7話 四葉の弱点
「やられたな……」
お化け屋敷内の湿気や嫌な涼しさ。それを肌に感じながら、一人ぼやく。
そういえばそうだ。彩乃の目的は俺と四葉を仲直りさせることで。当然ながら二人きりにした方が彼女にとっては得。
どうせ後で理由を問いただしても、「吊り橋効果だよ!」とドヤ顔を決めてくるに違いない。それはそんな万能じゃないし、そもそも恐怖と恋愛感情を錯覚する心理効果だ。俺たちにはあまり意味がない。
それより大変なのが今の状況だ。
四葉と、二人きり。
最近わけがわからなくて、近づかれると恐怖すら感じてしまう彼女と、二人きり。
あの気持ち悪い感覚を、もうすでに感じ始めていることに気づく。
克服したい。克服したいが、それと同時に確かに憂鬱で。でも。
「覚悟決めるしかないよな……よし」
フッと勢いよく息を吐き、四葉に向かう。
「ここにいてもしょうがないし、先に――四葉?」
そこにいたのは、見たことがないくらいにカタカタと体を震わせる四葉だった。
なんだ、様子がおかしい。
四葉の正面に回り込んでも反応はなし。少しかがみ、下から覗き込むようにして声をかける。
「四葉?」
「ッッッ!?!?」
大きく肩を跳ねさせ、飛び退くように俺から距離をとった。非常灯の頼りない明かりが、目を思い切り見開いた四葉の顔を照らしている。
「大丈夫か……って、どう見ても大丈夫じゃないな。四葉、こういうのそんなにダメだったのか……」
「何を言っているのかしら、私は花蘭寺本家に属する陰陽師。こんなところが怖いなんて……はぁ、ごめんなさい……少し、厳しいわね」
俺とわかって落ち着いたのか。浅い呼吸を繰り返しながら、そろそろとまたこちらに歩いてくる。両手を体の前で握って、いつもよりなんだか小さく見えた。
きっと最初に口にしたのはさっき読んでいた本の設定なのだろう。四葉の極度の感情移入で乗り切ろうとしたけど、厳しかった。
もうそれでも無理と感じたのだろう、少し自重気味に笑みを浮かべていた。
「そんなに無理なら言ってくれれば良かったのに。彩乃だって、強制はしなかったと思うし」
「……そんなの、桜木さんに悪いでしょう。色々やってくれてるのに」
「まあそうだけど……ごめん、俺が気付けば良かった」
「別にいいわ。あなただってそれどころじゃないでしょうし、いろいろと。……こんなところで止まっててもしょうがないわ、先に行きましょう」
少し落ち着いたのか口調は元に戻りつつあった。でも心なしいつもよりも小さいし、弱々しい。
行きましょうと言いつつも、先に行く様子はなかった。普段ならさっさと前を歩くのに。それだけ苦手ということだろう。
申し訳なさもあって、俺が前を歩けば四葉はその後ろをついてきた。
まだ序盤。思い切り脅かすような仕掛けこそないものの、この場所の雰囲気が不気味だ。薄暗い空間、湿った空気、遠くの方で聞こえるうめき声や、別の客か何かの叫び声。
苦手というわけでもない俺でさえどこか落ち着かなくなってくる。四葉は相当なんだろう。気を紛らわせるためか、気がつけば四葉に問いかけていた。
「なんとなく平気なものかと思ってた。その、オカルトとか」
「呪いのことを言っているのかしら。あれは確かにオカルトだけれど、だからと言って平気にはならないわよ。むしろ逆」
またうめき声。ピクリとも肩が跳ねた彼女 に、「逆?」と返す。
「オカルトが存在すると知っている。そしてそのオカルトに殺され続けている。……怖くなるに決まっているでしょう」
「……そうか」
そんなことしか返せない自分が情けなかった。
それに、『怖い』と隠すことなく四葉が口にした。それだけで、今四葉がどれだけ平静ではいられていないのかがわかってしまう。
なんとかしたいが、何もできない。呪いのこともそうだし、今の状況だってそう。リタイアするか、なんて提案してもきっと四葉は拒否するだけだ。
「…………」
いまだ体を丸くしながら俺の後ろをついてくる四葉を見る。彼女の視線はキョロキョロと忙しない。俺の視線の向く先は、相変わらず体の前で握られている白い両手だった。
手でも握ってあげれば、少しは怖くなくなるだろうか。手を引いてさっさと抜けさえすれば、少しでも恐怖を軽減させることができるだろうか。
それでも動くことができなかった。
「水流君……?」
「……っ。いや、なんでもない」
「どうか……したのかしら」
「ほんとなんでもないから。その……怖いなら、目つぶっててもいいから」
「目を……? 何言ってるのかしら。一本道ってわけじゃないんだから壁にぶつかっちゃうじゃない」
「いや、だから……袖でも握ってくれれば、出口まで連れて行くから」
キョトン。
四葉はそんな擬音がピッタリ当てはまるような顔をした。
「まさか水流君からそんな提案してくるなんて」
「……俺にはこれが精一杯だから。悪かったな、手を引いて行くとかじゃなくて」
「いえ……いいのよ、わかってるから」
さっきとはちがい、からかうような言葉はかけてこない。殊勝な態度がなんだか落ち着かなかった。周囲に意識を向けようにもこんな場所だ。だから結局、四葉から目をそらして前を向く。
すると、後ろにキュッと引かれるような感覚。四葉は袖じゃなく裾をつかんだらしい。
自己主張をしない、弱々しい掴み方だった。
言った場所じゃなくて別の場所。些細なことだけど気になってしまう。しかし「なんで」と口にする前に、四葉が答えた。
「……まだ、袖はきついでしょう」
「そんなことない」
「いいのよ、別に見栄なんてはらなくて」
「……さっさと行こう」
言い返しもせず歩き出す。
四葉の言う通りだ。袖だと厳しかったかもしれない。今でもかすかに悪寒がするから。
薄暗い廊下を早足気味で歩く。後ろに引かれるような感触はまだ消えていない。俺がただ引っ張っているだけという可能性もあるけど、四葉の足取りも軽くなった気がした。
しかしまだほとんど進めていない。こんなところさっさと抜けたい……けれど。途端に四葉が話さなくなったのが落ち着かなくて、仕掛けを探すように辺りを見渡してしまう。
いつも飄々と、冷静を保っているから、こんな四葉を見るのは初めてなのだ。
「いや……初めてでもないか」
いつだったか、二人で映画を見に行った時。間違えてホラー映画のチケットを買ってしまったことがあった。無駄になるからと四葉が言ったから結局ホラー映画を見たが、見終わった時の四葉は様子がおかしかった。
結局、俺が見ていないだけ。そのせいか、罪悪感で胸が苦しくなる。
だからだろうか、つい四葉に提案してしまった。
「目、つぶっててもいいんだからな?」
「引いてくれてるとはいえ危ないでしょう」
「段差とかあったら先に言うから。目瞑って、早く終わるように祈ってでもいたらいいって」
「……神様、なんて言って祈るのは嫌いね」
一層冷たい風がヒュウと吹いた気がした。四葉の声のトーンが一段下がる。
なんだろう、やっちゃったか。
足は止めないが、少しぶりに意識が四葉に向いた。
「何かを願って、神様だとか何かの存在にうっかり目をつけられて。それで勝手に願いを叶えた挙句、その代償としてとんでもないものを要求されでもしたらたまったものじゃないわ」
あまり聞かない考え方に、つい首を傾げてしまう。理にかなっていないわけじゃないけど、神様を信じない、嫌いになる理由としては少し違和感があった。
でも四葉の言葉には妙な説得力がある。
「なあ四葉それって――」
少し踏み込もうとした、その時。
『あぁぁあぁぁあああぁああああ!!!!!』
どこからともなく絶叫が響き渡った。野太く、喉が引きちぎれるような断末魔。
「ヒッ……!」
「ちょ、よつ――」
俺は肩を大きく跳ねさせたが、四葉がそれどころじゃなかった。顔を真っ青にしながら、遠慮なしに抱きついてくる。
なんだかんだ今まで四葉は実際に触れてくることはなかった。呪いのことを知ってからはじめての身体的な接触だった。
「――ッッ!!」
「きゃっ!」
そして変わらず襲いかかる悪寒。足元から頭の上まで一気にムカデが這っていったような嫌悪感。
「あ……」
気がつけば俺は、引き剥がすように四葉から距離を取っていた。
それを自覚した途端、罪悪感がのしかかってくる。俺から一歩、二歩離れたところで体を小さくさせ、細かく震える四葉を見てその気持ちはさらに強くなった。
「あ、えっと……ごめん、四葉……」
「…………」
もはや四葉は返事すら返さない。虚ろな視線で床を見つめたまま、浅く、しかし荒い呼吸を繰り返す。
多分さっきのは仕掛けの一つなんだろう。参加者の悲鳴にしては生々しすぎた。どちらかといえば耐性のある俺も正直結構怖かった。
だから苦手な四葉なら――いや、ここまでになったのは、きっと俺のせいでもある。
ギリと奥歯を噛み締めた。
俺のせいだと言う罪悪感。勝手に悪寒を感じてしまうからしょうがないという自己弁護。それらが入り混じって嫌になる。
どちらにせよ、四葉はもう限界だ。
「四葉、リタイヤしよう」
「…………」
四葉は答えず、首を横に振った。
「なんで……!」
やっぱり四葉の考えが読めない。四葉は確かに負けず嫌いの気があるけど、ここまでじゃなかったはずだ。
何かが四葉を突き動かしている。そしてそれはきっと、俺が関係している。でもその目的を阻害してるのは、他ならない俺で。
「クソ……」
ごめんという言葉すら出てこない。そんなものより、行動で示すべきだ。
俺が四葉のためにできることはなんだ。思考を巡らせながら目に付いたのは、体の前で握られた、小さく白い四葉の手だった。
だよな、俺にできるのは、それくらいだよな。
一歩、四葉に近づいた。彼女にそっと手を伸ばす。
だがまたあの悪寒。つい動きを止めてしまった。
「またこれか……!」
正直これを感じてしまうのはしょうがない。どうしようもない。
でも四葉がこんなに震えてるのは、他ならない俺のせいだ。
わかってる。わかってるけど、怖くて動かない。
「ああクソ!」
「……っ」
一度声を荒げる。そして、やけくそ気味に四葉の手を取った。
四葉が見上げてくる。さっきまでの表情色を残したまま、「なんで」と語りかけてきた。
「水流、君……?」
「さっさと行こう! ほら!」
今度こそ強引に足を進めた。さっきよりも強い後ろに引く力。そこに確かに四葉の感触があった。
「な、んで……」
「はっ……はっ……」
四葉が問いかけてくる。
でも、正直、それどころじゃ、ない。
怖い。怖い。怖い。怖い。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
全身に鳥肌が立つような感覚。胃の中を大量の芋虫が這いずり回っているかのような嘔吐感。
フラッシュバックするのは、あの日、鉄骨に押しつぶされて死んだ四葉だった。
ああ、これか、俺が囚われているのは、これか。
普通、人は死んだら生き返らない。だから俺に取っての四葉はあの時死んだ、あの四葉だった。じゃあ手を繋いでいる四葉は? わからない。わからないから、怖いし気持ち悪い。
俺の中で四葉は死んでいる。だから繋いだ手も、あの時のぐちゃぐちゃな肉塊を握っているような気もしてくるし、俺の手汗であろう水気も、四葉の血液に思えてくる。
「水流君……」
いつもより細い声。俺はひたすら逃げるように足を進めた。お化けから、このお化け屋敷からじゃない。手を繋いでいる、他ならない四葉自身から。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、恐る恐るといった調子で四葉が問いかけてくる。
「怖いんじゃ、なかったの……?」
「怖がってるのは四葉だろ……!!」
ピクリと、四葉の手であろうものが震えた。
そのまま、互いに話さなくなった。ただひたすら歩く。見るのは前だけだ。
道中お化け役がおどかしてくるたび、ピクリと握るものが震えた。その度強く握って、悪寒が強くなる。
それでもただ無我夢中に出口に向かって突き進んだ。
「今私、とても不幸ね……」
言葉とは裏腹にどこか嬉しそうなその言葉。
耳には届いた。しかしその言葉に対して俺が偉大な何かしらの感情を、恐怖と嫌悪感がすぐに掻き消してしまった。
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