3 目的のためなら手段を選ばず




 花の都ラスティアでも、今もっとも勢いがあるといっていいルーリール座は、一国の王族として生まれ育ったラナルディアにとっても、見事だと目をみはる豪奢さだった。


 繊細な浮き彫りレリーフが一面に施された大きな扉、ラリーズ石の真っ白な階段、その上に敷かれた金と緋色の絨毯には、獅子と百合の意匠が織り込まれている。

 きらめく照明シャンデリア瀟洒しょうしゃな柱や手すりなどの建具、案内係の制服も品が良く、着飾った客層も皆洒落しゃれていて書き割りの一部のようだ。


 一歩足を踏み入れれば、たちまち劇場に恋をする――そう言われるのも当然だわ、と、ラナルディアは努めて平静な表情を装いながらも感嘆していた。

 これから素晴らしいし物が始まるという興奮が、心地よく客席を覆っている。しつけの行き届いた案内係に導かれたのは、二階前方の桟敷さじき席だった。


 飲み物や食べ物の注文をすませ、案内係が下がった後、信じがたいほどふかふかのソファに腰掛けたラナルディアは、ほっとひとつ息をついた。



「急なのに、よくこんないい席がとれましたね」

「ここは、懇意にしている取引先が契約している席なのですよ。今回の商談で、姪がルーリール座で歌劇オペラを鑑賞したがっている、と言ったら、快く提供してくれました」



 ロックマートの説明によると、この桟敷席は、ラスティアのいくつかの有力商会が共同で、通年契約しているのだそうだ。

 接待目的のためだそうで、商談相手にこうやって都合してやれば好感度が上がり、仕事に役立つという仕組みである。



「劇場という、音楽とは切っても切れない場だけあって、関係者の中に聖楽学院の卒業生は腐るほどいるそうですが、特に座付き演出者と作家と作曲家――この中心の三人が、陛下の一つ上の学年だったそうで」

 

 ぽえー、とか、ぴー、とか、楽器隊が桟敷席の階下で音出しをしている喧噪けんそうの中、それでも少し声を潜めてロックマートは説明した。ラナルディアは小さく頷く。


「一つ上なら間違いなく顔は見知っているでしょうね。まあ、どこまで当時の噂に通じているかが問題ですが――」



 朝いちで訪れたスリンダール地区の教会には、聖楽学院の卒業生は何人もいたものの、サリアン国王と同時期に在学していた者はいなかった。かつては合唱隊に一人在籍していたらしいのだが、その者は訳あって一年で辞めたのだという。

 昼食で同席した貴族の家には、それぞれお抱え奏者と音楽の家庭教師がいたが、奏者は聖楽学院の卒業生ではなく、家庭教師も年が違った。そして、午後から訪ねた教会にいた『聖鐘の使徒』は、サリアンと在籍期間が二年間被ってはいたが、接点がなさすぎて、学院に流れていた噂程度しか知らなかった。


 それでも、新たに知り得た事実がいくつかある。



 学生時代のサリアンには、身の回りの世話をする執事のような院生が付き従っていた、ということ。

 赤い髪が印象的なその院生は、サリアン以外にはいたって慇懃無礼いんぎんぶれいだったが、文化祭で素晴らしい女装を見せて以来、一部に熱狂的なファンを得ていたらしい。


 また、ジランドラル王国に使者としてやってきたジェッツも、やはり聖楽学院の卒業生だった。当時から彼はその美貌で有名で、サリアンと並び、聖楽学院を代表する美男の双璧だったという。

 彼を取り合って、院生たちの間でいさかいが起こったことも一度や二度ではないそうで、男しかいない学院でもそうなるのかー、いや、ジェッツを見たときのイディムの反応を思い出したらさもありなん、とうなったラナルディアであった。



(でも知りたいのはあのお使者のことじゃないのよー! サリアン陛下の弱みが知りたいのよー)



 ただ、サリアンとジェッツが当時から親しかったのかと訊ねたら、そんな話は聞いたことがないという。その『聖鐘の使徒』の彼が知る限り、サリアンと親しくしていたのは赤毛の付き人の院生だけらしい。


 まずは、その院生の情報を集めるのがいちばんか。



 今でもサリアンの懐刀として王宮にいるのだろうか。だとすれば、その男からサリアンの弱みを聞き出すことは難しいかもしれない。


 が。


 サリアンではなく、その院生の弱みを握る、というのも、使える手であることは間違いない。 それほど親しかったのであれば、おそらく、その院生の弱みは少なからずサリアンの弱みと重なっているだろうから。



(人の弱みばかり探すだなんて、わたくし、なんだか悪辣非道な人間みたいね)



 でもやるのだ。

 爺も言っていたではないか。目的のためには手段を選ばす。

 譲れないものがあるのなら、闘うしかない。



 音合わせをしていた楽器隊の音が、少しずつ揃ってきて重なり、厚みを増していく。

 それに気づいた客席のざわめきも、だんだんと収まって、いよいよこれから素晴らしい時間が訪れるという期待と興奮が辺りを覆っていく。



 ラナルディアは、未だ緞帳の下りている舞台に目をやった。

 両袖に、美しい花が溢れんばかりに飾ってある。上手かみてが赤、下手しもてが白の薔薇。

 あまりの量に造花かとも思ったが、花びらの瑞々みずみずしさ、透明感などはどう見ても――。


「生花? まさかね」

「どうして、まさか、なのですか?」

「だって、あれだけの質の薔薇を、あれだけの量用意しようとしたら、ものすごく高くつくもの。しかも、照明がきついから、数日しかもたないし」


 姫らしくなく花に詳しいラナルディアだからこそわかる。

 あれだけの茎の長さが揃った薔薇をあれだけの量買い占めたら、相当吹っ飛ぶ。



「おっしゃるとおり、普段は造花を飾っているらしいですよ。けれど、気前の良い後援者が差し入れをしたいと申し出たときは別でしょう」

 

 ロックマートの声音に、ラナルディアははっとして彼の顔を見た。


「伯父様、まさか、あの薔薇……」

「目的のためには手段を選ばず、ですよ。おお、いよいよ始まりますぞ。話は後、後」



 ロックマートの言葉通り、重々しく緞帳が開こうとしていた。








   



 

 



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