10話 払拭と元通り

「絶対なんかあったでしょー!」


 観覧車から降りた俺たちを迎えたのは、両ほほを可愛らしく膨らませた彩乃だった。迎えたと言っても観覧車の近くのベンチに腰掛けてスマホをいじっていたところに、俺たちが歩いて行っただけだけど。


 黄昏時も終わりを迎え、空の紅が西の空に消えかかる頃合い。観覧車に乗る前と同じように、でも少しだけ距離が近づいた俺たちを見て、不満げに口を尖らせていた。


「何か起こるようにしたのは彩乃だろうに」

「それとこれとは別! で、何があったの? 何をしたの?」


 彼女は表情をころっと変える。今度は大きな瞳に好奇心をいっぱいに映して、俺と四葉を交互に見た。


 何があった、といっても大したことは何もない。でも自分の心中を吐き出したからだろうか、それを口にするのはなんだか躊躇われる。逃げるように視線を彩乃から背ければ、その先の四葉はしかし、俺とは違って少しも動揺した様子は見せなかった。


 彩乃は逃げた俺を見て「まあ夏樹だし」とでも言いたげなため息。代わりに詳細を求めるように四葉を見ると彼女は少し目線を下げ、そして静かに口を開いた。


「……水流君に、触れてもらったわね」

「……???」


 わけがわからない、といった調子で彩乃は右へ左へと首を傾げた。


 正直俺もそれだけだとほとんどわからないだろうけど、結局話せるのはそれだけなのだ。呪いについてなんて教えることができるわけがないし、俺と四葉がどんなやり取りをしたのかなんて恥ずかしくて口にできたものじゃない。


 しかし好奇心旺盛、野次馬根性旺盛な彩乃のことだ。放っておけば追求してくるのは目に見えている。いち早くこの話題を切り上げるため、「そんなことより」と口を開きかけていた彩乃に被せるように口にした。


「彩乃は一人で乗らなかったんだな、お化け屋敷の時と違って」

「……あのねえ、流石のわたしもそれが危険ってことくらいはわかるんだよ?」

「危険って」

「危険だよ! だってどうせ密室で二人きりになったカップルなんてイチャイチャするに決まってるじゃん? その次のゴンドラに乗るから二人のゴンドラも見れるじゃん? 私だから覗くじゃん? 最悪死ぬよ」

「大げさだろ……」

「死ぬかもしれないのはこちらなのだけどね」


 彩乃に聞こえないくらいの声で四葉はそう呟いた。それこそ大げさな気もするけど。でもさっき観覧車で口にした照れ隠しのことを考えると、それほど大げさでもないのかもしれない。


 なんだかそう考えると、嬉しいというか、なんというか。ムズムズして落ち着かない。無意識のうちに、頭をかいた。


「むーーーー!!」


 そんな俺たちを見て、彩乃はさらに破裂しそうなくらいに頬を膨らませた。


「もう帰ろ! 四葉ちゃんも早く帰りたいんだよね!」

「いえ、確かに遅くなりすぎるのはあれだけど、まだそれほど急がなくても――」

「いいから帰るの!」


 勢いよく振り返ると、プンプンと擬音が聞こえてきそうな足取りで早足に歩いていく。俺と四葉はその背中を見たあと顔を合わせると、互いに呆れたように肩をすくめた。


 カップルとか、両思いとか、時には片思いとか。そんな人たちの間を取り持ち、その結果を野次馬して。そのくせ人がイチャイチャしているのを見るのは面白くないとはどこか矛盾しているようにも思うけど、彩乃なりの線の引き方があるのかもしれない。


 にしたって今のは理不尽すぎないか? そんなことを思いながら彩乃の小さい背中を追おうと足を踏み出した、その時。


「水流君」


 いつの間にか俺の数歩先にいた四葉がこちらを見て、手を差し出した。何を言いたいのか、何を求めているのか、尋ねるまでもなくわかる。

 背中に走る、もはや懐かしい微かな悪寒。


 そんなの感じる必要もないだろ、目の前の彼女は、四葉なんだから。


 そう考えると、悪寒の残り香のようなものすら霧散していく。


 小さくうなずいてその白い手を取ると、ピクリと小さく震えた。少し冷たくて気持ちがいい。手触りもすべすべしているし、やわらくて心地いい。

 ぎゅっと握ると、恐る恐る細い指が握り返してくる。


 今まで怖がっていたのは俺なんだから、四葉がそんな握り方をするのはおかしいだろうに。それがなんだかおかしくて思わず吹き出すと、彼女はムッと顔をしかめた。


「ほら、早く行きましょう。桜木さんに置いてかれてしまうじゃない。ただでさえ水流君はのんびりしてるのだから」


 意趣返しのつもりか、俺の手を心なしいつもより強く引いて歩きだす。


 紅は空から完全に消え去り、ライトアップが灯り始める。昼間とは空気が変わり、夜の時間へと変貌した遊園地を、四葉は彩乃を追うように、俺はその四葉に引かれるように歩いた。


「今のは俺が悪いのか?」

「ええ、水流君が悪いのよ。水流君のくせに私を笑ったのだから」

「四葉ってそんなに俺のこと見下してたのか?」


 少し早足で四葉に追いつき、隣に並んだ。

 彼女の顔を見てそう尋ねると、彼女はバツの悪そうな顔をして――なんてことは少しもなく。一瞬俺に視線を向けたかと思うとまた前を向き直す。


「別にそういうわけじゃないけれど」

「ならなんでそんな言い方を?」

「別に深い理由はないわ。なんとなくよ、なんとなく。でも強いて理由をいうなら――」


 四葉の俺の手を握る強さが微かに強くなる。氷のように冷たい彼女の手に、熱がこもった気がした。


「今私が不幸だから、その八つ当たりかしら」


 一見理不尽極まりないその理由に、俺は「そっか」とだけ返した。


 別に怒る気にもならないし、怒る必要もない。四葉がそんな理不尽なことをそうそうする人じゃないとわかっているのもある。

 

 それに最近、もっと細かくいうと彼女の呪いのことを知った時からわかったことがある。

 彼女の口癖と言ってもいいくらい頻繁に四葉が口にする『不幸』。でも彼女が不幸と言ったことと、彼女が実際に不幸と感じていることはイコールではないということだ。それどころか、むしろ逆ということもある。


 だから俺は、とやかく返すこともなく、ただ手を握り返すことで答えた。もうあの悪寒はない。視界の外で四葉が微笑む気配を感じたところで。


「またイチャイチャしてるしーー!!」


 少し前で振り返った彩乃の声に、俺は耐えきれず吹き出した。




「疲れた……」


 帰宅してすぐ。母さんに夕飯はいいと伝えながら階段を上がって自室に到達。荷物を投げ出しながらベッドにダイブして、一日の疲労を吐き出すように大きなため息を吐き出した。と言ってもそれで全ての疲労を吐き出せるわけもない。

 夏のはじめだというのに一日家主を無くしていたこの部屋はやけに蒸し暑かった。日中歩き通しだったこともあって、べちょべちょとまではいかないが、不快に感じるくらいには汗もかいている。


「風呂……めんどくさ……」


 いやそもそも外出なんて慣れないことをしたから余計に疲れてるのか。やっぱ外出なんてするもんじゃないな。インドア最高。


 そんなバカなことを考えながら、ゴロゴロと寝返りを繰り返す。めんどくさいからって掛け布団冬用のままにするものじゃないな。暑い。


「風呂……入るか」


 またため息を吐き出しながら体を起こした。めんどくさい、めんどくさいけど、風呂には入らないと。明日は普通に学校だし、このまま横になってたらそのまま寝てしまいそうだ。


 鉛のような体を持ち上げようとした時、不意にピコンとスマホが鳴った。確認してみると、メッセージアプリの通知らしい。名前には『立川 四葉』と表示されていた。


「四葉……? なんかあったかな……」


 生真面目に今日はありがとうとか送ってきたのかもしれない。四葉ならありえる。

 開いてみると、表示されたのは一枚の写真だった。


「これ……昼間のやつか」


 おそらく遊園地でジェットコースターの後の食べ歩きの時に撮られた写真。それを見て、つい顔が緩んでしまう。


 確かあれは、四葉がいきなり近づいてきて急に自撮りをした写真だった記憶がある。そしてその記憶は正しいと、大きく目を見開き間抜けな顔をして四葉を見ている俺の顔が物語っていた。

 そして四葉は相変わらずの無表情。そのくせしっかりピースをしているのだから、間抜けヅラの俺と合わさってかなりシュールだ。


 さらに、あの四葉からは考えられないが加工がしてあった。と言っても文字が書かれているだけだ。おそらくデフォルトであろう面白みのないフォントで『厨二病カップル!』のみ。


「……ははっ」


 彼女の表情とピースのギャップも、俺の間抜けヅラも、慣れていないのが丸わかりのお粗末な加工も、そもそも四葉が写真を送ってきたことも。

 何もかもが似合っていなくて、つい笑ってしまう。


 これは彼女なりの気の使い方なのだろうか。観覧車内でのやり取りからも感じていたけど、四葉自身も歩み寄ろうとしてくれていることがよくわかる一枚だった。


「全く似合ってないなあ」


 クックックと笑いながらそう口にする。

 なんだか疲れも少しマジになった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る