第一章 1 ジランドラルの引きこもり姫



「父上、お呼びでしょうか」


 短めのドレスのすそを軽やかにさばきながら、ラナルディアは執務室を訪れた。

 いつもながら、実に地味な姿だ。


 つやのない灰色の癖のある髪は、襟足えりあしで後ろに一つにくくられてはいるものの、うねうねともつれて肩にかかっている。長く伸ばした前髪は、目を深々と覆い、その表情をうかがい知ることは難しい。

 背は高めで、ほっそりとしているといえば聞こえがいいが、正直なところガリガリの鶏がらだ。薄墨うすずみ色の飾りの少ないドレスといい、一見して彼女がこのジランドラル国の姫だと言い当てるものは誰もいないだろう。


 案の定、現れた娘の姿を見たジランドラル国王は、はああ、とこれ見よがしなため息をつくと、首を振った。


「相変わらず貧相な格好だな。もう少しなんとかならんのか」

「部屋を出てこちらへ来ただけでもよしとなさってくださいな」

「相変わらず引きこもっているのか」

「わざわざお尋ねにならずとも、ご存じでしょうに」

「相変わらず愛想のないやつだ」


 父王はさらにがっくりと頭を垂れるが、ラナルディアはどこ吹く風だ。

「それよりいったいなんのご用でしょうか? わざわざ執務室へお召しになるなんて珍しい」


『ジランドラルの引きこもり姫』、『灰色の幽霊姫』などの二つ名が王宮内で囁かれているラナルディアを、王が呼び出すことは滅多にない。その姿が人目につくことを嫌うからだ。


 どうしてもラナルディアの出席を外せない用事――王家の冠婚葬祭や、他国からの賓客の歓迎行事の場合は、相当前からあらかじめそのむねが伝えられる。ラナルディアも、己が一国の姫だという立場はわきまえているから、そういうときだけはおとなしくヴェールを被って人前に立つ。それ以外は、ほぼ自分の自室に篭もって出てこないから、『引きこもり姫』と呼ばれるのもむべなるかな、である。まあ、最低限の義務だけは果たしているから、無理矢理部屋から引きずり出されないですんでいるのだともいえるが。


 その通常から考えると、今回の呼び出しは相当変則的だった。今すぐ執務室に来い、など、まるっと無視されてもおかしくない。なのに、素直に応じたのは、よほど伝令した者が優秀だったのかと王は考えた。あとで報償を与えねばなるまい。


「どうしても其方そなたに直に話さねばならぬ案件が持ち上がってな。それも早急に」

「わたくしに、ですか。なにやら怖いような」


 ラナルディアは小さく首をかしげた。


「ひょっとして、いよいよわたくしの面倒を見きれないから修道院へ、と?」

「そんな真似許すならとっくの昔にやっておる」

「じゃあ、離宮へ移す――なら、なにもこんな急に呼びつけてまで伝えることではありませんわね」

「わかっておるではないか」


 王は苦笑を浮かべた。


「我が娘ながら、どうしてここまでとことん変わり者が……と嘆いておったが、頭の出来がそこまで悪くなさげなのだけは救いだな。これなら、まあなんとかなるだろう」

「……縁談でございますか?」

さといな」


 ラナルディアの声が低くなった。


「父上。もう何度も何度も口を酸っぱくして申し上げておりますとおり、わたくしは亡き許婚いいなずけ殿にみさおを捧げておりますれば。喪に服してかの御方の冥福を祈る毎日でありますのに、あまりに無体なお言葉――」

「スフ国の王子か? それこそもう何度も耳にたこができるほど言って聞かせておるだろうが。あの者に、其方そなたがそれほど心を寄せるほどの価値はなかった、と」

「情けのうございます。父上。ならぱわたくしはやはり、修道院に入って……」

「あきらめろ、ラナルディア」


 それまでは父としての情を含ませていた王の表情が、為政者のそれになる。


「これまでは幼くして許婚を亡くした不憫ふびんな姫だと思うておったゆえ、多少のまま奇矯ききょうは多めに見ておった。が、此度こたびはそうはいかん。ジランドラルの姫としての責務を果たしてもらわねば」

「姫の、責務……?」


 ラナルディアがわずかに息を呑む。


「許婚を亡くした傷心で修道院へ入った、という言い訳を使えない相手だ、と?」

「そうだ」

「そこまでの大国で、このジランドラルとよしみを結ぼうとしている国……」


 ラナルディアは頬に手を当てながら、ぶつぶつとつぶやき始めた。


「ジャスター、はクーム叔父上の奥方様の故国だし、ヤララギにはコリウス様が嫁いでいらっしゃるし、イルドカーズとは――確か、このまえ、お姉様リュエリーナの縁談が調ととのった、とうかがったような……」

「リュエリーナは来春嫁ぐことに決まった。……ロウエンだ」

「え」

「其方を欲しいと申し出てきたのは、ロウエン王国だ」


 ラナルディアが動きを止める。


「ロウエンって……あの?」

「他にどこがある」

「いえ、だって、あの、先々月でしたっけ、御使者がいらっしゃって、国王陛下の縁談をいろいろと打診なされておられたと聞き及んでおりますが……」


 ロウエン王国とは、このフィスファーエンの大陸のほぼ中央に位置する、もっとも強大で広い国土を持つ王国である。


 治めているのは、若き名君のほまれ高きサリアン王。

 彼は、妾腹の第十三王子という生まれながら、十一年前、先代の国王が崩御した後、他の王族を差し置いてすんなりと玉座にいた。まだ学生の身で、十七歳という若さだったにもかかわらず、である。

 その際、ロウエン国内でどんなやり取りがあったのか他国からは知りようがないが、目立った争いや混乱がなかったのは確からしい。十七歳の第十三王子は、他の兄弟姉妹を抑え、その同意を取り付けて王となるだけの器量の持ち主だった。


 それから十一年。サリアン王は、その器量を見せつけるかのように、着々とロウエン王国を繁栄させていっている。

 彼が玉座についてからというもの、ロウエン王国は常に気候に恵まれ、天災もなく、豊かな実りと平和を享受している。まるで、天すら彼のことを愛でているかのようだ、というのが、フィスファーエン全土のもっぱらの噂だ。

 そして、天がでるのも無理はない、とも。

 

 二十八歳の男盛り。五カ国語に堪能で、音楽を良くたしなみ、学者と対等に議論出来るほど学問にも造詣ぞうけいが深い。

 常に笑みを絶やさず、万人に等しく優しいその麗質。一度彼に接した者は、例外なく骨抜きにされ、彼をあがめ奉るという。

 そして、天下に膾炙かいしゃする画聖ラギが、その似姿を描きたいと焦がれ、描いた後も、自分の腕ではその美の十分の一も写せていない、と嘆いたと伝わるほどの美貌の持ち主でもあるらしい。

 光を紡いだような髪、空を映した瞳、女神が嫉妬すると言われるほどの整った造形。ラギの描いた似姿は、今ではフィスファーエンじゅうに広まり、老いも若きもすべての女性が毎日眺めてため息をついているという。


 とまあ、どんな女性でもよりどりみどりだろうサリアン王だが、いまだ独り身で、決まったお相手もいないらしい。各国にいろいろと打診しているという噂は流れてくるし、実際、先々月、このジランドラルにもロウエンからの使者がやってきて、それとなくこの国の婚姻事情を探っていったのは事実である。


「けど、お姉様も、リリアンナも、残念ながらご縁がなかったと……。ミーチェはまだ幼いし、ロウエン王国とのお話はそれで終わったとばかり思っておりましたから――ああ、そういえば」


 ラナルディアは、ぱちり、と手を打ち合わせた。


「ロウエン王国の先王陛下は御子に恵まれてらっしゃったんでしたっけ。そうでした。サリアン陛下も確か第十三王子でいらっしゃったんですものね。少なくとも他に王子が十二人おられることは確実ですし」


 なるほど、と納得したように首を振る。


「で、わたくしに来た縁談は何番目の殿下がお相手なんですの? 十七番目? 二十番目くらいですか?」

「ラナルディア……それがだな」

「サリアン陛下より上の御方でも全然構いません。わたくし、年上の殿方は好きですから。リドラール様だって十近く上でいらっしゃったわけですし」

「だから、ラナルディア……」

「そりゃあ、わたくしより下でもわたくしはいいんですが、お相手が気の毒ですよね。そろそろわたくしも立派なき遅れだから――」

「いいから聞かぬか!」


 とうとう怒声を上げた王に、ラナルディアが口をつぐむ。そんな娘の姿を見ながら、王ははあああ、と、腹の底からのため息をついた。


「……どうして、これ、なんだか」

「父上?」

「十三番目だ。其方の縁談の相手は」

「十三番目と申しますと――確か、サリアン陛下が十三番目でいらっしゃるから、その、上……下……」


 ラナルディアの言葉が途中で消える。


「…………え?」  


「そうだ。十三番目だ」

「え? だって、あの、その」

「だから――その陛下だ」

「…………え?」


「サリアン陛下その人だ。其方が嫁ぐのは」




「えええ――――――!?」


  

  

 


 

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