10.覚悟を決めましょう     



「幼き頃に定められた政略結婚の相手に、そこまで情をかけ、みさおを立てるような御方なら――我が主に対しても、いったん胸襟きょうきんを開いていただけさえすれば、誠実に振る舞っていただけるのではないかと思ったのですよ、姫」 

 ジェッツはそう言いながら、ふと、辺りに視線を向けた。


「この庭も、姫が手ずから丹精なさっていると聞き及んでおります。亡き婚約者のために、花を絶やしたくないのだと」

 いやあ、ご自分で土にまみれてまで、手向たむけの花を育てるだなんて、なかなか出来ることじゃない、と、腕組みしながら頷いているジェッツに、ラナルディアは悲鳴を上げそうになった。


「そ、そんな情報、どこで――」


 言いかけて気づく。

 そんなことを知っているのは、身内――この国の者しかいないではないか。

 それも、ラナルディアがこっそりと庭仕事をしていることを知っている者など、ほんの一握りしかいない。



「庭師を抱き込みましたね?」


 道理で、植物の名前にやけに詳しかったはずだ! 



「抱き込むだなんて、人聞きの悪い。我が主が貴女を后に迎えたいと仰せになっている、つきましては姫とはどういう御方か知らないだろうか?と、ちょっとばかり訊ねてみただけで、ね」


『ジランドラルの引きこもり姫』という二つ名など、まったく誤解も甚だしい! と憤慨していた庭師がいろいろ姫のことを教えてくれた、と、ジェッツはあっけらんかんと笑う。


「私が庭師となじみがある、というのは?」

 まさか、城の者すべてに聞き込みしたわけじゃないでしょう? と問うと、ああ、とこともなげにジェッツは肩をすくめた。


「それは城の女官殿に。引きこもりの姫が部屋の外へ出かけることはあるか、と訊ねたら、確か庭の散策には行かれるようだ、とお聞きしたので」

「……女官相手なら、さぞや聞き出すのも容易たやすかったんでしょうね」

「いやあ、それほどでも、と言いたいところですが、まあ、楽勝です」



 ぬけぬけとそう言うあの整いすぎた顔がほんっとーに気にくわない。



「で、姫が庭でなにをなさっているのか念のために探ってみたら――いやあ、いい情報が手に入りました。庭師の連中には、ラナルディア姫、貴女、ものすごく評価高いですよね」


 下々の者にも偉ぶることなく、丁寧で優しい。面倒な仕事もいとわない。常にヴェールを被っていて表情は見えないけれど、平民の言葉もよく聞いてくれる、おごらない姫だと。

 女官たちや侍従たちから聞かれた怪しげな評判とは真逆で、いっそ笑えました、と、ジェッツは唇をゆがめた。



「これはもう、『引きこもり姫』という評価は、姫ご自身が望んで流しておられるのだと。亡き婚約者殿をしのんでいられるよう、ご自分の評判を落とされておられるのだと――そう気づいてからはすぐに、こちらの意思は固まりました」


 亡き婚約者に操を立て続ける情のあつさ、民草に向けるまなざしの暖かさ、そして自分の誘惑にもびくともしない鈍――もとい誠実さ。


「なにより、『引きこもり姫』と渾名あだなされるのもいとわず、ご自分の意思を貫こうとなさる強靱きょうじんさと頭の良さ。これは、我が国の正妃に、なくてははならない麗質であるかと」



 そう言うと、ジェッツはその場に膝をついた。こうべを垂れて、恭順を示す。


「改めて、お願いいたします。どうあっても、姫には我が国にいらしていただきたい」



 …………やられたー。



 ラナルディアは、天を仰いだ。


「……わたくしが、サリアン陛下をお慕いできなくても、ですか?」


「それでも、姫なら、一度納得して結んだえにしならば、相手に誠実に尽くそうとなさるでしょう? 男女の機微ではなくとも、国を治める同志としての情を裏切るようなことはなさらないはず」


 いつかは冷めるかもしれない恋だの愛だのより、その責任感のほうが、ずっと重要だ、とジェッツは言った。



 ここまでこちらの事情を知られている以上、最初にラナルディアが目論もくろんだように、あちらから断ってもらう、という途はもうあり得ないのだと認めるしかなかった。

 それでもラナルディアが拒否しようというなら、それこそ国家間の問題になる。

 完全に手詰てづまりだった。



 覚悟を決めるしかない――ですか。



 はあああ、と大きなため息をつく。

 姫がつくにはいささかはしたないため息ではあるが、構うものか。ため息ぐらいつかせてもらわないと、やってられない。


「では、どうしても私を后に迎えると?」

「御意」

「サリアン陛下は、見目みめ素晴らしく、学才にも武芸にも優れ、芸術にも造詣が深くその御気性も非の打ち所のない神のごとき御方と聞き及んでおりましたが」

「我が主のことを形容するにはそれでも足りないかと」

「趣味だけは悪くていらっしゃるんですね」



 わたくしのような者を后にだなんて、女性の趣味が悪すぎます――そう告げると、ジェッツが一瞬虚を突かれた表情になり、次いで、思わず吹き出しかけた。



「いや、あの、その、あの人の女性の趣味って……あー、いやあ、えーと」

「その慌てようからすると、どうやら貴方、サリアン陛下のご趣味をご存じのようですね。ああ、そうですよね。ご学友でいらっしゃるから――」

「いやいやいや! まったく油断のならない姫ですね。その頭の鋭さは、ぜひとも別のことに生かしていただきたい」

「ならば、ひとつ教えていただきたいんですけど」

「我が主の初恋話を教えろとか、そういうのはナシですよ」



 ラナルディアは、楽しげなジェッツに向き直った。



「どうして、そこまで我が国と縁づきたいと思っておられますの?」


「それは、姫を后にお迎えしたいからですよ」

「嘘」


 ラナルディアはゆっくりと首を振った。

  

「先ほど貴方がおっしゃったでしょう? サリアン陛下は、王の婚姻は最大限に国のために生かすべき、という考えの持ち主でいらっしゃる、と。国同士の縁組みなど裏がある政略以外の何物でもない、と。――ということは、わたくしと結婚するのは最大限に国のためになるような裏がある、ということですわよね?」



 いったん言葉を切ると、ゆっくりと訊ねる。


「この縁談の裏は、いったいなんなんです?」



「……まったく、こちらから持ちかけたとはいえ、聡すぎる姫君には参る」

 

 ジェッツの秀麗な顔に苦笑が浮かんだ。


「ここで裏などない、と申し上げても、貴方は信じられないでしょう。……確かにね、裏はあります。ですが、我が国が私腹を肥やそうとしているとか、より強大になろうとしているとか、そういうことじゃあありません。言うなれば、あの御方がこの世界を護ろうとしている、その一端だと思っていただければ」

「世界を……護る……?」

「意味がわからないでしょう? それも当然です。この世界にはね、姫がまだご存じにならない真実がいろいろとあるんですよ」


 それを知らずに、この婚姻の意味がわかることはない。だが、それを知りたいのなら、サリアンに嫁ぐしかない、とジェッツは言った。



「貴女が后になった暁には、この婚姻の裏がわかりますよ。知りたければ、早く我が国にいらっしゃい。――サリアン陛下の花嫁として」

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