8.色仕掛けってどうやるんですか



 

 あー、まずった、かも。

 

 思わず天を仰ぎたくなる。

 目の前で微笑む男の秀麗な笑顔が胡散うさん臭くて仕方ない。


 

 人見知りで引きこもりで臆病な姫だから、ろくに話せない。一方的にジェッツに話させておいて、その言葉の端から、彼の目的の手がかりを探るつもりだったのに。

 でもって、こんな変わり者で内気な姫など、サリアン陛下にふさわしくないと思わせるはずだったのに――っ!


 ジェッツが国家政情や歴史哲学、美術芸術、馬や賭け事など、万事に造形が深いのは、これまでの観察で嫌というほど思い知らされていたけれど、まさか、園芸まで守備範囲だとは思わなかった。


 美しい花を愛でるならともかく、がっつり園芸に首を突っ込むのは、貴人としてはあまり褒められたことではない。土をいじるのは、位の低い者のすることだとされているからだ。

 だから、まさかロウエン王国の使者が、草木の名に精通しているだなんて思ってもみなかった。それも、女性ならまだしも、殿方の彼が。

 おかげで、あまりに意外で、つい、普通に応対してしまったではないか。



「わ、わたくしを花だなんて、あの、そんな」


 今更だとは思うが、人見知りらしく、おどおどと謙遜してみる。するとジェッツは、柔らかく目を細め、甘い声で囁いた。


「ええ、その美しいお声でわかります。花もよいですが、愛らしい小鳥のようだと讃えたほうが姫のお好みでしょうか」

 


 わ――、と叫んで辺りを走り回りたくなる衝動を、ラナルディアは必死で我慢した。

 背筋がぞわぞわする。すごい。破壊力半端ない。


 自分みたいな女相手に、ここまで自然にするっと甘い言葉が出てくるなんて、本当にこの人女あしらいに長けているんだなあ、と感嘆することしきりだが、こんな海千山千の相手に、自分なんかが太刀打ちできるんだろうか、という疑問が初めて湧いた。


 

 正直、恋愛めいたことは、亡くなった婚約者関連しか経験していないので、子どものママゴトと大差ない。

 引きこもりで修道院に入りたがっている姫を通してきたから、城の宴に呼ばれる吟遊詩人が歌う恋歌にも無縁だ。女官たちのコイバナにも疎い。恋物語を描いた絵双紙を読んだことがないわけではないが、城の図書室にはそういった本はほとんどなく、カランナから無理矢理押しつけられて読まされた数冊程度だ。



 あー、ちょっとばかり、甘く考えてたかも。


 他国の使者だから、外交とか交渉の範囲でなんとか出来ると判断していたが、これ、ひょっとして、そもそも最初から必要とされてる戦闘力の種類が違うんじゃない?


 もしかして、色気とかそういうのに対する経験とか耐性が、予想していた以上に必要とされるんでは?

 ジェッツの魅力にやられてしまうことはないとしても、この色気の壁をかいくぐって、彼を口を割らせることなど、自分にできるのだろうか。



 頭の中で、今のこの状況に対する分析をすごい勢いでこなしていく。



 いくら自分が交渉ごとが苦手ではないにせよ、普通にもちかけただけではたぶん、この男は甘い笑みと言葉で煙に巻いてしまう。

 それをかいくぐるだけの手腕や手練手管は、おそらく自分にはない。



 さて、どうしよう。

 

 改めて、どうしても知らなければならないこと、引き出さなければならない条件、譲れるものなどをつらつらと吟味する。


 ロウエン王国がなぜこのジランドラル王国に固執するのか、その理由。

 サリアン国王との縁組みが、どうしても必要なのか。

 その相手が、ラナルディア以外の王族では駄目なのか。



「…………姫? ラナルディア姫?」


 あまりに沈黙が長くなったからか、ジェッツが不審そうな表情を浮かべた。


「やはりお疲れでしょうか? どこかで少しお休みになりますか?」

「……え? あ、ええ、そ、そうですわね」



 ラナルディアはしばし逡巡したあげく、小さく頷いた。

 その答えを聞いたジェッツは、辺りを見回すと、ああ、と声を上げた。


「あそこに四阿あずまやが。ちょうどいい。少し座っていきましょう」



 ジェッツの視線を辿ると、木立の向こうに白い四阿がある。散策途中で休憩するためにつくられた木製の屋根とベンチ、確かにうってつけだ。



 ジェッツはラナルディアを促し、先に立って歩こうとする。が、まったく動こうとしないラナルディアを振り返ると、「……姫?」と呼んだ。



 さあ、気合いを入れて。ラナルディア。



 ラナルディアは、うつむくと、か細い声で呟くように言った。

「申し訳ありません。疲れてしまって動けないのです。どうか、お――」


 お手を貸してくださいませんか? という言葉は、最後まで発せられることはなかった。


 なぜなら。


「それは大変。気がつかずに失礼いたしました」


 大股に近づいてきたジェッツが、いきなり屈むと、ラナルディアの腰と足に手をかけて、するりと抱き上げたからだった。


「ぎゃっ!?」

「ご無礼つかまつります。御身に触れるのは不敬と存じますが、か弱きおみ足をこれ以上痛めてはいけない。あの四阿までの無礼と思し召して、なにとぞお許しいただきたく」


 驚愕のあまりに上げてしまった、姫に似つかわしくない叫び声を遮るように、すらすらとジェッツは詫びの言葉を並べると、ラナルディアを抱きかかえたまま、四阿へ向かって歩き始めた。

 ラナルディアの重さなど、まったく感じさせない悠々とした足取りだ。

 すらりとした細身の優男のくせに力がある。背に回された彼の腕の硬さに気付き、ラナルディアの顔に血が昇った。

 なにせ、男性とこんなに密着するのは婚約者にじゃれついたとき以来なのだ。



 手を繋ぐ程度のはずだったのに。

 突然この密着ぶり。さすがにこちらの想像以上の先手を打ってくる。

 次はどうすればいいのだろう。

 えーと、えーと、そうだ。



「失礼つかまつりました。着きましたよ」


 四阿の屋根の下に入り、ベンチの上でジェッツがラナルディアを下ろそうとする。咄嗟に、その腕にしがみついた。


「姫?」

「あの……まだ離れたくありません」


 たぶん、今の自分は耳まで真っ赤になっているだろう。声も震えているしボロボロだ。けれど、初心な姫としてはそれでもいいだろう。



「……姫」

「あの、その、こんなことを申し上げるのははしたないと重々承知しております。ですが、その……あの……わたくし……貴方のことを……」


 たどたどしく、ジェッツのことを想っているようなことを匂わせる言葉を紡ぐ。



 と。



「それは――私のことを想ってくださっていると考えてもよろしいのですか?」


 不意に、ジェッツの様子が変わった。


 腕に力がこもる。甘かった声音が、吐息を含んでさらに艶っぽくなる。聞いているだけで、腰が砕けそうな、圧倒的な男の色気。これまでの色気はまだまだ可愛らしかったんだ、と感嘆するほどの。


「私も――と申し上げたら、お困りになりますか?」

 なまめかしい吐息が耳元に落とされた。

「え?」


「実は、初めてお目にかかったときから、姫のことを」

 背に回された掌が熱い。

「嘘?」


「どうしても姫のことが忘れられず、我が王の名にかこつけて、もう一度お会いしたいと」

「はあああああ?????」



 思わずジェッツの身体を突き飛ばす。

 唖然としながら見上げると、そこには、これまでとは違い、完全に人を喰った表情のジェッツがいた。



「おやおや、先ほどの言葉は嘘でしょうか? 私を想ってくださったというのは」

「それは――その」

「色仕掛けだったんですか。姫もお人が悪い」

「そういうそっちこそ!」

「色仕掛けというのはこういう風にやるんだという見本をお見せしただけですが。姫の色仕掛けがあまりに可愛らしかったもので」


 そう、ジェッツはぬけぬけと言ってのけた。   

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