第21話 そして彼はここへやってきた。

               ※※※※※



 昔――とはいっても数年前の話だけれど。

 中学時代、彼は県内でも名の知れたサッカー少年だった。


 県の選抜選手にも当然のごとく選ばれていたし、高校からも引く手数多。


 そんな彼は、中学でも特待生として自分を招いてくれた私立の学校で、高校生になってもサッカーを続けようと考えていた。


 その学校には大事な幼馴染も通っているし、彼女のことは少しだけ心配だったのでちょうどよかったと、そう思っていた。



 ――あの日までは。




『もう元のようにプレーをするのは諦めた方がいいかもしれません』




 突然のことだった。


 中学最後の大会で、もつれにもつれた試合終盤。激しく競り合った相手選手と交錯した末の大怪我だった。


 誰も悪くない。相手選手も悪意のあるプレーではなかったし、自分の準備が足りなかったわけでもない。


 それでも、どこにぶつけたらいいのか分からない悔しさだけが、胸の中に残った。


 診断書を学校に提出すると、ほとんど決まっていた特待生として高校でも迎え入れるという話が白紙になった。


 怪我を抱えた状態では特待生にすることはできないが、チームとしては肝を必要としている。うちを受験して、ゆっくりとリハビリして、怪我を直したらまたプレーでチームを引っ張ってくれと、そういうことだった。


「母さん。俺、芦川高校に行くよ。公立だけどそれなりにサッカー強いし。うちからも近いしさ」


 本当はこのまま進学したい。


 そんな言葉は、女手一筋で俺を育ててくれた母さんには言えるはずもなかった。


 うちにはそんな余裕はない。そう言い聞かせて自分を律した。


 仲の良い幼馴染には、そのことは黙っておいた。


 下手すると進路希望を変えて、自分についてくるかもしれないと思ったからだ。


 自分のことで将来有望な彼女を煩わせたくなかった。ただその一心だった。


 こうして彼――神木亮は、中野さんに黙って芦川高校へと進学した。



               ※※※※※



「まあ結局、転校して来ちまったんだけどな」


 亮はそう言って、ぱっと表情を明るくした。


 無理にそうしているのが分かって、少し心が痛む。


 亮にそんな過去があっただなんて、普段の彼からは思いもしなかった。


「お前がそんな暗い顔すんなよ。つーか、リハビリの成果もあってか足もけっこうよくなってんだよ。今はまだ全力ではないけど、来年には元と同じくらいに動けるようになるかもしれないって」

「そうなのか……」


 そんなに明るく言われても、あんな話を聞いた後じゃ血の滲むような努力をしたのだと、簡単に想像できてしまう。


「だ……だからよ、そんなに気を遣うなって。他になにか聞きたいことは?」


 亮は自分の話をしたのが恥ずかしくなったのか、頭を掻きながら俺から目を逸らす。


「特にはないけど――」


 思ったよりも重い話を聞いてしまったけれど、これで中野さんが気にしていたことの説明もついた。


 思いのほか、胸のうちもすっきりした。


「あれ? でももし中野さんが生徒会長になっちゃったら、色々と勉強の邪魔にならないか?」

「まあ、本当に立候補するだなんて思ってなかったからな。でもたぶん大丈夫だろ。あいつ、人前で話すのなんて絶対できないし、明日の演説がそんなにうまくいくとは思えん」


 そういえば、なぜだか亮の中では、中野さんは人見知りということになっているんだった。


「そのことなんだけどさ、普段から中野さんってコミュ力もけっこうあるし、全然平気なんじゃないか? あれで人見知りとか言われたら俺はなんなんだよって感じなんだけど」


 言おうと思って言ってなかったことを亮にぶつける。


「あぁ……今でこそあんなだけど、昔はすごかったんだよ。実際、今でも人前で話すのなんて、それはもう見てられないからな。まあ明日になれば分かるよ」

「ふーん」


 中野さんが全校の前であたふたしている姿なんて想像もつかないけれど。


「そうくんお待たせ!」

「亮、終わったわよ」


 話にもちょうど切りがついたところで、二人が教室に帰ってきた。


「水瀬くん。先生、特に直すとこもないし大丈夫だろうって」


 かおりと中野さんに続いて、佐藤もその後ろからひょこっと入ってくる。


「そっか。良かったよかった」


 修学旅行の班分けが決まってから選挙のこともあって関わることの多かった佐藤は、もうすっかり皆に良い意味で遠慮しなくなった。


「……すずにも藤宮さんにも明日は絶対に負けない」

「小春、私だって負けないよ?」

「私も負けないんだから!」


 意気込む三人を見て俺は思う。


 かおりも中野さんも、生徒会長になりたいから頑張っているわけじゃない。それぞれの目的や思惑のための過程として、この選挙があるのだ。


 でもこの一か月の佐藤を見てきて、彼女は、彼女だけはまじめにそうなりたいということだけを考えていたと、そう感じた。


 かおりは、「佐藤が俺に好意を寄せている」と言っていたけれど、正直言ってそんな素振りは欠片も感じなかった。



 だから――。



 明日、この中で選ばれるべき人間はきっと――。




「水瀬くん、今日まで色々とありがとう。明日もよろしくね」

「うん。佐藤も、明日は今までの成果、全部出し切れよ」


 俺は彼女にそう言って、かばんを手に立ち上がった。

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