第26話 そして彼ら彼女らは演説に臨む。(3)(小春 side)

               ◇◇◇◇◇


「(頑張って)」

「(あ、ありがと)」


 いよいよ私の演説の番になり、水瀬くんとすれ違いざまにそんな短い言葉を交わした。


 水瀬くんはミスもなく、完璧な応援演説をやってくれた。


 話す内容は前もって知っていたけれど、それでも私が生徒会長にふさわしいとこんなに大勢の前で改めて言われると恥ずかしくもあり、またとても嬉しかった。


 演台の前までゆっくりと歩きながら、水瀬くんに言われたことを思い返す。


 練習してきたことをそのまま出せば大丈夫だと、三人の中で一番頑張ったのは私だと、言ってくれた。

 俺が保証すると、水瀬くんが言ってくれた。


 演台の上のマイクを調整して、ゆっくりと目を閉じ、一度大きく息を吐く。


 言うべきことは何度も確認した。頭から飛んでもいない。


 考えるまでもなく、今日は今までの私の人生で一番の大舞台だ。

 緊張もしているし、口の中もからからだ。



 それでも、私には水瀬くんがくれた言葉がある。



 私はゆっくりと目を開き、体育館を埋め尽くす生徒たちをしっかりと見据えて口を開いた。



               ※※※※※



「――すみません、佐藤さんっていますか?」


 彼と出会ったのは、去年――高校一年の初夏のことだった。


 入学したてのそわそわとした雰囲気もすっかり落ち着いてきて、それでも私は仲の良い友達がほとんどできずにいた。


 なにに打ち込むわけでもなく、放課後は読書をするくらい。


 そんな私に生徒会のお誘いが来たのは、七月に入ってすぐの昼休みの出来事だった。


「わ、私ですけど……」


 つい先日行われたばかりの席替えで入り口近くの最前列の席になってしまっていた私は、文庫本から顔を上げて、小声で返答した。


 質問の声の主は他クラスの男子。なぜ自分の名前を知っているのかも不思議なくらい、まったく知らない顔だった。


「ちょっと、話良いかな?」

「いい……ですけど」


 私は席を立ちあがり、廊下へと出る。


 何の用なのかと訝しげな顔をしてしまっていたのかもしれない。彼は少し気まずそうに、話を切り出した。


「えっと……今、佐藤さんって運動部に入ってないよね?」

「入ってないですけど」


 どこかの部の勧誘だろうか?

 でもこの時期に?


 心做しか冷たい声で、返答してしまう。


「だよね、良かった。実は今、まだ運動部に入ってない人に声をかけてて、生徒会に誘ってるんだけど」

「生徒会?」


 そういえば、この学校は運動部に参加必須だと、少し前に担任が言っていた気がする。私は結局どこの部活にも入らずに今になってしまったけれど、それでだろうか。


「うん。うちの学校、基本的に運動部に強制入部だからさ。それが嫌な人を探して、代わりに生徒会に入ってもらうようにお願いしてるんだって」


 予想的中だった。


「そうなんですか。でも、それでも生徒会にも入らないって人もいるんじゃないですか?」

「いや、生徒会って言っても仕事もたまにしかないし、ほとんど帰宅部みたいなもんだからさ。結局断ると運動部に入らないといけなくなるし、だいたい皆入ってくれるよ」


 「あっ、あと俺も佐藤さんと同じ一年生だから、ため口で大丈夫だよ」と付け足して、彼は私の答えを待った。


「そっか。えっと、じゃあ……ちょっと考えさせてもらってもいいかな? 今日一日考えてみたいんだけど」

「大丈夫だよ。じゃあ、連絡先だけ教えておくから、答えが出たら連絡して」

「うん、分かった。ありがとう」


 電話番号の書かれた紙きれを私に渡して、彼は自分の教室へと戻っていく。


 このときの私は、初対面の相手にちゃんと話せていたかな、とそんなことだけを考えていた。



               ※※※※※



 私が生徒会に入ることを決めてからすぐ、生徒会としての初仕事があった。


 球技大会の前日準備だ。


 名前の通り作業をするのは一日だけだし、まあ球技大会当日は運営をやらなくてはいけないらしいけれど、チームプレイや運動が苦手な私にはむしろ好都合に思えた。


「佐藤、それ俺が持つよ。貸して」


 準備もだいたい済んで、使わなかったカラーコーンを運んでいた私は、後ろから声を掛けられた。


「……なんだ、水瀬くんか。じゃあ、半分持ってもらおうかな」

「いいよ。男なんだから全部持つって」


 私から半ば取り上げるようにして、カラーコーンを担ぎあげたのは水瀬くん。初対面で名乗りもせずに連絡先だけ渡してきた、少し抜けたところのある同級生だ。


「あ、ありがとう」

「いいって、このくらい」


 荷物を持っている女の子がいたら、代わりに持ってくれる。そんな男の子が本当にいるんだなぁ、と思った。


 結局、球技会当日もなにかあればすぐに手を貸してくれたし、それからたまにある生徒会の仕事でも、事あるごとにさりげなく手伝ってくれた。


 水瀬くんに出会って半年もするころには、私は本当にたまにしかない生徒会の活動日が楽しみで仕方がなくなった。


 いつしか学校で彼を見かけたら、無意識に横顔を追うようになっていた。


 きっと彼にとっては、大したことはなにもしていなかったのだとは思う。ただ普通に同じ生徒会の仲間として、仕事の手助けをしてくれただけのことだと、そう思う。


 それでも――。


 あまり深く人と関わってこなかったが故に人の優しさにあまり触れてこなかった私にとっては、初めて感じる同い年の男の子からの思いやりだったのだ。


 他の誰かにとっては分からない。


 でも少なくとも私にとっては、紛れもなく初めての体験で、ときめきで、そしてきっと、初恋だった。




 私がそれを恋だと気づくのには、一年もかかった。


 そしてそのときにはもう、彼の隣には私じゃない女の子が平然と立っていた。


 どうしようもない手遅れな初恋は、始まることすら許されなかった。

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