4話 彩乃の提案
あの日から、三日が経過した。
あれは月曜日だったから、今日は木曜日。自室のベッドに寝転び天井を眺め、「はぁぁぁ」と。一日の疲れを吐き出すように、大きくため息をこぼした。
「なんか疲れた……」
学校から帰ってきて、そのまま風呂に入り、晩飯を済ませ。やることはやって、あとは自由時間。いつもなら宿題をやるところだけど、どうにもやる気にならない。
なんと言うか、いっぱいいっぱいなのだ。この前の屋上の出来事が、頭のキャパの大部分を占めている。いくら考えても進展がないにもかかわらず。
「怖い、かあ……」
誰に言うわけでもなく虚空に吐き出したその言葉は、そのまま自分にのしかかってきた。
――怖いのよ、私が。
四葉にそう言われた時、全く反論も否定もできなかった。
自分の中でストンと落ち着いて靄が晴れたような感覚。驚くほど『怖い』と言う言葉がしっくりきすぎて。
あの時は、そのまま特に会話もできず、昼休みが終わってしまった。
感情に名前がつくとより意識してしまうらしい。意外にも普通に話せていた朝と比べ、それから今日まで、自覚できるくらいには気まずい空気が続いている。
「何もしなかったらこのままか……」
体ごと横をむけばギシリとベッドが軋む。
四葉のことが嫌いなわけじゃない。どころかむしろ好きだ。付き合ってるのだから当然だけど。
それらしい特別なことが四葉に断られできてないとはいえ、二人で一緒に帰ればなんだか気分も浮ついたし、図書館で一緒に勉強すればそわそわしてそれどころじゃなかった。四葉もあの時は様子がおかしかったし。
別にこの気持ちが霞んでいるわけじゃない。それに俺が今まで誘った時に四葉が断った理由だって、その、うぬぼれてもいいのなら、そういうことだ。
うーん、と唸りながら寝返りを打つ。
俺が取れる行動は二つ。拒絶か、維持か。
四葉はどちらでも構わない、というと語弊があるけど、俺の判断に任せるといった態度だった。
楽な方にいくのなら、拒絶の道だ。でもなんとなく、それはしたくない。
なら維持、というよりとりあえずは関係の修復だろうか。といっても俺が一方的に怖がってるだけだけど。
「でもだからってどうしろと――ん?」
その時少し離れたところでスマホが鳴った。周期的な電子音、つまり電話だ。
誰だろう。俺に電話をかける相手なんて、片手で数えるに事足りる。その中でも俺にかけてくるなら――
とにかく無視はできない。ナメクジのようにベッドから降り、ズルズルと体を引きずってスマホの元へ。着信者を見ると予想通り、桜木彩乃とあった。
「はい、もしも――」
「夏樹ぜったい四葉ちゃんになんかしたでしょーー!!!」
突然の大声に反射的にスマホから耳を話す。
急に大きな声出すなよ。音割れしてたぞ……。
顔をしかめ、耳鳴りが収まったあたりで再びスマホに耳を当てた。
「急になんだよ急に。てか俺が原因って決めつけかよ……」
「何か起こってるのは認めるんだ」
「あ」
しまった、墓穴掘った。
電話の向こうから、「んふふ~」と彩乃の得意げな声が聞こえてくる。実際にドヤ顔をしているに違いない。
彩乃のことだから、俺と四葉の空気が悪いのは確信していただろう。でも彩乃に一本取られたのはなんだか悔しかった。
「だよねー。だってあからさまに空気悪いもんねー」
「普段からそんな空気いいとも思わないけど」
「自分でそれいう? でもそれって二人があまり話さない性格だからでしょ。なんとなくあったんだよね、二人の空気? みたいなの。でも最近変なんだよね」
「で、それが俺のせいだって?」
「いやそうでしょ」
なんでだよ。そう言おうとしたが、実際俺のせいでもある。だからといって俺がどんな感情持つかなんて俺の自由だろとも思っていて。自分のせいと認めるのが癪で何も言えない。
その沈黙をどう受け取ったのか、彩乃は続けた。
「夏樹とも小学校からの付き合いじゃん? ほら、幼馴染だからわかるみたいな感じだよ。こういう時は大体夏樹がなんかしてる」
「今まで四葉以外に彼女いたことないんだけど」
「してそう!」
「おい」
悪びれることなく彩乃はそう言い切った。
「まあ何したかはいちいち聞かないけどさ。というわけで! 今週末三人で遊びに行こ!」
「えー……遊びに……?」
「あからさまにテンション下げない。二人とも外でなさすぎなの!」
「それはもう仕方ないだろ。ってか、二人? 四葉にも聞いたのか?」
「うん、行くっていってたよ」
体を起こして、ベッドに腰掛ける。四葉のことが出てきて、なんとなく体に力が入ってしまった。
へえ……あの四葉がね。あの読書が全てとも言わんばかりの四葉が。
「…………」
「それあれでしょ、信じてない無言でしょ。でもほんとなんだよねー、わたしもびっくりしたよ。お出かけを言い出したのはわたしだけど、そのきっかけは四葉ちゃんなんだよ?」
あ、なるほど、四葉が出かけるのを言い出したわけじゃないのか。なら少しは納得だ。
彩乃の狙いはなんとなくわかっていた。どうせ当日にドタキャンか途中で理由をつけていなくなって、あとは二人で頑張ってね、みたいな感じだろう。
その結果遊びに行くと言われた時の四葉の顔が簡単に思い浮かぶ。苦い表情をしてたんだろうな。でも自分から言い出したことだから、しぶしぶ従うことにした。「不幸ね……」なんでぼやいているに違いない。
ふと、そこで気になることができた。
「四葉、なんていってたんだ?」
「…………」
「彩乃?」
「え!? ああ……えっと、その……夏樹が自分を見るたびにあの日のことを思い出して、せ、正常じゃいられなくなるみたい、って……」
「うん、違うな。違わないけど違うな」
「べべべ、べつに変なこと考えてないし!?」
「嘘つけ思いっきり声小さくなってたぞ」
彩乃の勘違いをそのままにしておいたのは間違いだったかもしれない。
でも誤解を解くなら、本当のこと、つまり呪いのことを話さないといけなくなる。
いやでも俺は四葉と付き合ってるんだし、そのうちそういうことも……。
「…………」
「夏樹? どうしたの、急に黙って」
「な、なんでもない。それより、四葉が言ってたのはそれくらいか?」
「んー、あとはそうだなあ……。あ、今までそんなに話してきたわけじゃないけど少し寂しいわねって言ったよ~」
俺はつい、勢いよく立ち上がった。
ついムカついてしまうような、電話の向こうでニヤニヤしてることが手に取るようにわかる言い方。でもそれが気にならない程度には驚いていた。
「……それ、ほんとか?」
「え?」
「あの四葉が、そう言ってたのか?」
「うん、言ってたよ。しかも、し、ず、ん、だ、声で。よかったね~。…………あれ、これ言ってよかったんだっけ」
そうか、あの四葉が……。
感慨深いというか、夢のようというか。とにかく、ふわふわした感覚だった。
表情は元々あまり変化しないし、口数も少ない。だから一緒にいて落ち着くけど、反面気持ちがわかりずらい。
そのせいだろうか、時折口にする彼女の一言一言で心が大きく揺さぶられてしまう。
「おーい、夏樹ー? どうしたのー? 嬉しさのあまり気絶したー?」
「しそうになった」
「え、どうしたの、そんな素直になって。気持ち悪い」
「おい。まあいいや、遊びの件だけど、俺も行くわ」
「おー! やった! じゃあ四葉ちゃんにも伝えておくねー! あ、場所はまだ未定だけど、多分この前できた遊園地になりそう。じゃね!」
まるでマシンガンみたいにまくし立て、そして唐突に電話が切られる。スマホを机に置く。体の力が抜け、ふぅと息を吐き出しながらベッドに腰掛ける。
まだふわふわした心地。嬉しさと、でももしかしたら勘違いではと猜疑心が渦巻く、気持ち悪い感覚。でもそんな心境も嫌いじゃなかった。
少し疲れが取れた気がする。気のせいかもだけど。
体の力を抜いて、ベッドに横になろうとしたその時、再びスマホが鳴った。
「また電話か……」
一日に二度も俺のスマホに電話がかかってくるなんて、珍しいこともあるものだ。
彩乃だろうか。さっきのことで伝え忘れたことでもあったのか?
立ち上がってスマホを取ると、そのに表示されていたのは。
『立川 四葉』
「四葉!?」
驚きのあまりスマホを落としそうになる。
まさか四葉からかかってくるなんて。彩乃の時とは違う緊張感が体に力を入れてくる。
別に四葉と通話するのは初めてじゃない。付き合う前もたまにだけどしていたし、付き合い始めてからはその頻度も上がった。
でもどこかで感じる『怖い』という感覚。四葉の思いを聞いてましになったかと思ったが、そんなこともないらしい。
一度天井を見上げ、深呼吸。「よし」と小さくこぼし通話ボタンを押した。
「…………」
「…………」
無言。
あれ? 本当に俺押したよな? 一度耳から離して確認してみるけど、確かに通話は始まっている。
……いや、違うか、俺か。普通、電話に出た方が「もしもし」なり言うもんな。
「……もしもし? 水流君?」
躊躇っている間に、耳元で彼女の声が鳴った。
「あ、ああ、ごめん、ぼーっと……してて」
「はぁ……最近多いわね。でももしもしくらいは言ってくれると助かるわ。不安になるじゃない」
「ごめん」
部屋の中をぶらぶらと落ち着きなくさまよいながら、誰に向けてでもなく頭を軽く下げた。
耳元から彼女の声がするのは相変わらず慣れない。なんだかこそばゆいのだ。
でもそれだけじゃなくて、確かにぞわぞわとしたあの感覚。なんとか無視ししようと大きく息を吐く。
「で、何か用か?」
「…………」
「四葉?」
「……ええ、そうね、ちょっと……彩乃さんから何か聞いた?」
「ああ、遊びに行くってやつ。俺も行くことにした」
「それは聞いてるわ。珍しいわね。……じゃなくて」
「じゃなくて?」
再び訪れる沈黙。少し待つと、大きなため息が聞こえた。
「……私が何か言ってたって、桜木さんは言ってたかしら」
珍しく気だるげな声だった。なんでそんな声なんだと一瞬考えて思いつく。
ああ、なるほど。彩乃が言ってたあれのことか。
「なんか変なこと吹き込んだらしいな」
「あら、間違ってないでしょう?」
「いやまあ、間違ってはないけどさ……」
「他には何かなかったかしら」
「あとはそうだなぁ……寂しい、とか……」
「…………」
また沈黙。四葉は普段話さないことが多いけど、会話中にいきなり無言にはならない。だから不審に思って耳をすませると。
「…………言わないでって言ったのに」
本当に小さな、聞き取れるかギリギリの大きさでそうこぼしていた。
本当に言ったんだな……。別に彩乃を疑っていたわけじゃないけど――いや、嘘だ、完全に疑っていた。いつも冷静で、照れたりすることなんて滅多にない四葉がそんなことを言うなんてと。
自分の頬が緩んでいるのに遅れて気がついた。
「四葉、だいじょうぶか?」
「……ええ、なんとか。ちょうど秘密という言葉の脆さを実感したところよ」
「ああそう……」
「とりあえず桜木さんには制裁を加えるとして、そうね、恋愛系の本でも読もうかしら、久しぶりに」
「え」
絶えずフラフラ歩き回っていた足をつい止める。
四葉は本の主人公を自分として話す変な癖がある。その副産物なのか、何かを習得しようとするとき、それに関係する小説なりを読む傾向もあるのだ。
そんな四葉が、恋愛系の本を読もうとしているということは。
「よ、四葉、それって……」
「さあ? 好きに想像してちょうだい? まあとにかく、楽しみにしているわ。遊園地に行くのも初めてだし。それじゃ、また明日」
そこで彼女の声はプツリと切れてしまう。
大きく息を吸った。そして、噛み殺すようにゆっくり吐き出す。
楽しみにしている。楽しみにしている。
あの四葉が、楽しみにしている。
自分でもテンションが上がっているのがわかった。正直付き合って数年のカップルの関係性じゃないとは自覚しているけど知ったことか。付き合いたてのカップルがデートに行くような心地が、今更だけど新鮮で心地いい。
まあ、彩乃もついてくるんだけど。といってもどうせ途中でいなくなるだろうから問題はないだろう。
てか四葉って遊園地初めてだったんだな。なんというか、責任重大だ。その点は彩乃がいてくれて助かった。
スマホを置いてベッドに腰掛け、そのまま倒れこむ。
「何が怖がってるだ。別に怖くなんてないって。だって今だって普通に話せたし? 四葉と遊びに行くのだって別に抵抗ないし? なんなら二人きりになったって――」
ぞわり。
また、あの感覚。
四葉と二人きり。あの四葉と。そう考えると、背筋を嫌な感覚が這い上がってきて。
「はぁ……もう、なんなんだ……」
体がこわばっていることから目を逸らしながら、一人湿った息を吐き出した。
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