18話 彩乃の説教
テストが終わった次の日の教室は、もういつもの空気を取り戻していた。
まだ時計の短針は八を通り越したばかり。おはようがそこかしこで聞こえる中、俺は教室の外からこっそりと中を盗み見る。
無駄に忙しない鼓動が鬱陶しい。
目標はもちろん四葉だった。
生徒皆が歩き回っているせいで、はっきりと見えるわけじゃない。でも人と人の隙間から覗いた限りでは、四葉はまだ来ていないようだった。
「はぁ……」
つい漏れ出したため息。そこに安堵が含まれているのを自覚しているから、余計に憂鬱だ。
四葉は基本的に俺が登校する頃にはもう来ている。でも今いないということは。
「四葉ちゃんなら今日休むってー」
「うぉあ!?」
突然背後から声をかけてきたのは、スクールバッグを肩にかけた彩乃だった。
大きく肩が跳ね、さっきとはちがう意味で心臓が痛い。
「お前急に声かけるなよ……」
「そんなこと言われたって知らないよー。だいたい夏樹が入り口で立ち止まってるから悪いんじゃん」
「……確かにそうか。ていうか、四葉が休み? なんでだ?」
「風邪だって。心配だよねー。お見舞い行こっかなー」
風邪……風邪。
本当、だろうか。
昨日、たしかに四葉は死んだ。でもきっとそれ自体は四葉にとっては問題じゃない。問題なのは、俺から逃げるために呪いを使ったこと。
俺が、使わせるようなことを言ったことだった。
彩乃が知っているということは、四葉が個人的に連絡したのだろう。俺にはせずに。だからこそ余計に、ただ俺に会いたくなかっただけなんじゃ、なんて考えてしまって。
「はぁ……」
また湿った息を吐き出した。
そんな俺を、彩乃は呆れた顔をしてみている。
「またため息? どしたの? さっきも四葉ちゃんの席見てたし……もしかして! 修羅場!? 修羅場ですか!?」
「いやそんなんじゃ――」
コロッと子供のような笑顔で彼女は詰め寄ってくる。だから俺は反射的にのけぞりながら否定の言葉を口にしようとして、やめた。
俺がひどいことを言って、仲が悪くなった。それは修羅場に他ならない。
肩を落として、彩乃に何かを言われるのを承知でまたため息。
「……そうだよ」
「……そっ、か」
すると彩乃は、スッと笑顔を潜め。
しかしそう口にしただけで、それ以上は何も言ってこなかった。
「聞かないんだな、何があったか」
「詮索は私の趣味じゃないからねー」
「よく言うわ。詮索野次馬傍観がお前の趣味だろうに」
「バカだなー。知らないの? 私、よく恋愛相談されたりするんだよ? ああ言うのは、基本聞き手に徹さないとね。私、聞き上手なんだよ?」
「知ってるよ、十分すぎるくらいに」
彼女はそれをずっとやってきたし、俺と四葉も彼女の協力があって付き合うことができたから。
彩乃は、そうだったねーと懐かしそうに笑う。
「だからさー」
そして、いつもと同じような笑みを浮かべ。
「相談なら、いつでも乗るから。ヘタレで女心が全然わからない夏樹も、可愛い四葉ちゃんも、私の友達だしねー」
そうとだけ言って、俺の横を通り過ぎて自分の席へと歩き出した。
その小さな背中を見て思い出す。
そうだ。彩乃は頭が悪い。彩乃は騒がしい。彩乃はお調子乗り。でも彩乃は、友達思いの優しいやつだ。
「彩乃」
気がつけば俺は声をかけていた。
「相談、乗ってくれないか。また今度なんか奢るから」
彩乃は足を止める。そして、クルリと回るように振り向くと。
「しょーがないなー!」
ニヒヒといつも通り花が咲くような笑みを浮かべていた。
◆
「長い!!」
「えぇ……」
もう空は茜色。俺と二人だけの教室で、彼女はそう声をあげた。
俺は自分の席に、彩乃はその正面。
相談することになったのだが、どうせなら落ち着いて話せる放課後にしようと提案してきたのは彩乃からだった。
だから日中いろいろ思い出しながら、落ち着いた頭で考えながら、話す内容を考えておいたのに。もちろん、呪いのことは話さないようにして。
「長いってお前……そうでもないだろ」
「長いよ長い! 夏樹は話が長いんだよ! 校長先生みたいだよ寝ちゃうよ!」
「聞き上手なのはどうした!」
「だって夏樹の話、難しいんだもん。興味がわかない」
「相談乗るって言ったのに興味で動くなよ……」
「モチベって大事だよねー」
あははーと、彼女はごまかすように外を向く。
そうだ、こいつはいいやつだけど、それと同時に気分屋でもあったんだ。恋愛相談に多くなるのは、恋愛ごとに興味が湧きやすいから。
どうしたものか。語り方がダメだったか……? と首を傾げると、「でもね」と彩乃は口にした。
「ほんとにさ、難しいんだよね。だって今の話、夏樹の気持ちいろいろあったじゃん。あーだけどこうで、でもこうなのか? みたいなやつ」
「……まあ、そうだな」
実際、自分でもどうすべきかわかっていないから、どうしてもそんな思考になる。
「だから余計にわからなくなるんだよ。じゃあはい! 今のを一言で言ってみて!」
「俺が、四葉に苛立ちをぶつけた……?」
「なら夏樹が悪いね!」
彩乃ははっきりとそう言い切った。
いやいやいや。
呆れと言うか、なんと言うか。そんな単純じゃないだろう。
「でもさ、それにはいろいろ理由があって――」
「グダグダ理由をつけるなら誰でもできるよ?」
つい目を丸くした。
基本聞き上手な彼女が言葉にかぶせたのもだし。なにより、鋭い言葉で直接突き刺してきたから。
そんな俺の反応が面白いのか、彼女はカラカラと笑う。
「でもそうじゃん? 何があったのか一言で言って。それで夏樹が悪かったら、それは夏樹が悪いんだよ」
はーと大きく嘆息。そのまま首を垂れる。
まさに正論。反論の余地なんてない。
「お前そんな合理的だったっけ……」
「四葉ちゃんと最近よく話すからかもねー」
「しかもなんかすごい言葉で刺してくるし」
「さすがに他の子にはこんなことしないよ。夏樹にしかしない。女の子は共感してほしいんだよー」
それはともかくとして。
たしかに俺が悪かった。
別に今まで少しもそう思わなかったわけじゃない。でも自分にも理由はあって、なんて言い訳してただけ。それこそ彩乃の言う通りだった。
「なんでもいいけどさー、さっさと謝ったら?」
「いや……難しいだろうな」
「謝るのが難しいって、なにそれ」
「話を聞いてくれるか怪しいんだよ」
「夏樹いったいなにしたの……」
ペットボトルの水を取り出すと、彼女は大きく煽った。
彼女は責めるような視線を向けてくるが、別に俺が謝る勇気がないわけじゃない。いや、それも少しあるけど。
呪いを使い死んでまでして、そしてあの四葉がずる休み――おそらくはだけど――をしてまで俺との接触を避けている。今日は金曜日で明日明後日は約束しない限りは会うことはない。でも次の月曜がどうなるかわからない。
話し合いはきっと難しいと思う。それに、正直俺がうまく話せる気がしないのだ。
どんな形にしろ、四葉を死なせてしまった。
「あーもう! また暗い顔してる!」
そんな俺を見て、彼女は突然声を上げた。
「どうせまた、俺はやってしまった……とか考えてるんでしょ!」
「別にそんな――」
「わかるから。だてに幼馴染やってないし」
彩乃は肩をすくめながら呆れたように笑みを浮かべる。
「反省したってしょうがないじゃん。なんかないの? きっかけになりそうなやつ」
「きっかけか……」
腰を据えて話すのは難しくても、なにかきっかけ、つまりは用事があれば話しやすいかもしれない。それが仲直りをしやすくするものならよりいい。
でもきっかけ……きっかけねえ……。
あれかこれかと、目を閉じて考える。
今から週末誘いなおすか……? いやでもなんか……。
うんうんと唸り、ふと。
「あ」
思い出す。
「ん? なんかあった?」
「誕生日」
「え?」
「もうすぐ、四葉の誕生日なんだよ」
「それじゃん!」
バン! と強く彼女は机をたたいて立ち上がった。椅子が音を立てて倒れる。
「そうじゃんそうじゃんむしろそれしかないじゃん! プレゼントとか定番だしね! まあ、ちょっと物で釣ってる感もあるけど、誕生日って理由もできるし!」
「ああ、まあ……そうだな」
「ん? なんか微妙な顔してるね。まさか、今まで上げたことないなんて言わないよね?」
「いや、さすがにそれはない」
よかったー、と彼女は大げさにほっとした顔をして、また椅子に腰を下ろした。
おい、俺があげてないと思ってたのかよ。気が回らないのは自覚してるけど、そんな俺でもさすがに誕生日くらいはプレゼントをわたす。まだ高校生だからたいしたものはあげれなかったけど。
「じゃあどうしたの? 今年も上げるでしょ?」
「あー……」
俺は何とも言えない態度でごまかした。
もちろんあげるつもりだった。少なくとも、一、二ヶ月までは。
今はもう、呪いのことを知ってしまった。それに四葉も言っていたのだ、プレゼントをもらった日は、帰った後死んでいたと。
プレゼントをあげると、
「……もしかしてあげないなんて言わないよね?」
しかし彩乃はジッと俺を見てそう言った。いつもより鋭い視線。
「あのさ、夏樹。四葉ちゃんはたしかに夏樹の彼女だよ? たぶん夏樹のいいところとかを好きになったと思うんだけどさ。でもさ、四葉ちゃんだって一人の女の子なんだよ? 自分はなにもしないけど好きでい続けてくれなんて絶対無理だよ」
「――ッ!」
突然の彼女の低い声に、俺は息をのんだ。
つまりは、お前も行動しろ。
きっとそれは呪いのことを知らないからこそ言えるのだろう。
でも、そうだよな。
死ぬかもしれない。それを心配するのも、四葉がいてくれてこそだ。四葉が離れてしまったら、心配することすらできなくなる。
なら、俺はきっとそっちを優先するべきだ。
「だいじょうぶ、ちゃんとわたすから」
「ほんとにー?」
「ほんとだって。だからさ、選ぶの手伝ってくれよ」
「…………」
彩乃のまっすぐな視線が俺を捉える。俺も見つめ返した。
張り詰めたような空気感。しかしそれは彩乃が息を吐くのと同時に霧散する。
「ま、それくらいならいいかなー」
「ありがとう。っていうか、もともと相談に乗ってくれるって話だったよな」
「夏樹がヘタレでうじうじしてるのが悪いんだよー」
彼女は悪びれることなく笑って見せた。そこにさっきのような雰囲気はない。どうやら彼女の気は晴れたようだ。
つい俺もほっと胸をなでおろす。
彼女は話が終わったからか、自分の荷物を持ち立ち上がった。俺もそれに続く。
「じゃ、明日買いに行こ」
「いきなりすぎないか?」
「早い方がいいって。ほら、だってことわざでもあるじゃん。思い立ったが……えーと」
「吉日な」
「それ!」
さっきはあんなに頼もしく感じたのにこれだ。でも彩乃らしくてなんだかほほえましい。
でも彩乃らしいといえば。
「なあ、さっきの感じのやつ、まさか他の相談してきたやつにもしてないよな?」
あれは正論で殴るようなやりかただ。人によってはムッとして逆効果になるかもしれない。
しかし彼女はばかだなあとばかりにカラカラ笑う。
「やらないよさすがに。ほら、さっきもいったじゃん、女の子は共感してほしいんだよ!」
「なら男子は? お前、確か男子にも相談されることあるだろ」
「あー、まああるね。でもあんな感じにはしないかなー。っていうか、これもさっき言ったでしょ」
すると彼女はなんだか照れ臭そうに。
「夏樹にしかしないって」
そう言って、八重歯をのぞかせながら笑った。
ついまじまじと彩乃の顔を見てしまう。
まあ彩乃のことだ。幼馴染のよしみ、というやつだろう。彼女自身も幼馴染がどうとか言っていたし。
でも、助かっているのに変わりはない。本当に、頭が上がらない。
「そっか、それはありがたいな」
「でしょー! 幼馴染に感謝しなよー?」
「ああ、だから明日もよろしくな」
「まかせて!」
彼女は胸をはり、自信ありげにそう言った。
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