牛になった話

ヒヤムギ

牛になった話

ある日、目を覚ますとオレは牛になっていた。


どういうわけでそんなことになったかは知らない。

ただいつもの通りに、ふとした眠気に負けてしまったのだ。

目が覚めるとなんだか体の勝手がいつもと違うなと違和感を感じた。


目元に手をやってみると視界に入るのが人の手ではなく、黒く硬そうな蹄だった。

ここでやっとオレは異変に気付いた。


しかし藻掻けど藻掻けど、体の使い方がわからないので立ち上がることも儘ならず。

たまたま近くにあった缶ビールを倒したおかげで……というのかは甚だ釈然としないが、中に残っていたビールがフローリングに水溜りを作ったことで現状を把握した。


オレは半狂乱になったが狂った所で身動きも取れない。

そのうちにじたばたするのを諦めて状況の整理を始めた。

手足が使えないとなると、もはや頭を使う他ないのかもしれない。


まず時間は……オレの部屋の時計は電池切れで時を刻むのをやめて久しいので正確にはわからない。しかし、カーテン越しの窓からは燦燦と日の光が注ぎ込まれているので昼過ぎといった所だろうか。


場所は、オレの部屋だ。間違いはない、小汚い五畳一間のフローリングだ。

そして、牛になったオレが部屋に1人。


いつ、どこで、誰が、何をときたら、何故ということを掴まなくてはいけないだろう。この場合、何故オレは牛になってしまったのかということだ。


人が牛になるという摩訶不思議かつ、トンチキな現象の原因を分析しようなど

正気の沙汰ではないかもしれない。

しかし、気の狂いそうな時こそロジカルな思考を心がけることで正気を保つのだ。


オレはまずは牛と自分自身の類似性を探した。

何も手掛かりがない以上、そこから突破口を開けないかと考えたからだ。


さて、とは言ったもののオレと牛の間に果たして類似性などあるのだろうか。さすがにオレも牛畜生と自分が同じと考えるほど落ちぶれてはいないし、動物愛護に目を血走らせてもいない。しかしそんなことを言い出しては何も始まらない……そうだ、もっと概念的に考えるのだ。みんな生きているんだ、友達なんだとは言わないが、オレも畜生も生きているという類似性を持っている。そういった広い枠組みで考えてみよう。


そうだな……怠惰とかどうだろうか。

牛などの牧畜には、やはり牧歌的なイメージが付いて回るよな。牧歌的といえば読んで字のごとく牧歌が聞こえてきそうな、のへーんとした様子を言うのだろう。辞書には素朴だとか抒情的とか書いているかもしれないがとどの詰まり、のへーんを小奇麗な表現を使って表しているだけの話だろう。そして、のへーんとはつまり忙しく立ち回る必要のないだらけた様子を表すのに丁度良いオノマトペなのだ。だらけるのと怠惰はまた意味合いが違う気もしないでもないが、今のご時世はするべきことを怠けるのもするべきことがないのでぼーっとするのもまとめて怠惰だ。仕事がないなら探せと尻を蹴られるのが落ちだろう。


というわけで牛は怠惰オレも怠惰というわけで怠惰を類似性として挙げたわけだが、はて、しかしだ。


牛ってホントに怠惰なのか、という疑問がオレの脳裏をかすめたのだ。

だって牛って四六時中、草食ってるんだぜ。そんでもって四六時中、草を反芻しているんだぜ。草を食み食み、草を胃へ送り口へ戻しを繰り返してんだぜ。

1日の10分の7は飯の時間なんだぜ!どんだけ食うんだよっ!て感じだヨな、フハハ。


……少し興奮してしまったな。まぁ落ち着いて考えてみれば、1日のほとんどを栄養摂取に割いて美味しい乳やらお肉やらを他人様に提供していることを考えてみたら怠惰なんかとは程遠いところにいるよな。


それに引き換えオレはといえば、平日の昼日中から自室で牛になって遊んでいるんだからな、あハハ。


となればだ。怠惰性は違うということになるわけだ。こういうのは切り替えが大事だ、トライ&エラーだ。


とは言ってもそんな次から次へと出てこない自分の貧困な発想力がつらい。


何か……何かヒントはないのか。オレは部屋をぐるりと見まわしてみた。

すると部屋の壁にかかるビニールをかぶせたスーツ一式が目に入った。


スーツといえばサラリーマン。サラリーマンといえば社会の歯車である。

社会に隷従する者たちと言い換えてもいいかもしれない。


牛はといえば、往々にして家畜として飼育員に隷従しているものだ。悲しきかな、何かの一部としてせっせと自分の役目に隷従する部分が類似点だったというのか。


オレはその結末の皮肉さに鼻の奥がツンとするのを感じたのだが、はて、しかしだ。


オレってホントに隷従しているのか、という疑問がオレの脳裏をかすめたのだ。


だってオレは昼日中から自室で牛になって遊んでいるようなやつなのだ。しかも壁にかかったスーツは、そのうちすぐ使うことになるのだからと、クリーニングに出して受け取ってきたものをずっとそのまま壁にかけていたのだ。このスーツを壁にかけてから一体幾月が経ったのか、もはやオレはすぐに思い浮かべることができなくなっている。オレは社会に隷従することすらできていないのだ。


オレは、その怠惰からすべての干渉を閉ざしている。


オレは、一般の人々が社会に隷従し自分の役割を


全うしているなか、隷従することができずに役割をあてがわれることもない。つまり何の役にも立たないのだ。


オレは自分に何も価値を見出せなくなっていた。寄る辺ない気持ちのままじわりじわりと首を締めあげられるような、そんな感覚にオレは恐怖を感じずにはいられなかった。オレがすすり泣いたことを自分自身で認識したのは恐怖の認識とは少しずれていた。


どれ程オレは横たわりながら泣いたのだろう。オレは少しばかり微睡んでいたのかもしれない。微睡の霞が少しずつ晴れていき、オレの意識が少しずつ覚醒されていった。夢と現の間で感じる予感のようなものでオレは体が元に戻っていることを感じていた。案の定オレの体は人に戻っており、これまでの全てが悪夢であったのだということを証明してくれた。


しかしオレはほっと人心地つくことはできず、目の前に不安の垂れ幕を下げられたように暗澹たる気分に苛まれずにいられないのだった。

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