17話 激昂

「あぁ……疲れた……」


 体の中の疲労感を全て吐き出すような勢いで大きく息を吐いた。だけどそれでは足りないらしい。抜けきらない倦怠感に身を任せ、俺は自分の机に突っ伏した。


 ガヤガヤと騒がしいお昼時の教室。その騒がしさが普段の五割増しなのは、きっとテストが終わったからだ。


 別に俺は今回のテストを頑張っていたわけじゃないが、疲労感と開放感はどうしても湧き出てくる。


「水流君、お疲れ様」


 隣の席から四葉が声をかけてくる。いつも通りの無表情、そして疲労感を感じているようにも見えない。


 みんなが燃え尽きるなり発狂するなりしてる中、まったくぶれないあたりさすが四葉である。


「あぁ……お疲れぇ……」

「はぁ……テスト終わったからって。陸に打ち上がった魚でももう少し元気よ?」

「あれは死なないために最後の力振り絞ってるから。高校生にとってはテスト中がそれだから。つまりテスト終わった今は死んでて何も問題ないんだよ」

「あなたは言うほど力振り絞ってないでしょう……。本当に使い切ったらああなるのよ」


 彼女が視線を向けた先にいるのは、まさに死体と化した彩乃だった。


 いつもならあいつこそ騒ぎ立てそうなイメージだし実際にそうなのだが、今回は机に倒れ込んだままぴくりとも動かない。自分の友達に声をかけられても動かない。


 ほんとに死んでないよな?


「まあ、頑張ってたしな」

「ええ、何か買ってあげようかしら」

「ご褒美か? 別に四葉があげる必要ないだろうに。約束もしてないだろ?」

「したいからするのよ」


 当たり前のこととでも言わんばかりに、彼女の声色には少しの変化もない。


 したいからする、ね……。


 また思い出しそうになるのは、あの夏祭りで四葉に言われたことだった。


 どうやら俺は思ったよりも根に持つタイプらしい。別に怖がっていた時みたいに気まずいんけじゃない。今みたいに普通に会話できるし。

 ただ、要所要所で俺があのことを思い出してしまうだけ。


 女々しいなあ……俺。


 額を冷たい机にグリグリと押しつけた。


「何してるの……」

「別に……ただ、ちょっと自己嫌悪してるだけだ」

「慰めて欲しいサインのつもりなのかしら」


 なんて言いつつも四葉が何かをする気配はなかった。

 サインのつもりはなかったけど、どちらにせよスルーするらしい。


「時に、水流君」


 ジィと、小さくシンプルな筆箱のファスナーをしめつつ彼女は口にした。


「テスト、終わったわね」

「ああ、終わったな」

「ということは、学校も午前で終わりね」


 三日間あるテストのうち、最初の二日間はテスト勉強に充てるため午後は授業も部活もない。三日目もなぜか午後は何もないが、部活が解放されるため基本皆部活に精を出す。


「まあ、俺も四葉も部活入ってないしな」

「そうね。そこで、水流君。午後何か予定あるかしら」

「――!」


 正直驚いた。四葉から予定を聞いてくることはほとんどないのだ。

 それに、この前の夏祭りから、彩乃と開いていた勉強会にも彼女は顔を出していない。


「あー……、いや、俺は――」


 そこで口を止める。


 本当なら、このあとまた図書館に行って調べ物をするつもりだった。もちろん、呪いについて。

 あんなことを言われてしまっては四葉の協力は正直望めない。だから一人で行くつもりだったけど。


「……特に用事はないな」


 どんな用があるのか。それが単純に気になった。もしかして呪いのことなのかもしれない。


「どこか行くのか?」

「ええ、そうね。久しぶりに二人で帰らない? 最近は桜木さんがいたから、二人というのも久しぶりでしょう」


 ふむとすこし頭を巡らせる。なるほど、確かにそうかもしれない。


 それに俺も四葉も昼飯がまだだ。どっかに食べに行くのもいいかもな。

 呪いのことも、何か聞けるかもしれないし。

 なんだか少し体が軽くなった気もする。


 ……なんだかムズムズするのは気にしないことにしよう。


「よし、じゃあ早速行こう」

「水流君、荷物」

「あ」


 片付けもせず何も持たず歩き出した俺を、彼女は呆れた顔をして見ていた。



 昼時ということもあり、ファミレスは客であふれていた。大した時間待たずに座れたのは幸運だったと思う。


 あたりからいちいち美味しそうな香りが漂ってくるせいで余計に空腹で。ついハンバーグを大盛りで頼んでしまった。


 肉厚のハンバーグにたっぷりかかったソース。切断面からは絶えず肉汁が溢れ、プレートがジュウジュウと音を立てている。


 これ全部食べ切れるだろうか。そんな不安を胸に抱えつつ、それをつまみながら正面に座る四葉の熱弁に耳を傾けていた。


「だから私は、カッターで餡かけスパゲッティを切り刻んだのよ」

「……」


 いやなんの話だよ。


 とりあえずファミレスの席に座り、ふぅとお互い一息。口を開いた四葉に、何を話すかと身構えた俺に向かって放たれたのは。


『ちょっとした話をしましょうか』


 そんな、自分の読んだ本について話すときの、いつもの決まり文句だった。

 

「ちょっと待って。えっと、四葉は殺し屋なんだよな? なんでそうなる」

「あら、聞いてなかったかしら。殺し屋だったのは昔の話。パートナーが裏切ったせいで廃業したから、弁護士になったの。でもわたしには合わなかったみたいね。二年で辞めて、今は飲食店専門の当たり屋よ」


 改めて聞いても意味がわからない。


「あっちこっちしすぎだろ……」

「そうね、自分でも変な人生送ってると思うわ」


 そして彼女は、アハハと困ったように、しかしどこか楽しそうに笑って見せた。それは四葉らしくもない明るさで、どちらかと言えば彩乃が浮かれそうな笑み。


 対して俺は、苦笑いを浮かべながらまたハンバーグを一切れ口に入れることしかできない。


 久しぶりの感覚だな、これも。


 違和感というかなんというか。四葉は読んだ本に感情移入をするあまり、そのことについて語るときは、自分のこととして語るのに加え、性格が少し変わる。

 今回は多分、明るい主人公だったのだろう。しかし聞いてる俺からすれば、別人と話してるような感覚になってしまう。


「まあ、もう慣れたけど」

「水流君、聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」


 ならいいけど、と。彼女は気にした様子もなく、巨大なパフェをスプーンですくった。



 ハンバーグを食べ終わる頃には、その本の話が終わった。やはり大盛りは無茶だったらしい、少しお腹が苦しかったのが治る頃には、二冊目の話が終わった。


 コロコロ変わる彼女のキャラに変な感覚を覚えつつ、俺は待った。他ならない、呪いについての話題をだ。


 しかし彼女はその話題を出す様子もない。焦ったい感情を抱える俺をよそに、彼女は三冊目の話をし終えてしまった。


 ひと段落だろうか、彼女は水を大きく煽る。


「ふぅ……ありがとう、水流君。この三冊は面白かったから、水流君にどうしても話したかったの」


 そう言いながら、彼女は自分の喉をさすった。


 まるで、これで満足とでも言わんばかりの仕草。


 いや、ちょっと待て。まさかもう終わりなのか?


「いや、聞いてても面白かったからよかった。で、さ、四葉、その……」

「どうしたの?」

「もう、ないのか? したかった話」


 すると四葉は、不思議そうな顔をして首を傾げる。


「特にないけれど。水流君は何かあったのかしら」

「いや、別に……」


 ある。あるに決まってる。でも四葉が言わないのなら、俺から切り出すのもなんだか躊躇われた。


 俺は呪いについて何か聴けると思ったからついてきたのに。期待外れ、とはまた違うがなんだか落ち着かない。でもこれじゃあまるで。


「――前と同じじゃないか」


 前。つまり、呪いを知る以前のありふれた日常。

 呪いのことなんてなかったかのような四葉の振る舞いに、空しく苛立った。


 水の入ったグラスを揺らす。氷はもう溶け切って、水面に映った不満げな顔が歪むだけだ。


「特にないのならもう出ましょうか。結構時間も経ってるし、何も頼まず長居するのも申し訳ないわ」


 そういって立ち上がった四葉に続く。二人それぞれに会計をして店を出て、そこからまっすぐ帰路についた。

 といっても途中までは同じ道だ。騒がしく車が走る音の中、二人並んで歩く。


「ねえ、水流君。今週の日曜日、空いてるかしら」


 ふと彼女がそう口にした。


 頭の中にカレンダーを呼び起こす。日曜日……テストも終わったし、これといった予定はない。まあ図書館に行こうとは思っていたけど。


 何もない、と返そうとして、言葉を止めた。


 正直、調べ物をしたい。四葉の誘いに乗れば、もしかしたら呪いのことがわかるかもしれないけど、今日みたいなこともある。


「……なんでだ?」

「テストも終わったことだし、ショッピングにでもどうかと思って」

「ショッピング……?」


 四葉が?

 つい怪訝な顔をしてしまう。

 四葉は誰かと買い物に行くというよりは、一人で必要なものだけ勝手に書いに行くような性格だ。そんな彼女が誘ってきた。しかもショッピング。


 いや、それよりも。


 ――なんで今?


「――っ」


 自然と歩む速さが早くなる。


 確かに今は、テストが終わって自由時間が増えた時期だ。でもだからこそ、呪いについて調べたいと思うのは当たり前のことだと思う。そしてそれは呪いを解くためであり、つまりは四葉のためである。


 また足の動きが早くなる。


 なんで今なんだ。俺が調べて、でも成果は全くなくて、でも頑張って調べようとしていて。

 そこに四葉が、なんで他人事のような顔をして、遊びに誘ってくるんだ。


 加速的に苛立ちが増してくる。


「水流くん、どうしたの? 突然早足になって」

「なんでもない……!」

「本当に……? それで、日曜日は――」

「予定があるから無理だ!」


 どんどん強くなる語調。しかし反して四葉はいつも通りに落ち着いていた。

 目の前に現れた歩道橋。あそこを超えたところが俺と四葉の帰路の分かれ道だった。俺は急かすように早足でまっすぐ歩く。そんな俺の横を四葉はいつもの無表情でついてくる。


「予定……もしかして、また図書館かしら」

「わかってるなら誘わないでくれ!」


 歩道橋の階段、中心あたりまで登ったところで、彼女は呆れたようにため息を漏らした。


「テストも終わったことだし、少しは息抜きをしてもいいと思うけれど。テスト期間中も調べてたでしょう? それに――別にそこまでして調べなくてもいいと思うけれど」

「…………は?」


 なぜだろう、その一言が、やけに心をざわつかせた。


 頭がだんだんと熱くなる。苛立ちが、怒りの念に塗り変わっていく。


「別にそこまでして調べなくてもいい? それを、四葉が言うのか?」


 振り返り、俺の後ろで階段を登っていた彼女を見下ろした。


 四葉はいつも通りの無表情だった。全く感情を動かした様子もなく、まっすぐ俺を見上げていた。遠くの方で車が走る音が聞こえる。彼女の動じない様子が、さらに俺の神経を逆撫でしていく。


「俺は……! 四葉を助けたいんだよ……! なのに四葉はいつも通りで! 全く協力してくれないじゃないか!」


 止まらない。考えるよりも先に口が動く。


「四葉を死なせたくないから! なんとかしたいからやってるのに!」


 たまたま周りに通行人は見当たらなかった。そして四葉もただ黙って俺の言葉を受け止める。


「俺は……! 俺は――」


 だからだろうか。止めるものもなくて、俺は好き勝手に捲し立てる。



「――お前のためにやってるんだ!!」



 真昼とも夕方とも言えないのんびりとした空気に俺の叫びがこだまする。


 四葉はただ、まっすぐ俺を見ていた。レンズの奥から黒真珠のような瞳が俺を捉えている。

 何も返さない。だから俺はまた前に向き直った。


「私は」


 背後で、彼女がぽそりと口にする。


「私は、嬉しいと思ってるの。あなたが私のためにしてるのはわかってる。それが嬉しくないわけがないでしょう」


 俺は何も返さない。


 わかってるならなんで。なんで手伝ってくれないんだ。四葉がいろいろ教えてくれるだけで、かなり助かるというのに。


「でもね、水流君。無理なの。この呪いは絶対に解けない・・・・


 わからないじゃないか。何か手があるはずなんだ。きっと、解くことができるはずなんだ。


「それに、ね。水流君。あなたは私がいつも通りだというけれど。私は――普通の日常を送ってはいけないのかしら」

「――っ!」


 違う。そうじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。そういうつもりで言ったんじゃない。


「あなたと一緒に帰って、一緒にご飯を食べて、一緒にお話して。そんな――ごく当たり前の欲求を感じてはいけないのかしら」

「ちが――っ!?」


 勢いよく振り返る。


 違うと。そんなことは言っていないと否定するために。


 しかし、俺の後ろで階段を登っていたはずの彼女は――浮いていた。


 階段の上で、後ろに倒れ込むような姿勢で、浮いていた。


「四葉!!!!」


 重力に従って落ちていく彼女に向かって手を伸ばす。しかし俺の掌は空を掴む。


 そして彼女はガンゴンと鈍い音とともに階段を転げ落ち。



 一番下で、動かなくなった。



 なんで、なんでなんで!!


 呪いで足を滑らせたのか!? でも今幸せと思う要因はないはずだ!


 しかし呪いの発動条件は『幸せと思う』ことだ。幸せでも不幸と念じ呪いを回避してきたのと逆に、不幸でも幸せと思うことで意図的に発動することができるのかもしれない。


 いや、そんなことはどうでもいい。階段から落ちたからって死んだとは限らない。


「きゅ、救急車を――」


 スマホを取り出して、一一九番。通話ボタンを押そうとしたところで、四葉の言葉を思い出す。


『呪いは、それがどれだけ確率の低いことだったとしても引き寄せてしまう』


 確かに階段から落ちたからって死ぬとは限らない。でも四葉の言葉が本当なら。


 視線をスマホから離し、四葉が倒れていた場所へ。


 ――そこにはもう、四葉はいなかった。


「四葉……」


 四葉が消えている。まるで何もなかったかのように。それはつまり、四葉が死んだということだ。

 四葉が言っていたじゃないか。死体は、一瞬でも誰からの視界にも入っていない瞬間があったら、その瞬間に消えると。


「はっ……」


 俺は力なく階段に座り込んだ。


 なんで、四葉は死んだのだろう。


 幸せと不可抗力で感じてしまったわけじゃない。となると。


「逃げた……のかもな……」


 俺がひどいことを言ったから。感情に任せて声で殴ったから。


 自分の不甲斐なさが嫌になる。


 何が喧嘩をしたいわけじゃない、だ。


 ただただ自己嫌悪。さっきまでの自分を憎んで、恥じて。



 しばらくの間、俺は一人階段で俯いていた。

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