2 クッションは殴るものではありません
「姫さま、なにやってらっしゃるんですか」
「…………あー?」
「そのクッションは腰掛けるとき背中や腕を支えるものでして、辺り構わず振り回したり、ご自分の顔に押しつけて窒息寸前になるためのものではないのですが。ご存じではありませんでした?」
侍女のカランナが
父であるジランドラル国王との面会から戻ってきて以降。
まっすぐに長椅子に倒れ込むと、あ゛あ゛あ゛~、とか、う゛う゛う゛~、とか、怪しいうめき声を上げながら、髪をかきむしったり、頬をぺちぺち叩いたり、クッションをひっつかんで所構わずぼふぼふ殴りまくったりしているのだ。
ラナルディア自身でさえ、ちょっと落ち着けよおい、と突っ込みを入れたくなるのももっともだと思う。
だが、しかし。
これが落ち着いていられようか。
「姫さまの奇行には慣れたつもりでおりましたけどね、わたくしもまだまだ修行がたりませんでしたわね」
だからどうしてそこで宙を見上げてふっ、と
「せめてなにがあったのかだけでも教えてくださらないと。わたくしどもも動きようがございません」
「口に出したら世界が終わりそうな気がするからもう少し待ってカランナ」
「陛下からのお召しがあっただけでも珍しいのに、姫さまがそこまで動揺なさるのもさらにお珍しい。いまさら陛下の
「いや、あまりにも予想外の斜め上方向から矢が飛んできたもので――って、さりげなく主人をこき下ろすわね」
「そりゃあ、姫さまの侍女でございますから」
カランナはくすりと笑うと、しがみついているラナルディアの手からクッションを取り上げ、代わりに茶碗を持たせた。
暖かな茶の芳香が、ゆるゆると鼻腔を満たし、普段どうりの雰囲気を醸し出す。ラナルディアの気分も、少しずつ静まっていく。
「…………あ、これ、美味しい」
「いつもより、わずかに砂糖の量を増やしてみました。ご自分ではお気づきになっておられないかもしれませんが、気を張られたぶん、お疲れかと存じましたので」
「さすが。有能」
三年前に亡くなった爺やにみっちりと仕込まれたカランナは、ラナルディアより二つ上の二十歳。今ではラナルディアにもっとも近い腹心の侍女として、昼夜問わず仕えてくれている。もはや、姉とも、友人とも、同士ともいえる大切な存在だ。
ラナルディアとしては、非常に複雑な心境だ。
カランナの忠心が心強く、涙が出るほど嬉しい反面、彼女が愛する人と築く幸せを
完全に
「父上のお召しは……縁談のお話だったわ」
ラナルディアは、自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと口を開いた。
言葉にすることで、考えがまとまることがあるのをわかっているからだ。
縁談、という単語に、カランナの眉がわずかにぴくり、と動いたが、彼女はなにも言わなかった。ただ、視線で、先を
「まあ、わざわざ緊急に呼び出したってところで、たぶんそうじゃないかな、と見当はつけてたけど。早急にわたくしの返事が欲しいだなんて、他国が絡んでいるお話しかないでしょうし。となれば縁談くらいしか思いつかないわよねー」
自国内で収まる話であれば、なにもわざわざ引きこもりを引っ張り出す必要などないのだ。ゆるゆると話をつければいい。
おそらく、今現在、このジランドラルの王宮に滞在している使者の耳にも伝わるよう、あえてラナルディアを呼び出したのだ。
我がジランドラル国は、『引きこもり姫』にきちんと縁談の件を伝えた――それを使者に知らせるために。
そこでようやく、カランナがわずかに小首をかしげた。
「ですが姫さま。素直にお出ましになられたのは、どんな縁談であれ、これまでのように
「そうなのよ。傷心です修道院です、って言い張るわたくしと、無理を通してでも結婚したいなんてお相手、そういるもんじゃないと思うの」
婚姻によってジランドラル国と
では、政略ではなく、ラナルディア本人に恋い焦がれて――
――――ありえない。
『ジランドラルの引きこもり姫』『灰色の幽霊姫』の二つ名は伊達ではない。この幽鬼めいた容姿を見て、食指を動かされる好き者はいないだろう。
いるとしたら――そんな特殊嗜好の持ち主は、逆にこちらのほうから全力でお断り申し上げたい。
「だから、リリアンヌか、レプリース様か――求婚するなら、そちらの姫のほうが適任じゃないか、と言えば、すべて済むと思ってたの。お姉様がイルドカーズに嫁がれることが確定した今、父上が縁談をまとめるとしたら、相手はたぶんディヨムくらいしかないと読んでたから」
「違ったんですか?」
「大外れ」
ラナルディアは肩をすくめた。
「ああ、そうだ。一昨日、天藍宮に入ったという正体不明の使節ね。どこの国からの使節だか、たぶんわかったと思うから、もう探らなくていい、って、ルナーンたちに伝えてくれるかし――」
最後まで言わないうちに、ノックの音が響く。
それとほぼ同時に、ばーんと扉が開き、転がるように男がひとり飛び込んできた。
背が高く、鍛え上げた筋肉質の体躯に、護衛騎士のいでたちがよく映える。
だが、微妙に長めの濃い色の髪と、いたずらっぽく踊る黒い垂れ目、ご婦人方を
「入ってよろしい、との返事を聞くまで、扉を開けたらいけないと、何度言ったら覚えるんですかイディム、この鶏頭!」
「まーまーカランナ、今日も怒った顔が美人でなにより。どーしても大急ぎで報告せにゃあならんことがあったからさー」
ラナルディアとカランナ二人きりだと聞いたから、少々礼を失しても大丈夫だろうと踏んだのだ、と、イディムは、へらっと笑った。
「それより仰天情報! 聞いて驚け! なんと、天藍宮にいるあの使節なー、あれ――」
「姫さま! 聞いてください!」
まるで先ほどの再現。
イディムの言葉を遮るように、再びぱああん、と扉が開かれた。
飛び込んできたのは、今度はまだ少年期を出るか出ないか、といった若い青年だ。
薄い金髪に水色の瞳。全体に色素が薄く、小作りで整った造作は、出来のいい人形のような印象を与える。
騎士のイディムとは違い、近習の制服をぴしり、と着こなした彼は、不作法を睨むカランナや、せっかくの見せ場を横取りされたイディムの視線などまったく意に介さず、興奮したように言葉を継ぐ。
「天藍宮にいる使節の正体掴みました! なんとなんと、彼らは――」
「ロウエン王国でしょ」
あっさりとラナルディアがネタを割る。
カランナが目を大きく見開き、イディムが肩をすくめ、青年――ルナーンが唇をとがらせた。
「なんだあ、ご存じだったんですか」
「ごめんなさい。わたくしもついさっき知ったぱかりなの。ちょうど今、もう天藍宮を探らなくていい、とカランナに命じたところだったのよ」
「間が悪い、ってやつだな。仕方ねえや」
イディムがにやり、と唇をゆがめる。
「で? 姫さんはどうしてロウエン王国だと知ったんだ?」
「縁談申し込まれたの」
「え、縁談?」
「父上じきじきのお申し付けだったから、たぶん、受けること前提だわね」
「姫様、お
「んー、そのつもりはなかったんだけど……まあ、一応、こんな場合のことも想定してないことはないし……」
一国の姫という立場上、時勢の変化から、どうしても結婚から逃げられない場合もあることは承知の上だ。
ロウエン王国は強国すぎて、まさかこちらからではなく、あちらから申し込みがあるとは思わなかった。が、確かに、逃げられない国筆頭である。申し込まれれば受ける以外の選択肢はない。
しかし。
「でも、完全に相手が想定外だったのよね……」
はああ。思わずため息が漏れる。手が、ついクッションを探してしまう。
「あの、姫さま、そのお相手とは?」
「そーそー、誰なのさいったい」
「伺ってよろしければ、教えていただきたいと」
「ロウエン王国って、確か王子山ほどいるよね」
「売るほどいるな」
「あまりお年が変わらない御方ならいいのですが」
口々に好き勝手なことをのたまう三人を、ラナルディアは横目で睨んだ。
ここはもう、衝撃発言をぶちかますしかない。
「陛下、よ」
「はい?」
「国王陛下」
「ええ、だから陛下からお召しがあったのは存じてますが。そこでお相手は誰だと告げられたんです?」
「だからー」
全然通じていない。無理もないが。
ラナルディアは息を吸い込むと、下腹に力を込めた。
「ロウエン王国国王、サリアン陛下なんですって。わたくしのお相手」
「…………」
「…………」
「…………」
岩のような静けさが不気味に辺りを覆ったあと。
「えええ――――っ!?」
数刻前のラナルディアと同じ悲鳴が、部屋中に響き渡ったのだった。
「いやー、ないわー、いくらなんでも、ないわー。神をも恐れぬ暴挙だわー。あの神様と、うちの姫さん……ないわー」
「……………」
「カランナさん? カランナさん――わああー、目を開けたまま魂翔んでるー」
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