9.どこまで腹を割れますか
「い、色仕掛けだなんて、そんな――」
ラナルディアは途中で言葉を切ると、また閉じ、そしてまた開けて――ゆっくりと首を振った。
一つ小さなため息をつく。
と、それをおもしろそうに眺めていたジェッツが口を開いた。
「おや、もう誤魔化すのはおやめになるんですか?」
「恋愛ごっこに関しては、貴方のほうが一枚も二枚も上手なのはよーくわかりましたもの。これ以上下手な芝居をして、恥をかくのはまっぴら」
ラナルディアは肩をすくめた。
「それに、わたくしのつたない芝居では、これ以上続けると大変なことになりそうですし」
少し離れた場所にいる護衛騎士たちを横目で見やる。
いきなり密着したジェッツとラナルディアに泡を食っているイディムたちが、どうすればいいのかと様子を伺っているのがありありとわかる。これ以上露骨にジェッツに色目を使ったら、飛び込んで来かねない。
そして、露骨に色目を使わないでジェッツに粉をかけるなんて高等技術がラナルディアにあるだろうか。いや、ない。
「国際問題を起こすのも、あの護衛騎士たちが処断されることになるのもごめんですもの」
「違いない」
ジェッツはくすりと笑った。
「とにかく、いくら
つん、とそっぽを向きながらそう言い放つと、ジェッツはさらに笑みをを深めた。
「なるほど。男を誘惑するほど
「ええ。素行が悪い姫ですから、貴国の高貴な国王陛下にはまったくふさわしくないかと」
「ですが、わざと色仕掛けをなさるということは、姫の本心はまったく逆ということにはなりませんか? 私にはまったく興味をお持ちでない、ということでしょう?」
「下手な誘惑をしてみるくらい、この縁談には気乗りしていないのだ、とは思ってくださいませんの?」
「我が主との縁談に二の足を踏むような姫君には、これまでお目にかかったことがございませんので」
そうぬけぬけと言ってのける色男の顔が憎たらしい。ひっかいてやりたくなる。
「あいにく、わたくしはその姫君方とは違いますの。わたくしの心はもうずっと以前から、亡くなった婚約者と共に土の下にありますので」
ラナルディアはいったん言葉を切ると、続く台詞を言おうかどうしようか一瞬迷った。
だが、目の前のこの相手には、ある程度こちらも腹を割らないと説得できないと思い返す。
「確かに、一国の姫としては、婚姻は務め。しかも貴国ほどの大国ともなれば、こちらから断るだなんてあり得ない話だということは重々承知しております。ですから、色仕掛けなんてはしたない真似までして、そちらから愛想を尽かしていただきたかったのですが」
「そこまで我が主のことが気に入りませんか?」
「まさか。今現在、世界でいちばんの婿がねだと」
ラナルディアは首を振った。
「サリアン陛下以上の殿方などいないことくらい、いかに田舎者で世間知らずのわたくしでさえわかっておりますわ。ですが――そういう問題ではないのです」
空を見上げる。澄んだ青い色が、瞳に眩しい。
「もともと、修道院に入りたいという願いを父王に蹴られて、まだここにいるんです。お相手が誰かだなんて、関係ないんです」
小さく笑うと、視線を転じてジェッツをじっと見つめる。
ヴェールがあるから、こちらの表情は見えていないだろうけれど。
「御使者殿。申し訳ありませんが、他の姫を当たってくださいませんか?」
ラナルディアは、ゆっくりとそう告げた。
「貴国が欲しいのは、この国とのつながりでしょう? この国に、貴国にとってどういった利用価値があるのかはわかりませんが、そのための縁談なら、なにもわたくしでなくて他の姫でもよいでしょう?」
素行が良くて、品があって可愛らしい姫なら、遠縁でもよければいくらでもいる。
この国のなにが目的なのか教えてくれれば、縁談などなくても協力する道を考える。
だから、自分との婚姻は考え直してはくれないか――。
そう頼むと、初めてジェッツの表情が変わった。
「そりゃまあ確かに、国同士の縁組みなんて裏がある政略以外の何物でもないんですけどね――。だからこそ、貴方のその
よく意味がわからなくて、軽く首をかしげると、ジェッツが秀麗な顔にかすかに苦笑を浮かべた。
「我が主は、ほんと、良く出来た御方なんですよ。天が定めし王がいるとしたら、まさにあの御方ですね。常に国のことを思い、私利私欲なく、民のためだけに尽くして、すべての時間を公務に捧げている」
「……主に対する美辞麗句だとしたら、もう少し割り引いたほうがいいんじゃないでしょうか。あまりに世辞が過ぎて、嘘っぽく聞こえてしまいましてよ」
「いや、私も、他の誰かにこんなことを言われたら、完全にゴマをすっていると判断しますけどね。遺憾ながら、あの御方については、これでもずいぶんと割り引いて話しているんですよ。本当に、その存在自体が嘘みたいな人でして」
ジェッツは肩をすくめる。
「先ほど姫がおっしゃったように、国同士の縁組みなど政略です。ですが、あの王は、お飾りにでも正妃をたてて、気に入った娘を愛妾にするとか、そういう器用な真似が出来る人じゃないんですよ。そういうところだけは潔癖というか、融通が利かないというかなんというか」
ぶつぶつと語尾が小さくなって消えたが、一瞬、なにやらひどく不穏な単語が聞こえたのは気のせいだろうか。いや、まさか。この美形が、そんな悪態をつくだなんて。
「では、好きになった御方を正妃になさる、と?」
「それも出来ないことはあの方がいちばん承知していましてね。王たる自分の婚姻は、最大限に国のために生かさないと、という考えの持ち主ですから。政略以外に后を迎えることは考えていないし、たとえ愛妾を持ったとしても――それも政略です。ご自分の大切な相手を愛妾にするなど、考えたくないという人ですから」
へえ、と思わず声が漏れそうになる。あれだけ
――って、いやいや、なにを信じてるんだか。これもこちらを懐柔する嘘かも。
だが、己の主のことを語るジェッツの口ぶりには、呆れると同時に情のようなものが感じられた。
「正妃は政略結婚で迎える――これはもう仕方ない。けれど、せめてその相手は、あの人を裏切るような女性であってほしくないんですよ。恋や愛で結ばれたわけじゃなくても、疑わずに背中を預けられるような関係でいてほしいんです。でないと――いくらなんでもあいつが辛すぎる」
「……サリアン陛下と、その、ずいぶんとお親しいんですね」
「学生の頃からの同窓ですからね。お互い、子どもだった時の悪さまで知ってますよ」
同じ学校に通っていたわけか。気安いわけだ。
「ジランドラル国と縁を結びたいのは事実です。ですが、后に迎えるのは、他の姫ではなく、貴女がいい。ラナルディア姫」
ジェッツはまっすぐにラナルディアを見た。
「それが、この国に来て、いろいろ見聞きした私が下した判断です」
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