9話 2人きり

 いい景色も観覧車も、嫌いじゃなかった。


 だんだんとゴンドラが昇っていき、いくつかのアトラクションを追い越すと向こう側に住宅の群れが姿を現す。非日常の壁の向こう側に広がる日常を赤く染める夕日。四葉の呪いを目の当たりにしたあの日と同じ、燃えるような紅だった。


 思わずほぅと息を飲むような景色なのに、俺の気分は沈んだまま。


「いい眺めね」

「……そうだな」

「下を見てるのによく同意できたわね」


 向かい合って座る四葉は、ほぼ上の空状態の俺に、呆れたようなため息を漏らした。


「もったいないわよ。ほら、せっかく今日はいい天気なのだから」

「今は……それどころじゃないんだ」

「……怖いの?」


 そう尋ねる彼女の声は、いつもより静かな気がした。ただ俺の返答を待っている。

 俺は一度息を吸い、小さく吐き出した。

 ゴンドラは音もなく登っていく。


「別に高所恐怖症でもない」

「そう……」


  それだけいって、四葉は外を向いてしまった。


 これは……気を使われたよな。もっというなら、見逃してもらったよな。


 彼女は怖いかどうかと尋ねてきた。でも『なにが』かは言っていない。だから俺はそれに甘えて逃げた。

 

 何度目かわからないため息を吐き出す。


 逃げてばっかりだな、俺。四葉から、身体的にも、精神的にも。



 そこからは会話もなかった。四葉も、そして俺もただ外を眺め、遠くの紅に浸る。

 ゆっくり、ゆっくりとゴンドラは登り。気がつけば、もうすぐ一番上に到達しそうだった。


「ねえ、水流君」


 気まずさの中会話をどこかで望んでいたはずなのに、心臓は想像以上に大きく跳ねた。

 口を開けて、荒くなる息を四葉にバレないように少しづつ漏らす。少し間を置いてから、ようやく「……なんだ?」と返した。


「水流君は、わたしの……なにが怖いのかしら」

「…………」

「どんな……ところが、怖いのかしら」


 彼女は夕日を眺めたままそう言った。


 四葉はまっすぐな少女だ。自分をしっかり持っているから言葉に迷いはないし、話すときはいつも視線をこちらに向けてくる。

 気持ち悪いからと人から逃げ続けていたから、そんなところに俺は憧れたところもある。


 だからだろうか。つっかえながら、迷いを含んでいそうな口調で、こちらを見ない四葉に対して、やけに心がざわついた。


「どんな……ところ……」


 答えは俺の中にあるはずだった。さっきお化け屋敷の中で自覚したのだから。でもそれを口にするのは憚れた。

 でも答えないわけにはいかない。だから俺は少しずつ、言葉を探るように口にする。


「俺もはっきりとは、わからない。わからないけど……多分……」

「…………」

「四葉が……四葉じゃないから、と……思う」

「そう……」


 彼女は相変わらずこちらを見ないままだった。

 失敗したのだろうか。傷つけてしまったのだろうか。


 彼女の感情がわからない。それは今までもだったが、それが四葉という少女だったこともあって大して気にならなかった。でも今は違う。彼女の気持ち、感情が気になってしょうがない。四葉は何を思っているのか、何を感じているのか――そしてそれは、今までの四葉と同じであるのか。


 でもわかるはずもなかった。朱に照らされたその整った横顔は、見る分いつも通りで。だから俺は心がざわついて、ぎゅっと拳を握ってしまう。


 そしてやはりその態度を崩すことなく、彼女は口を開いた。


「私は私なのだけど……たとえ、死んでしまっても――生き返ってしまったとしても」

「っ! 違う……! 四葉はあの時、確かに死んだんだ!」


 つい勢いよく立ち上がり、声を荒げた。そこでやっと四葉は俺に視線を向けた。


 黒真珠のような双眸は、かすかに歪んでいた。


「なのになぜか四葉は目の前にいて! わけがわからない……!」

「だから私は呪いのせいで生き返って――」

「普通は生き返らない!!」

「――!」


 がたんと風が強いのかゴンドラが大きく揺れる。彼女の表情がここ一番で歪んだ……気がした。


 だってそうだろ。死んだんだぞ。俺の目の前で、鉄筋に押しつぶされて、確かに。あの時の血の匂いも、赤に染まった視界も、そして彼女の死ぬ寸前の笑顔も、俺はしっかり覚えている。あれが夢とは、とてもじゃないが思えない。


 生き返ったなんて言われても、それで「ああそうですか、それは良かった」とはならないだろ。ここはファンタジーでもフィクションでもない。他ならない、現実だ。


「生き返るなんてあり得ない。生き返ったなんて言われても、どうしたらいいか、どう受け止めればいいか……」

「水流君……」

「あ……」


 四葉は、どこか悲しそうな表情をしていた。それを見て我に帰る。

 俺は今、何を言ったんだろう。思い返せば罪悪感と後悔がのしかかってくる。足が震えて、ストンとまた腰を下ろした。


「あ、いや……違う……別に死んで欲しいって思ってるわけじゃなくて……」

「いえ、いいのよ……今まで私を拒絶してきた人たちも、同じような気持ちだったと思うから。どう対処していいかわからないし、普通じゃないから気持ち悪い」

「…………」


 そうじゃないとは言えなかった。


 別に四葉を拒絶したいわけじゃない。嫌いになったわけじゃない。四葉のことは相変わらず好きだ。読書中の絵画のような姿も、そのくせいたずらやからかうのが好きな性格も、無表情の中で時折浮かべる笑顔も。

 でもそれとは別に、言うなら本能的に、気持ち悪いと思ってしまうのだ。だから俺はただ大きく息を吐き出して、重く口にする。


「……ごめん」

「いいのよ、別に謝らなくても。その反応が普通なのだから。でも……ねえ、水流君」


 彼女は無表情のまま、コテンと首を傾けた。


「私は私だと、わかって欲しいのよ。わがままかもしれないけれど。怖いままでいい、気持ち悪いままでいい。もちろん後々はそう思われないようにしたいけれど」

「……俺だって、そうしたいよ」

「……ねえ水流君、今日の私は、いつもの私だったかしら」

「え?」


 唐突な問いに、つい顔を上げた。


「私の存在とか、死ぬとか生き返るとか。そういうのを抜きにして今日の私は、今までの私と同じだったかしら」

「同じかどうかと言われても……」


 今日一日を思い出す。

 朝遅刻して四葉に怒られて、遊園地に来て、ジェットコースターやお化け屋敷とかに乗って、観覧車にものって。そこでの四葉は今までの四葉と。


「……同じだった」


 絞り出すように、そう口にした。


 遅刻した俺に待っていたのは、いつも通りに長い四葉の説教だった。以前苦手だと聞いていた通りにジェットコースターは苦手だった。前にホラー映画を見たときと同じように、お化け屋敷を怖がっていた。

 俺の目の前で死んだあの日より前の四葉と今日の四葉は、少なくとも中身は全く同じに思える。


「それと」

「っ!?」


 四葉が距離を縮めてきたのは突然のことだった。俺に覆いかぶさるような、いわゆる壁ドンのような体勢。反射的に後ずさろうにもここは観覧車のゴンドラの中だ。

 あの感覚が全身を這いずり回る。全身の筋肉が冷え固まっていくようだった。


 そんな中、四葉はそっと俺の手のひらに自分の手のひらを重ねた。違和感と気持ち悪さが数段強くなる。

 ごめん。もうやめてくれ。そう言いたくてもなぜか口には出せなかった。


「今触れてるのは、だれ?」

「だ、誰って」


 考えたくもない。見たくもない。無意識のうちに四葉から目をそらした。

 だって見たらあの肉塊かもしれないから。血の色で染まっているかもしれないから。


 でも四葉は、強く俺に向かって口にする。


「水流君、見て。あなたに触れているのは、だれ?」

「もうお願いだから、四葉……」

「水流君、見て欲しいの、私が誰なのか。じゃないと私は……」


 彼女の声が次第に細くなる。それに比例するように、後ろめたさが背後から迫ってくる。


 わかってるさ。悪いのは俺だって、逃げてるのは俺だって。でもしょうがないじゃないか。怖いものは怖いんだ。

 自分に言い訳をして、正当化して。彼女から目を背けようとしたその瞬間。


「ねえ水流君……お願い」


 彼女の表情を目にしてしまった。


 四葉は、笑っていた。彼女は基本的に無表情で、表情を浮かべたとしても薄い。だから笑顔自体が珍しい。それだけでも心が揺れてしまうのに。


 今彼女は、泣きそうな顔をしているのだ。泣きそうな顔をして、笑っているのだ。


 初めて見る顔だった。だからだろうか、気づけば痛いくらいに強く拳を握っていた。大きく、大きく、自分の中の嫌悪感や違和感を吐き出すように息を吐き出して。


 恐る恐る、自分の手を見た。


「あ……」


 そこに重ねられていたのは、どこもおかしなところなんてない、今までと同じような四葉の手だった。


 肉塊なんて言えないに綺麗で。血の色なんて表現できないくらいに白くて。

 気がつけば、悪寒が少し無くなっていた。


「ねえ、水流君。手に触れているのは、誰かしら」

「……四葉だ」

「そうね……私でしょ? 以前手を繋いだ時と感覚は違っているかしら」

「……同じ、だと思う」


 女子特有の、男子にはない柔らかさ、そして低体温な四葉らしく以前と同じように、ひんやりとしている。お化け屋敷の時はそれどころじゃなかったけど、今はそれが今までの四葉と同じとわかる気がした。


 もう片方の手の人差し指で、彼女の手の甲をツツと撫でた。すると彼女はくすぐったそうにする。感触もある、まごう事なき四葉の手だった。


 ほっと息を吐き出すと同時に、体の力が抜ける。


 安心、しているのだろうか。自分のことなのによくわからない。とにかく、お化け屋敷の時の様な悪寒を感じていないのは確かだ。もちろん、ゼロになったわけではないけど。


 四葉もそれを感じ取ったのか、その表情が少し緩んだ気がした。


「少しはマシになったかしら」

「……結構なった」

「そう、それは良かったわ」


 一度わかってみれば、なんであんなに気持ち悪いと思っていたのか不思議なくらいだった。どこからどう見ても四葉の手なのに。

 じっと見つめながら今度は全体的に四葉の手に俺の手をかぶせ、さする様にうごかす。細い指に陶器の様な肌。血なんてどこから想像したのか。


 気がつけばゴンドラは頂点を通り過ぎ、折り返し地点。少しの間そのままでいると、不意に四葉が「んんっ!」と咳き込んだ。


「その、水流君。いつまでそうしているつもりなのかしら」

「え? ……ああ、ごめん!」


 跳ねる様に四葉から手を離す。


 いや別にダメなことをしてるわけじゃないんだけど……そう言われるといけないことをしている様な気がしてしまう。


 四葉はといえば、まじまじと俺がさすっていた方の手を見つめている。だから余計に意識してしまって顔に熱がこもってくるのを感じた。彼女はいつも通り表情が薄く、意識している様子は微塵も感じないが。


 でもなんだか、そんな普通のことを感じれる様になったのが少し嬉しかった。これなら呪いだってすぐに――そう考え始めたその時。


「……別に呪いについてはすぐに受け入れてくれとは言わないわ」


 湿った息を吐き出しながら、四葉はそう口にした。

 なぜか少しムッとした。


「なんでだよ」

「怖いとは思わなくなったとしても、呪いを受け入れるかどうかはまた別の話でしょう?」

「そうだけど……」


 呪いを受け入れることができるかもと思った矢先にそう言われ、出鼻をくじかれた様な感じだった。確かに別かもしれないけど、俺は確かに受け入れたいと思っているのに。


「別に無理しなくてもいいわ。今までだって、誰も受け入れてくれなかったし」

「む、無理なんてしてない!」


 今度は俺が四葉に詰め寄る番だった。

 重心が偏ったせいでゴンドラが揺れる。ぐいといきなり距離を縮めたからか、四葉は目を丸くしていた。しかしすぐに冷静になって、またいつもの表情に戻ってしまう。


「無理してるじゃない。現に今の今やっと怖くなくなったのでしょう?」

「そうだけど……! 俺は無理とかじゃなくて、本心で受け入れたいって思ってるから」

「……まだ完全に怖くなくなったわけじゃないじゃない」

「それでも――」


 いや、このことに関しては何もいえない。だって四葉の言っていることは事実だから。ついさっきまで四葉のことを気持ち悪いなんて思っていた俺が何言っても説得力なんてないかもしれないけど。


「受け入れたいんだよ。なんとかしたいんだよ。だって、その……彼氏、だから……」


 すると四葉は面食らってぽかんとした顔をした。対して俺はきっと顔を真っ赤にしていることだろう。


 だってむちゃくちゃ恥ずかしい。四葉と付き合っているから彼氏であるというのは何も間違っていないけど、改めて口にするなんてなかなかしてこなかった。

 なんだか四葉とのこの近距離の状態も恥ずかしくなってきて、四葉から目をそらしたまま離れて椅子に腰を下ろした。


 彼女は何も言わない。俺ももちろん何もいえない。顔を見れないから四葉がどんな顔をしているかもわからない。でも何も反応がないのはなんだか不安になってくる。


「な、なあ四――」

「この呪いで死ぬ時の死因は、必ず現実で起こりうるものになるのよ。それがたとえどれだけ低確率だったとしても」

「え……四葉?」


 あまりに脈絡のない話題につい彼女の名を口にして四葉に視線を向けた。彼女の視線はもう見えなくなりかかっている夕日の方に向いている。


「近くに工事現場があるなら鉄筋が落ちてくるかもしれない。住宅街なら電柱がいきなり倒れてきたり塀が突然崩れるかもしれない。タチが悪いことに、それによって私以外の人間がどんな被害を受けるかなんて全く考慮されないのよ」

「ちょ、四葉、なんの話だよ」


 いつも以上に饒舌。そしてどこかいつもより早口。俺の声も無視して彼女は続けた。


「もし、もし今呪いが発動するとしたら、きっとゴンドラが外れて落下する」

「それって……」

「だから――」


 外に顔を向けたまま、視線だけ一瞬俺に向け。


「そうなると水流君も危険だから、これ以上何も言わないでもらえると嬉しいわ」


 やけに小さな声で、そう言った。


 つまり、『喋るな』。でも夕日で照らされてるだけとは思えないくらいに赤い彼女の横顔を見ていると、その真意が簡単にわかってしまって。


「……わかった」


 そういう以外に、俺は何もできない。


 そこから観覧車が終わるまで会話は一つもなかった。でもその時間は、不思議なことに今までで一番心地いいと言えるものだった。

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