4 素晴らしき哉、歌劇




 幕が開いた次の瞬間から、それまでの会話はラナルディアの頭からすっとんだ。

 いきなり、夢の世界が目の前で展開し始めたのだ。


 

 まばゆい照明に煌々と照らし出された華やかな舞台には、繊細で凝った背景や調度が設置され、これまでに見たこともないような美しい景色を作り出している。まるでそのまま一幅の絵のようだ。

 

 そこで繰り広げられる、息もつかせぬ劇的な展開の物語。それを盛り上げるように、嫋々じょうじょうと切々と、ときに激しく流れる美麗な音楽。

 そしてなによりも、生き生きと、自然に、舞台上を駆け回る演者たちの魅力的なことといったら!



 王宮の晩餐会で余興に演じられるパントマイムや即興劇はよく知っているから、歌劇と聞いてもそれを大がかりにしたものだろうと軽く考えていたが、とんでもなかった。

 物語も音楽も演者たちも、その出来や技術や能力が桁違いだし、すべてがお互いを引き立て合うように、最大限の相乗効果が得られるように計算尽くされている。


 たとえば、ある芝居の役で、それにふさわしい役者を選ぶくらいは王宮の小芝居でもやるだろうが、すでに手持ちにある衣装を着せ、これまでと同じ歌を歌わせる。とにかく芝居が進めばそれでよい。

 

 ところが目の前で繰り広げられている歌劇はどうだ。

 一人の役者を引き立たせるため、その者に最大限に似合う色、形で衣装を作っているのが素人目にもわかる。歌も、苦しそうなところがまったくない。どこまでも美しく響いていく。音楽には疎いが、たぶん、役者にあわせて曲を作っているのだと思った。

 立ち位置や動きも、台詞回しもそうだ。すべてが、最も美しく最も自然に見えるよう、計算されている。


 なるほど、これは、ラスティア一、二を争う、と言われるわけだ。

 たかが芝居、と軽んじていた自分をラナルディアは恥じた。

 これはものすごい芸術だ。誰もが夢中になるのもわかる。



 特にすごいのは、ヒロイン役の女性の歌声だった。

 どこまでも高く澄み切って、ふわりと柔らかい。

 その響きを聞くだけで耳が喜んでいるのがわかる。天の御使みつかいがいるのならば、絶対にこんな声をしているだろうというほどの、圧倒的魅力。



 半ば魂を抜かれたように、時を忘れてラナルディアは舞台に見入っていた。幕間に入って、いったん緞帳が下り、客席がざわめき始めてもまだ夢見心地だった。



 苦笑したロックマートが横から飲み物のグラスを手渡す。注文したそれは、まったく減っていなかった。



「ルディア、戻ってきてください。ルディア」

 ロックマートが呼ぶのが、今の自分が名乗っている偽名だと気づくのにも、しばらくかかった。


「あ、ああ、伯父様、申し訳ありません」

「ずいぶんと熱心に鑑賞なさっておられたようですな。お気に召したようでなにより」

「気に入ったなんてものじゃないです! あんな素晴らしい――」


 勢い込んで答えかけて、ラナルディアははっと口をつぐんだ。

 ここで大騒ぎして、誰かの目を惹いてはいけない。

 けれど、大騒ぎせずにこの感動を表せるとも思えない。

 それになにより、こんこんと沸き上がる熱情を、まだ上手く言葉に出来なかったのだ。


 そんなラナルディアの様子に、わかっている、とでもいうようにロックマートが頷く。



「あのヒロインの演者は、このルーリール座の中でも特別に才能があるといわれているらしいですよ。ラスティア一の歌姫と万人が認めるところだそうで」

「やはりそうですか。音楽にはあまり詳しくないわたくしにもわかりますもの」

「ただ、既婚者で、お子さんがいらっしゃるので、最近はあまり舞台に立っていないという話ですが……今回は幸運でしたね」



 本日の演目、『その王冠を戴く者は』。

 初演は10年ほど前であるが、あまりの人気ぶりに、ロングランに次ぐロングランを繰り返し、結局二年半ほど満員御礼を続けたという伝説の舞台である。

 もともと評価は高かったのだが、途中から加わったヒロイン役の歌姫の実力で人気が不動のものとなったらしい。今でも、年に一度、二十日間の再演があるという、ルーリール座の十八番おはこだ。


 最近は舞台からは遠ざかっているという歌姫も、この演目だけは彼女でないと、という声に応えて、出演しているという。

 


「そうですか。この演目でないと、あの声は聞けなかったわけですのね。伯父様の言うとおり、本当に幸運でした」




 ラナルディアが嘆息したのと同時に、緞帳があがり、第二幕が開いた。

 再び奇跡の世界がきらきらと広がる。



『その王冠を戴く者は』は、とある架空の王国の、王位争いの物語である。

 冷酷でしかし情熱的な第一王子と、穏やかで優しく理知的な第三王子、その間に巻き込まれた可憐な侍女の悲劇を描いたものだが、第一王子を表す意匠モチーフは赤い薔薇、対する第三王子は白い薔薇となっているらしい。

 とある人物が赤い薔薇の襟飾りをつけていると『ああ、こいつは第一王子側なんだな』などと、観客にわかりやすく知らせる手がかりとして使われていたりする。

 

 

 なるほど、ロックマートが差し入れに薔薇を選んだわけだ。

 そんなことを頭の片隅でつらつらと考えながらも、ラナルディアは、再びどっぷりと歌劇の世界へ沈み込んでいった。

 

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