3 ぐだぐだすぎて作戦会議ともいえません




「いやー、正直信じられねえ」


 驚きの第一波が通り過ぎた後、腕を組み頭を振りながらしみじみと、イディムが詠嘆した。


「この姫さんが人妻、ってだけでも恐ろしいのに、そのお相手が! はっ! まさかの! 世界一おモテになられるあの太陽王ときた!」


 いやあ、世の中ってのは、どんなありえないことでも起こるもんなんだなあ。明日、裏庭の鶏が卵の代わりに宝石を産んだと言われても信じてしまいそう、とぶつぶつ呟くイディムを、すべてを凍らせる勢いの冷ややかな視線でカランナが睨む。


 だが正直、ラナンディアも気持ちは同じだ。なにが正しいか嘘なのか、それを判断する基準が完全に混乱している。今なら詐欺のいいカモになる自信がある。


「なあ、今更、嘘でした、ってオチねえの? みんなでオレを担いでましたー、って。怒らないから言ってみ? 許すから。っつーか、正直そっちのほうが心の平穏が」

「一言一句まるっと同じ心境だけどね、イディム。残念ながら申し入れがあったのはまぎれもない事実。残念ながら夢や幻覚じゃないし、なかったことにも出来ないの。ほんっとーに残念だけど」

「何遍、残念繰り返してんだよ姫さん。どっちかいうと姫さんは降ってきた幸運を両手を挙げて喜ぶ立場だろーが。このままうまくいきゃあ、あのロウエン国王を旦那に出来るんだぜ? 顔良し、頭良し、性格よし、王冠までおまけについてくるとくりゃ、三国一の花婿がねに間違いな……いや、待て」


 つらつらとサリアンの長所を並べ立てていたイディムだったが、ふと、首をひねる。


「なあ、ロウエン国の王様は、まれに見る賢君って話だよな? それがうちの姫さんに求婚? ……ほんとに頭いいのか? オツム大丈夫かの間違いじゃねえ? ほら、なんとかと天才は紙一重っつーし」

「それ、この部屋の外で言ったら不敬罪で首が飛ぶか、サリアン王に熱を上げてる女性陣に刺されますよイディムさん」


 怒りの篭もったものすごい視線をぐさぐさとイディムに突き刺しているカランナの様子に少々怯えつつ、ルナーンが口を挟む。


「でも――そうですね。逆に、賢君だからこそ、ラナンディアさまに目を留められた、とか」

「賢君だから?」


 イディム、ルナーン、カランナの三対の目が、ラナンディアに向けられた。いきなり注目を浴びて、少々ラナルディアの腰が引ける。


「……なにを知ってやがんだろうな」

「でも他国の王ですよ? 引きこもり姫の噂以上のことが伝わるとは思えませんが」

「いえ、サリアン陛下ならなにをご存じでも不思議はないかと。慧眼けいがんの持ち主であらせられますし」

「おいカランナ、私情ダダ漏れ」


 三人はしばらくあーでもないこーでもないと言葉を交わしていたが、やがて、どれも確証にかける推論にしかすぎないと思い当たったらしい。イディムが頭をがしがしきながらうなった。


「あー、考えても仕方ないことをここでうだうだ言ってても仕方ねえな。ロウエン王国のことはロウエン王国のヤツに聞くしかねえだろ」

「御使者ですか?」

「ああ。オレたちも接触してみるが……姫さん。たぶん、この先いちばん使者と会う機会が多いのあんただろ」

「たぶんね」


 ラナルディアは頷いた。


「わかりました。他でもない自分のことだし、自分でなんとかしてみる」

「後方支援はまかせろ」

「お願いします」


 まずは、使者と二人になれる機会をひねり出さねえとな、と頭をひねるイディムに、ルナーンが頷く。


「姫さまが縁談を了承したとなると、そのうち御使者との顔合わせがあるでしょうからね。僕は早めにその日取りと手はずをつかんでおきます。当日の動きは、イディムさんの仕切りですね」

「だな」

「そういえば、御使者がどんな御方かはわかってるんですか?」

「いや、さすがにまだそこまでは把握してねえんだけどよー。ロウエン王国からは先々月も使節団が来たんだろ? また同じ面子めんつじゃないの?」

「えー?」


 イディムの言葉に、ラナンディアは思わず声を上げた。


「またあの御使者ぁ? うーん……、それはない、と思うけどなあ」

「あ、姫さま、記憶に残ってるんですか?」

「というより、忘れたくても忘れられないでしょ、あれは」


 ラナンディアは顔をしかめる。


「そんなに姫さんが嫌がるほどダメなヤツだったわけ? 変だなそりゃ。あのロウエンに、そんな不出来な外交官がいるとは思えねえけど」

「逆よ逆。出来すぎで怖いくらいだった」



 二月前、通商の会談と親善を兼ねて、ロウエン王国から使節が訪れた。

 歓迎の意を表すため、王宮上げての盛大な晩餐会が行われ、非常に不本意ながらラナンディアも参加させられたのである。


 その折に挨拶したロウエン王国の特使は、打てば響くような頭の回転の持ち主だった。

 物腰は優雅極まりなく、周囲への目配り、気配りも抜群。話題も豊富で、空の星から庭の薔薇の消毒薬の話まで、相手にあわせて飽きさせない。

 そしてなにより特筆すべきなのは、その美貌だった。


 夜の闇を溶かしたようなつややかな黒髪。黒曜石の輝きを放つ怜悧れいりな瞳。どんな美しい彫像よりもさらに整った涼やかな容貌。

 彼が視線を遣るだけで、男女問わず頬を赤らめる者が続出。傾国とはこういう人のことを言うんだなあ、と、思わずほわわん、と口を開けそうになったラナルディアだった。


「頭もいいし、そつもない。おまけにもっっっっのすごい美形。わたくし、傾国という単語を体現している人を書物以外で始めて見た気がしたわ」

「確かに姫さまはおっしゃられてましたね。ロウエン王国歓迎の晩餐会で。怖いほど美貌の御使者がいらっしゃった、と」


 カランナが記憶を探るように呟く。ルナーンも頷いた。


「僕も後で参加した人から口々に聞きましたよ。今度のロウエン王国の特使はぞっとするほどの美男だって。噂に聞くサリアン陛下ですら、あれほどじゃないんじゃないか、ってもっぱらの評判でした」

「えー、オレ、あの日は別件で姫さんの警護から外れてたんだよなー。それほどの美形なら――って、別にいいか。どれだけ綺麗でも、しょせん野郎だしな」


 一瞬残念そうな表情を浮かべたものの、すぐにさっぱりした様子で、イディムは肩をすくめた。


「で? どうして姫さんは、今度の使者がそいつじゃないって思うんだ?」

「どうして、って――まあ勘なんだけど」

「勘かよ」

「正直、あそこまで人たらしで使える人材って、ロウエン王国といえども、そうはいないと思うのよ。うちには二月前に来てるでしょう? だから、有効活用するなら、別の国に派遣するんじゃないか、って」


 むしろ、サリアンと彼以外にもあんな存在がもっといるとしたら、ロウエン王国は今頃戦わずしてこのフィスファーエン全土を統一している気がする。


 冗談じゃない、と、ラナルディアは顔をしかめた。

 と。


「また嫌な顔してんな」


 イディムがにやっと嗤った。


「さっきも同じような顔してたよな。ひょっとして、そいつのこと、嫌いなのか? すっげえ美形なんだろ?」

「美形だから、嫌なの。苦手なの」


 ラナンディアは唇をとがらせた。


「わたくしと対極にいる相手よ? 得意なわけないじゃない」

「んなこと言ってていいのかあ? 姫さんが嫁ぐ相手って、その使者とタメ張るくらいの美形なんだろ? どーすんのよ」

「そうなのよねえ……」


 はあああ、と再びため息が出てくる。クッションはどこだ。


「ロウエン国王に嫁ぐのは、その点でさらに気が重くなるのよねー」

「美形が苦手って、なんて贅沢な」

「ですよ。サリアン陛下がお相手なのに嫌だなんて、世界広しといえども、姫さまお一人ですよ、きっと」

「だよなー、カランナ」

「なんでわたくしに振るんですか」


 カランナはイディムを睨んだ後、不意にまじめな顔になった。


「あのですね、姫さま。わたくし、ひとつ心配な点に気づいてしまいました」

「なあに、カランナ」

「サリアン陛下は、とにかく人気のある御方なのは、姫さまもご存じでしょう?」


 ラナルディアは頷く。

 さっきイディムも言っていたが、世界一モテる殿方だというのは冗談ではない。恐ろしいことに掛け値のない事実だ。


「おそらく、これから大変だと思われます」

「ええ、なにしろロウエン王国は大国ですものね」

「姫さまが考えてらっしゃるのは、まつりごとや国同士の関係や風習の違い、もしくは婚姻そのものについての苦労でしょう。ですが、今回の場合、それ以上に面倒になると思われるのが――」


 カランナが声を張り上げたその瞬間、扉が叩かれる音が響いた。

 部屋の外から、取り次ぎ役の侍女の声がする。


「姫さま、至急、お目通りを願っておられる御方がいらっしゃいました」

「至急? また?」


『引きこもり姫』に至急会いたいなどと押しかける者など、父王からの使者くらいしかいない。ついさっき辞したばかりなのに、まだなにかあるのだろうか、とラナルディアが首をひねると、カランナが硬い声で言った。


「さっそくお出ましですわね」

「カランナ?」

「わたくしが先ほど心配していた面倒事が、どうやら押しかけてきた気がします。……嫉妬ですよ。サリアン陛下を巡っての」


 その言葉に被さるように、取り次ぎの声が響いた。



「――リリアンナさまがお出ででございます」 



 

 


 


 



 



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