5話 夢と既視感
◆
「助けて!」
声が聞こえる。
「誰か助けて!」
意識も、そして体すらも宙に浮かんでいる浮遊感。視界は闇一色。視点も視線も動かせない。
……これは、夢なのか。
自然とそう認識できた。
明晰夢ってやつだろうか。これと似たような夢を何度か見たことがあったから、それほど驚かなかった。
暗闇の中、どこかで、誰かがただただ助けを求めて叫ぶ夢。
甲高く、かすかに舌足らずな感じからして、おそらく小学生くらいの女の子。
でも俺には何もできない。何もできないから、ただあの子の叫びを受け止めることしかできない。
「助けてよ……このままだと……」
そのさきはいつも言葉にしてくれない。
どこかで聞いたことがあるような、どこかで聞いたことがないような。そんな曖昧な感覚を漂いながら、記憶の中を探る。でも。
今日も何も思い出せないまま、その夢は終わってしまった。
◆
「で、どうして遅刻したのかもう一度言ってみなさい」
四葉は花壇に腰掛けた俺の正面で、俺を見下ろしながらそう言った。
「集合時間は何時だったかしら」
「……九時です」
「で、今は?」
「……九時半です」
「それまで何をしていたのかしら」
「…………夢を、見ていました」
「…………」
呆れて声が出ないとはこのことだろうか。大きく、大きくため息を彼女は吐き出した。
遊びに行く場所は最近できた遊園地に決定。当日の集合場所を駅に決めたのも彩乃だった。三人の最寄駅が同じだったため、どうせなら一緒に行こうということらしい。
はたから見ていても、俺が何かをしでかして四葉に怒られているのはわかるのだろう。駅前ということもあって人通りは多く、道行く人皆が皆興味深そうに視線を向けてきて正直居心地が悪い。
額に手を当てて困ったような顔。なんだか母さんに叱られてるみたいで自然と肩が縮こまる。
「水流くん、あなたこの前朝迎えに言った時もだったわね。もう少し時間を守るようにしたほうがいいと思うけど」
「いや、いつもはちゃんとしてるんだって」
「いつもちゃんとしてても今ちゃんとしてないなら意味がないじゃない」
「そうだけどさ……」
あの時も今日も、どうしようもないじゃないか。
そう思いはしたが、ここで口を挟めば、ただでさえ長めの彼女の説教の時間が倍になる可能性もある。口にする寸前で飲み込んだ。
しかし四葉はまだ腹の虫がおさまらないらしい。三〇分も待たせてしまったし、十分理解はできるけど。「全くあなたはいつも――」なんてこぼす彼女を見ていて、ふと気がついた。
「……なあ四葉」
「だからもうちょっと――なにかしら」
「俺と四葉、昔会ったことある?」
「……この状況でナンパ、しかも彼女相手になんて恐れ入ったわ」
認めよう。俺は確かに、四葉を怖がっている……!!
彼女の背後に炎が見える気がした。俺を待っている間に読んでいたであろうハードカバーの本も、なぜか今は鈍器にしか見えない。
背筋に汗が伝う。今日はそんなに暑くないって天気予報で言っていたのになんでだ。
まあ、今のは完全に俺が悪いんだけど。
「ごめん、間違えた」
「間違えたってあなたね……そういう問題じゃないでしょう……」
「いやでも気になったのは本当なんだよ。会ったことなかったけ」
「……さあ、覚えはないわね」
きちんと答えてくれるあたり四葉らしい。
諦めるように「そうか……」と零せば、四葉はまた呆れたため息を漏らす。
今日見た夢で聞こえた少女の声。あれがなんだか四葉に似ている気がしたのは気のせいだろうか。
でも四葉は滅多に嘘をつかない。四葉が知らないというなら知らないのだろう。
昔から何度か見る不思議な夢とはいえ、たかが夢。そこまで本気になることもないだろうし。
でも引っかかりだけは残っていて。とりあえず首だけ傾げておいた。
「はあ……なんだか怒る気力も削がれた気分ね」
「……ほんとごめん」
「次気をつけてくれればいいけど、あなたは本当にもう……嘘つきもいることだし」
四葉が視線を向けた先、俺の隣に座っているのは、気まずそうに両手を膝の上にやって地面を見つめる彩乃だった。彼女の小さな肩がぴくりと跳ねた。
正直こいつがいるのが意外だった。確かに来てくれて助かった部分もあるけど、てっきりドタキャンすると思っていた。
「まさかお前も遅刻したのか……」
「違うんだって!! いや違わないけど! 違うんだって!」
「彼女、用意を一切してなかったのよ。私が朝、電話するまで、一切」
「ああ……」
つまりドタキャンする気満々だったから準備もしてなかったと。
文面だけ聞くと最低の限りだが、彩乃らしいといえば彩乃らしくもある。
「お前なんで来たんだよ」
「言い方! いや来るつもりなかったんだよ、最初は。二人とも思ったよりも乗り気だったから、あれ? これひょっとしてわたしいらないな? って。で、朝四葉ちゃんから電話かかってきたから『ごめーん、今日熱出ちゃってー』って言ったら――」
「速攻ばれたと」
「別に私は何も言ってないけれど」
お前ただでさえ嘘つくの下手なのに何やってんだよと。そんな意味を込めて見つめると、あわあわと訂正を始める。
「四葉ちゃん超怖かったんだからね!? 何言っても『そう』だけしか言ってくれないし! 確かに何も言ってないけど、だから怖かったんだよ!」
「四葉も別にそのまま騙されてやってもよかっただろうに」
四葉だって彩乃がなにをしたがっていたのかわかっているはずなのだ。別にその嘘が悪意あるものじゃないことも。
なら別にその嘘に乗ってあげてもよかったのでは、なんて思うが、四葉は首を横に振るばかりだった。
「私が嘘好きじゃないのよ。それに、来てくれた方があなたにとってもいいでしょう?」
「まあ……それはそう、だけど」
つい目をそらす。
実際四葉が来て、俺が来て。そこから彩乃が来るまで少し時間があったのだが、その間かなり気まずかった。
いや、気まずいだけじゃない。二人きりになって、またあの感覚が湧き上がってきていた。
だから彩乃が来てくれて助かったというのは間違っていない。でもそれが四葉にばれているのがなんだか、後ろめたかった。
「はぁ……まあいいわ。少し時間が遅れたけど、行きましょう」
俺も彩乃も、ほっと肩をなでおろした。
歩き出した四葉を追って駅の中へ。俺も彩乃も、なんとなく四葉が歩く後ろを金魚のフンみたいにくっついて歩いた。
ここから目的の遊園地の最寄り駅までは電車で約一時間半。ちょうどやって来た電車に乗り込んだ。
休日の朝だというのに、珍しく混んでいない。と言ってもほとんど席は埋まっているけど。ちょうど三人分くらい席が空いていた。誰が何かをいうより前に三人してそこに向かって歩き出す。
一番縁に四葉が腰を下ろしさっさと本を開き。続いて俺も座ろうとしたところで、足を止めてしまう。
「夏樹? どしたの?」
「……いや、彩乃さ、真ん中座ってくれない?」
「……は?」
やめろ、その何言ってんだこいつって目をやめろ。いやわかってるから、何を言いたいかはわかってるから。
「頼むよ」
「仲直りする気あるの?」
「いやあるって!」
「なら隣座りなよ!」
「それは……やんごとなき事情というか……」
生身の四葉が怖いってだけだけど。
でもそれを彩乃に言うわけにはいかない。当の四葉はもう周囲をシャットアウトして読書モードだし。理由をうやむやにしつつ、彩乃を説得。かなり渋々といった様子だけど、なんとか了承してくれた。
ガタンゴトンと電車にゆられつつ、四葉は読書、彩乃はスマホをいじって、おもいおもいに時間を潰した。
俺はというと、ぼーっと考え事。対象は今日久しぶりに見た夢についてだった。
「やっぱりどっかで聞いたことある気がするんだけどなあ……」
「何が?」
俺の小さなつぶやきに反応したのは彩乃だった。
でもこいつに話したところで……いや、付き合い長いし、知ってるかもしれない。
「あのさ、俺と四葉って、高校より前であったことある?」
「夏樹の交友関係全部把握してるわけないじゃん。確かに把握できそうな狭さだけどさ」
「うっさいわ。知ってる範囲でいいからさ」
「えー……あ、
「は?」
初めて聞く名前だった。初めて、のはずだ、少なくとも覚えている限りは。
俺が知っている『四葉』は、立川四葉だけだ。
首を傾げた俺を見て驚いたような顔をしたのは彩乃だった。
「もしかして覚えてないの? 右幸四葉ちゃん」
「なんかすごい幸せいっぱいな名前だな。覚えてないも何も、知らないんだけど」
「小学校の頃一緒に遊んでたじゃん。なんならわたしよりもよく遊んでたじゃん」
「そんなやついたかあ……? 四葉と同一人物じゃないよな……」
「違うと思うよ? メガネもしてなかったし、髪もすごい短かったし、男子と一緒にサッカーとかしてたし。すごい明るい子だったよ」
「お前今四葉を根暗って言った?」
「言ってないよ!!」
ちらりと四葉に視線を向けた。
四葉が男子とサッカー……。申し訳ないけど、全く想像できない。
ならその右幸とやらは四葉とは関係ないか……。全くその子のこと覚えてないけど。
しかし不思議なのは俺がその子のことを覚えていないことだ。彩乃は俺の記憶にある限り、小学生の時一番一緒に遊んでいたやつだ。彩乃よりとなると覚えていてもおかしくはないと思うけど……。
いや、そもそもだ。
「その右幸って子、今何してるんだ?」
「それがさ、わからないんだよね」
「わからない?」
つい聞き返す。
「小学校の途中でさ、転校しちゃって。そっからなーんにもわかんないの。また一緒に遊びたいのになあ」
「……覚えてない」
「夏樹ってさ、案外忘れっぽいよね。なんていうんだっけ、こういうの。猿頭?」
「鳥頭な。確かにバカっぽいけど」
彩乃を適当にあしらいつつ思い出そうとするが、全く思い出せない。
ある時期から進んで人とは関わらなくはなったけど、流石に誰が転校したかくらいは覚えている。でもその子については全く覚えていない。
確かに俺は忘れっぽいと自覚してるし、今回もそれと言えなくもないけど……なんとなく、違う気がした。
何か別の情報があれば思い出せるかもと、彩乃に尋ねてみる。
「なあ、その右幸って子、いつ転校したんだ?」
「えーと、確か小五の夏――」
「二人とも、ついたわよ」
彩乃の言葉を遮ったのは、いつの間にか俺たちの正面に移動していた四葉だった。もう本はカバンにしまい、俺たちを見下ろしている。
どこかいつもよりも威圧感がある気がして。
「あ、ああ、ごめん、今いく」
「結構長かったねー」
四葉に急かされるようにして電車から降りた。
◆
遊園地は、規模こそ巨大なわけじゃないが、最近できたことで話題にはなっている場所だった。
駅から歩いて十五分。額の汗をぬぐってたどり着いたそこで、俺はつい立ち止まる。
人。人。人。
まるでゴミのようだとは言わないが、見ているだけで気が滅入る群衆が波のように蠢いている。
まだ中に入っていない入場門だ。今日は猛暑というわけではないのになぜかくらりとした気がした。
「いやーやっとついたね!!」
そのくせなぜか彩乃だけは元気だった。
反面、俺と四葉は二人呆然と群衆を眺め立ち尽くす。
「結構人いるねー。まあ日曜日だからかもだけど」
「…………」
「…………」
「もうちょっと早くこればよかったなあ、結構並びそうだし……」
「…………」
「…………」
「二人共どうしたの?」
少し前を進んでいた彩乃が足を止めて振り向いた。不思議そうな顔をして首を傾げている。
そんな彼女に、俺は、そして珍しく四葉も、今日一番に気だるげな声で口にした。
「……帰っていいか?」「……帰っていいかしら」
「早いよ!?」
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