疾風の往く道

窮地②

　一時間程前。

　四三は、いつもの川原で悉乃を待っていた。

　すでに夏休みに突入している四三は、今日が悉乃の学校の終業式だということで、新しく近くにできたミルクホールで昼食を一緒に食べようと話していた。

　三田からは「デートってやつかあ？金栗くんも隅におけないな！」などとからかわれていたが、四三としてはそんな洒落たことであるつもりはさらさらなかった。食べたら、いつものごとく悉乃は自転車、自分は自らの脚で東京を走るだけなのだから。

　が、約束の時間になっても悉乃は来なかった。

　以前なら、とうとう自分に会う必要はなくなってしまったのだな、と諦めていたところだろうが、今日はなんとなく「自分に会いたくないわけではなく、何か事情があるのだろう」という考えに至った。そう思うと、道中で何かトラブルに巻き込まれたりしてはいないかと心配になってきた。

　四三は、悉乃の通う小石川高等女学校へと向かった。

　着いてはみたものの、校門から敷地内の様子を伺っては、周辺をウロウロと歩くことしかできなかった。何せ、出てくるのは女生徒ばかり。男が一人でも入ろうものなら、目立ってしまってしょうがない。不審者扱いされてつまみ出されるのが関の山だ。

　が、その懸念はあっさり解決した。

「あら、父兄の方？」

　校門から出てきた女生徒に声をかけられた。そうだ、兄ということにしよう、と思いつき、四三は「そうです。浅岡悉乃の兄です」と答えた。運動着ではなく袴を穿いてきていてよかった、と胸を撫でおろしたのもつかの間、女生徒は四三に訝し気な視線を投げてきたので、四三は思わず姿勢を正した。

「浅岡さんの……」女生徒は眉間に皺を寄せていたが、すぐに「ふっ」と嫌な笑みを浮かべた。

「二階の職員室にいますわ。お父様に加えてお兄様もいらしたなんて、多勢に無勢ですわね」

「えっ!?」

　どういうことか、と聞こうとしたが、ボロが出てはまずいので、とにかく職員室に向かうことにした。

　職員室の前に着くと、廊下の窓から数人の女生徒が中を覗いていた。大半はいかにも野次馬根性、といった物珍し気な視線を向けていたが、一人だけ、心から心配そうな顔をして見ている生徒がいた。彼女は四三に気づくと、あっと小さく声を上げた。

「あなた、確か、金栗さん……！」

「あなたは、悉乃さんのお友達の……」

「鹿嶋キヨですわ。どうしてここに」

　四三は経緯を説明した。すると、キヨもここまでの顛末を話してくれた。

「……悉乃さんのお父様、お怒りですわ。このままじゃ、お見合いも破談になるかもって」

「お、お見合い？」

　そんな予定があったのか、と「お見合い」という言葉が四三の胸にずしりと重くのしかかるようであった。だが、それよりも今はこの場がどう収まるかが重要である。

　廊下に面した窓は開け放たれていたので、中の声がよく聞こえた。「まったく、何のためにお前を引き取って教育してきたと思ってるんだ」と、悉乃の父親が言っているのがわかった。

「お父様、ごめんなさい。でも、私、掏られそうになっている人を助けたんですのよ」

　悉乃が弁解している。が、

「そんなことはどうでもいい。おかげでお前が前科者だと知れてしまったではないか」

　と一蹴されてしまった。

　四三は、黙って見ていられなかった。悉乃が今こんな目にあっているのは、自分のせいなのだから。

「お父様、どうでもいいだなんて……！」

「どうでもいいとは随分ですなあ！」

　四三はガラリと職員室のドアを開けた。

※ミルクホール……明治後半から普及した牛乳を飲むための喫茶店のような飲食店