第24話 そして彼ら彼女らは演説に臨む。(1)(奏太 side)
「かおり、遅かったね。亮と中野さんは?」
「なんかすずちゃんがトイレから戻ってこなくなっちゃって、神木くんが連れてくるから先に言っててって」
「そっか。かおりも最終確認やっといた方が良いよ? 立候補した三人は原稿見ずに演説するんでしょ?」
俺と佐藤が体育館に着いたとき、かおりたちはまだ来ていなかった。
舞台袖に入って演説原稿を眺めながら、しばらく小声で最終確認をしていた所に、遅れてかおりはやってきた。
「うん。でも大丈夫だよ。最悪ど忘れしたらカンペ見ちゃうから」
かおりはそう言って、小さく折りたたまれた紙を取り出し、にやっと笑う。
きっと細かい字がぎゅうぎゅうに押し込まれているんだろう。
体育館にはもう生徒がほとんど揃っていて、十月にも関わらず熱気を感じさせられる。
ざわざわと思いおもいに駄弁っている声が入り混じって、でもそんな音も耳に入ってこないくらいには、俺は緊張していた。
演説は佐藤、かおり、中野さんの順番で、それぞれの前には応援責任者の応援演説が入る。
つまり、先陣を切って演説をするのは俺なのだ。
「水瀬くん。もしかして、緊張してる?」
「まあ、ちょっとね……」
佐藤に顔を覗き込まれて、思わず目を逸らす。
「じゃあ、むこう向いて楽にしてくれる?」
「え?」
「いいからいいから」
俺は言われるがままに佐藤に背中を向け、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「昔、おばあちゃんが教えてくれたんだけどさ、緊張してるときはこうすると一気に楽になるって」
言葉を言い終わるかどうかのその境目で、気が付いたときには俺は大きく跳ね上がっていた。
「ふふっ、水瀬くん、もしかしてくすぐったがり屋さん?」
ひゃひゃひゃ、と笑い声をこらえる俺に佐藤は続ける。
端的に言うと、俺はわき腹を後ろからひたすらくすぐられていた。
「も、もう……無理だからっ。もうっ、勘弁してっ……」
「ほんとに?」
「ほんとっ……本当だからっ!」
ふと横にいたかおりから蔑みのような視線を感じて、かなり本気で抵抗する。
そこには、可愛い彼女の目の前で別の女の子にくすぐられ、必死に笑いをこらえている男の姿があった。
……俺だった。
「どう? 緊張もなくなったでしょ?」
「ほ、ほんとだ」
肩で息をしながらも、言われて確かに効果を実感する。ぱさぱさに乾いていた口の中も潤っていたし、心臓の音も静かになっている。
偉そうに佐藤のことを励ましておいて、自分が助けられてたら世話ないな。
さっきまでの自分を鼻で笑いたくなってくる。
目を瞑り大きく息を吐いて、自分のやるべきことを考える。
これから十分もしないうちに、俺は全校生徒の前で応援演説をする。きっと長い人生の中では、後から思い出すこともないくらいの些細な出来事だ。
一般生徒なんてみんな、居眠りや小声の雑談をしていて、話なんて聞いちゃいないだろう。
でも。それでも、やるべきことはただ一つ。
佐藤を生徒会長にするために、彼女がふさわしいということを精いっぱい伝える。
それだけだ。
ごたついていた頭の中を整理して、気持ちも晴れやかになった。体育館の喧騒もうるさく感じるくらいに聞こえる。
俺はゆっくりと目を開けて、向き直った。
「……そうくん。ずいぶん楽しそうだったね」
「…………」
いつもより明らかな鋭い目つきのかおりが、俺を見つめていた。
「い、いや、別にこれは楽しいとかそういうのじゃなくてだな……」
「問答無用! これでも食らえ! そうくんの女ったらし!」
俺の言うことなんてまったく気にもとめず、かおりは佐藤がしたように、俺の脇腹をくすぐってくる。
ただ佐藤と違って、俺の苦手な場所を的確に集中してくすぐってきている。
「ちょっ……ほんとくすぐったいから! まじでっ!」
「うるさいうるさいうるさい!」
「ち……力が入らなくなっちゃうって!」
かおりは抵抗する俺を上手くいなして、くすぐり続ける。
なんかちょっといい話になりそうな雰囲気あったのに! これじゃあ女の子二人にただくすぐられただけじゃん!
「か、かおり! 参った! 参ったって!」
「ふぅ。疲れたし、今日のところはこのくらいにしといてあげる」
「はぁ……はぁ……」
ようやく解放されて、俺は膝に手をついて思いっきり空気を吸う。
ほんと、呼吸できなくなるんだよ。これ。
「……水瀬くん、本当にくすぐったがり屋さんなんだね」
「…………」
やめて! そんな目で見ないで!
すぐ近くでは佐藤が、なんとも言えない苦笑いを浮かべていた。
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