6 そんな話は聞いてません!



 まさか、今回の使者がこの色男だとは思わなかった――。

 ラナルディアは内心のため息を押し殺して、横に立つ男の様子をそっとうかがった。


 

 顔合わせの後、しばし、母である王妃や外務大臣などを交えてのご歓談、というやつがあった。

 会話は周囲に任せ、ラナルディアは一歩下がってロウエンの特使を密かに観察することに努めた。その結果、改めてはっきりしたのは、ジェッツというこの美男子の恐ろしいまでの人たらしぶりである。

 彼に話しかけられた者は例外なく相好を崩し、実に実に幸せそうな表情で応対するのだ。まるで、天の御使みつかいか最愛の恋人にでも出会ったかのように。


 ああ、もう、貴方それでも一国の外務大臣?  デレデレとくだんない政策力説してる場合!?

 母上も母上よ! 父上という人がありながら、なに年下相手に頬を赤らめてるのー!


 心の中で絶叫しつつ、表面だけはあくまで冷静さを崩さない。ヴェールの存在がこれほどありがたいと思ったことも、そうはないだろう。


 

 その場に介する一同に、ジェッツがその魅力をもれなくたっぷりと振りまきまくった後。

 やっと! さすがに我に返った様子の外務大臣が、こほん、と白々しい咳払いを一つした。



「それでは、そろそろ、特使殿と姫と、お二人だけでごゆっくりご歓談を・・・」

「はぁ?」



 思わず剣呑な声を上げかけて、ラナルディアは慌てて声を呑み込んだ。

 自制、自制。こんなところでこちらの感情を気取られるわけにはいかない。


 外交は剣を使わない戦争だと常々爺も言っていたではないか。そして、思考や手の内を隠すのは基本中の基本だ、と。 

 ラナルディアが目の前の美男子をこれ以上ないほどうさんくさく思っていることなど、当の本人に悟られてはならないのだ。絶対に。


 しかし、このまま流されるのもマズい。ラナルディアは、つつつ、と、ジランドラル国王妃たる母親に近づいた。



「どうして『二人だけ』でご歓談なんて、馬鹿なことを外務大臣は言い出したんですの? 母上」

「それが御使者のたっての希望でしたので。二人きりでお話して、より詳しい貴女の人となりを、サリアン陛下にお伝えしたいんですって」


『ジランドラルの引きこもり姫』『灰色の幽霊姫』という二つ名持ちの姫を、花嫁にと推薦するからには、至極もっともな希望ではないか、と母親は肩をすくめた。


「だからといって、婚姻前の娘が殿方と二人きりになるのは、どうかと思いますわ。それも、婚約者相手ならともかく、まったく関係のないお相手だなんて」

「まったく関係ないお相手というわけではないでしょう。エルオンハイム卿は、サリアン陛下の無二の腹心だという話ですよ。卿に、万全の便宜を図って欲しいと、サリアン陛下直々の親書も受け取りましたし」



 その無二の腹心が、サリアン陛下の花嫁候補を誘惑して回ってるんですけどね!



 だが、それを口に出せば、リリアンナをはじめとしたこの国の姫たちの沽券こけんに関わる。どうやら母親は、リリアンナがジェッツにたらし込まれた話は知らないらしい。さすがに言いつけるような真似は、ラナルディアには出来なかった。


「それでもわたくし……、婚約者でもない殿方と二人きり、なんて無理です。それくらいなら、やっぱり修道院に――」

「なにも二人きりで部屋に閉じ込めようとか、そんなつもりはありませんよ。二人で庭を散策してらっしゃい。もちろん、距離は置きますが、ちゃんと護衛騎士が付き添います」

「本当に? 本当に護衛の者が見守ってくれるのですね?」

「当たり前でしょう。さすがに、嫁入り前の貴女の評判をこれ以上落とすような真似は出来ませんよ」


 それでもラナルディアは、ためらう素振りをみせてみる。

 なにかにつけ修道院に入りたがる姫であるならば、そうであるはずの行動だ。


 すると、とうとう母親の堪忍袋の尾が切れた。

 扇で顔を隠しながら、ラナルディアの耳元に口元を寄せる。ごくごく小さいが、鋭い声がした。


「そもそも、あの方の申し出を断れるはずがないでしょう! どこの国の御使者だと思ってるの!?」



 ごもっとも。



 内心では深く頷きながらも、表面的にはとまどいを隠せない様子をラナルディアは装った。どことなく気乗りのしない調子ながらも、二人で散策することに同意する。


 護衛騎士が背後についてくるという言質は取った。

 イディムが上手く立ち回ってついてくるだろう。最低限の安全は保証されていると思う。

 こちらとしても、あのうさんくさい使者がなにを考えているのかを探りたいのがいちばんだから、二人きりで散策、という提案は、正直渡りに船、だった。


 

 顔を上げて、ヴェール越しに使者の顔を見る。

 すると、かすかに微笑みを浮かべてこちらを見つめていた彼と視線があった。


 何度見ても、非の打ち所のない、ぞっとするような美貌だ。

 とまどうラナルディアを安心させるような優しい笑顔。しかし。

 鋭さを隠しきれない、黒い瞳の光が、わずかにそれを裏切っていた。



「我が主でなくて誠に申し訳ございませんが」


 五感に響くなめらかな声が、ラナルディアに語りかける。


「代わりにしばしの間、わたくしめに姫の供をお許しくださいませんでしょうか」


 

 そう言いながら、ジェッツは、ラナルディアに向かって優雅に手を差し伸べた。

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