからなかったことにある。俺は、四葉がそういうやつだということに甘えて、自分から知ろうとしていなかったのだ。
なにが死にたくないはず、だ。なにが苦しいはず、だ。
そうじゃないと決まったわけじゃない。でも勝手に決めつけて、それに応えてくれなかったからと怒るなんて、我ながらかなり子供っぽい。今ではそれがどれだけ幼稚かよくわかる。
わかるからこそ、悲しくなる。申し訳なる。
「謝らないとな」
まずはそれだ。まずはひどいことを言ってしまったことを、四葉に謝る。それから話し合おう。いろいろ聞いてみよう。その結果彼女が呪いを解くことを望んでいないのなら、このままでいいのなら、俺に呪いを受け入れてほしいのなら、俺はそうしよう。……さすがに難しいかもしれないけど。
「よし!」
両頬を両手でたたけばパン! と乾いたいい音がした。ジンジンとした衝撃も、わずかに痛みと熱をもつこの感覚も、俺に現実感を与えてくれる。
これで気持ちも切り替わった。
「ふぅ、もどるか」
結構強引に離れてしまったし、余り時間をかけても彩乃が心配するかもしれない。
でも結局、なぜ四葉は呪いを解きたがらないのだろうか。なぜそれを残酷といったのだろうか。それになぜ、俺に呪いのことを教えたのだろうか。
それらについては結局わからないままだ。
まあ、それも聞いてみよう。教えてくれないなら、四葉のことだ、きっと何か理由があるに違いない。
俺は洗面台から体を離してトイレから出ようとした。その時――
「おっと」
「あっ」
ちょうど誰かがトイレに入ってくるところだった。ついぶつかりそうになり、お互いに少し後ろにのけぞる。
短い黒髪をワックスで固めた、二〇代くらいの若い男性だった。がっちりとした体だったり、なんとなく、いわゆる大学のサークルで騒いでいそうな人だ。
だけど彼は変な顔をしていた。大きく目を見開いて、表情を固まらせて。そんなに驚いたのだろうか。
こんなところで偶然会う人。それが知り合いなんてめったにないことだけど。
「あ、すいません」
見覚えがある……?
ほぼ反射的に頭を下げながら、記憶を探った。でもやはりこの人に会った覚えはない。
まあ気のせいだろ。それがかいわゆるデジャヴュってやつか。
そう思うことにして、彼の隣を通り過ぎようとする。
「待て!」
「ッ!?」
しかし、腕をつかまれ壁に押し付けられた。背中に強い衝撃。やけに焦ったというか、強い言葉だったけど、俺はこの人に会った覚えも、なにかをした記憶もない。
しかし彼は俺の顔ではないどこかを見つめながら、ブツブツと何かをつぶやいていた。
「ふざけんなよ、なんだよこいつは……! 久しぶりに地元に帰ってきたのに……!」
明らかに様子がおかしい。しかもなんだか俺のことを知っている様子だ。
なんなんだこいつは。訳の分からない状況に、身がすくむ。だけどこのままだとまずい気がして。
あなたはだれなんだと、そう口にしようとした、その時。
その男は、キッと俺を睨みつけ。
そして、思わず耳を疑いたくなるようなことを口にした。
「――お前はあの時、キャンプ場で溺れ死んだはずだろ!!」
四葉の呪いについて知ってから、俺の日常はおかしくなっていた。
しかしなんだかんだ、現状維持はしていたと思う。
きっと、狂い始めたのはこの時からだ。
俺と四葉の、呪いを中心とした狂気のきっかけとなった出来事は――ショッピングモールのトイレという、なんとも不似合いな場所で発生した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます