6話 騒動

 十階は、典型的なロビーだった。

 白い大理石製のカウンターに、綺麗に整えられた観葉植物。整ったスーツを身にまとった受付嬢は笑顔を絶やさず、こちらに向かってにこやかに挨拶する。

 そんな高級感あふれるロビーでゆっくりと足を進める私と対照的に、駆け足で受付へと走る剛次郎と木下。木下はともかく、剛次郎が何をするつもりなのかが読めない。もしものことがあれば、また魔法少女になる必要が出てくるかもしれない。


__今日の魔法の残弾は5回。うち一回は変身に使うから、実質4回。剛次郎が余計なことをしないのを願うしかない……。


 表情を変えずに心の中でそう思いながら、私はつややかな黒髪が印象的な美人の受付嬢に声をかける。


「申し訳ありません、私、『月刊カチューシャ』の記者の黒田沙由梨と申します。四時から南区ヒーロー事務所のインタビューをさせていただきたく……」

「黒田沙由梨様ですね。かしこまりました。こちらのお部屋で少々お待ちください。」


 にこやかな受付嬢はそう言うと、落ち着いた雰囲気の応接室に案内してくれた。応接室は革張りのソファが置いてあり、夏を連想させる高級そうな調度品や置物まで置いてあった。

 ここでふと、私は違和感を覚えた。

 大理石のカウンターは、おいくらなのだろうか。ロビーに飾られていた観葉植物も、見たことのない珍しいものだった。お客様を迎える場所とはいえ、このソファも高級そうだし、部屋の隅に置かれている調度品はどう見ても季節に合わせた品物だ。


 気になった私は、スマホに手をかけ、大理石のカウンターの相場を調べる。大理石のカウンター自体の平均価格は10万円前後。まあ、受付に置くと考えるなら不自然ではない価格帯だ。観葉植物も、一般市民である私から見れば高いと感じるものの、企業を飾るロビーに置かれるなら不自然ない価格だった。


 気のせいか。そう思って調度品の価格を見たところで、思わず悲鳴をあげそうになった。


「桁違いね……。」


 オーダーメイドの調度品は、ここまで高いのか……。涼しげな色に光り輝くフロアランプは、私の全財産からゼロを一つ減らしたくらいのお値段だった。

 置物も同様、もしくは少し高いくらい。


「……いくら政府からの補助金があるからって、ここまで贅沢をしていいものなの?」


 疑問を小声に出した瞬間、嫌な予感が脊髄を這い上がった。

 私は、慌てて先ほどのヒーロー、木下が所属している事務所を調べる。


「ヒーロー『グリーンリーフ』……べたな名前ね。所属事務所は……西区ヒーロー事務所……?」


 私は、息をのんだ。

 なぜ、木下はこの事務所に来たのだ? ただ用事があったから?

 だが、それだけで済むには違和感が大きい。


 なぜ、剛次郎ヒーロー嫌いここヒーロー事務所に来たのだ?

 剛次郎は、過去にいざこざがあったため、ヒーロー嫌いの自警団ヴィジランテである。どれくらい嫌いかと言えば、ヒーローを見かけるたびに大人げなく手が出そうになるくらいには嫌いだ。

 思い出すのは、つい一か月前の出来事。私が魔法少女としてヴィラン退治をしようとしたとき、たまたま剛次郎とかち合った。適当な会話をしつつもヴィラン討伐を行っていたところ、五人のヒーローが遅れてやって来た。

 その結果、まだ攻略に時間がかかるかと思っていた戦闘は、数分後に黒い水たまりの上にやってきたヒーロー四人がたたき伏せられ終末を迎えた。正直、止める暇もなかった。鬼の形相で苦戦していた目の前のヴィランを瞬殺したかと思えば、そのままの勢いで五人のヒーローに躍りかかったのだから。

 なお、一人は女性だったため、助かった。正直、かわいそうなくらいにおびえてはいたが。女性には手出しをしないところをほめようとするには、行動がイカレすぎていた。


 だが、たまに、ほんのたまに、自分のヒーロー嫌いをこらえてヒーローと手を組むことがある。

 それは、凶悪なヴィランと対峙し、協力を受けざるを得ない時だ。それ以外の、ヒーロー同士のいざこざだとか、その他犯罪者が何をしていようと首を突っ込むことはないし、敵対しさえしなければ超能力を持った人間が何をしていようと気にも留めない人間である。


「エレベーターに乗っていた時、剛次郎は木下に手出しをした……?」


 記憶をたどってみるも、それらしい行為をしていたところは見ていない。もちろん、目を合わせてすらいなかった、という見方もできる。だけれども、それだけで済ますというには、剛次郎のヒーロー嫌いは度が過ぎている。普通、ヒーローを叩きのめしてから一人でエレベーターに乗り込むはずだ。


 無意識に右手を顎に当て、私は思考する。

 剛次郎はヒーロー嫌いである。だが、ヒーロー事務所に単身で殴り込みに行くほど無謀で崩壊した人間、もとい、アホではない。目の前に現れたならうっかり殴ってしまうこともあるだろうが。

 だとしたら、なぜ、剛次郎はヒーロー事務所に来たのか。ついでに、木下もなぜ別の事務所である南区ヒーロー事務所に来たのか。


「……。」


 唇の端を噛みしめ、いつの間にかわいていた唾をごくりと飲み干した。

 悪い予感が心臓を侵す。心拍数が上がり、顔から血の気が引く。

 そう言えば、担当者がまだ来ない。時計を確認すれば、待ち合わせの時刻まであと五分になっていた。気持ちが悪いほう、悪いほうへと傾く。私は、胸元の真鍮製の指輪を布越しに握り締めた。





 その瞬間、すさまじい爆発音とともに、ビルが細かく振動した。





「……っ?!」


 私は反射的に体を低く伏せた。大きな音のせいで耳が痛い。心拍数が妙に増え、腕に鳥肌が立つ。

 だが、怪我はしなかった。周囲の壁に異変はない。耳を澄ませて周囲を確認する。すると、近くの部屋か恐怖と困惑の入り混じった悲鳴と、警戒の大声が聞こえてきた。


「__ヴィランの襲撃か?!」

「総員警戒!」

「なに? 何があったの?!」


「……ヒーローが来るのを待った方がいいわね。」


 私は体を起こし、ソファに座りなおした。

 魔法少女に変身しようか迷ったが、私がこの部屋に入るところは監視カメラが映しているはずだ。受付嬢だって私がこの部屋にいることを知っている。急に誰もいなくなるのは不自然すぎるはずだ。


 手に持ったバックから携帯電話を取り出して、少しだけ思案する。


__会社に電話をした方がいいのかしら?


 しばらく考えるも、とくに答えは浮かばない。私は小さくため息をついて、時計を確認した。

 長針はちょうど12の数字の上に、短針は4の真上に来ていた。

 あと五分、何もなかったのならここから避難しよう。

 そう判断した私は、高そうなテーブルの上に置かれたお茶に手を伸ばす。長らく放置したままだった冷茶の氷はすでに溶け切っていた。




 茫然と時計の文字盤を眺めていると、長針が12と1の中間に来ていた。

 周囲の騒音はだんだんと減り、その代わり、廊下を行き来する駆け足の音が増えた。避難が始まったらしい。

 私も外に出ようか。そう思って既にぬるくなり始めたグラスをテーブルの上に置き、ドアに手をかける。


 その瞬間、扉が開いた。

 まだ力は加えていない。勝手にあいた扉に目を丸くしていると、目の前に見覚えのある緑色のヒーローがドアノブを右手に突っ立っていた。


「えーっと……?」

「あっ、まだ避難していなかったのですね! 早くここから逃げてください! このままだとビルの崩落に巻き込まれますよ!」

「……そんなにひどい爆発だったのですか。」

「うっ、はい、そうです。」


 何やら言葉に詰まっている様子だ。だが、逃げないという選択肢は存在していない。私は、バッグを片手にエレベーターホールへ向かおうとする。

 すると、緑色のヒーロー、木上は私に向かってこう言った。


「エレベーターじゃあ危ないです! 非常階段から逃げてください!」

「非常階段って、どこですか?」

「そこの通路を右に……って、時間がない! 僕と一緒に来てください!」


 そう叫ぶなり、木上は私の右手をつかみ、走り出した。

 それに引きずられるように、私もヒーロー事務所の廊下を走り出した。

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