11話 夏樹の思惑
「最近は随分と暑くなってきたわね」
四葉がそう口にしたのは昼休み、飯を一緒に食べているときのことだった。箸を置き、ほぅと小さく息を吐く彼女に、俺も額の汗をぬぐいながら答える。
「ま、屋上だしな、ここ。冷房のついてる教室ならまだマシなんだろうけど」
二つ目の惣菜パンの封を切って口に運ぶと、少しの時間放置していたからか嫌な熱を持っていた。生暖かくて気持ち悪い。
入口あたりのささやかな日陰になっている場所にいるとはいえ、暑いことには変わりなかった。
四葉とこうやって屋上で一緒に昼ごはんを食べる頻度は、遊園地に一緒に行ったあの日から格段に上がった。なんというか、四葉の遠慮がなくなったとでもいうのだろうか。とにかく、彼女から動くことがかなり増えたのだ。
いや、それ自体は全く嫌じゃない。なんなら嬉しいくらいだ。これで少しは付き合ってるカップルっぽいことが増えていくのかな、なんて勝手に楽しみに思ったりもするし。
「ていうか、暑いっていうならさ……」
パンを飲み込んで、呆れ気味に四葉に視線を向け。
「……えっとさ、離れたら?」
俺の肩に頭を乗せ、寄りかかっている彼女にそう言った。
すると彼女は、不思議そうな顔をして首を傾げてみせた。
いやなんでだよ、わかるだろ。
「あら、水流君は嫌なのかしら。悲しいわね」
「絶対このせいで暑い部分もあると思うんだけど」
「嫌だって部分は否定してくれないの?」
俺はそれにただ、目を背けることで答えた。
「ふふ、相変わらずね」
視界の外から微笑む気配。
うるさい、ヘタレだって自分でもわかってる。
居心地のいい体勢を探るように、肩に触れた彼女の頭がグリグリとうごめいた。彼女の黒髪がくすぐったい。どうやらやめる気は無いらしい。
諦めて壁にもたれかかる。いまだ慣れず、はや打つ鼓動を誤魔化すように、また惣菜パンをひとかじりした。
四葉は、遊園地に行ったあの日から積極的になった。それこそ、戸惑ってしまうくらい、急激に。
何度も言おう。嫌じゃない。それどころか嬉しい。
でも何というか、バカップルかというくらいのイチャつきぶりには、俺自身すらくすぐったさを覚えてしまうのだ。
二年付き合ってこれか。彩乃にこんなところを見られたら、そして俺の本心がバレたら、絶対バカにされるに違いない。
またパンをひとかじり。生暖かい。つい顔をしかめた。
「具合でも悪いの?」
「……いや、パンが生暖かくて気持ち悪い」
「そう。てっきりテストが嫌でそんな顔してるかと思ったわ」
そういって四葉は両手を合わせて、ごちそうさまでしたと口にした。
定期テスト。もっというと、七月上旬に行われる、一学期の期末テスト。つい先ほど今回のテスト範囲が配られたばかりだ。
そういえばそうだった。
現実逃避から目覚めてしまったような気分だ。俺はさらに顔をしかめた。
四葉はそんな俺の顔を見て、呆れたようにため息を吐く。
「やっぱりそうなんじゃない」
「違う。ちょっとこう、憂鬱なだけだって」
「全然違わないじゃない」
「ていうか嫌なこと思い出させるなよ……」
「現実って非情よね」
げんなりする俺とは対照的に、四葉はまた俺に寄りかかると、持ってきたらしい本を読み始める。
いや、四葉の反応の方が異常なんだろう。俺は別に赤点まみれになる程頭が悪いわけじゃないが、好きな行事であるはずもない。
「四葉は頭いいからいいよなあ」
「普段からの積み重ね、それに尽きるわね。テストなんて所詮、今までやったことの確認でしょう」
「いやまあそうだけどさ」
「予習復習をきちんとやっておけばテスト勉強なんて、身構えてする必要はないって何度も言ったじゃない」
「実際それをできるやつなんてほとんどいないと思うけど」
俺を含めて。
そう言外に込めて口にしても、彼女は「なら勉強することね」と返すだけだ。
まさに正論。反論の余地なし。
ここで「勉強教えてあげましょうか?」なんて言わないあたり四葉らしい。
実際手間だし、そんなこと頼めないけど。彼女と二人で勉強会、なんてそそる字面だけど、四葉に限ってはそうも言ってられないのだ。
しかしどうしようか。勉強しなくても赤点を取るなんてことにはならないだろう。……いや、一、二科目くらい危なかったかな。
やっぱ勉強しないといけないのか……と、逃れられない未来に肩を落としていると、パタンと本を閉じる音がした。
「四葉?」
依然俺の肩に寄りかかったままの彼女に目を向ける。本は閉じて膝に置かれ、彼女自身も両目を閉じていた。
さっき読み始めたばかりなのに珍しい。
その一言を口にする前に、惣菜パン最後の一口とともに飲み込んだ。
ゴミをレジ袋の中に入れて口を結ぶ。しかし四葉からの返事はなし。
もしかして寝てしまったのだろうか。揺らさないようにそっとスマホを取り出して時間を見ると、もう一二時五〇分だ。
「……四葉、寝るなよ?」
なんとなく小さな声でそう言った。
十三時に昼放課が終わるから、戻ることも考えるとあと五分でここを出たい。寝てすぐ起こされるのもアレだろうし。
反応なのか、ただ無意識なのか。四葉がもぞりとうごめいた。
「……目を閉じてるだけよ」
「ん、寝てなかったか。でもそれは彩乃がよく言ってるやつだな」
「桜木さんは本当に寝てしまうじゃない。私は寝ない。というより、寝れないのよ」
「寝れない?」
耳元でくすぶる彼女の声がこそばゆい。
「呪いで死んだ時に生き返る場所が、最後に寝たところなのよ」
周囲の空気が張り詰めたような感覚。呪いの話が突然出てきて、今までとは違う意味で体に力がこもる。
別にもう恐怖心は抱いていない。いや、全くと言ったら嘘になるかもしれないけど、少なくとも気にならないくらいには薄れている。
でもなるべく四葉には察せられないようにしたい。こっそりとバレないように息を吐いた。
生き返る場所が家という話は聞いていた。というか、勝手にそうだと思っていた。でも考えてみれば確かに、どうしてそこになっているかはわからなかった。
彼女は黙ったままだ。本当にただ寝ない理由として話しただけなのだろう。
でも俺としては、このまま終わらせたくなかった。
「でもさ、うっかり寝ちゃう時だってあるだろ?」
「そんなことあるかしら」
「ほら、授業中とか」
「それは水流君や桜木さんだからでしょう……」
表情こそ目を閉じたままだけど絶対呆れてる。そうわかるような声色だった。
まあそうだよな……四葉が授業中居眠りしているのは想像できない。
「でも、絶対ないってわけじゃないだろ?」
「……随分と聞いてくるのね」
「――っ」
彼女の瞼が開き、吸い込まれそうな瞳がレンズの向こう側から俺を見通してくる。蛇に睨まれたカエルのように、さらに体に力が入った。
がっつきすぎたかと、額に汗が伝う。
俺だって、ガツガツと踏み込むような話題じゃないことくらいわかってる。
遊園地で俺は受け入れたいと思った。いや、なんとかしたい、呪いを解いてあげたいとすら思っている。でも俺は彼女の呪いについて知らないことばかりなのだ。
欲を言うなら彼女に色々と聞きたい。でも踏み込むような話でもない。あの日からずっと、俺は何もできない歯がゆさを感じていた。
四葉が俺を見る。時間が止まったような感覚。しかしすぐに彼女はまた瞳を閉じた。
「……もし寝てしまった時は、いつも以上に『私は不幸だ』って言い聞かせてたわ」
何も言えなかった。
呪いはそんなところまで影響していて、しかもそれが小学生から。
目を閉じた彼女の寝顔――正確には寝てはいないけど――は、彼氏贔屓もあるかもしれないがとても綺麗だ。雪のような、薄く汗の滲んだ肌も、長いまつ毛も。とてもじゃないが、そんな呪いを抱えているようには見えない。
「……ごめん」
「何に対する謝罪なのかしら。というか、休みたくてこうしてるのよ? あまり話させないでくれると助かるわ」
そこまで言われたらもう何も聞けない。
といっても、時間まで残り一、二分しかない。
きっちり二分経つと彼女は目を開け、テキパキと片づけをすると立ち上がった。
屋上の入り口まで行って振り返り。
「それじゃ、戻りましょう?」
それだけ言って歩き出す。俺もその背中を追うように階段を降りた。
薄暗い階段を会話もなく進む。俺の中にあるのは後悔だけだった。
もっと聞いておけばよかった。聞かなければよかった。
呪いのことを知りたいが、聞けない。解いてあげたいのに何もできない。
どうすれば。何かいい方法はないか。下を向いて考えながら歩いていると、前を進む四葉が「そう言えば」と、思い出したかのように口にした。
「さっきの話だけど」
「さっきの話?」
「テスト。赤点取らないように勉強するのよ?」
「……あ、そっか」
ふと立ち止まった。
そっか、テストか。テスト勉強か。
変なところで言葉を区切った俺を不審に思ってか、四葉も振り返る。
「あそっかって、水流君……赤点は取らない方がいいに決まって――水流君?」
歩こうとしない俺を見て、四葉は不思議そうな顔をした。
そうだ、テスト勉強だ。テスト勉強をするなら――
首をかしげる四葉に、俺は問いかける。
「なあ、四葉、勉強教えてくれないか? ――図書館とかでさ」
図書館ならいろんな本もあるし、テスト勉強といえば四葉も来てくれるかもしれない。何より本自体もたくさんあるから、四葉も嫌いな場所ではないだろう。
さっきは手間だろうから頼めない、なんて思ったけど。
とにかく、知識が必要だ。呪いについて調べないと。
四葉はじっと俺を見つめていた。俺の思考を探るように、じっと。そして、一つため息を吐いたかと思うと。
「……わかったわ」
ゆっくりと、首肯した。
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