5 なんであなたがいるんでしょう 




 ドレスの裾が気になって、ラナルディアは己の足下をちらりと振り返った。


 黄昏たそがれの空を切り取ったような薄紫のドレスはあまりに清楚で美しく、着慣れなくて落ち着かないことこのうえない。

 こんな洒落しゃれっ気のあるドレスを最後に着たのはいつだろうか。


 自室の外へ出たのは、先日父王に呼び出されたとき以来で、その前は、ふた月前にやはりロウエン王国の使節を歓迎する晩餐会だった。が、自分はあくまで出席さえしていればいい脇役だったので、ひたすら地味に目立たないような格好で出席していた。

 

 だが、本日はそうはいかない。なんといっても、内々密とはいえ、婚約が整った相手国――ロウエン王国の使者との面会なのだから。

 いちおう、ジランドラル国側の主役はラナルディアである。よって、最大限にめかし込まなければいけない理屈はわかる。わかるのだが!


 海の泡のような繊細なレースでつくられた真っ白なアンダードレスは、大きく開いた襟ぐりと、長くひいた裾が、ため息をつくほど美しい。

 その上に重ねた光沢のある絹のオーバードレスは薄紫で、銀糸で刺繍をしたサッシュをしめ細腰を強調している。

 ジランドラル国の現在の流行はパニエで膨らませた豪華なシルエットではなく、身体に沿って流れるようなラインだ。ふっくらふんわりパニエスタイルは、ラナルディアには見事に似合わないので今のスタイルで助かったのだが、身体の線があらわすぎるような気もして、なんとなく落ち着かないのも事実だ。


 濃い紫の宝石がついた銀の首飾りと腕輪は、重いからと抵抗したのだが無理矢理つけられた。その代わり、かかとが低い銀の靴と、白いヴェールだけは死守した。


 ヴェールがなければ、絶対に外には出ない、と常日頃言い張り、それを実行しているラナルディアである。さすがに無理に取り上げるのはあきらめたらしい。ただし、いつもの灰色のものから、色を白に変えられた。婚約が整った今、婚約者であるサリアン王よりも先に、他の男に顔を見せたくない乙女心と言えば、まあ通じるだろう、という判断のようだ。

 ラナルディアもそこは妥協した。顔を見られないのであれば、色くらい我慢出来る。


 使者が来るのを待っているこの部屋は、三つある接見の間のうち、二番目の広さと豪華さの『銀菫ぎんすみれの間』で、普通は王族が自国の貴族と密談するときか、自国の官僚が特使と会談するときに使う。

 ラナルディアが主役であるから、玉座がある謁見の間は使用出来ないにしても、接見の間でもいちばん華やかな『金蓮花きんれんかの間』を使わない――もとい、使えないのは、そこが以前、スフ国の王子を迎えた部屋だったからだ。その間を使うなら、自室から出ない、と、ラナルディアが言い張ったことによる。


 王族としてあるまじき態度なのは重々承知している。だが、さすがにあの『金蓮花の間』で、また誰かを待つのは勘弁して欲しかった。心の奥底に封印したいろいろなものが飛び出してきそうな気がする。


 色とりどりの菓子や軽食が花とともに美しく飾られたテーブルをぼんやりと眺めながら、早く使者が来てくれないかな、とラナルディアは願った。


 ここは、あのときとは違う部屋。

 背後に控えているのは爺ではなく大臣だし、自分の背も伸びた。この場にいる親は母であるジランドラル王妃だけで、父王はいない。

 年も重ねて、もうあのときと同じようななにも知らない無力な子どもとは違う。

 知識も得た。力もつけた。仲間もいる。ヴェールを被っているから、表情も読まれたりしない。



 大丈夫。

 今度こそ、同じ間違いはしない。



 それでも、緊張に胸がばくばくする。ああもう、早く終わらないかな、とため息をつきかけたそのとき、先触れの声が響き、扉が開かれた。


 来た。


 一瞬顔を上げて、いや、表情が見えたら困る、と慌てて下を向き、そして、やっぱり相手を確認しないと、と、そろそろとまた顔を上げる。


 磨き抜かれた儀礼用の長靴ブーツ。長い長い足を上にたどれば、藍色の長衣サーコートに黒い剣帯を締め、二本の長剣をいているのが見えた。二本差しとは珍しい。

 いかにも儀礼用の派手な鞘に入った剣の下に、地味ななめし革の鞘が目立たないよう下げられている。そのくたびれ方から、おそらく普段はこちらの剣だけを使っているんだろうと推測できた。

 なるほど、この使者は相当剣を使うとみえる。


 普通なら、他国の使者が王族と対面するのに、帯剣するのを許されることは滅多にない。

 だが、群を抜いて大国であるロウエン王国が、わざわざ縁談を申し込みにきた国で暗殺めいたことをする必要など考えられない。

 大国に対する忖度そんたくと、縁談の当事者がヴェールを被りっぱなしで顔を見せない無礼さとを、帯剣と引き替えにして落としどころにしたのだろう。


 さらに、そろそろと視線を上げて、顔を確認しようとしたそのとき。


「――本日は、ご尊顔麗しく、拝謁至極に存じます」


 低く甘い、背筋を震わせるような声が響いた。


 男の色気を固めて音にしたら、絶対にこうなるだろうと思わせる美声。

 耳にするだけで、胸にくる。腰にくる。反射的に顔に血が昇ったのがわかった。



 この、声――。



 こんな声の持ち主、一度聞いたら忘れるはずがない。

 ラナルディアは息を呑んで視線を上げた。



「またお目にかかれて光栄です。ラナルディア姫」



 ヴェールの陰からでもわかる。

 射干玉ぬばたまつややかな黒髪。黒曜石の瞳。一片の非もない完璧な美貌。

 美の女神の申し子、闇の神が現し身を取ったらかくもあらん、と思わせる、絶世の美形がそこに立っていた。

 これほどの美男、二人といるはずがない。



 ジェッツ・エル・フィス・アーオラスト・エルオンハイム。



 ふた月前、ロウエン国特使として、サリアン王の花嫁を探しに来た男に間違いなかった。

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