第二章 1.旅って大変



 ロウエン王国の王都ラスティアは、非常に美しい街だった



 ちょうど季節もよかったのだろうが、アンティローダの並木が、白い繊細な花をこぼれんばかりに咲かせていて、まるで花嫁のヴェールのようだ。


 中央の大通りと、王宮、聖教会、官公庁の建物などは純白のラリーズ石が貼られていて、ただでさえ神々しいほど白く美しい街並みなのに、そこに満開のアンティローダの花が加わると、まるで夢の国か天の国かと見まごうばかりの幻想的な光景だった。


 おまけに、辺りに漂う花の甘い香と、瀟洒しょうしゃな街灯、ゴミ一つ無い清潔な街路ときた日には――世界一の美都と謳われるだけのことはある、と、ラナルディアは宿の二階の窓から頬杖ほおづえをつきながら、街を見渡した。



 これだけの街を維持するには、どれだけの労力が割かれているのだろう。

 

 きちんと路面を石で舗装し、それを維持するだけの人手と財力。

 補修を指示し、やらせる機関がきちんと存在し、機能していて。

 毎夜、街灯に篝火かがりびを入れ、ゴミや雑草を片付ける制度もあって。

 そもそも、住民たちが最初から道にゴミを捨てなかったり、清掃を尊んだり、という文化を育んでいるのは教育か。



「さすが、格が違う……」

 


 この都を見るだけで、ロウエン王国の国力の一端がうかがえる。

 王と、それを支える国政の中枢部が優秀なのが嫌でもわかった。

 それだけでも、無理を押してでも旅に出た甲斐は充分にあった、と思う。




 ロウエン王国から使者を迎え、国王サリアンからの求婚を受け入れて、内々に婚約が整ってからひと月。

 ラナルディアは今、そのロウエン王国の王都ラスティアに来ていた。

 こっそりと。お忍びで。



『サリアンの弱みを握るためにロウエン王国に行く』


 そう宣言したものの、ここにたどり着くまでには、筆舌に尽くしがたい大小さまざまな困難苦難を乗り越えてこなければならなかった。

 いやあ、ほんっとに面倒くさかった。



 当たり前のことではあるが、『一国のれっきとした姫』が、『お忍び』で、『嫁入り前に他国へ長旅』をするその理由が、『婚約者の弱みを握る』、ためなどとは――『 』の中身がすべて、お話にならないくらいの大問題だ。公にすることなど、思いもよらない。

 国王夫妻である両親にバレるのも駄目だ。もちろん、父母につながる家臣に知られることも。仕方なくラナルディアは、自らの伝手つてだけで旅の支度をした。



『引きこもり姫』として名高いことが、今回も本当に役に立ってくれた。

 部屋に閉じこもっているのが当たり前、常にヴェールを被っているから素顔を知っている者は数えるほど、そんな人間の替え玉を仕立て上げるのは、そう難しいことではない。

 これまでも、ジランドラルの城下にこっそりと出かけたことなど幾度となくある。それが、ちょっとばかり長期間に延びるだけだ。



 替え玉役はもちろん侍女のカランナ。

 替え玉というよりは、一人二役、といったほうが正しいか。普段は侍女として、部屋に篭もっているラナルディアに仕える振りをし、婚礼の支度を進める上で問い合わせがあった場合などは、ラナルディアの振りをして返事する。

 さすがに今回は期間が長いので自信がない、と泣きつかれたが、彼女が密かにあこがれているサリアン陛下に絶対生で会う機会を設けてあげる、との餌に陥落してくれた。



 近習のルナーンもお留守番だ。出世争いの激しい近習の彼を長期間休ませたりしたら、ジランドラル王宮で二度と浮かび上がれなくなってしまう。ルナーン自身もそれがわかっているらしく、少しだけ残念そうな表情をしたものの、すんなりと居残りを承諾した。彼は、旅の空の下のラナルディアたちに、ジランドラル国の最新情報を流す役目も負っている。



 逆に、嬉々としてラナルディアについてきたのが、護衛騎士のイディムだった。

 騎士という職業上、怪我も多いのを利用して、わざと訓練中に身体を痛めた芝居を打ったイディムは、見事にふた月の傷病休暇をもぎ取った。温泉に湯治、という名目で、旅立つ理由も万全である。

 腐っても騎士なので、荒事は専門だし、一応貴族の端くれとはいえ、五男ということで普段から平民に混じって街で羽目を外すことの多かった彼は、物腰も世間慣れしている。旅の護衛役としては、これ以上の適任はいなかった。


 そしてラナルディア自身は、貧乏貴族の娘、という設定で、かねてからの知り合いの商人の商隊に紛れ込ませてもらい――今こうして、ロウエン王国の都に無事着いた、というわけだ。



 もちろん、ここまでの道のりは、姫としてはかなりお忍びが多いラナルディアにも、けして楽なものではなかった。

 旅って大変!!! と大声で叫びたくなったことも、一度や二度ではない。

 ずっと馬車に揺られ続けて、身体中痛くなるし、吐き気は止まらないし、湯浴みも出来ないし、熱いし寒いし、用を足すのも一苦労だし、食事も見たこともないものが出てくるし、山賊に襲われそうになるし。

 ラナルディアの商隊は、かなりの豪商のものだったので、おそらくこれ以上はないほど最高に恵まれた旅であるのは間違いない。それでもこんなに大変なのだ。恵まれない者の旅は、どれほど過酷なものであることだろう。



(街道の整備を父上に提言しないと)



 それと同時に、街の美化に関する制度も作る必要がある、とラナルディアは通りを見下ろしながらうなる。

 美しい街は、それだけで財産なのだとつくづくわかった。長居したくなる街、再訪したくなる街というのは富を生み出し続ける。



「まずはゴミをどうするか、よね……」



 ラナルディアがぽつり、とそう呟いたとき。



「なにやらおかしな単語が聞こえましたが。私の耳がおかしくなりましたかね」



 扉の開く音ともに、そう言いながら、初老の男が入ってきた。

 ラナルディアをここまで連れてきてくれた商隊の主人、豪商のロックマートである。


 




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